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ナムジャイブログ

2024年03月25日

オバァが沖縄だった

『沖縄オバァ烈伝』が復活重版になった。文庫化されたのが2003年。版を重ねたが、すでに20年近い年月がたった。本の発行にかかわる身としたら、重版の前に復活を加えた意味がよくわかる。
 僕はこの本を企画した。原稿も少し書かせてもらった。企画のきっかけは、沖縄での会話だった。当時、沖縄関連の本にかかわっていて、足繫く沖縄に通っていた。原稿を書いてくれる沖縄在住者たちと話をすると、いかにも楽しそうにオバァの話をするのだ。オバァとは沖縄のおばあさんのことだ。
 その話を聞きながら、これは本になると思った。やがてこの本は沖縄ブームを巻き起こす一冊になっていく。
 いまその沖縄にいる。鹿児島からフェリーに丸1日乗って那覇に着いた。天候に恵まれた船旅だった。フェリーのなかで、薩摩藩主の島津忠恒が起こした沖縄侵攻の資料を読んでいた。1609年のことだ。江戸幕府ができて間もない頃だ。
 それまでの日本は戦乱に明け暮れていた。戦国時代である。その間に、日本の各藩の武力は大幅に増強された。長く激しい戦争はスパッとは終わらない。太平洋戦争の後の朝鮮戦争、ベトナム戦争の後にベトナムはカンボジア侵攻する。膨れあがってしまった武力を鎮静化させる戦争が必要なのだろうか。
 薩摩藩の沖縄侵攻……。その視点で眺めてみる。沖縄の琉球王国は、幸か不幸か戦国時代には巻き込まれなかった。平和な時代がつづくということは、武力が増強されないことを意味する。戦国時代を生き抜いた薩摩藩の前ではひとたまりもなかった。あっという間に薩摩藩の支配下になってしまった。
 それは太平洋戦争末期の沖縄の状況にも通じる。日本とアメリカという膨大な武力の戦争に蹂躙されてしまう。
 しかし沖縄は薩摩藩の琉球侵攻以来、その状況を巧みにかわす処世術のようなものを身につけて琉球王国を存続させていく。なかなかしたたかなのだ。
「聞こえているのに聞こえないふりをする」
「相手をおだてて、しっかり自分がやりたいことをする」
 そんな沖縄の歴史……。徳之島、沖永良部島、与論島とフェリーは薩摩藩が侵攻していったルートを丁寧に辿りながら沖縄本島に向かっていく。翡翠色の海に囲まれた島々を眺めるうちに、沖縄の処世術がオバァとかぶってしまった。そう、オバァの生き方は沖縄そのものだった。
 老人という外観を巧みに使って、自分の思い通りにことを運んでしまうのだ。それを無意識にできてしまうところが沖縄のオバァにはあった。
 それを沖縄の新しい世代が楽しむように話す。それは沖縄の本土化が一気に進む予兆だった気もする。
 鹿児島から沖縄への船旅には沖縄が歩んだ道筋が潜んでいた。

