2011年11月28日
失うものが多い暮らし
豊かになること……それは天災に弱さを露呈することなのだろうか。タイの洪水の渦中でそんなことを考えていた。
タイの暮らしには、もともと洪水が織り込まれていた。高床式の家がその最たるもの。水が入っても、通常の暮らしができた。家には小舟もあった。洪水になっても、舟に乗ってでかければよかった。かつて、タイの水田で栽培されていたのは浮稲だった。この稲は、増水に合わせて茎が伸び、穂先は常に水から顔を出す種類だった。
10年ほど前だっただろうか。バンコク市内でタイ人の知人に会った。彼の家はバンコクの北部にあり、そのとき床上浸水状態だった。
「もう1ヵ月も水のなかですよ」
しかし彼の表情は涼しげだった。頼もしいタイ人の姿がそこにあった。
しかし今回の洪水でタイ人は動揺した。政府も浮き足立っていた気がする。それほど北から押し寄せてくる水塊の量が多かったと見る向きもある。が、やはりバンコクの都市化が進み、人々の生活様式が変わってしまったことが背後に横たわっている気がする。
水田に植えられる稲は、とうの昔に収穫量の多い普通の稲になった。いまのバンコクでは、高床式の家など探す方が大変だ。1階には冷蔵庫やテレビなどの電気製品が置かれている。それらが水に浸かってしまうと損害は大きい。
そして車である。高速道路の路肩や市内の駐車場に避難した車は相当な数である。ある日本人がこんなことをいっていた。
「シーロム通りの駐車場に置かれている車、かなりの高級車があるんですよ。あんな車にタイ人は乗っていたんですね」
高価な車をもっている人ほど、水没は避けたいと考えてしまう。
豊かになること──。それは失うと不便になってしまうものに囲まれて暮らすことだ。そんな生活に警鐘は聞こえるが、人間は一度手に入れた豊かさを手放そうとはしない。後戻りはできないのだ。豊かな暮らしを維持しながら、昔の質素な生き方をとり入れる……という折衷案に落ち着くことになる。
しかし天災というものは、そんな人間をせせら嗤うかのように、私たちの生活を襲う。
日本や日本人の反応は、タイ人の上をいく動揺ぶりだった。外務省は10月下旬、レベル3の「渡航の延期をお勧めします」という危険情報を出した。バンコクの日本人学校も10月20日から休校。生徒の約8割が日本に避難したという。社員を帰国させた日系企業も多い。
結局、バンコク市街地に水は入らずに、今年の洪水は収束しそうだ。
「いまになって思えば、過剰反応」
とある日本人。日本人はタイ人以上に、失っては困るものを多くもっているということなのだろうか。
タイの暮らしには、もともと洪水が織り込まれていた。高床式の家がその最たるもの。水が入っても、通常の暮らしができた。家には小舟もあった。洪水になっても、舟に乗ってでかければよかった。かつて、タイの水田で栽培されていたのは浮稲だった。この稲は、増水に合わせて茎が伸び、穂先は常に水から顔を出す種類だった。
10年ほど前だっただろうか。バンコク市内でタイ人の知人に会った。彼の家はバンコクの北部にあり、そのとき床上浸水状態だった。
「もう1ヵ月も水のなかですよ」
しかし彼の表情は涼しげだった。頼もしいタイ人の姿がそこにあった。
しかし今回の洪水でタイ人は動揺した。政府も浮き足立っていた気がする。それほど北から押し寄せてくる水塊の量が多かったと見る向きもある。が、やはりバンコクの都市化が進み、人々の生活様式が変わってしまったことが背後に横たわっている気がする。
水田に植えられる稲は、とうの昔に収穫量の多い普通の稲になった。いまのバンコクでは、高床式の家など探す方が大変だ。1階には冷蔵庫やテレビなどの電気製品が置かれている。それらが水に浸かってしまうと損害は大きい。
そして車である。高速道路の路肩や市内の駐車場に避難した車は相当な数である。ある日本人がこんなことをいっていた。
「シーロム通りの駐車場に置かれている車、かなりの高級車があるんですよ。あんな車にタイ人は乗っていたんですね」
高価な車をもっている人ほど、水没は避けたいと考えてしまう。
豊かになること──。それは失うと不便になってしまうものに囲まれて暮らすことだ。そんな生活に警鐘は聞こえるが、人間は一度手に入れた豊かさを手放そうとはしない。後戻りはできないのだ。豊かな暮らしを維持しながら、昔の質素な生き方をとり入れる……という折衷案に落ち着くことになる。
しかし天災というものは、そんな人間をせせら嗤うかのように、私たちの生活を襲う。
