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ナムジャイブログ

2009年08月25日

タイ国際航空のワイングラス

 タイ国際航空でダッカまで飛んだ。機内で昼食が出た。トレイにガラス製のワイングラスが載っている。これを見ると、ひとりのカメラマンを思い出す。
 あるとき、東京にある彼のマンションを訪ねた。おいしい日本酒があるといって出されたが、グラスがタイ国際航空のワイングラスだった。
「日本酒を飲むのにいいと思ってね」
 彼の家には同じグラスが6個もあった。
 タイ国際航空のワイングラスは人気らしい。しかしそっとバッグに入れるときは、罪悪感が頭をもたげる。客室乗務員に注意されるかもしれない……。
 ダッカ行きの飛行機で隣に座ったのは、タイ人のおばちゃんだった。機内食を食べ終わると、ナイフやフォーク、器、ワイングラスを拭いて、バッグにしまいはじめた。
「ちょっと大胆じゃない?」
 と思って眺めていると、僕のナイフやフォーク、器を眺めている。
「それ、いりますか?」
 そういわれても困るのだ。これは航空会社のものなのだ。曖昧な返事をすると、しゃかしゃかと手が伸び、僕のトレーの上にはなにもなくなってしまった。そして、自分のトレーの下に重ねてしまった。これで、僕は昼食を食べなかった客のように映る。
「………」
 おばちゃんのご主人はイギリス人で、バンコクからダッカに転勤になった。8ヵ月になるという。その間に2回、ダッカを訪ねたという。
「バングラデシュにはなにもなくて。便利だから機内食の器をもってこいって、夫がいうんですよ」
 本当かどうかはわからない。だが、おばちゃんはそういって、タイ人らしい笑みをつくった。
 ダッカ空港に着くと、夫の会社のスタッフらしいバングラデシュ人の男性が3人も出迎えていた。彼女の夫はそれなりの人らしい。スタッフが持ったおばちゃんの鞄のなかには、ふたり分の機内食の器が入っている。  

Posted by 下川裕治 at 19:08Comments(0)

2009年08月17日

衣食足りて安全を知る

 旧盆で信州の松本にある実家に帰った。ひとりで暮らす母親と墓参りが長男の務めでもある。実家の隣に、首都圏から移り住んだ30代の夫婦が住んでいる。さまざまな有機農法を実践している新しい農家だ。
 信州も農家の高齢化に直面している。農地はあるが作り手がいない。そんな農地を借り、新しい農業に挑むひとりだ。
 有機農法の原理は簡単だ。農薬を減らせばいい。しかしそれに反比例して、労働力が増えていく。農薬を使う農業は、機械化と並んで、農業の効率化をもたらした両輪だった。
 彼は数年前からアイガモ農法もとり入れている。水田にアイガモを放し、雑草を食べてもらう。除草剤を撒かずにすむのだ。しかしアイガモの世話が必要になる。毎朝、餌をあげなくてはならない。アイガモが猫などに食べられないようフェンスを張り巡らさなければならない。大変な農法なのだ。
「いや、そこにポイントをおいてはいけないんです。アイガモ農法は米の収穫量が20%増えるんですよ」
 最近の日本では、中国産食品の売り上げが好調だと聞く。一時、あれだけ騒いでいたのに、景気が悪化すると安さに走ってしまう。安全な食品は、どこか、「衣食足りて……」のようなところがある。
 だから、アイガモ農法が収穫量を増やす話は気になった。やはり、有機農法の理想は、農薬を使う農法より安く農作物をつくることができることだ。「食の安全や健康指向」に支えられているかぎり、その足場は脆弱だ。
 だが、穂が出た稲を見ながら思う。農薬を使うより労働力がかからない有機農法……。それはある理論矛盾を抱えているのではないかと。
  

Posted by 下川裕治 at 14:30Comments(0)

2009年08月10日

睡魔とゲリラ駅弁

 どうしてこんなにも眠くなるのだろうか。
 タイ国鉄の各駅停車である。開け放たれた窓からの風。ぬるい車内の空気。そこには催眠ガスが混ぜられているかのような気になってしまう。
 僕だけではない。乗客はうとうとしている。お坊さんも舟を漕いでいる。車掌も寝ている。起きているのは運転手だけ……?
 先月、バンコクから各駅停車でチェンマイまで行った。途中、ナコンサワンで1泊。ナコンサワンからチェンマイまでは、運よく無料列車に乗ることができ、バンコクからチェンマイまでの運賃は49バーツだった。
 久しぶりの長い各駅停車の旅だった。駅弁の新バージョンが、次々に登場していた。昔からあるビニール袋に入った蒸したもち米と味付け肉という駅弁はあるが、人気薄。代わって、ときどき乗り込んでくるできたて駅弁を乗客は狙っていた。容器に入ったお粥、バナナの葉でくるんだパッタイ……どれもできたてで温かい。タピオカ入りジュースも売りに来た。どれも10バーツ均一だった。
 素人がつくる駅弁だから数は多くない。お粥などは1車両で売り切れてしまった。
 駅近くの住民が、ちょっと稼いでくるか、とひと駅だけ乗り込んでくるゲリラ駅弁だから、いつなにが登場するかわからない。
「狙いは次の駅か……」
 そう思うのだが、またしても寝入ってしまっていた。   

Posted by 下川裕治 at 14:24Comments(1)

2009年08月03日

煙草文化の意地?

 日本では煙草を買わない。高いからだ。買う場所は、もっぱら空港の免税店である。最低でも月に1回は海外に出るような暮らしだから、帰国時に買って帰る1カートンの煙草を日本で喫っている。
 知人の女性は、いつも2、3カートンの煙草を鞄に入れて海外から帰国するという。
「鞄なんか開けられないわよ」
 僕にはそんな勇気はない。それに僕はときどき、日本の空港で鞄を開けられる。風体の違いだろうか。
 タイの免税店で煙草は買わない。あのパッケージのせいだ。僕の記憶では、禁煙を促す写真を印刷したパッケージの走りはカナダだった。その後、少しずつ世界に広まってきている。タイに次いで台湾も気持ちの悪い写真が煙草のパッケージに躍るようになった。
 写真はなくても、警告文をパッケージに印刷する国は多い。しかしときどき訪ねるバングラデシュの免税店に置かれている煙草のその文字は、実に控えめである。煙草を喫う人間は、途上国に辿り着くということか。
 バングラデシュの免税店では、いつもロスマンズを買う。ロンドンの古いパブのような匂いがする煙草だ。ロスマンズは、かつて日本でも売られていた。タイの免税店でも売られていたが、あの写真を印刷するようになってから姿を消した。内実は知らないが、どこかそこには、煙草というものへの意地も感じとれるのだ。
 喫煙は、やがて消えていく人類の習慣のような気がする。しかしコロンブスがアメリカから持ち帰った煙草は、一時期、地球を席巻した。その文化の意地にも映るのだ。  

Posted by 下川裕治 at 14:03Comments(0)