2020年06月29日
沖縄……離島の時差
沖縄の石垣島にいる。本来なら、西表島に泊まるはずだった。上原港周辺の民宿やペンションなど8軒にあたったが、泊まることができなかった。休業、宿泊制限、満室などが理由だった。夕方の船で石垣島に戻るしかなかった。
6月19日に日本国内の移動が可能になり、途中で中断してしまっていた取材を再開させることになった。
沖縄の離島のバスをすべて乗りつぶすという酔狂な企画である。2月に久米島と宮古島のバスを乗り終え、さて……というとき、日本では、新型コロナウイルスの感染が広まってしまったのだ。
その続きを石垣島からはじめたのだが、改めて、離島という意味を知ることになってしまった。
沖縄の離島には、ふたつのカテゴリーがある。ひとつは石垣島と宮古島。もうひとつはそれ以外の離島グループである。
沖縄本島、とくに那覇は本土化が急だ。もう東京と同じではないかと思うことがしばしばある。沖縄らしさを求めるなら離島……。那覇を脱出し、石垣島や宮古島へ向かう。島に流れる空気は十分に離島なのだが、そこからさらに小さな離島の土を踏むと、世界ががらりと変わる。
6月19日の国内移動解除を経て、石垣島や宮古島の宿や商店はほとんどが再開した。石垣島の中心部は、新型コロナウイルスの感染前と変わりはなくなった。
その感覚で、まず竹富島に渡った。高速船乗り場で、こういわれた。
「観光施設はすべて閉まっています。レンタサイクルや水牛車も休業です。それでも渡りますか」
「島内のバスは動いていますよね」
バスに乗ることが目的の旅である。
「動いていますが、島民の方が優先なので、乗ることができないかもしれません」
バスにはスムーズに乗ることができ、竹富島の集落に着いた。観光客はひとりもいなかった。強い日射しのなかで、しんと静まりかえっている。こんな竹富島は珍しい。40年前の竹富島がシンクロする。
ビーチに出ると、10人ほどの観光客が遊んでいた。
「竹富島は横でつながっていますから、なかなか難しいんです。7月1日から一斉に再開するみたい。その会議が今日、それぞれの組合で行われます。石垣のようにはいかないんですよ。離島は」
バスの運転手が説明してくれる。
いったん石垣島に戻り、翌日、西表島に渡った。多くの店が休業していた。路線バスには乗り終えたが、宿は難しかった。いつ頃、本格的に再開されるかわからないという。すでに本土からの観光客は島に入りはじめているのだが。
「島の人はまだ怖いんです。東京や大阪からやってくる人が。それが離島です」
西表島で会った老人はそういう。
石垣島とその先の離島の間には、時差がある。それが離島というものらしい。
島の人たちは国や県からの方針をしっかり守っていた。東京では今日も60人という感染者が出ている。
■“旅情報ノート”クラブの内容は、以下のサイトで?http://www.arukubkk.com/
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=沖縄の離島のバス旅がはじまります。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=沖縄の離島のバス旅シリーズがはじまります。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
6月19日に日本国内の移動が可能になり、途中で中断してしまっていた取材を再開させることになった。
沖縄の離島のバスをすべて乗りつぶすという酔狂な企画である。2月に久米島と宮古島のバスを乗り終え、さて……というとき、日本では、新型コロナウイルスの感染が広まってしまったのだ。
その続きを石垣島からはじめたのだが、改めて、離島という意味を知ることになってしまった。
沖縄の離島には、ふたつのカテゴリーがある。ひとつは石垣島と宮古島。もうひとつはそれ以外の離島グループである。
沖縄本島、とくに那覇は本土化が急だ。もう東京と同じではないかと思うことがしばしばある。沖縄らしさを求めるなら離島……。那覇を脱出し、石垣島や宮古島へ向かう。島に流れる空気は十分に離島なのだが、そこからさらに小さな離島の土を踏むと、世界ががらりと変わる。
6月19日の国内移動解除を経て、石垣島や宮古島の宿や商店はほとんどが再開した。石垣島の中心部は、新型コロナウイルスの感染前と変わりはなくなった。
その感覚で、まず竹富島に渡った。高速船乗り場で、こういわれた。
「観光施設はすべて閉まっています。レンタサイクルや水牛車も休業です。それでも渡りますか」
「島内のバスは動いていますよね」
バスに乗ることが目的の旅である。
