2025年01月06日
7時間かかった初詣
明けましておめでとうございます。
年初のブログは、正月らしく初詣の話なのだが、これがなかなか大変だった。
伏線がある。次に出る本のために、僕は村尾嘉陵の旅を多少なりとも辿ってみようと思っている。嘉陵は江戸時代の役人である。しかし無類の旅好きというか、暇をみつけては江戸や郊外を歩きまわった。その内容が、簡単に手に入る本では、『江戸近郊道しるべ』というタイトルで現代語に訳されて出版されている。
その旅をなぞってみようと考えたのだ。理由は彼の年齢だった。資料によると、彼が江戸近郊をよく歩いたのは、47歳から74歳までの間だ。1831年(天保2年)は年に5回も江戸近郊の旅に出ている。71歳である。「じゃあ、僕もやってやろうじゃないか」などと拳をあげたわけではないが、ひとつのテキストにしてみようと思った。
しかし彼が歩いた距離には腰が引けてしまった。『江戸近郊道しるべ』の冒頭にあるのが「府中道の記」である。彼の家は浜町、いまの中央区にあった。そこから府中の大國魂神社を往復している。Googleマップに地名を入れてみると、片道30キロ強の距離がある。
『江戸近郊道しるべ』を読むと、暗いうちに家を出たとあるので、午前4時か5時ぐらいには歩きはじめたのではないかと思う。そして夜の8時には家に帰っている。60キロ強の距離を12時間──。その速さにも頭がさがるが、12時間歩きつづけるという健脚ぶりなのでだ。
江戸時代のことだから、基本は歩くしかない。だからといってなのである。それも「ちょっと大國魂神社に参拝してくるよ」といったノリで歩いている。近所の神社に手を合わせにいく感覚なのだ。
昨年の末、僕はそのルートを少しでも辿ろうと、中央区の浜町から歩きはじめた。意外と調子よく進み、3時間ほどで新宿まで着いた。嘉陵のように大國魂神社まで歩こうなどと思ってはいなかった。新宿からは路線バスで向かうことにしていた。前号でお話ししたように、僕は東京都のシルバーパスを持っている。パスを見せるだけでバスに乗ることができる。
しかしなかなかうまくいかなかった。まっすぐに向かうバスはないから、いくつかの路線バスを乗り継いだが、吉祥寺に着いたときに日は暮れてしまった。
心を入れ替えることにした。
こざかしく路線バスに頼ろうとしたのがいけないのかもしれない。途中でお手あげ状態になってしまうかもしれないが、とにかく潔く歩くべきではないか。
そこで1月4日、残っていた新宿ー大國魂神社を歩いてみることにした。
「ちょっと大國魂神社まで初詣に行ってくるよ」といった軽いノリで行きたかったが、距離にして21キロ強の道のりである。
嘉陵が歩いたのは甲州街道である。そこをひたすら歩くことになる。
歩いた。ぽつぽつと街道横の歩道を進む。初台、明大前、桜上水……。脇を走るのは京王線である。ときどき目にする芦花公園駅入口、仙川駅入口といった表示を励みにただ歩いた。
途中から膝や腰が痛くなってきた。芦花公園駅入口に着いたときは、歩きはじめて約3時間後だった。とても無理かと思っていたのだが、ひょっとしたら……という思いで、重くなってきた足をあげる。
午後5時。大國魂神社に着いた。新宿を出たのが午前10時だったから、約7時間かかった。縁石にへたりこんでしまった。嘉陵はここから歩いて浜町まで戻っている。なんだか怪物に思えてきたが、その半分はなんとか歩いた。すっきりした気分だった。
アジアをよく旅するようになってから、神社で手を合わせることをやめた。韓国や台湾の日本の神社跡を目にすると、神社で頭をさげることができなくなった。
大國魂神社も眺めるだけで手を合わせなかった。それでも僕の初詣……。だいぶ時間はかかったが。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
年初のブログは、正月らしく初詣の話なのだが、これがなかなか大変だった。
伏線がある。次に出る本のために、僕は村尾嘉陵の旅を多少なりとも辿ってみようと思っている。嘉陵は江戸時代の役人である。しかし無類の旅好きというか、暇をみつけては江戸や郊外を歩きまわった。その内容が、簡単に手に入る本では、『江戸近郊道しるべ』というタイトルで現代語に訳されて出版されている。