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2024年03月18日

240年ぶりの夢

 2月下旬にバングラデシュに行ってきた。学校を運営している関係で、滞在は南部のコックスバザールになる。いつも学校運営にかかわってくれているラカイン人の家に泊めさせてもらっている。
 コックスバザールではこの街に住むラカイン人と話をすることが多い。今回、彼らと話すと、一様に、ある種の高揚感が伝わってきた。言葉が元気なのだ。
 原因は隣国、ミャンマーの戦況である。
「ついにチャンスがきたかもしれない」
「ラカイン人の独立国も夢じゃない」
 彼らは口々に語る。
 ラカイン人はかつて、いまのミャンマーとバングラデシュにまたがる一帯にラカイン王国を築いていた。この王国はビルマ系の王朝に滅ぼされていく。ラカイン人とビルマ系の人々の確執はそこからはじまったわけだ。
 ミャンマーは国名が変わったので混乱しがちだが、ミャンマーはビルマ人が主導権を握ってきた国である。しかし、いまのラカイン人が抱くビルマ人に対する反発の多くは、第2次大戦後に根ざしている。戦後、ビルマはネ・ウィンが率いる軍事政権の国に傾いていく。そのなかでラカイン人は冷遇されつづけてきた。
 その後、民政化が実現し、アウンサンスーチー氏が率いる民主国家になっていくが、そこでもラカイン人は唇を噛むことになる。つまりラカイン人は軍事政権だけでなく、民主化政権も支持していなかった。その構造は、ラカイン人以外の少数民族が置かれた状況に似ている。ミャンマーにはラカイン人以外にシャン人、チン人、カチン人……などの少数民族がいる。主要な少数民族である7グループは、それぞれが軍隊をもち、ビルマ人の政権とは距離を置いてきた。
 そこでクーデターが起きる。アウンサンスーチー氏は拘束され、再び軍事政権に戻っていった。多くの国民が軍事政権に反発し、その混乱はいまもつづいている。
 そのなかで昨年の10月、3つの少数民族軍が連合を組み、軍事政権を主導するミャンマー国軍に反旗を翻した。少数民族軍連合軍にはラカイン人の軍隊であるアラカン軍(AA)も加わっていた。
 少数民族連合軍は大方の予想に反し、国軍の拠点を次々に制圧していった。シャン州北部では国軍の撤退がつづき、いまの主戦場はラカイン人の土地であるラカイン州に移っている。
 僕は運営するユーチューブチャンネルのなかで、週1回、ミャンマー速報を配信している。
https://www.youtube.com/watch?v=XT_WEkanpiQ&t=163s
 これは毎週、僕がミャンマーにいる日本人やミャンマー人から聞いた話をもとにまとめているものだが、ミャンマーの少数民族エリアでの国軍の劣勢は明らかだ。
 今週からそのユーチューブチャンネルのなかで、ラカイン州の戦況を地図でも伝えることにした。アラカン軍の支配エリアが、少しずつ増えているからだ。ラカイン州はすでに半分近いエリアがアラカン軍のコントロール下にある。
 この状況をコックスバザールにいるラカイン人も注視している。自らの民族の軍隊が、ミャンマーのなかで支配エリアを広げつつある。この勢いでいったら、ラカイン州全体がアラカン軍エリアになるかもしれない。
 そこから独立の話も湧きあがってくる。大幅な自治権獲得という話もある。ミャンマーにいるラカイン人のなかには、国軍はそれほど弱体化していないという分析もあるが。
 しかしいま、ラカイン人は夢をみはじめている。240年ぶりの民族の夢だ。