日本や日本人の反応は、タイ人の上をいく動揺ぶりだった。外務省は10月下旬、レベル3の「渡航の延期をお勧めします」という危険情報を出した。バンコクの日本人学校も10月20日から休校。生徒の約8割が日本に避難したという。社員を帰国させた日系企業も多い。
結局、バンコク市街地に水は入らずに、今年の洪水は収束しそうだ。
「いまになって思えば、過剰反応」
とある日本人。日本人はタイ人以上に、失っては困るものを多くもっているということなのだろうか。
Posted by 下川裕治 at
17:03
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2011年11月21日
娘の保険で病院に泊まる
バングラデシュのコックスバザールの滞在最終日、20歳の娘が体調を壊してしまった。吐き気と下痢。熱も少しある。騙し騙しといった感じでバンコクに戻り、スワンナプーム空港の診療室に出向いた。点滴を受け、病室で休んだ。
「病状が治ってきたら帰国しても……」
という医師の話だったが、2時間後、娘の体調は戻らなかった。血圧の低い。
「入院ですね」
医師は即決した。診療所はサミティベート病院が運営していた。診療所のスタッフが、その夜に予約が入っていた飛行機をキャンセル。男性スタッフが現れ、看護婦と一緒に停まっていた救急車に乗り込んだ。タイとは思えないほどスピーディーにことは運んだ。
サミティベート病院と聞いて、スクムヴィット通りかと思ったが、空港からやけに近い。窓から眺める風景も違う。案内を見ると、サミティベート・シーナカリン病院だとわかった。
いくつかの検査が終わり、娘は14階の病室に移った。広い個室だった。
2時間おきに体温や血圧を測りにやってくる看護婦さんに、「今晩、僕は……」と訊くと、ソファーベッドを指差された。
「メーバーンにセッティングしてくれるように頼みますから」
「メーバーン?」
この病院には、病人やその家族の世話をしてくれるお手伝いさんまでいた。
病院の周りにはなにもなかった。敷地の外に出ても、食堂はなかった。1階のコンビニでカップヌードルを買い、病室にある湯沸かし器のスイッチを入れた。部屋にはなんでもあった。冷蔵庫、電子レンジ、ホテルにあるコーヒーや紅茶のセット……。広いトイレとシャワー室。アメニティも高級品が並んでいる。ネットもつながる。ここがバンコクの一画という実感はなく、まるでリゾートにいるようだった。この種の病院に見舞いに出向くことはあったが、泊まってみると、この高級感に唸ってしまう。
幸い、娘は翌日には快方に向かった。検査の結果も陰性だった。医師の説明では、環境や食べ物の違いのストレスや過労が原因のようだった。その日から病室が急に賑やかになった。娘がさっぱりとした日本食を希望し、知人のタイ人に頼んだところ、話が一気に広まってしまった。次々に知人が現れた。家が水に浸かっているというのに、見舞いに来てくれたタイ人もいた。
多くがこの種の高級病院に戸惑っていた。部屋の設備にひとつ、ひとつ声をあげる。看護婦に入院代を聞く知人もいた。
やっとバンコクにいる気分になった。
「明日、退院だと思うんだけど、今晩、どうしようかと思って」
「ここに泊まりなよ。エアコンは使い放題。シャワーにお湯も出る。部屋の掃除も1日2回もしてくれる」
「そうだよな」
バンコクで泊まるホテルより快適だった。
費用はすべて旅行保険のキャッシュレス。退院時に一応、請求書が渡されたが、その金額は2泊3日で3万4000バーツほどだった。日本円にすると9万円弱。救急車は1500バーツだった。
保険加入者は娘である。言葉や病気への不安はあっただろうが、父親がそこにちゃっかり泊まっていいのだろうか。ちょっと後ろめたい2泊3日だった。
「病状が治ってきたら帰国しても……」
という医師の話だったが、2時間後、娘の体調は戻らなかった。血圧の低い。
「入院ですね」
医師は即決した。診療所はサミティベート病院が運営していた。診療所のスタッフが、その夜に予約が入っていた飛行機をキャンセル。男性スタッフが現れ、看護婦と一緒に停まっていた救急車に乗り込んだ。タイとは思えないほどスピーディーにことは運んだ。
サミティベート病院と聞いて、スクムヴィット通りかと思ったが、空港からやけに近い。窓から眺める風景も違う。案内を見ると、サミティベート・シーナカリン病院だとわかった。
いくつかの検査が終わり、娘は14階の病室に移った。広い個室だった。
2時間おきに体温や血圧を測りにやってくる看護婦さんに、「今晩、僕は……」と訊くと、ソファーベッドを指差された。
「メーバーンにセッティングしてくれるように頼みますから」