その旅をなぞってみようと考えたのだ。理由は彼の年齢だった。資料によると、彼が江戸近郊をよく歩いたのは、47歳から74歳までの間だ。1831年(天保2年)は年に5回も江戸近郊の旅に出ている。71歳である。「じゃあ、僕もやってやろうじゃないか」などと拳をあげたわけではないが、ひとつのテキストにしてみようと思った。
しかし彼が歩いた距離には腰が引けてしまった。『江戸近郊道しるべ』の冒頭にあるのが「府中道の記」である。彼の家は浜町、いまの中央区にあった。そこから府中の大國魂神社を往復している。Googleマップに地名を入れてみると、片道30キロ強の距離がある。
『江戸近郊道しるべ』を読むと、暗いうちに家を出たとあるので、午前4時か5時ぐらいには歩きはじめたのではないかと思う。そして夜の8時には家に帰っている。60キロ強の距離を12時間──。その速さにも頭がさがるが、12時間歩きつづけるという健脚ぶりなのでだ。
江戸時代のことだから、基本は歩くしかない。だからといってなのである。それも「ちょっと大國魂神社に参拝してくるよ」といったノリで歩いている。近所の神社に手を合わせにいく感覚なのだ。
昨年の末、僕はそのルートを少しでも辿ろうと、中央区の浜町から歩きはじめた。意外と調子よく進み、3時間ほどで新宿まで着いた。嘉陵のように大國魂神社まで歩こうなどと思ってはいなかった。新宿からは路線バスで向かうことにしていた。前号でお話ししたように、僕は東京都のシルバーパスを持っている。パスを見せるだけでバスに乗ることができる。
しかしなかなかうまくいかなかった。まっすぐに向かうバスはないから、いくつかの路線バスを乗り継いだが、吉祥寺に着いたときに日は暮れてしまった。
心を入れ替えることにした。
こざかしく路線バスに頼ろうとしたのがいけないのかもしれない。途中でお手あげ状態になってしまうかもしれないが、とにかく潔く歩くべきではないか。
そこで1月4日、残っていた新宿ー大國魂神社を歩いてみることにした。
「ちょっと大國魂神社まで初詣に行ってくるよ」といった軽いノリで行きたかったが、距離にして21キロ強の道のりである。
嘉陵が歩いたのは甲州街道である。そこをひたすら歩くことになる。
歩いた。ぽつぽつと街道横の歩道を進む。初台、明大前、桜上水……。脇を走るのは京王線である。ときどき目にする芦花公園駅入口、仙川駅入口といった表示を励みにただ歩いた。
途中から膝や腰が痛くなってきた。芦花公園駅入口に着いたときは、歩きはじめて約3時間後だった。とても無理かと思っていたのだが、ひょっとしたら……という思いで、重くなってきた足をあげる。
午後5時。大國魂神社に着いた。新宿を出たのが午前10時だったから、約7時間かかった。縁石にへたりこんでしまった。嘉陵はここから歩いて浜町まで戻っている。なんだか怪物に思えてきたが、その半分はなんとか歩いた。すっきりした気分だった。
アジアをよく旅するようになってから、神社で手を合わせることをやめた。韓国や台湾の日本の神社跡を目にすると、神社で頭をさげることができなくなった。
大國魂神社も眺めるだけで手を合わせなかった。それでも僕の初詣……。だいぶ時間はかかったが。
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2024年12月30日
70歳になって優先レーン
今年最後のブログになる。
今年の半ば、僕は70歳になった。古稀である。そのときのブログでは杜甫の話をした。古稀という言葉は杜甫に詩に由来している。
ブログでは、「70歳になってもなにも変わらない」といった内容で終えている。実際、生活はなにも変わらないのだが、誕生日から半年、なんだか得するような境遇をしだいに味わってきている。
医療費の窓口負担が、3割から2割になった。「健康保険高齢者受給者証」というものが届いた。そして厚生年金の保険料を払う必要がなくなった。僕は一応、小さな会社をもっている。70歳になると、厚生年金に加入する資格を失うから、保険料を払う必要がなくなる。
