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ナムジャイブログ

2018年11月26日

レベルの高いサービスがクレームを誘発する

 日本は世界一のクレーム大国だという話を聞いた。その理由? 専門家はこう分析している。
「世界でいちばん、サービスがいいからです」
 日本のサービス──。そのレベルの高さは世界に知られつつある。日本を訪ねる外国人旅行者が増加している一因は、高いサービスだという。上海に暮らす日本人がこんな話をしてくれる。
「日本に行った中国人は、日本の店員の笑顔の対応に驚くみたい。コンビニひとつとってもね。ネットにも、そんな映像がたくさんアップされています。でも、よく見ると、ネームプレートに『りん』とか、ひらがなで書いてあったりする。中国人の留学生なんです。中国人はひらがなを読めないから」
 留学生の店員は接客の笑顔という研修を受けるのだろうか。いや、日本に暮らしていると、笑顔の対応の大切さに気づくのかもしれない。
 しかしレベルの高いサービスは、より高いサービスへの要求につながる。人はサービスを期待してしまうのだ。その結果がクレームである。サービスの高さがクレームを増やしているわけだ。
 航空会社に勤める知人がこんなことをいっていた。
「エコノミークラスの乗客より、ビジネスクラスの乗客のほうが、はるかにクレームが多いんです」
 ビジネスクラスに乗る人は、高いサービスを期待してしまう。高い運賃への費用対効果という面もある。それに対して、エコノミークラスの乗客は高いサービスを期待しない。それがクレームの数を左右してしまう。人間とはそういうもののようだ。
 いまバンコクにいる。先日、コールセンターで働く女性に会った。彼女は一時、日本に乗り入れた海外のLCCのクレーム処理を担当していた。あまりに理不尽なクレームに、鬱になりかけてしまったという。到着が10分遅れただけで、返金を要求してくる。客室乗務員の態度が悪かったと、クレームを機関銃のように1時間も喋りまくる……。日本の航空会社へのクレームで味をしめてしまったのだろうか。たしかにこんな電話の対応はつらい。
 LCCの草分けでもあるアメリカのサウスウエスト航空にはこんなポリシーがある。いちばん大切なものは、乗客ではなく社員だと。
 お客様は神様ではないのだ。
 海外と日本では、サービスというものへの温度差があるのだろう。サービスがいいことにこしたことはない。しかし過度なサービスは、クレームを誘発する。
 日本は過度に他人の目を気にする社会だから、よけいにサービス合戦を刺激してしまうのだろう。そこで疲弊していくのは、自分たち日本人。そこに気づいてもいいのかもしれない。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまはインドから中国に戻る帰路編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 12:41Comments(3)

2018年11月19日

またあの時代が戻ってくる

 また、あの時代に戻りつつある。実家のある松本に列車で向かいなから、そう思った。途中の塩尻駅で乗り換えたのだが、そのホームにアジア人の青年が数人、列車を待っていた。
 言葉からベトナム人だとわかる。おそらくいま話題の技能研修生だろう。
 日本での不法就労が盛んだった頃、長野県の工場で働くアジア人は、少なくなかった。休日に、東京にいる友だちに会いにいくのだろうか。新宿と松本を結ぶバスや列車には、必ずといっていいぐらいアジアからの出稼ぎの若者が座っていた。当時はタイ人やフィリピン人が多かった。
 その後、日本の景気が後退する。この種の問題は景気に敏感だ。日本の工場で働く外国人は目にしなくなった。僕には実感がないのだが、おそらく日本経済は好転してきているのだ。深刻な人手不足。そこで技能研修生というわけである。
 不法就労と技能研修生──。本質的にはなにも変わっていない気がする。基本的に出稼ぎが目的である。安いアジアからの労働力を頼りにする日本の産業界の構造も同じだ。
 変わったことといえば、技能研修生という大義名分をつけたこと。そしてタイ人やフィリピン人から、ベトナム人やインドネシア人に変わったことだけだ。技能研修生も、高い給料に誘われて逃亡してしまえば不法就労になる。また同じ問題が起きてくる。
 景気のいいときだけ、アジア人の労働力を頼りにする。その構造はなにも変わっていない。以前、シンガポールのリー・シェンロン首相が、「外国人労働者はバッファーだ」と発言して、物議を醸したことがある。日本も本音はそうなのだ。批判をかわすための方策を考えただけのことだ。
 しかし、アジア人は人間である。どんな労働環境であろうと、日本人との人間関係をつくっていく。タイ人もそうだった。日本人との間で、信頼や恋愛やトラブルが、次々に起こっていった。当時、僕の電話番号が、不法就労のタイ人の間に広まっていて、さまざまな話がもち込まれた。「子供ができちゃったけどどうしよう」という相談もあった。自分の遺産をタイ人に譲りたいとう日本人もいた。病院と警察からの電話も多かった。不法就労のタイ人の死に何回も立ち会った。
 また、あの時代が戻ってくる。タイ人は少ないので安穏としているが、ベトナムとかかわった日本人は大変かもしれない。放ってはおけないような事態に巻き込まれていくのだろう。
 その間に、アジアはしっかりと日本に根を張っていく。それが日本社会をどう変えていくのか。それを考えると、少し暗い気分になってくる。日本人の意識がなかなか変わらないからだ。これからも技能研修生は増えていく。