「動いていますが、島民の方が優先なので、乗ることができないかもしれません」
バスにはスムーズに乗ることができ、竹富島の集落に着いた。観光客はひとりもいなかった。強い日射しのなかで、しんと静まりかえっている。こんな竹富島は珍しい。40年前の竹富島がシンクロする。
ビーチに出ると、10人ほどの観光客が遊んでいた。
「竹富島は横でつながっていますから、なかなか難しいんです。7月1日から一斉に再開するみたい。その会議が今日、それぞれの組合で行われます。石垣のようにはいかないんですよ。離島は」
バスの運転手が説明してくれる。
いったん石垣島に戻り、翌日、西表島に渡った。多くの店が休業していた。路線バスには乗り終えたが、宿は難しかった。いつ頃、本格的に再開されるかわからないという。すでに本土からの観光客は島に入りはじめているのだが。
「島の人はまだ怖いんです。東京や大阪からやってくる人が。それが離島です」
西表島で会った老人はそういう。
石垣島とその先の離島の間には、時差がある。それが離島というものらしい。
島の人たちは国や県からの方針をしっかり守っていた。東京では今日も60人という感染者が出ている。
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Posted by 下川裕治 at
11:32
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2020年06月22日
無菌状態のアジア
絶望的な数字に映った。
日本で行われた新型コロナウイルスの抗体検査である。東京と大阪、宮城で約8000人を調べた。東京は0.1%、大阪は0.17%、宮城は0.03%。つまりほとんどの日本人が抗体を獲得できなかったという結果だった。
抗体検査の精度や、抗体がどのくらい持続するか……など、抗体検査には異論がある。しかし大きな傾向でみれば、やはり日本人の大多数は抗体をもっていないと考えていい。
感染者が多いエリアでも、抗体を獲得した人は予想より少ないといわれる。ニューヨーク州の最新のデータでは12.3%。スウェーデンは集団免疫をめざしたが、6.1%に留まっている。集団免疫とは、人口の60~70%が抗体をもてば、流行を防ぐことができるという理論だ。
免疫を得る方法はふたつある。ひとつは感染して治癒することで抗体を獲得すること。そしてワクチンである。人類は集団免疫でいくつかの感染症を抑え込んできた。
ワクチンの開発が間に合わないいま、感染によって抗体をもつ人を増やすことになるのだが、新型コロナウイルスは、どうも抗体を獲得する割合が低いようなのだ。
ということは、第二波、第三波に対して、再びロックダウンと隔離という方法で向かうしかない。そう考えただけで気が重くなる。経済への負担も大きい。
ポストコロナの話は、ロックダウンと隔離を前提にして進んでいるようにも思う。現実的な論点かもしれない。
しかし感染症の専門でもなく、世界の人々の感性の違いを多少は語ることができる経験からすれば、もうひとつの選択肢があるような気がするのだ。
いま世界の国々のなかで、観光客を簡単なチェックだけで受け入れはじめた国は、ギリシャ、トルコ、ウクライナ、メキシコなどである。東南アジアや極東の国々は、仕事関係の人に新型コロナウイルスの陰性証明をつける形での入国許可の調整がはじまったレベルだ。観光客が自由に行き来できるようになるのは10月ともいわれている。
この違いはなんだろうかと思う。感染者数をみると、トルコは約18.6万人、メキシコは約17.5万人に達している。それに対して日本は約1.78 万人、タイは3000人強、台湾は440人強にすぎない。
欧米に比べると、アジアには封じ込めに成功したエリアが多い気がする。SARSの教訓が生きているともいわれる。しかし無菌状態に近づけただけで、新型コロナウイルスを本質的に克服したわけではない。5年、10年、いや50年という時間軸でみたときの脆さが気になる。人間の体は、ウイルスをとり込むことでしか先に進めないと思うからだ。
以前、この連載で、欧米人のウイルスに対する鈍感さに触れた。ポストコロナを考えたとき、鈍感さという選択肢があっていい気がするのだ。精神的な重圧も少ない。欧米人の血にその鈍感さがあるとしたら、ひとつの救いにも映るのだが。
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日本で行われた新型コロナウイルスの抗体検査である。東京と大阪、宮城で約8000人を調べた。東京は0.1%、大阪は0.17%、宮城は0.03%。つまりほとんどの日本人が抗体を獲得できなかったという結果だった。