医療費負担が減り、年金の保険料も払う必要もなくなり……つまり、社会の役割のようなものを考えると、半ば引退したかのような扱いになると考えていいのだろうか。
それまでと同じように仕事をしているわけだから、なんとなく得をしたような気分になる。
東京都のシルバーパスも手にした。これは年間、2万510円を払うと、都バスや都営地下鉄だけでなく、都内を走る路線バスに自由の乗ることができるようになるパスだ。このパスを手にして以来、路線バスに乗りまくっている。僕の仕事場付近にはバス停が多く、いくつかの路線を利用できる。これまで電車で向かっていた場所にもバスに乗るようになってきた。正確に計算したわけではないが、2ヵ月ほどで元はとったと思う。
今日、僕はバンコクから帰国した。着いたのは成田国際空港だった。事務所に行かなくてはならなかった。空港から京成の電車に乗り、青砥から都営地下鉄と都バスを使って仕事場に出向いた。青砥から事務所まではシルバーパスを使えるからだ。
今年の9月、僕はソウルの仁川国際空港にいた。混みあう時間帯で、セキュリティチェックの前には長い列ができていた。
「ひょっとしたらいけるかも」と、優先レーンに出向いてみた。ちゃんと書いてあった。70歳以上はこのレーンを使うことが許されていた。
長い列につく人たちには申し訳ないと思いつつ、列もない優先レーンを進む。これまでは、このセキュリティチェックに30分以上はかかっていた記憶があるが、5分もかからずに通過できてしまった。
優先レーン……。これはバンコクのスワンナプーム空港で経験していた。飛行機のクルーも通るレーンなのだが、70歳をすぎると使うことができるのだ。もしかしたら仁川国際空港も……。予想は当たった。
昨夜、僕はスワンナプーム空港にいた。帰国便は中国国際航空だった。いつものように優先レーンを進む。入り口でパスポートと搭乗券を提示する。スタッフが僕のパスポートを眺める。
「1954生まれだから……OKです」
その言葉を背にセキュリティチェックに向かう。ほとんど人がいないから、1分ほどで通過してしまった。
こと旅を考えると、70歳になると得することが増えてくる……。古稀を迎えて半年の実感である。
しかしそう思えるのは、僕がまだ普通に旅ができるからだ。しかし70歳という年齢は健康と体力に不安を抱えている。それもまた僕は実感している。飛行機に乗るとひどく疲れる。長い距離を歩く体力も危うい。
70歳になって得する旅とは、その境界線上で享受していることがよくわかる。元気でいればいいことがある……そういうレベルの話ではない。そのあたりもよくわかる。70歳とはそういう歳だ。
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今年の半ば、僕は70歳になった。古稀である。そのときのブログでは杜甫の話をした。古稀という言葉は杜甫に詩に由来している。
ブログでは、「70歳になってもなにも変わらない」といった内容で終えている。実際、生活はなにも変わらないのだが、誕生日から半年、なんだか得するような境遇をしだいに味わってきている。
医療費の窓口負担が、3割から2割になった。「健康保険高齢者受給者証」というものが届いた。そして厚生年金の保険料を払う必要がなくなった。僕は一応、小さな会社をもっている。70歳になると、厚生年金に加入する資格を失うから、保険料を払う必要がなくなる。
医療費負担が減り、年金の保険料も払う必要もなくなり……つまり、社会の役割のようなものを考えると、半ば引退したかのような扱いになると考えていいのだろうか。
それまでと同じように仕事をしているわけだから、なんとなく得をしたような気分になる。
東京都のシルバーパスも手にした。これは年間、2万510円を払うと、都バスや都営地下鉄だけでなく、都内を走る路線バスに自由の乗ることができるようになるパスだ。このパスを手にして以来、路線バスに乗りまくっている。僕の仕事場付近にはバス停が多く、いくつかの路線を利用できる。これまで電車で向かっていた場所にもバスに乗るようになってきた。正確に計算したわけではないが、2ヵ月ほどで元はとったと思う。