「メーバーン?」
この病院には、病人やその家族の世話をしてくれるお手伝いさんまでいた。
病院の周りにはなにもなかった。敷地の外に出ても、食堂はなかった。1階のコンビニでカップヌードルを買い、病室にある湯沸かし器のスイッチを入れた。部屋にはなんでもあった。冷蔵庫、電子レンジ、ホテルにあるコーヒーや紅茶のセット……。広いトイレとシャワー室。アメニティも高級品が並んでいる。ネットもつながる。ここがバンコクの一画という実感はなく、まるでリゾートにいるようだった。この種の病院に見舞いに出向くことはあったが、泊まってみると、この高級感に唸ってしまう。
幸い、娘は翌日には快方に向かった。検査の結果も陰性だった。医師の説明では、環境や食べ物の違いのストレスや過労が原因のようだった。その日から病室が急に賑やかになった。娘がさっぱりとした日本食を希望し、知人のタイ人に頼んだところ、話が一気に広まってしまった。次々に知人が現れた。家が水に浸かっているというのに、見舞いに来てくれたタイ人もいた。
多くがこの種の高級病院に戸惑っていた。部屋の設備にひとつ、ひとつ声をあげる。看護婦に入院代を聞く知人もいた。
やっとバンコクにいる気分になった。
「明日、退院だと思うんだけど、今晩、どうしようかと思って」
「ここに泊まりなよ。エアコンは使い放題。シャワーにお湯も出る。部屋の掃除も1日2回もしてくれる」
「そうだよな」
バンコクで泊まるホテルより快適だった。
費用はすべて旅行保険のキャッシュレス。退院時に一応、請求書が渡されたが、その金額は2泊3日で3万4000バーツほどだった。日本円にすると9万円弱。救急車は1500バーツだった。
保険加入者は娘である。言葉や病気への不安はあっただろうが、父親がそこにちゃっかり泊まっていいのだろうか。ちょっと後ろめたい2泊3日だった。
Posted by 下川裕治 at
14:40
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2011年11月14日
バングラデシュでの「ああ、20年」
バングラデシュのコックスバザールにいる。蒸し暑くて雨が多い気候の国だが、ようやくすごしやすくなってきた。今回は13人の大学生と一緒に滞在している。
この街の小学校の運営にかかわっている。以前は日本人の寄付でまかなっていた。しかしそれが難しくなってきた。バングラデシュが高度経済成長の波に乗りはじめ、急激なインフレがおきている。かつて1タカだったチャイはもう5タカになった。当然、先生たちの給料も引き上げなくてはいけないのだが、日本の景気が低迷している。日本人の寄付に頼ることができなくなってしまったのだ。
かつての先進国と途上国は、年月の流れのなかで、昔のような関係をつくることができなくなってきているのだ。
僕らは2年前から、日本人からの寄付に頼る構造から離れることにした。メンバーに出資してもらい、タクシーを3台買った。その収入で、先生の給料をまかなおうとしたのだ。物価が上昇すれば、タクシーの運賃もあがるはずだ。そうすれば、なんとかなるかもしれない……という読みだった。
しかしこの事業がなかなか軌道に乗らない。それなりの収入はあるのだが、タクシーの修理代が思った以上にかかるのだ。高度経済成長といっても、バングラデシュの道は相変わらず悪い。車が多くなり、前より傷んできた気がする。経済成長にインフラが追いつかない状態である。
12月末まで様子をみることにした。その収支をみて、故障の多い1台を売ることを考えている。その売却代でなにをはじめたらいいのだろうか。
いろんな人に聞いても、これといったアイデアはなかなか出てこない。
これからも悩みは続きそうだ。
学校の運営をはじめたきっかけは、友人の死だった。フリーランスのジャーナリストだった友人は、このエリアに住む少数民族のラカイン族を日本に紹介しようとしていた。その過程でミャンマーの民主化運動が起き、多くの学生がバングラデシュとの国境に逃げてきた。その取材に向かい、脳性マラリアになってしまった。ダッカで発症し、あっけなく死んでしまった。
遺体の受けとりのためにダッカに向かった。彼の奥さんとお父さんと一緒だった。
彼の遺体と一緒に日本に帰ったのは、1991年の3月末だった。
そして翌月、次女が生まれた。
その次女が今回、一緒にこの街にきている。もう大学生なのだ。
その間、僕は日本とバングラデシュの間で右往左往を繰り返してきた。それぞれの国が変わり、その軌道修正がなかなかうまくいかない。20年前は考えてもみないことだった。