抗体検査の精度や、抗体がどのくらい持続するか……など、抗体検査には異論がある。しかし大きな傾向でみれば、やはり日本人の大多数は抗体をもっていないと考えていい。
感染者が多いエリアでも、抗体を獲得した人は予想より少ないといわれる。ニューヨーク州の最新のデータでは12.3%。スウェーデンは集団免疫をめざしたが、6.1%に留まっている。集団免疫とは、人口の60~70%が抗体をもてば、流行を防ぐことができるという理論だ。
免疫を得る方法はふたつある。ひとつは感染して治癒することで抗体を獲得すること。そしてワクチンである。人類は集団免疫でいくつかの感染症を抑え込んできた。
ワクチンの開発が間に合わないいま、感染によって抗体をもつ人を増やすことになるのだが、新型コロナウイルスは、どうも抗体を獲得する割合が低いようなのだ。
ということは、第二波、第三波に対して、再びロックダウンと隔離という方法で向かうしかない。そう考えただけで気が重くなる。経済への負担も大きい。
ポストコロナの話は、ロックダウンと隔離を前提にして進んでいるようにも思う。現実的な論点かもしれない。
しかし感染症の専門でもなく、世界の人々の感性の違いを多少は語ることができる経験からすれば、もうひとつの選択肢があるような気がするのだ。
いま世界の国々のなかで、観光客を簡単なチェックだけで受け入れはじめた国は、ギリシャ、トルコ、ウクライナ、メキシコなどである。東南アジアや極東の国々は、仕事関係の人に新型コロナウイルスの陰性証明をつける形での入国許可の調整がはじまったレベルだ。観光客が自由に行き来できるようになるのは10月ともいわれている。
この違いはなんだろうかと思う。感染者数をみると、トルコは約18.6万人、メキシコは約17.5万人に達している。それに対して日本は約1.78 万人、タイは3000人強、台湾は440人強にすぎない。
欧米に比べると、アジアには封じ込めに成功したエリアが多い気がする。SARSの教訓が生きているともいわれる。しかし無菌状態に近づけただけで、新型コロナウイルスを本質的に克服したわけではない。5年、10年、いや50年という時間軸でみたときの脆さが気になる。人間の体は、ウイルスをとり込むことでしか先に進めないと思うからだ。
以前、この連載で、欧米人のウイルスに対する鈍感さに触れた。ポストコロナを考えたとき、鈍感さという選択肢があっていい気がするのだ。精神的な重圧も少ない。欧米人の血にその鈍感さがあるとしたら、ひとつの救いにも映るのだが。
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2020年06月15日
アジアの麺の貧困効果
ポストコロナをうつら、うつらと考えたとき、中国と世界の関係が気になる。新型コロナウイルスは武漢から広まったが、その後、中国は強引な外交戦略に出た。そうしなければ、国内からの不満を抑えられないという発想なのかもしれないが、ときに夜郎自大にも映る行動は、日本に限れば、嫌中意識をより広めてしまった感がある。いつもは中国との関係など関心がない人たちが、新型コロウイルスを媒介に嫌中になびいていく。
我が家の娘もそのひとりで、中国という存在が鮮やかになってきてしまったらしい。週末になると、中国映画のDVDをよく借りてくる。
『長江哀歌』という映画を観た。三峡ダムの影響で、周辺が水没していく奉節を舞台にしている。
昨年の11月、奉節を訪ねている。『12万円で世界を歩く リターンズ』(朝日文庫)を書くためだった。この旅は、朝日新聞のサイトからも配信されているが、その掲載がはじまる頃、武漢での新型コロナウイルスの感染が一気に拡大していった。本には収録されているが、ネットの記事掲載は止まってしまった……。
『長江哀歌』は、まだ貧しい中国が描かれている。水没した村のなかには、船で暮らす人もいる。生活費を稼ぐために、奥さんが売春で稼ぎ、やがてその一家は崩壊していく。彼らはそれを受け入れざるをえなかった。三峡ダムは国を挙げてのプロジェクトだった。
水上生活者の船を訪ねた主人公が食事をご馳走になるシーンがある。鍋で茹でた麺を洗面器のような器に盛り、ザーサイをおかずに啜る。麺といっても、スープはあまりなく、山盛りの麺をまるでご飯をかきこむように食べる。
麺料理を眺めたとき、アジアと日本の決定的な違いは、「食べる」か「啜る」かだと思う。日本人は麺を啜る。これはかなり特異な食文化に映る。
たとえばアジアでは、朝食に麺は素直に受け入れられている。消化もいいのだろう。その分、コシが弱い。しかし日本では、朝食にそばやラーメンを食べる人はまずいない。