今日、僕はバンコクから帰国した。着いたのは成田国際空港だった。事務所に行かなくてはならなかった。空港から京成の電車に乗り、青砥から都営地下鉄と都バスを使って仕事場に出向いた。青砥から事務所まではシルバーパスを使えるからだ。
今年の9月、僕はソウルの仁川国際空港にいた。混みあう時間帯で、セキュリティチェックの前には長い列ができていた。
「ひょっとしたらいけるかも」と、優先レーンに出向いてみた。ちゃんと書いてあった。70歳以上はこのレーンを使うことが許されていた。
長い列につく人たちには申し訳ないと思いつつ、列もない優先レーンを進む。これまでは、このセキュリティチェックに30分以上はかかっていた記憶があるが、5分もかからずに通過できてしまった。
優先レーン……。これはバンコクのスワンナプーム空港で経験していた。飛行機のクルーも通るレーンなのだが、70歳をすぎると使うことができるのだ。もしかしたら仁川国際空港も……。予想は当たった。
昨夜、僕はスワンナプーム空港にいた。帰国便は中国国際航空だった。いつものように優先レーンを進む。入り口でパスポートと搭乗券を提示する。スタッフが僕のパスポートを眺める。
「1954生まれだから……OKです」
その言葉を背にセキュリティチェックに向かう。ほとんど人がいないから、1分ほどで通過してしまった。
こと旅を考えると、70歳になると得することが増えてくる……。古稀を迎えて半年の実感である。
しかしそう思えるのは、僕がまだ普通に旅ができるからだ。しかし70歳という年齢は健康と体力に不安を抱えている。それもまた僕は実感している。飛行機に乗るとひどく疲れる。長い距離を歩く体力も危うい。
70歳になって得する旅とは、その境界線上で享受していることがよくわかる。元気でいればいいことがある……そういうレベルの話ではない。そのあたりもよくわかる。70歳とはそういう歳だ。
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2024年12月23日
風邪を引いてアジア旅
先週末、風邪で寝込んでしまった。ブログは休載させてもらった。ソウルにしばらく滞在し、台北に向かった。熱が出、台北の宿で布団にくるまっていた。
風邪を引いたのはソウルだった。
ソウルは寒い。日が落ちると気温は氷点下になる。しかし風邪を引いた原因は寒さではなく、湿度だと思う。昼間、街を歩いていると、気温と湿度を表示する電光掲示板を目にした。気温4度、湿度15%──。ソウルは大陸性の気候である。冬の湿度はかなり低くなる。
いや、それ以上に風邪を誘引したのは、部屋の湿度だと思う。僕は安国駅に近い安めの宿に泊まっていた。ゲストハウスだったが、個室を確保することができた。
韓国の部屋は基本的に床暖房である。部屋に入ったのが夜だった。宿が床暖房のスイッチを入れておいてくれた。氷点下の街で宿を探し、冷え切った体で部屋に入ったときは、その温かさにとろけそうになった。
床暖房の設定温度は25度になっていた。僕はそのまま寝てしまった。翌朝、目を覚ますと喉が痛かった。それが風邪の引きはじめだった気がする。そもそも湿度が低いうえに、床暖房。おそらく部屋のなかはかなり乾いていたのだろう。
翌日は寝る前に濡れタオルを床に敷いた。しかしもう遅かった。風邪は少しずつ悪化していき、4日後に台北に移動したときは、悪寒を覚えた。
台北の宿でふとんにくるまりながら、昔もよく、旅先で風邪を引いたことを思い出していた。
よくテレビなどで、「ここ十年、風邪ひとつ引きませんよ」などと健康を自慢する人が登場することがある。その話を耳にすると、
「海外に出ていないんじゃないの?」
などと毒づきたくなる。日本はいま、インフルエンザが流行っていて、そのワクチン接種をすすめる人もいるが、
「そのワクチンって、海外に行っても効力があるんだろうか」
などと考えてしまう。風邪の世界というのはリージョナルなものだと思う。海を越えると、治療薬や予防ががらりと変わる。
熱を出し僕は、台北の薬局で、解熱剤とうがい薬を買おうと思った。薬局のおじさんから渡されたのは、普拿痛という薬だった。台湾では皆、風邪を引いたらこの薬を飲むのだという。そしてスマホの翻訳機能で薬局のおじさんはこう聞いてきた。
「うがいはなんのためにするのか」