この街の小学校の運営にかかわっている。以前は日本人の寄付でまかなっていた。しかしそれが難しくなってきた。バングラデシュが高度経済成長の波に乗りはじめ、急激なインフレがおきている。かつて1タカだったチャイはもう5タカになった。当然、先生たちの給料も引き上げなくてはいけないのだが、日本の景気が低迷している。日本人の寄付に頼ることができなくなってしまったのだ。
かつての先進国と途上国は、年月の流れのなかで、昔のような関係をつくることができなくなってきているのだ。
僕らは2年前から、日本人からの寄付に頼る構造から離れることにした。メンバーに出資してもらい、タクシーを3台買った。その収入で、先生の給料をまかなおうとしたのだ。物価が上昇すれば、タクシーの運賃もあがるはずだ。そうすれば、なんとかなるかもしれない……という読みだった。
しかしこの事業がなかなか軌道に乗らない。それなりの収入はあるのだが、タクシーの修理代が思った以上にかかるのだ。高度経済成長といっても、バングラデシュの道は相変わらず悪い。車が多くなり、前より傷んできた気がする。経済成長にインフラが追いつかない状態である。
12月末まで様子をみることにした。その収支をみて、故障の多い1台を売ることを考えている。その売却代でなにをはじめたらいいのだろうか。
いろんな人に聞いても、これといったアイデアはなかなか出てこない。
これからも悩みは続きそうだ。
学校の運営をはじめたきっかけは、友人の死だった。フリーランスのジャーナリストだった友人は、このエリアに住む少数民族のラカイン族を日本に紹介しようとしていた。その過程でミャンマーの民主化運動が起き、多くの学生がバングラデシュとの国境に逃げてきた。その取材に向かい、脳性マラリアになってしまった。ダッカで発症し、あっけなく死んでしまった。
遺体の受けとりのためにダッカに向かった。彼の奥さんとお父さんと一緒だった。
彼の遺体と一緒に日本に帰ったのは、1991年の3月末だった。
そして翌月、次女が生まれた。
その次女が今回、一緒にこの街にきている。もう大学生なのだ。
その間、僕は日本とバングラデシュの間で右往左往を繰り返してきた。それぞれの国が変わり、その軌道修正がなかなかうまくいかない。20年前は考えてもみないことだった。
Posted by 下川裕治 at
15:05
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2011年11月07日
【新刊プレゼント】世界最悪の鉄道旅行-ユーラシア横断2万キロ
新刊の発売に伴う、プレゼントとイベントのご案内です。
世界最悪の鉄道旅行-ユーラシア横断2万キロ
鉄道でユーラシア大陸を横断できないだろうか。そんな案が頭に浮かんだのが、災難の発端だった。
シベリアの大地をのろのろ走るロシアの車両に始まり、切符の購入も死に物狂いの中国、中央アジアの炎熱列車、紛争の地コーカサスでは爆弾テロで停車し、Uターン。フランスではストライキに巻き込まれ…。
様々な困難を乗り越えながら、最西端ポルトガルを目指し西へ向かう鉄道紀行。
上記、新刊本「世界最悪の鉄道旅行-ユーラシア横断2万キロ」を、今回も、
抽選で"3名さま"にプレゼントします!
応募の条件は以下です。
応募は以下の内容をご記入の上、下記のお問合せフォームよりご連絡ください。
応募受付期間は2011年11月30日まで。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。
お問合せフォーム
http://www.namjai.cc/inquiry.php
今すぐほしい!という方は、下記アマゾンから購入可能です。
アマゾン:世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ (新潮文庫)
新刊『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』(新潮文庫)の発売を記念して、下川裕治がユーラシア横断の鉄道旅行の魅力についてスライドを眺めながらたっぷりと語ります。
『鈍行列車のアジア旅』でアジア各国での各駅停車ののんびりした旅の魅力を語った下川裕治が次に挑戦したのが、なんと超過酷なユーラシア大陸を横断する鉄道旅行。
死に物狂いで切符を買う中国や中央アジアの炎熱列車、爆弾テロで列車がUターンしたコーカサスなど、様々な困難や試練を味わった著者の貴重な体験談が聞けます。
下川ファンの方はもちろん、大陸横断旅や鉄道旅行に興味のある方はぜひご参加ください!