食べ方も違う。日本人は、「ずる、ずる」と音をたてて啜るが、アジア人は食べる。タイなのでは、麺をレンゲに載せて口に運ぶ人もいる。
食べ方で特異な国は中国である。啜るのではなく食べるのだが、そこに品がない。がっつくようにして麺を頬張る。顔が麺に近い。その食べ方には貧困が宿っている。満足なテーブルもなく、立って麺を食べることも普通だった。最近の中国では、大きな丼にたっぷりスープの高級麺が増えてきているが、食べ方はそう変わらない。
『長江哀歌』はベネチア国際映画祭で賞を受けている。カンヌ国際映画祭で賞をとった日本の『万引き家族』も、カップ麺にコロッケを載せて食べるシーンが印象に残っている。なにかのつながりを感じてしまう。
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我が家の娘もそのひとりで、中国という存在が鮮やかになってきてしまったらしい。週末になると、中国映画のDVDをよく借りてくる。
『長江哀歌』という映画を観た。三峡ダムの影響で、周辺が水没していく奉節を舞台にしている。
昨年の11月、奉節を訪ねている。『12万円で世界を歩く リターンズ』(朝日文庫)を書くためだった。この旅は、朝日新聞のサイトからも配信されているが、その掲載がはじまる頃、武漢での新型コロナウイルスの感染が一気に拡大していった。本には収録されているが、ネットの記事掲載は止まってしまった……。
『長江哀歌』は、まだ貧しい中国が描かれている。水没した村のなかには、船で暮らす人もいる。生活費を稼ぐために、奥さんが売春で稼ぎ、やがてその一家は崩壊していく。彼らはそれを受け入れざるをえなかった。三峡ダムは国を挙げてのプロジェクトだった。
水上生活者の船を訪ねた主人公が食事をご馳走になるシーンがある。鍋で茹でた麺を洗面器のような器に盛り、ザーサイをおかずに啜る。麺といっても、スープはあまりなく、山盛りの麺をまるでご飯をかきこむように食べる。
麺料理を眺めたとき、アジアと日本の決定的な違いは、「食べる」か「啜る」かだと思う。日本人は麺を啜る。これはかなり特異な食文化に映る。
たとえばアジアでは、朝食に麺は素直に受け入れられている。消化もいいのだろう。その分、コシが弱い。しかし日本では、朝食にそばやラーメンを食べる人はまずいない。
食べ方も違う。日本人は、「ずる、ずる」と音をたてて啜るが、アジア人は食べる。タイなのでは、麺をレンゲに載せて口に運ぶ人もいる。
食べ方で特異な国は中国である。啜るのではなく食べるのだが、そこに品がない。がっつくようにして麺を頬張る。顔が麺に近い。その食べ方には貧困が宿っている。満足なテーブルもなく、立って麺を食べることも普通だった。最近の中国では、大きな丼にたっぷりスープの高級麺が増えてきているが、食べ方はそう変わらない。
『長江哀歌』はベネチア国際映画祭で賞を受けている。カンヌ国際映画祭で賞をとった日本の『万引き家族』も、カップ麺にコロッケを載せて食べるシーンが印象に残っている。なにかのつながりを感じてしまう。
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2020年06月08日
66歳の誕生日
66歳になった。誕生日に日本にいるのは久しぶりである。10年以上、いつもタイのバンコクにいた。僕は長く、「歩くバンコク」という地図型ガイドの編集にかかわっている。発行時期から逆算すると、ちょうど僕の誕生日前後が内容のチェック時期にあたる。バンコクに滞在し、「歩くバンコク」の細かい文字を追っていた。
今年も例年と同じスケジュールで編集作業は進んでいたが、タイも日本も新型コロナウイルスである。日本人向けのガイドだから、日本人観光客が自由にタイに行くことができないと……。編集を中断することになった。
3月末に日本に帰国したが、それ以降、海外に出ることが難しくなった。2ヵ月以上、日本にいることになる。いまの日本は、東京から地方に行くことも制限されている。その間、延々と東京にいる。10年来の珍事ということになる。
その間、本の原稿や、日々の締め切りに追われていた。僕の場合、こういった巣ごもり状態と旅が繰り返される日々を長年、続けてきた。旅の部分がすっぽり抜けたわけだ。
ウイルスに関する本をよく読んだ。そしていま、新型コロナウイルスを俯瞰して眺めると、少し暗澹とした気分になる。
