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ナムジャイブログ

2011年04月25日

気が重い帰国

 上海にいる。
 ふつか前に成田空港を発ったが、あまりに人が少ない空港に戸惑ってしまった。出国のスタンプを捺してもらうブースは、ふたつしか開いていない。免税店も閑散としている。空港というものは、時間帯によっては人が少なくなることがあるが、そういうレベルではなかった。
 ちょうど昼どきだった。利用したのは中国国際航空で、搭乗口は第1ターミナルのどん詰まりだった。そこにはカフェがあり、いつも席を確保するのが難しいほどなのだが、その日は数人の客しかいなかった。
 節電のために照明も落としているから、場所によっては廃墟のようにも映るのだ。
 東京はいま、明るかったところが暗くなり、動いていたものが停止し、不便さが募る街になった。成田空港も同じだった。
 上海の浦東空港に着いた。万博を期に、この空港から市内までの地下鉄が開通した。やや時間はかかるが、7元、約100円強の値段で市街地まで着いてしまう。
 この空港から市内まではバスやリニアモーターカーがあった。バスはときに渋滞に巻き込まれた。リニアモーターカーは速いのだが距離が短く、最後は地下鉄に乗り換えなければいけなかった。
 アジアの街がどんどん便利になっていく。ソウルも仁川国際空港から市内までの電車が走るようになった。バンコクもスワンナプーム空港から市内までの電車が昨年から走っている。
 便利になっていくアジアと、不便になった東京。いまの時期、アジアに出向くとこの違いを痛感することになる。
 暮らす人々の意識も違う。年を追って便利になっていく街の人々には、どこかに高揚感がある。元気なのだ。しかしいまの東京に暮らす人は、不便に耐え、「頑張らなくては」と自分にいい聞かせている。そんな世界に流れる空気はやはり暗い。
 日本とアジアを行き来することが多い。30年前は、日本とアジアの格差は歴然としていた。しかし20年ほど前から、アジアの国々が経済成長の階段をのぼりはじめる。日本は常に追われる身だった。日本とアジアの格差は年を追って縮まっていった。
 僕にとってのアジアは、ここ20年、いつもその枠組みのなかにあった。
 今回の震災とは関係なく、元気なアジアと悩める日本人という図式のなかで行き来を繰り返してきた。
 今回の震災は、その構造をより顕著なものにしてしまった。だからよけいに、震災の重みがのしかかってきてしまうのだ。
 上海の日々は快適だ。
 朝、宿のそばの店で1・5元の豆乳と1元の包子を2個買う。50円ほどの朝食である。蒸したての包子を、上海人と一緒に頬張る。
 いまの上海は気候もいい。
 散歩をしたくなるような朝である。
 明日、東京に戻らなくてはならない。
 「頑張ろう」というポスターが溢れる街に帰る。
 ことのほか気が重い。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(1)

2011年04月18日

人が眠る海

 以前、プーケットを津波が襲った後、魚を食べないタイ人が何人かいた。
「なんとなく気持ちが悪い」
 海には津波の犠牲者が沈んでいる。その死体を魚が食べている……。そんな想像力が働いてしまうのだという。
 津波の後、料金が大幅に割り引かれたこともあり、多くの欧米人がプーケットを訪ねた。これが復興につながったが、そのときも、海で遊ぶ欧米人を、タイ人は異星人のようにも眺めていたという。あの海によく入ることができる……と。
 先日、バングラデシュ人と津波の話をしていた。彼らもそういう話を聞いたことがあるといった。インドには津波の後の海に入ると、「引っ張られる」という伝承もあるのだという。
 人類はこれまで、何回となく津波の被害に遭ってきた。科学が進んでも、津波という巨大なエネルギーの前ではひとたまりもない。
 世界各地に残る海の伝説のなかには、実際には津波がベースになっているものも少なくないといわれている。
「海に引っ張られる」という話は、なにも津波だけから生まれるわけではない。戦争に起因した話もある。
 沖縄本島の南部海岸の海には、太平洋戦争の犠牲者が多く眠っている。玉砕の海岸でもあった。いまはビーチなどもつくられているが、そこで遊ぶ人々を、やはり異星人のように眺める沖縄の老人がいるという。彼らにとっては、怖い海なのだ。
 日本人には、東北を襲った津波の後、その海の魚を口にすることを拒む人がいるのだろうか。放射能に汚染された魚の話ばかりが話題になってしまうが、肉親の命を奪ってしまった海を素直に受け入れられない人もいるような気がする。
 美しさをとり戻した東北の海がある。被災者の人々は、そんな海をどう眺めるのだろうかとも思う。
 今回の震災の切なさは、そんな人間的な命と自然の関わりの世界を、原発というものが踏みにじってしまったことだ。人は科学というもので解決できないものを内包している。その感性の世界をヨウ素とかセシウム、冷却、汚染水……といった単語が席巻してしまっている。
 日本人は東南アジアの人々に比べたら、少しだけ科学というものを信奉する度合いが強い気がする。日本人の精神構造をつくりあげたなかで、朱子学の影響が強いからでは……という説もある。だから原発というものにも、冷静に対応しようとする。
 しかし今回の地震と津波で、そういった文脈を超える自然のエネルギーを目の当たりにしてしまった。その世界と原発は相容れない要素をもっている。その折り合いをどうつけるのだろうか。
  

Posted by 下川裕治 at 13:09Comments(1)