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2024年03月11日

答えの知った問題を解く

 ときどき山手線に乗る。自宅から事務所に向かうとき、決まったルートはない。用事や気分で変わる。自宅の最寄駅からJRで高田馬場に出、そこからバスに乗ることも多い。そのとき、新宿から高田馬場までの短い区間、山手線を使うことになる。
 コロナ禍前もこの区間に乗っていた。コロナ禍が明け、最近、思うことがある。確実に乗客が減った……と。
 代々木方面からやってくる電車のドアが開く。ふっと車内を見ると、空席があるのだ。通勤ラッシュの時間ではないが、以前は空席など望めなかった。そもそも山手線に乗るとき、空席は期待しない。
 コロナ禍で広まった在宅勤務の影響だろうか。高齢化と少子化が進むなかで、東京の労働人口が減ってきているということか。
 乗客が減っていけば、やがて、JRは便数を減らすことになる。2~3分間隔でやってくる電車が5分間隔に……という世界が待っているわけだ。こうして便利な街は少しずつ、不便な街になっていく。これから日本人は退化していくサービスというものを体感していくことになる。
 4月に『シニアになって、ひとり旅』という本が発売になる。そのなかでキハに乗る旅を書いている。キハというのは、かつて日本の多くの路線を走っていたJRの気動車である。そのなかで、高度成長の時代、東京の電車はいかにひどい状態だったかという話に触れている。
 1962年当時、東京の電車はときに乗車率が300パーセントを超え、乗客の圧力で窓ガラスが割れるという事故が何回も起きている。秋葉原駅では草履やサンダルの貸し出しサービスもあった。あまりの混雑で、乗客の靴が脱げ、探すこともできない乗客の救済策だった。そこから東京を走るJRや私鉄は増便とスピードアップを図っていく。輸送力を高めることが急務だったのだ。東京の電車は時速100キロを超えるようになり、2分から3分で電車がやってくるというインフラが整っていくわけだ。
 いまの山手線は、その時代にセッティングされている。しかし日本は構造的な不況に陥り、高齢化と少子化に晒されていく。電車でいえば、高度なインフラはピークを越えたということだろうか。
 こんな話をしていると、20年ほど前の北京の地下鉄を思い出す。とくに1号線がひどかった。終点に着くと、車内にはいくつもの靴が散乱していた。上海の地下鉄も同じようなものだった。浦東空港方面に向かう新しい地下鉄路線が開通し、それに乗ると、とんでもない混み具合だった。そのときは上海在住の日本人と一緒だった。「開通初日から、この混み具合だそうです」と教えてくれた。
 その後、北京や上海の地下鉄は路線が急速に増え、おそらくスピードも早くなったはずだ。日本と中国の経済成長には20年以上の時差がある。やがて中国の地下鉄も、東京と同じ退化の道を歩んでいく気もする。
 長く生きるということは、そういう国の栄枯盛衰のようなものがわかってしまう気になるという面がある。答えを知った問題を解くようで、どこかつまらない。しかし現実はもう少し多様で、紋切型の進み方はしない。すべてを自分の人生経験に照らし合わせて答えを導けるほど単純ではない。老化とは思考の単純化ということだろうか。

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2024年03月04日

豊かな青春 みじめな老後

 3月7日の19時30分から、東京の西荻窪にある「旅の本屋のまど」でトークイベントがある。
http://www.nomad-books.co.jp/event/event.htm
 発売になった「全面改訂版 バックパッカーズ読本」(双葉社)のイベントだ。この本は知人の室橋裕和氏が中心になってつくった本で、僕は手伝った程度なのだが、イベントに出ることになった。
 正直なところ、やや気が重い。テーマがバックパッカーだからだ。僕のプロフィールには、「バックパッカースタイルで旅をつづける旅行作家」と書かれることが多いのだが、いま、バックパッカー風の旅をめざす若者がどれだけいるかという話になると、甚だ心もとない状況がある。そのなかでなにを話したらいいのだろうか。悩みつづけている。
 4月に「シニアになって、ひとり旅」という本が発売になる。そのなかで1960年代から70年代にかけ、大きなザックを背負って北海道を旅したカニ族が日本人初のバックパッカーだったという話に触れている。
 高度経済成長期の話である。サラリーマンはがむしゃらに働いた時代だ。そんな社会への不安や怖れが、団塊の世代の若者たちを北海道に向かわせた。ザックはキスリングと呼ばれる横長のもので、それを背負って駅の改札を通るとき、体を横向きにしてカニ歩きをしなくてはいけないことからカニ族と呼ばれたという。
 僕は団塊の世代よりひとつ下の世代だが、カニ族に似た感覚を日本社会に抱いていた。バブル景気に湧きたつなかで漠然とした不安に苛まれていた。めざすエリアが北海道から海外になっただけだった。
 そう考えると、バックパッカーを生む社会背景は好景気ということになる。そんな社会に背を向けて旅に出る。それがバックパッカーの原点という気もする。だから日本の経済力が衰退したいま、バックパッカーは生まれてこない。そういうことなのだろうか。
 僕はバックパッカー風の旅を活字に落とし込むことを生業にしてきた。しかしいま、バックパッカー旅の「落とし前」のようなものに翻弄されている。
 この原稿をバンコクで書いているが、バングラデシュからの帰り道である。バングラデシュ南部のコックスバザールという街で小学校の運営にかかわっている。日本で寄付を募り、それを先生たちの給料に当てているのだが、経済成長のなかでぐんぐん物価があがるバングラデシュと元気がない日本経済の狭間で苦しんでいる。そもそも学校運営にかかわったきっかけは、親しいバックパッカーがバングラデシュで死んだことが発端だった。
 この話をはじめると長くなってしまう。イベントではその一端を伝えようと思うが、これがバックパッカー旅の後始末だとすると鼻白むものがある。
 かつてバックパッカーの間では知られた戯れ歌があった。
 金の北米 女の南米 耐えてアフリカ 歴史のアジア ないよりましなヨーロッパ 問題外のオセアニア 豊かな青春 みじめな老後
 この歌を思い出してしまった。