「風邪だから……」
「日本人は、風邪を引いたらうがいをするのか」
台湾もそうだった。風邪を引いたらうがいという発想は、かなり日本的なものらしい。いろんな国で風邪を引き、そのたびにうがい薬がないかと訊いてきたが、反応はどの国も鈍い。一時、それに備えて、イソジンの小壜を鞄に入れて海外に出ていたことがあった。しかし中国では2回も没収されている。イソジンはかなり怪しい薬に映るらしい。あのにおいは麻薬に通じるのだろうか。
ソウルから台北へと移動したのは、『歩くソウル』と『歩く台北』の制作のためだ。これからもアジアに出向くことが多くなる。そして風邪を引く。その風邪が直りかけた頃に日本に帰る。そんな旅がまた戻ってきたということだろうか。
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ソウルは寒い。日が落ちると気温は氷点下になる。しかし風邪を引いた原因は寒さではなく、湿度だと思う。昼間、街を歩いていると、気温と湿度を表示する電光掲示板を目にした。気温4度、湿度15%──。ソウルは大陸性の気候である。冬の湿度はかなり低くなる。
いや、それ以上に風邪を誘引したのは、部屋の湿度だと思う。僕は安国駅に近い安めの宿に泊まっていた。ゲストハウスだったが、個室を確保することができた。
韓国の部屋は基本的に床暖房である。部屋に入ったのが夜だった。宿が床暖房のスイッチを入れておいてくれた。氷点下の街で宿を探し、冷え切った体で部屋に入ったときは、その温かさにとろけそうになった。
床暖房の設定温度は25度になっていた。僕はそのまま寝てしまった。翌朝、目を覚ますと喉が痛かった。それが風邪の引きはじめだった気がする。そもそも湿度が低いうえに、床暖房。おそらく部屋のなかはかなり乾いていたのだろう。
翌日は寝る前に濡れタオルを床に敷いた。しかしもう遅かった。風邪は少しずつ悪化していき、4日後に台北に移動したときは、悪寒を覚えた。
台北の宿でふとんにくるまりながら、昔もよく、旅先で風邪を引いたことを思い出していた。
よくテレビなどで、「ここ十年、風邪ひとつ引きませんよ」などと健康を自慢する人が登場することがある。その話を耳にすると、
「海外に出ていないんじゃないの?」
などと毒づきたくなる。日本はいま、インフルエンザが流行っていて、そのワクチン接種をすすめる人もいるが、
「そのワクチンって、海外に行っても効力があるんだろうか」
などと考えてしまう。風邪の世界というのはリージョナルなものだと思う。海を越えると、治療薬や予防ががらりと変わる。
熱を出し僕は、台北の薬局で、解熱剤とうがい薬を買おうと思った。薬局のおじさんから渡されたのは、普拿痛という薬だった。台湾では皆、風邪を引いたらこの薬を飲むのだという。そしてスマホの翻訳機能で薬局のおじさんはこう聞いてきた。
「うがいはなんのためにするのか」
「風邪だから……」
「日本人は、風邪を引いたらうがいをするのか」
台湾もそうだった。風邪を引いたらうがいという発想は、かなり日本的なものらしい。いろんな国で風邪を引き、そのたびにうがい薬がないかと訊いてきたが、反応はどの国も鈍い。一時、それに備えて、イソジンの小壜を鞄に入れて海外に出ていたことがあった。しかし中国では2回も没収されている。イソジンはかなり怪しい薬に映るらしい。あのにおいは麻薬に通じるのだろうか。
ソウルから台北へと移動したのは、『歩くソウル』と『歩く台北』の制作のためだ。これからもアジアに出向くことが多くなる。そして風邪を引く。その風邪が直りかけた頃に日本に帰る。そんな旅がまた戻ってきたということだろうか。
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2024年12月09日
東京の銀杏紅葉
本を書くためなのだが、国内旅がつづいている。2週間前は京都にいた。昨日は東京の街を歩いた。
どこへいっても人が多い。紅葉を見に行くという人だという。京都駅前で溜め息が出てしまった。金閣寺行きのバスを待つ列がくねくねと300メートル以上。バスも増発しているようだが、そのバス同士で詰まっているらしい。