※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。
【新刊】
世界最悪の鉄道旅行-ユーラシア横断2万キロ
鉄道でユーラシア大陸を横断できないだろうか。そんな案が頭に浮かんだのが、災難の発端だった。
シベリアの大地をのろのろ走るロシアの車両に始まり、切符の購入も死に物狂いの中国、中央アジアの炎熱列車、紛争の地コーカサスでは爆弾テロで停車し、Uターン。フランスではストライキに巻き込まれ…。
様々な困難を乗り越えながら、最西端ポルトガルを目指し西へ向かう鉄道紀行。
【プレゼント】
上記、新刊本「世界最悪の鉄道旅行-ユーラシア横断2万キロ」を、今回も、
抽選で"3名さま"にプレゼントします!
応募の条件は以下です。
1.本を読んだ後に、レビューを書いてブログに載せてくれること。
(タイ在住+日本在住の方も対象です。)
(タイ在住+日本在住の方も対象です。)
応募は以下の内容をご記入の上、下記のお問合せフォームよりご連絡ください。
応募受付期間は2011年11月30日まで。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。
お問合せフォーム
http://www.namjai.cc/inquiry.php
1.お問合せ用件「その他」を選んでください。
2.「お問い合わせ内容」の部分に以下をご記載ください。
・お名前
・Eメールアドレス
・ブログURL(記事を掲載するブログ)
・郵送先住所
・お電話番号
・ご希望の書名(念のため記載ください)
2.「お問い合わせ内容」の部分に以下をご記載ください。
・お名前
・Eメールアドレス
・ブログURL(記事を掲載するブログ)
・郵送先住所
・お電話番号
・ご希望の書名(念のため記載ください)
今すぐほしい!という方は、下記アマゾンから購入可能です。
アマゾン:世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ (新潮文庫)
イベント:
【スライド&トークショー】
【スライド&トークショー】
新刊『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』(新潮文庫)の発売を記念して、下川裕治がユーラシア横断の鉄道旅行の魅力についてスライドを眺めながらたっぷりと語ります。
『鈍行列車のアジア旅』でアジア各国での各駅停車ののんびりした旅の魅力を語った下川裕治が次に挑戦したのが、なんと超過酷なユーラシア大陸を横断する鉄道旅行。
死に物狂いで切符を買う中国や中央アジアの炎熱列車、爆弾テロで列車がUターンしたコーカサスなど、様々な困難や試練を味わった著者の貴重な体験談が聞けます。
下川ファンの方はもちろん、大陸横断旅や鉄道旅行に興味のある方はぜひご参加ください!
※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。
【開催日時】
11月25日(金) 19:30 ~ (開場19:00)
【参加費】
800円 ※当日、会場にてお支払い下さい
【会場】
旅の本屋のまど店内
【申込み方法】
お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627
e-mail :info@nomad-books.co.jp
(お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください) ※定員になり次第締め切らせていただきます。
【お問い合わせ先】
旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)
東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
http://www.nomad-books.co.jp
11月25日(金) 19:30 ~ (開場19:00)
【参加費】
800円 ※当日、会場にてお支払い下さい
【会場】
旅の本屋のまど店内
【申込み方法】
お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627
e-mail :info@nomad-books.co.jp
(お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください) ※定員になり次第締め切らせていただきます。
【お問い合わせ先】
旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)
東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
http://www.nomad-books.co.jp
Posted by 下川裕治 at
14:07
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2011年11月07日