ひとつは科学の進む方向である。いまの時点で、新型コロナウイルスへの対応の評価は隔離やロックダウンなどの公衆衛生に収斂されている。たしかに公衆衛生学は経験を積んだかもしれないが、ウイルスそのものへの科学が見えてこない。ウイルス学を進化させるためには、多くの人が罹患することが早道なのだが、人類は怖がっているばかりだ。これから二波や新しいウイルスに人間は晒されていくが、再び同じ手法で対応するしかない。
新型コロナウイルスは、人の生活スタイルを変えるほどの大きな波ではない。ウイルス感染は都市型の疫病である。それに対して、リモートワークが進み、生活拠点を地方に移す人が増えると専門家はいう。たしかしそうなのかもしれないが、その世代の次という年月の長さで眺めれば、子供たちは再び都市に人は集まってくる。これまでも何回となく繰り返されてきた人の営みである。
しかし、そんな人間たちがいとおしい。人の心の大半を占めるのは、自分の人生への利己的な思いである。新型コロナウイルスの犠牲者に右往左往し、ロックダウンを強いられた店の減収に頭を痛める。
スパンが違うふたつの世界は混同され、人々を混濁させる。
66歳になった。これだけ生きてくれば、少しはわかってきたこともある。しかしそれは明快な解決への道ではなく、解決できないということがわかることが多い。
そういうことなのだ……。
家族からプレゼントをもらった。薄手のジャンパーだ。ときに冷房がきついアジアでは重宝する。
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今年も例年と同じスケジュールで編集作業は進んでいたが、タイも日本も新型コロナウイルスである。日本人向けのガイドだから、日本人観光客が自由にタイに行くことができないと……。編集を中断することになった。
3月末に日本に帰国したが、それ以降、海外に出ることが難しくなった。2ヵ月以上、日本にいることになる。いまの日本は、東京から地方に行くことも制限されている。その間、延々と東京にいる。10年来の珍事ということになる。
その間、本の原稿や、日々の締め切りに追われていた。僕の場合、こういった巣ごもり状態と旅が繰り返される日々を長年、続けてきた。旅の部分がすっぽり抜けたわけだ。
ウイルスに関する本をよく読んだ。そしていま、新型コロナウイルスを俯瞰して眺めると、少し暗澹とした気分になる。
ひとつは科学の進む方向である。いまの時点で、新型コロナウイルスへの対応の評価は隔離やロックダウンなどの公衆衛生に収斂されている。たしかに公衆衛生学は経験を積んだかもしれないが、ウイルスそのものへの科学が見えてこない。ウイルス学を進化させるためには、多くの人が罹患することが早道なのだが、人類は怖がっているばかりだ。これから二波や新しいウイルスに人間は晒されていくが、再び同じ手法で対応するしかない。
新型コロナウイルスは、人の生活スタイルを変えるほどの大きな波ではない。ウイルス感染は都市型の疫病である。それに対して、リモートワークが進み、生活拠点を地方に移す人が増えると専門家はいう。たしかしそうなのかもしれないが、その世代の次という年月の長さで眺めれば、子供たちは再び都市に人は集まってくる。これまでも何回となく繰り返されてきた人の営みである。
しかし、そんな人間たちがいとおしい。人の心の大半を占めるのは、自分の人生への利己的な思いである。新型コロナウイルスの犠牲者に右往左往し、ロックダウンを強いられた店の減収に頭を痛める。
スパンが違うふたつの世界は混同され、人々を混濁させる。
66歳になった。これだけ生きてくれば、少しはわかってきたこともある。しかしそれは明快な解決への道ではなく、解決できないということがわかることが多い。
そういうことなのだ……。
家族からプレゼントをもらった。薄手のジャンパーだ。ときに冷房がきついアジアでは重宝する。
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2020年06月01日
鉱物が体のなかで生物になる
原稿を書きにくい状況に置かれていると思う。この2ヵ月ほど、新型コロナウイルスに振りまわされてきた。
感染がはじまった頃、中国の事情や、アジアの状況についての原稿依頼が次々に舞い込んだ。さて、どう書こうか……と、うろうろしているうちに、状況がめまぐるしく変わっていってしまう。
「書きづらいですね」
原稿を依頼した担当者と苦笑続きだった。
感染が世界に広まっていく頃になると、ますます書きにくくなってきた。
周囲の人々と同じ行動をとることが嫌いな人がいる。感染がまだ深刻ではなかった頃、皆がつけはじめたマスクを嫌う知人がいた。
「なにか右に倣えって感じで嫌なんだ」