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2024年02月29日

【イベント告知】新刊『全面改訂版 バックパッカーズ読本』発売記念

下川裕治(共著)の新刊 『全面改訂版 バックパッカーズ読本』 発売を記念して、トークイベントを開催いたします。
詳細は以下です。ぜひ、ご参加ください!

◆室橋裕和さん×下川裕治さん◆
◆スライド&トークイベント◆

僕たちのバックパッカー旅は
どこへ向かうのか?
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新刊『全面改訂版 バックパッカーズ読本』(双葉社)発売を記念して、ライターの室橋裕和さんと旅行作家の下川裕治さんのお二人をお招きして、2024年の最新のバックパッカー旅の状況についてスライドを眺めながら対談トークをしていただきます。

長年、アジアを中心に様々な国々をバックパッカー旅で自由きままに歩きまわってきた室橋さんと下川さん。1998年1月刊行の1作目から四半世紀余を経て全面改定版として出版された新刊『バックパッカーズ読本』では、そんなお二人を中心に、高野秀行、丸山ゴンザレス、松岡宏大 、リュウサイ、小山のぶよ他、旅の達人のエッセイが収録。

また、旅をとりまく状況が大きく変化したのに対応して、渡航手続きの仕方、ネットを駆使してリーズナブルかつ安全に旅する方法、航空券やホテルなど予約サイト完全攻略法など、2024年の最新の旅の基本情報が満載の1冊になっています。

今回のイベントでは、編集&執筆に携わった室橋さん、下川さんお二人の取材時の裏話や秘話を交えつつ、今後のバックパッカー旅がどうなっていくのかといった貴重なお話が聞けるはずです。室橋さん、下川さんのファンの方はもちろん、バックパッカー旅に挑戦したい方や自由気ままな海外旅行に興味のある方は、是非ご参加下さい

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。

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●室橋裕和(むろはしひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリスト、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。

現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティと密接に関わり合いながら取材活動を続けている。「外国人コミュニティから見る多文化共生の実情や問題点」といったテーマで、大学、メディア、自治体などで講演する機会も多数。

おもな著書は『エスニック国道354号線』(新潮社)、『ルポ新大久保』(角川書店)、『日本の異国』(晶文社)など。

◆室橋裕和さんツイッター
https://twitter.com/muro_asia

●下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経てフリーに。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。

『「生き場」を探す日本人』『シニアひとり旅バックパッカーのすすめ アジア編』(ともに平凡社新書)、『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』(中経の文庫)、『日本の外からコロナを語る』(メディアパル)など著書多数。  

◆下川裕治さんブログ「たそがれ色のオデッセイ」
http://odyssey.namjai.cc/

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【開催日時】 
3月7日(木) 
19:30~(開場19:00)  

【参加費】  
1000円(会場参加)
※当日、会場にてお支払い下さい

1000円(オンライン配信) 
※下記のサイトからお支払い下さい
https://twitcasting.tv/nomad_books/shopcart/249241

【会場】
旅の本屋のまど店内  
 
【申込み方法】
お電話、e-mail、または直接ご来店の上、お申し込みください。

TEL&FAX:03-5310-2627
e-mail :info@nomad-books.co.jp
(お名前、お電話番号、参加人数を明記してください)
 
※定員になり次第締め切らせていただきます。

【お問い合わせ先】
旅の本屋のまど 
TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)
東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
http://www.nomad-books.co.jp

主催:旅の本屋のまど 
協力:双葉社



  

Posted by 下川裕治 at 14:30Comments(0)