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Posted by 下川裕治 at 13:01Comments(1)

2018年11月12日

シニア世代も海外旅行離れ?

 先週、休載させていただいた。理由は山である。ネパールのアンナプルナ山麓を歩いていた。トレッキングである。
 歩きはじめる前、このブログのことを考えた。はたして山小屋はメールが繋がるのだろうか。ブログを書くためにはパソコンが必要になる。それをザックに入れるかどうか。
 30年ほど前に、アンナプルナのトレッキングを体験していた。かなりきつかった。荷物の重さは、歩く時間が長くなるほど堪えてくる。当時は僕も30歳台。いまとは基礎体力が違う。申し訳ないが、ザックにパソコンを入れないことにした。
 アンナプルナのトレッキングは、この30年で、かなり変わっていた。登山口まではジープなどに乗るのだが、その距離がだいぶ長くなった。途中にニューブリッジという新しい吊り橋もできた。以前の吊り橋よりだいぶ高い位置につくられた。橋げたの下、100メートルほどのところに川が流れるという吊り橋。下を見ると足がすくんでしまいそうになるのだが、この橋を渡るだけで、以前より3時間以上早く目的地に着くことができるようになった。
 30年前、ポカラからチョムロンまで2日間歩かなくてはならなかった。さらに1日歩くと、アンナプルナベースキャンプだった。それが1日歩くだけでチョムロンに着くようになった。
 チョムロンはこのルートの最後の村。トレッカーも楽になったが、村人にとっては革新的なことだった。かつてポカラまで2日かかったものが1日。頑張れば日帰りも可能になった。トレッキングルートは生活の道でもある。ネパールの山のなかに暮らす人々はずいぶん楽になったわけだ。
 はたして前のように歩くことができるのだろうか。不安を抱えて、山道に汗を絞った。もう64歳なのだ。足の筋肉の衰えはわかっていた。
 なんとかチョムロンまでは歩くことができた。以前は山小屋が2軒だけだったチョムロンの村。いまは15軒の山小屋がひしめいていた。そのなかの1軒に泊まった。小屋にはガイドやポーターも泊まっていた。ひとりのガイドが、日本語で声をかけてきた。
「どうして最近、日本人はやってこないいんですか」
 彼は以前、日本語の山岳ガイドだった。日本語も勉強したという。しかしいまは日本人が激減。英語のガイドをしていた。
 代わって増えているのは中国人と韓国人だという。
 トレッキング客は、中高年が多かった。日本人の若者が海外に出ない話はよく聞くが、日本人の中高年も……。
 中国人の増加は、経済環境で説明できるが、日本より状況がよくない韓国の人々がなぜ?説明がつかない。
 かつてのヒマラヤトレッキングを支えたのは団塊の世代だった。その次の世代は……。考え込んでしまった。

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Posted by 下川裕治 at 15:22Comments(1)