駅周辺には外国人が多いが、金閣寺行きのバスを待つ人のほとんどは日本人。京都はインバウンド客が引き起こすオーバーツーリズムが問題になっているが、紅葉の時期は日本人のオーバーツーリズムが起きていた。
昨日は東京を歩いたが、新宿御苑に沿ったカフェはどこも長い列。テラス席に座って紅葉を眺めながら……ということらしい。列をつくる人の大半は日本人だ。
日本人は紅葉好きの民族ということなのだろうか。
紅葉はひとつの色に染まったものほど人気が高い。庭園を埋める赤い紅葉……。街路を染める銀杏の黄……。しかし自然界の節理からいうと、それは不自然なことだ。同じ品種ばかりになると、伝染病などのトラブルが起き、やがては枯れていくという。
世界には油をとったり、ゴムをとるためのプランテーションというものがある。しかしそれができるのは、油ヤシやゴムの木のように限られたものしかないという。さまざまな木が混じるように形づくられる森のほうが自然な状態なのだという。
その伝でいえば、人気の紅葉スポットは人工の世界なのだ。さまざまな色が混じった紅葉は自然に近いが、人々は評価しようとはしない。
それは桜にも通じるものがある。公園や川沿いに並ぶように植えられた桜の木々が一斉に花をつける。その様は圧巻で、木々のなかに桜の木が点在するより絵になりやすい。それが日本の桜の美しさになっていく。
河川の土手で一斉に咲く桜並木には、土手を強くする役割もあったという。桜並木を見ようと多くの人が集まってくる。そんな人たちによって、土手はより強く踏み固められていくという算段である。そのためには、美しい桜並木でなくてはならない。人間の知恵でもあるのだろうが、そう考えると、桜の美しさとはなんなのかと悩んでしまう。
それは秋の紅葉にもいえることなのだ。
東京はいま、銀杏紅葉の季節である。道に沿って植えられた銀杏の木々は黄に色づき、そこを小春日が照らす。ビルという人工的な建造物に、つくられた美しさの銀杏並木がフィットする。
銀杏並木の美しさは、アジアからやってきた観光客を魅了する。何年か前、タイからやってきた知人一行を神宮の銀杏並木に案内した。そのグループの何人かは日本の桜も知っていたが、「春の桜より、秋の銀杏のほうが好き」だと、さかんにシャッターを切っていた。
沖縄の知人からこんな話も聞いた。
「沖縄の学校は修学旅行で本土に行く。秋に行った学校の生徒は、紅葉に感動するんですよ。沖縄にはあんな紅葉はないから。私もお土産に黄色い銀杏の葉をもち帰りましたよ」
づくられた紅葉と穿った見方をするより、街路を染めあげる黄の世界に浸ることかもしれない。それが東京の紅葉でもある。
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どこへいっても人が多い。紅葉を見に行くという人だという。京都駅前で溜め息が出てしまった。金閣寺行きのバスを待つ列がくねくねと300メートル以上。バスも増発しているようだが、そのバス同士で詰まっているらしい。
駅周辺には外国人が多いが、金閣寺行きのバスを待つ人のほとんどは日本人。京都はインバウンド客が引き起こすオーバーツーリズムが問題になっているが、紅葉の時期は日本人のオーバーツーリズムが起きていた。
昨日は東京を歩いたが、新宿御苑に沿ったカフェはどこも長い列。テラス席に座って紅葉を眺めながら……ということらしい。列をつくる人の大半は日本人だ。
日本人は紅葉好きの民族ということなのだろうか。
紅葉はひとつの色に染まったものほど人気が高い。庭園を埋める赤い紅葉……。街路を染める銀杏の黄……。しかし自然界の節理からいうと、それは不自然なことだ。同じ品種ばかりになると、伝染病などのトラブルが起き、やがては枯れていくという。
世界には油をとったり、ゴムをとるためのプランテーションというものがある。しかしそれができるのは、油ヤシやゴムの木のように限られたものしかないという。さまざまな木が混じるように形づくられる森のほうが自然な状態なのだという。
その伝でいえば、人気の紅葉スポットは人工の世界なのだ。さまざまな色が混じった紅葉は自然に近いが、人々は評価しようとはしない。