多くの人がそんな意識をもっている気がする。人と自分は違うという意識が文化を生んできた。たとえばファッション。人と違うものを着たいという指向がなければ成り立たない。それは個性の表現といい換えてもいいかもしれない。
しかし感染が広がり、ウイルスが脅威に映るようになる。自粛に従い、マスクをつけ、外出を控えるしか、普通に戻ることはできない……。皆が個性を封印していく。
原稿というものは個性でなりたっている。同じことを書いても誰も読まない。しかし皆が同じ行動をとるようになると働きはじめる同調圧力は、ときに原稿の世界ではマイナスのベクトルを生む。
不自由な環境のなかで、人間とウイルスの関係の本ばかり読んでいる。
人間は移動する生き物である。移動することで進化の海を泳ぎ切ってきた。ある生物学者は、「よりよい環境を探索する能力のあった生物が、そうでない生物ではたどり着けなかった資源を手に入れてきた」と進化というものを解説する。
しかしウイルスは生物ではない。いや、生物か。ウイルスは代謝をしない。栄養をとることもしない。ある条件でウイルスを集めると結晶をつくるのだという。どこか鉱物に似ている。生きてはいないのだ。
しかしウイルスは増えることができる。新型コロナウイルスは、体のなかに入ると、人の細胞にウイルスのDNAを送る。体はそれに反応し、コピーをどんどんつくってしまう。つまり、ウイルスを増やしているのは、私たちの体。ウイルスを自分の細胞のように認識する。鉱物は人間の体に入って生物になるわけだ。そう眺めると、ウイルスは人の体そのもののようにも映る。しかしそのウイルスが体に悪さをする。
この関係がどうしても腑に落ちない。ウイルスは体にとって悪なのか、善なのか。
生物学者は善だという。進化を進めるからだ。しかしここでいう進化は、人は移動することで生きのびた進化とは時空が違うようにも思える。つながりそうで、つながらないもどかしさ……。想像だけは膨らむのだが。
違う。
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感染がはじまった頃、中国の事情や、アジアの状況についての原稿依頼が次々に舞い込んだ。さて、どう書こうか……と、うろうろしているうちに、状況がめまぐるしく変わっていってしまう。
「書きづらいですね」
原稿を依頼した担当者と苦笑続きだった。
感染が世界に広まっていく頃になると、ますます書きにくくなってきた。
周囲の人々と同じ行動をとることが嫌いな人がいる。感染がまだ深刻ではなかった頃、皆がつけはじめたマスクを嫌う知人がいた。
「なにか右に倣えって感じで嫌なんだ」
多くの人がそんな意識をもっている気がする。人と自分は違うという意識が文化を生んできた。たとえばファッション。人と違うものを着たいという指向がなければ成り立たない。それは個性の表現といい換えてもいいかもしれない。
しかし感染が広がり、ウイルスが脅威に映るようになる。自粛に従い、マスクをつけ、外出を控えるしか、普通に戻ることはできない……。皆が個性を封印していく。
原稿というものは個性でなりたっている。同じことを書いても誰も読まない。しかし皆が同じ行動をとるようになると働きはじめる同調圧力は、ときに原稿の世界ではマイナスのベクトルを生む。
不自由な環境のなかで、人間とウイルスの関係の本ばかり読んでいる。
人間は移動する生き物である。移動することで進化の海を泳ぎ切ってきた。ある生物学者は、「よりよい環境を探索する能力のあった生物が、そうでない生物ではたどり着けなかった資源を手に入れてきた」と進化というものを解説する。
しかしウイルスは生物ではない。いや、生物か。ウイルスは代謝をしない。栄養をとることもしない。ある条件でウイルスを集めると結晶をつくるのだという。どこか鉱物に似ている。生きてはいないのだ。
しかしウイルスは増えることができる。新型コロナウイルスは、体のなかに入ると、人の細胞にウイルスのDNAを送る。体はそれに反応し、コピーをどんどんつくってしまう。つまり、ウイルスを増やしているのは、私たちの体。ウイルスを自分の細胞のように認識する。鉱物は人間の体に入って生物になるわけだ。そう眺めると、ウイルスは人の体そのもののようにも映る。しかしそのウイルスが体に悪さをする。
この関係がどうしても腑に落ちない。ウイルスは体にとって悪なのか、善なのか。
生物学者は善だという。進化を進めるからだ。しかしここでいう進化は、人は移動することで生きのびた進化とは時空が違うようにも思える。つながりそうで、つながらないもどかしさ……。想像だけは膨らむのだが。
違う。
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