インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2012年11月05日

タイで死んでいく日本人たち

 チェンマイを中心にしたタイ北部で、今年に入って20人の日本人が死んだ。チェンマイで知らされた。
 その多くがロングステイ組だという。突然の発症。日本に帰ることも難しかった人がほとんどだという。
 タイ北部はバンコクに比べれば気候に恵まれている。日本に似た四季もある。バンコクに比べれば物価も安い。それでいて、チェンマイやチェンラーイには量販店が何軒もあるから生活に苦労しない。日本料理屋も少なくない。そんな理由からだろうか。ロングステイの土地に選ぶ日本人は多い。
 タイがロングステイを受け入れてから10年以上の年月が流れた。60代前半で、タイでのロングステイをはじめた人も70歳代になったわけだ。タイで死亡する人が増えてくるのは当然のことかもしれない。
 タイでのロングステイがはじまったとき、こんな人生プランをよく目にした。
「60代をタイで過ごし、その間は出費を抑えて年金を貯蓄にまわし、70代以降の日本での本格的な老後に備える」
 タイの物価もじりじりと上がり、日本での本格老後への資金がなかなか貯まらなかったのだろうか。しかし70代のロングステイ組と会うと、むしろタイの生活が気に入ってしまったタイプが多い。
 タイに5年も暮らせば、生活面での不自由さはなくなる。それなりの方法をみにつけるものだ。最近は日本料理店も急増し、だいぶ楽になってきた。物価が高くなってきたといっても、日本に比べればまだまだ安い。住めば都といった感覚もある。
 先日、バンコクのタニヤ通りにあったグラバー亭という居酒屋のご主人が亡くなった。僕も何回かお世話になった。シーロム通り界隈のオフィスで仕事があり、午前1時をまわってやっと終わったというとき、酒と一緒に食事もとれる店はここしかなかった。
 体調がよくないことは聞いていた。退院したときに1回、店で会った。顔が変形するぐらいに腫れているというのに、がんがんと酒を飲んでいた。すでに自分の死を覚悟していたのかもしれない。
 昨日、チェンマイでひとりの日本人ホームレスと会った。新しくなったアーケードバスターミナルをねぐらにしていた。バンコクに向かうバスが何台も停まるターミナルの椅子に座っていろんな話をした。
「明日はどうなるかわかりませんから」
 彼は何回もそう口にした。
 別れ際、なんといったらいいのかわからなかった。
「じゃあ、また」
 と言葉を濁すと、
「生きていたら」
 と男は頼りない笑みを浮かべた。
 タイとかかわっていくこと。それはこれから何回も、日本人の死と出合っていくことを意味するのだろうか。



Posted by 下川裕治 at 12:27│Comments(2)
この記事へのコメント
「じゃあ、また」
「生きていれば」
しみじみした一文でした。
かつてのように「一様」でない、それぞれの
バンコク
Posted by 谷 子 at 2012年11月05日 12:43
日本で死ぬよりましかも…
Posted by リボルバー at 2012年11月05日 22:37
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。