それは桜にも通じるものがある。公園や川沿いに並ぶように植えられた桜の木々が一斉に花をつける。その様は圧巻で、木々のなかに桜の木が点在するより絵になりやすい。それが日本の桜の美しさになっていく。
河川の土手で一斉に咲く桜並木には、土手を強くする役割もあったという。桜並木を見ようと多くの人が集まってくる。そんな人たちによって、土手はより強く踏み固められていくという算段である。そのためには、美しい桜並木でなくてはならない。人間の知恵でもあるのだろうが、そう考えると、桜の美しさとはなんなのかと悩んでしまう。
それは秋の紅葉にもいえることなのだ。
東京はいま、銀杏紅葉の季節である。道に沿って植えられた銀杏の木々は黄に色づき、そこを小春日が照らす。ビルという人工的な建造物に、つくられた美しさの銀杏並木がフィットする。
銀杏並木の美しさは、アジアからやってきた観光客を魅了する。何年か前、タイからやってきた知人一行を神宮の銀杏並木に案内した。そのグループの何人かは日本の桜も知っていたが、「春の桜より、秋の銀杏のほうが好き」だと、さかんにシャッターを切っていた。
沖縄の知人からこんな話も聞いた。
「沖縄の学校は修学旅行で本土に行く。秋に行った学校の生徒は、紅葉に感動するんですよ。沖縄にはあんな紅葉はないから。私もお土産に黄色い銀杏の葉をもち帰りましたよ」
づくられた紅葉と穿った見方をするより、街路を染めあげる黄の世界に浸ることかもしれない。それが東京の紅葉でもある。
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2024年12月02日
のびた麺が好き
歯が悪い。歯科医によると、歯の形がよくないという。20歳の頃には、治療はしてはいたが、ほぼすべての歯が虫歯だった。
最近はインプラントの広告をよく見るが、当時は上から金属で歯を覆う治療法だった。しかし歳をとると歯茎が後退する。歯を覆う金属と歯茎の間が露出してしまい、そこからまた虫歯になる。こうしてしだいに歯は浸食されてしまい、入れ歯に進んでいく。僕の歯はその王道をしっかり歩み、3年ほど前から入れ歯を着用するようになった。
僕は入れ歯というものを甘く考えていた。それを入れれば、前と同じようにものを噛むことができると思っていた。しかしそういうものではなかった。入れ歯と土台の接合はそううまくいかず、硬いものを噛む力が弱くなってしまった。つまり、硬い食べ物を噛む食感は戻ってこなかった。自然と硬いものを遠ざけるようになってしまった。
柔らかいもの……主食系でいえば、歯の負担が少ない麺類に傾いていってしまう。それものびた麺のほうが食べやすいという感覚に進んでしまった。
歯が悪いからなのかもしれないが、昔からのびた麺が好きだった。店で注文するときはそうでもないのだが、カップ麺となると意図的に湯を入れてからの待ち時間が長くなっていった。
カップ麺は、熱湯を注いでから3分とか5分といった、食べ頃待ち時間が表示されている。その時間はどうやって決めているのかはわからない。何回も試食し、誰もがおいしいと感じる麺の硬さということなのだろうが、その努力を裏切るように、僕は表示時間の倍近い時間を待つようになっていった。
そういう食べ方をする人は少ないのかもしれないが、10分近く待ったカップ麺はなかなかいける。カップ麺によっては、スープがなくなってしまうほど麺はふやけることもあるが、それもまた食べやすい。
しかし体にはよくないと思う。塩分が含まれたスープを麺が吸ってしまうわけだから、通常の食べ方よりは塩分が多くなる。カップ麺を完食することになるのだ。
海外に出てもカップ麺はよく食べる。アジアでは、カップ麺に限らず、インスタント麺というものへの評価が高い。麺のひとつのカテゴリーととらえている国は多い。タイもそのひとつだ。庶民食堂に入り、パットシーイウを注文する。通常はセンヤイと呼ばれるきしめんのような麺を使うことが多い。しかしその麺が品切れのとき、
「マーマーでもいい?」
といわれることがある。マーマーはインスタント麺の商品名なのだが、いつ頃からかインスタント麺はすべてこう呼ばれるようになった。
そして店で料理をする女性の感覚では、センヤイとマーマーは同格である。できあがった料理の金額も変わらない。
