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ナムジャイブログ

2023年12月06日

たかだか借金だろ

 伊集院静さんが亡くなった。ひとつの時代の終わりのような気がしなくもない。
 彼はなにかのエッセイで自殺した日本人について書いていたことがあった。その日本人は億を超える借金を抱え、それを苦にした自殺と報じられていた。それに対して、伊集院さんはこう書いた。
「たかだか借金だろ」
 借金に苦しむ日本人にしたら、この作家はなにを書いているのか……と思ったのかもしれないが、それが彼の生き方だった。
 一度、彼に連れられて銀座のバーにいったことがある。ある出版社のパーティーの二次会で、彼は僕ら数人に声をかけてくれた。僕は一銭も払わなかった。後になって、その出版社の編集者からこう聞かされた。
「すべて伊集院さんもちです。ただ伊集院さんも払っていない。うちの出版社に請求書がまわってくる。そういうことを伊集院さんはなにも気にしていないから。ただうちの週刊誌などの連載のギャラはないと思う。うちはそのギャラで、彼の借金を埋めているんですよ」
 その話を聞いた後で、彼のエッセイを読んだ。
「たかだか借金だろ」
 リアリティがあった。彼は「最後の無頼派作家」といわれる。その理由はこんなところにもあった。
 伊集院さんは仙台に住んでいた。行きつけの店に触れてこんなことも書いていた。
「その店の料理がおいしいといった話は一切書かない。まずい料理を出す店はない。それなのに、おいしい、と書くのはすごく失礼に思う」
 飲食店を紹介するエッセイやガイドのなかには「おいしい」という言葉が溢れている。そんな安易な文章への彼なりの批判だったのかもしれない。以来、僕は料理の話を書くとき、「おいしい」という言葉を封印した。少しでも彼の領域に近づきたいと思いがあったからだ。
 新宿の歌舞伎町の風俗ビルで火災が起き、若い女性が死亡した事故が起きた。世間は風俗系ビルの防火体制を問題視したが、その文脈のなかには、「そういう仕事をする人々の世界」という空気が潜んでいた。こういう話にも、伊集院さんは反発した。風俗の世界で働く若い女性への優しい眼差しが、彼の文章の底を流れていた。
 伊集院静さんはそういう作家だった。
 晩年の彼の作品には「大人」というタイトルがつくものが多い。そこには洒脱なイメージがついてまわるが、彼の本質は少し違っていたと思う。無頼であり、報われない人たちへの優しさを失わなかった。
 エッセイはときに、唐突に話が変わった。サッカーの話から、次の行で競輪の話になったりした。どこか勝負の場は小説で、エッセイは余興といった雰囲気があった。
 僕はとてもそんな大胆な文章は書けない。どこか読者や編集者の反応に怯えているようなところがある。とても伊集院さんには歯がたたない。

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Posted by 下川裕治 at 09:00│Comments(1)
この記事へのコメント
いやいや下川さんも素晴らしい作家ですよ。文庫本はズラッと取り揃えています。こんな本書いてほしい、というのはご自身の旅の総括。心に残る安宿ベスト10とか、美味しかったもの、アクシデント最悪ランキングとか。こんど出版、どうですか?
Posted by フラキート at 2023年12月07日 10:29
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