成金資本家に見初められた新疆料理店
上海に滞在すると、必ずといっていいほど訪ねる新疆料理屋がある。中国の西域、新疆ウイグル自治区を中心に住むイスラム系料理の店である。そこで飲むことができる新疆の黒ビールが好きなのだ。
このビールは新疆ウイグル自治区のウルムチなどでは飲むことができない。なぜか上海だけで流通しているビールである。
とくに黒ビールが好きというわけではないのだが、この黒ビールはさっぱりとした味わいで、飲みやすい。日本の黒ビールは、苦味や甘味が強く、どこか重い。それに比べると、新疆黒ビールは、古いいい方でいうと、ライト感覚なのである。
このビールにケバブが合う。新疆のケバブは、羊肉が小さく、香辛料をふりかけてある。その味に黒ビールが合うのだ。
この料理店はかつて、富民路にあるこ汚い小さな店だった。天井も低かった。ところがある日、唐突に静安寺近くに移転してしまった。新しい店を、僕は戸惑いがちに見上げることになる。地上3階建ての立派なビルになっていた。
1階と2階が店舗で、調理場とトイレが3階にあるという妙な構造だったが、建物は見上げるばかりに立派だった。
以前の店はそれなりに流行っていた。しかし3階建てのビルをど~んと建てるほど儲かっているとはとても思えなかった。
その謎がやっと解けた。
2日ほど前、上海にいた。日本人が多い一帯で打ち合わせがあり、その後、近くで食事ということになった。
「近くにファミレスのような新疆料理屋がありますけど」
案内されて入った店も立派だった。
「少し前まで近くにあった小さな店だったんです。それが突然、こんなに立派になってしまって。投資家に目をつけられたようなんですよ」
「投資家?」
「上海では流行っている店をみつけて、資金を出すから移転して、新しい店をつくらないかってもちかける成金資本家がいるんです。そういう人に見初められると、店が一気に立派になるんです」
そういうことだったのだ。
日本では小さな店が、突然、大きな店舗に変身していくことは稀である。小さな店は、客を大切にしながら、それなりの商売をしていくところが多い。大きな店は、だいたいがチェーン店である。日本は資本が個人ではなく会社に集まっているからだろう。
そこが中国だった。街なかに新しい店が次々にできていくが、その資本は中国の高度成長の波に乗った個人のものなのだ。なんでも儲けに結びつけようとする中国式発想と好景気が重なると、こういうことが起きる。
店の味? あまり変わらない気がする。しかし料金は確実に高くなった。店ではそういう金の流れとは無縁そうなウイグル人の男が毎日、ケバブを焼いている。
このビールは新疆ウイグル自治区のウルムチなどでは飲むことができない。なぜか上海だけで流通しているビールである。
とくに黒ビールが好きというわけではないのだが、この黒ビールはさっぱりとした味わいで、飲みやすい。日本の黒ビールは、苦味や甘味が強く、どこか重い。それに比べると、新疆黒ビールは、古いいい方でいうと、ライト感覚なのである。
このビールにケバブが合う。新疆のケバブは、羊肉が小さく、香辛料をふりかけてある。その味に黒ビールが合うのだ。
この料理店はかつて、富民路にあるこ汚い小さな店だった。天井も低かった。ところがある日、唐突に静安寺近くに移転してしまった。新しい店を、僕は戸惑いがちに見上げることになる。地上3階建ての立派なビルになっていた。
1階と2階が店舗で、調理場とトイレが3階にあるという妙な構造だったが、建物は見上げるばかりに立派だった。
以前の店はそれなりに流行っていた。しかし3階建てのビルをど~んと建てるほど儲かっているとはとても思えなかった。
その謎がやっと解けた。
2日ほど前、上海にいた。日本人が多い一帯で打ち合わせがあり、その後、近くで食事ということになった。
「近くにファミレスのような新疆料理屋がありますけど」
案内されて入った店も立派だった。
「少し前まで近くにあった小さな店だったんです。それが突然、こんなに立派になってしまって。投資家に目をつけられたようなんですよ」
「投資家?」
「上海では流行っている店をみつけて、資金を出すから移転して、新しい店をつくらないかってもちかける成金資本家がいるんです。そういう人に見初められると、店が一気に立派になるんです」
そういうことだったのだ。
日本では小さな店が、突然、大きな店舗に変身していくことは稀である。小さな店は、客を大切にしながら、それなりの商売をしていくところが多い。大きな店は、だいたいがチェーン店である。日本は資本が個人ではなく会社に集まっているからだろう。
そこが中国だった。街なかに新しい店が次々にできていくが、その資本は中国の高度成長の波に乗った個人のものなのだ。なんでも儲けに結びつけようとする中国式発想と好景気が重なると、こういうことが起きる。
店の味? あまり変わらない気がする。しかし料金は確実に高くなった。店ではそういう金の流れとは無縁そうなウイグル人の男が毎日、ケバブを焼いている。
Posted by 下川裕治 at
12:58
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