僕のバンコクでの宿泊先は仕事場になってきている。原稿に追われたり、なんだか気分が落ち込んでいるとき、食堂で食べる気力がないこともある。そんなときは、部屋でカップ麺を啜ることは珍しくない。日本でカップ麺を食べるときのように、表示されている待ち時間を無視し、10分近く待つ。
「??ッ」
バンコクでいつも悩むのは、あまり麺がのびないことだ。20分も待てば違うのかもしれないが、表示時間の倍程度ではまだ麺はかなり硬い。おそらく麺の製法が違うのだろう。「もうちょっと柔らかいといいんだけどな」
などと呟きながら麺を啜る。入れ歯に頼る男の寂しい呟きでもある。
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最近はインプラントの広告をよく見るが、当時は上から金属で歯を覆う治療法だった。しかし歳をとると歯茎が後退する。歯を覆う金属と歯茎の間が露出してしまい、そこからまた虫歯になる。こうしてしだいに歯は浸食されてしまい、入れ歯に進んでいく。僕の歯はその王道をしっかり歩み、3年ほど前から入れ歯を着用するようになった。
僕は入れ歯というものを甘く考えていた。それを入れれば、前と同じようにものを噛むことができると思っていた。しかしそういうものではなかった。入れ歯と土台の接合はそううまくいかず、硬いものを噛む力が弱くなってしまった。つまり、硬い食べ物を噛む食感は戻ってこなかった。自然と硬いものを遠ざけるようになってしまった。
柔らかいもの……主食系でいえば、歯の負担が少ない麺類に傾いていってしまう。それものびた麺のほうが食べやすいという感覚に進んでしまった。
歯が悪いからなのかもしれないが、昔からのびた麺が好きだった。店で注文するときはそうでもないのだが、カップ麺となると意図的に湯を入れてからの待ち時間が長くなっていった。
カップ麺は、熱湯を注いでから3分とか5分といった、食べ頃待ち時間が表示されている。その時間はどうやって決めているのかはわからない。何回も試食し、誰もがおいしいと感じる麺の硬さということなのだろうが、その努力を裏切るように、僕は表示時間の倍近い時間を待つようになっていった。
そういう食べ方をする人は少ないのかもしれないが、10分近く待ったカップ麺はなかなかいける。カップ麺によっては、スープがなくなってしまうほど麺はふやけることもあるが、それもまた食べやすい。
しかし体にはよくないと思う。塩分が含まれたスープを麺が吸ってしまうわけだから、通常の食べ方よりは塩分が多くなる。カップ麺を完食することになるのだ。
海外に出てもカップ麺はよく食べる。アジアでは、カップ麺に限らず、インスタント麺というものへの評価が高い。麺のひとつのカテゴリーととらえている国は多い。タイもそのひとつだ。庶民食堂に入り、パットシーイウを注文する。通常はセンヤイと呼ばれるきしめんのような麺を使うことが多い。しかしその麺が品切れのとき、
「マーマーでもいい?」
といわれることがある。マーマーはインスタント麺の商品名なのだが、いつ頃からかインスタント麺はすべてこう呼ばれるようになった。
そして店で料理をする女性の感覚では、センヤイとマーマーは同格である。できあがった料理の金額も変わらない。
僕のバンコクでの宿泊先は仕事場になってきている。原稿に追われたり、なんだか気分が落ち込んでいるとき、食堂で食べる気力がないこともある。そんなときは、部屋でカップ麺を啜ることは珍しくない。日本でカップ麺を食べるときのように、表示されている待ち時間を無視し、10分近く待つ。
「??ッ」
バンコクでいつも悩むのは、あまり麺がのびないことだ。20分も待てば違うのかもしれないが、表示時間の倍程度ではまだ麺はかなり硬い。おそらく麺の製法が違うのだろう。「もうちょっと柔らかいといいんだけどな」
などと呟きながら麺を啜る。入れ歯に頼る男の寂しい呟きでもある。
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Posted by 下川裕治 at
13:14
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