2011年04月11日

健全さをとり戻すということ

 震災と津波、そして原発の事故という日本にも、桜の季節がやってきた。
 今年はできるだけ、お花見に出かけることにしている。
 どこか打ちひしがれた気分で眺める桜は、ことのほか美しい。花というものは、そういうものらしい。
 3月11日以来、雑誌や新聞に掲載されるコラムは、震災一色である。
 そのなかで、右寄りといわれている人たちのコラムのテンションが妙に高い。「震災時やその後の停電のなかで商店の略奪がまったくない」という外国のメディアの記事を引用して、日本人の心を評価する。さまざまな場所に義援金箱が置かれ、そこに人々がお金を入れる姿に日本人の心を見る。復興に向けて、日本がひとつになっている……と美しい心を賛美する。
 彼らは久しぶりに、日本人が同じ方向に向かっていることに美しさを感じるようだ。
 花見をはじめとするイベント自粛も、その流れのなかにある。被災者が頑張っているのだから、ほかの人たちの浮かれ騒ぐのは控えようというわけだ。戦前の、兵隊さんが頑張っているのだから……という発想に似ている。
 左寄りの人たちは、ひたすら反原発である。テレビに登場する専門家は、すべて原発推進派だと非難する。
 震災から1ヵ月がすぎ、双方の主張への揺り戻しが起きてきた。自粛ムードに対しては、「こういうときこそ、イベントを行って活気を取り戻すべきではないか」と発言する人が増えてきた。反原発派に対しては、「原発の危険性を唱える前に、なんとか福島第一原発を安全な状態にする方策を」と口を開く。
 日本はようやく、健全な状態に戻りつつあるようだ。いまの日本に覆いかぶさっているのは、精神論や原発の将来ではなく、目の前の復興なのである。
 現実なのである。
 作家の伊集院静が、震災後に書いたエッセイのなかでこう書いていていた。彼は仙台に住んでいる。
「人間の奥にあるものは困っている人がいるから彼等にすぐに手を差しのべることが易々とできるほど単純な構造になっていない」
 その通りだと思う。被災者側のひとりから、こういう発信があると、救われるのである。
 人間にはこういう天災が起きたとき、すぐにボランティアとして現地に駆けつけることができる人がいる。なんのわだかまりもなく、募金できる人がいる。
 しかしなにもできない人もいるのだ。被災者に手を差しのべなくてはいけないことは百も承知だが、できないのだ。愚図といわれてもしかたない。すぐに行動に移すことができる人は、「なんでもいいから体を動かせばわかってくる」という。なにもできない人は、その言葉の前で黙るしかない。
 しかし復興には10年、20年という歳月がかかる。3年後、その復興事業を、愚図といわれた人が支えていたりする。
 健全な社会とはそういうものだと思うのだ。
  

Posted by 下川裕治 at 12:30Comments(2)

2011年04月04日

震災の影響で締め切りが早まる

 海外の街で、コピーをとらなくてはいけないことがときどきある。
 大使館でビザをとるとき、パスポートを預けなくてはいけないことが多い。そのときのために、パスポートのコピーは1枚持つようにしている。しかしビザ申請のために、何枚もコピーが必要になることもある。
 昨年の9月、僕はロシアのアストラハンでオーバーステイ状態になってしまった。オヴィールというビザ登録オフィスで、特別なビザをとらなくてはいけなくなった。こういうときは、何枚もコピーが必要になる。
 アジアでは仕事の資料やゲラなどをコピーすることが多い。アジアのなかで、日本のようにコンビニにコピー機が置いてあるのは台湾ぐらいだ。街にあるコピー屋やホテル、知り合いの事務所でコピーをとらせてもらうことになる。
 受けとったコピーを手に、いつも思うことがある。
 重いのだ。
 10枚ほどのコピーを受けとると、ずっしりとくる。
 自宅には定期的にアジアのフリーペーパーが送られてくる。原稿を書くことが多いからだ。封筒に入ったそれを手にすると、やはりずっしりと重い。
 紙は種類、サイズと重さで表現される。日本のコピー用紙は、A4サイズで1000枚35キロの紙だという。僕の感覚では、タイのコピー用紙はA4サイズで50キロはいっているような気がする。
 紙が重いということは、一般に厚いことを意味している。誰しもコピーや雑誌は軽いほうがいい。しかし紙を薄くしていくと、裏写りを起こしてしまう。裏に印刷された文字が透けて見えてしまい、読みにくくなってしまうのだ。日本の紙は、それだけ優れものということになる。
 たとえば日本の列車の時刻表。タイの紙で印刷すると、とんでもない重さになってしまうはずである。持つのも嫌になる。日本はあれだけ薄くて軽く、裏写りしない紙を開発したのだ。
 やはり日本は技術の国だと思う。
 東北の太平洋岸にあった製紙工場が壊滅的な被害を受けた。ロール状になった大量の紙が海水に浸かり、工場は生産不能なほどの被害を受けた。このニュースを耳にしたとき、一瞬、
「これで締め切りが延びる」
 と思った。紙が不足しているのだから、印刷もままならないはずだ。被害に遭った製紙工場には申し訳ないが、目の前の締め切りに追われる身としたら、ついそんなことを考えてしまうのだ。しかし編集者からこんな言葉が返ってきた。
「いえ、そんなことはありません。紙の確保に手間どるかもしれないので、逆に締め切りは早くなります」
「………」
 3月末の締め切りの本が、まだ半分を残している。今週から缶詰めになる。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(0)