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ナムジャイブログ

2016年02月29日

タイのからくりがまたひとつ……

 タイの鉄道の未乗車区間を乗りつぶしていく旅は続いている。実はこの旅、双葉社が運営する旅のWEBマガジン「タビリスタ」(tabilista.com/)で連載がはじまっている。
 この連載をはじめて知らされたのだが、あるエリアの鉄道をすべて乗ることを「完乗」というのだそうだ。
 1月にはタイのイサンにいた。未乗車区間のひとつは、ナコンラーチャシーマーからウボンラーチャターニー間だった。ケンコーイ駅でウボンラーチャターニーまでの切符を買った。時刻は午前11時頃だった。発券窓口で職員はこういった。
「ウボンラーチャターニーまでは夕方の6時15分発までありません」
 その列車はわかっていた。しかしウボンラーチャターニー着は午前3時半頃になってしまう。たまたま窓口に時刻表が置いてあった。それを指差しながら訊いてみた。
「あの……、12時15分発のシーサケット行きに乗れば、途中で、ナコンラーチャシーマー発のウボンラーチャターニー行きの各駅停車に、乗り継げるんじゃないでしょうか。これなら夜の8時15分には着くかと」
「ほおーッ」
 感心されても困るのだ。日本の列車で鍛えられてきた身としたら簡単な乗り継ぎである。
 そのとき、ある事実に気づいた。
「タイ人は列車に乗るとき、乗り継ぎというものを考えないのではないか……」
 タイ国鉄の職員からしてそうなのだから乗客はまったく考えていない気がする。目的地を窓口で告げ、乗り継ぎなしの列車の切符を買っているだけなのだ。
 なぜタイの列車は気が滅入るほど遅れるのか、という謎もこれで解けてくる。乗り継ぎがないのだから、遅れても……という発想。大きな問題ではないのだ。
 以前、東京に留学したというタイ人と話していたとき、電車の話になった。
「東京の電車はすごく丁寧ですね。1分遅れただけで、お詫びの放送を流すんですから」
 そのときは軽く聞き流していたが、考えてみれば、彼が感心していたのは、少しでも遅れるとお詫びをするということだけだった。
 日本の電車がお詫びの放送を流す理由のひとつは、乗り継ぐ予定の乗客がいるからだ。それに対してのお詫びも、含まれている。
 乗り継ぎという発想を組み込むと、急に運行時間の正確さが要求されてしまう。それが鉄道会社の職員にストレスを生む。しかし、乗り継ぎという概念をとり去ってしまうと、急に職員の表情が緩んでくる。タイ国鉄の職員の顔になるのだ。
 タイのからくりがまたひとつわかった気がした。そのなかでタイ国鉄の「完乗」を目指さなくてはならない。天を仰ぎたくもなる。
  

Posted by 下川裕治 at 18:17Comments(2)

2016年02月22日

カンタン駅にて

 タイの駅が好きだ。
 昔からそう思っていた。バンコクの中央駅であるフアラムポーンを気にいっているという意味ではない。
 地方の田舎駅──。
 そこでベンチに座り、列車を待っている時間が好きだ。
 東南アジアの全鉄道路線に乗るという取材を続けている。これまでもアジアで鉄道に乗る機会が多く、出版社の編集者に、「8割がた乗っているんです」と口にしたことがきっかけだった。「じゃあ、もう少しじゃないですか」と話はとんとんと進んでしまったのだが、いざ、はじめてみると、全路線に乗るということが、どれほど大変なことかわかってきた。幹線ではなく、そこから延びる短い支線ばかりが残ってしまっている。その路線に乗るために、延々と列車に揺られなくてはならない。いったいいつ終わるかわからない取材であることがわかってしまった。
 いま、タイのナコンシータマラート。
 昨日、カンタンからトゥンソンまでの区間に乗った。カンタン支線と呼ばれる54キロほどの路線だ。
 始発のカンタン駅は1日に1本の列車しかない。
 いい駅だった。駅舎はやや濃い黄色に塗られている。駅は掃除が行き届き、駅舎の前には、南国の花々が咲いている。かつては貨物の扱いが多かったようで、大きな秤がいくつも置かれている。レトロな雰囲気が駅舎を包んでいる。
 ホームには、木製のベンチとプミポン国王の写真。ホームの端にあるトイレも清潔で、水洗だった。
 タイの鉄道駅はバスターミナルに比べ、数段、清潔である。運行する本数も少なく利用客も少ないが、鉄道員は、駅舎を清潔に保っている。
 この駅には駅長以下6人の駅員がいた。1日に1便しかない駅にこれだけの人数。タイ国鉄が大きな赤字を抱えることは無理のないことだと思うが、旧態依然とした世界が、駅の清潔さを保っていることも事実だった。駅員には掃除ぐらいしかやることがないといったら、彼らはなんと答えるだろうか。しかしこんな駅員の仕事にちょっと憧れてしまう。
 駅に流れる空気は、古きよきタイということだろうか。急ぎ旅には向かない世界だが、老朽化した車両を洗い、レトロな駅の床を掃き、花に水をまいて、タイの鉄道は保たれている。
「どうしてこの駅は黄色に塗られているんですか?」
 暇そうにしている駅員に訊いてみた。
「駅ができたときから黄色だった」
 タイ人らしい答えが返ってきた。

  

Posted by 下川裕治 at 15:01Comments(2)

2016年02月15日

アマゾンでは本を買わない

 窓の外を春の嵐が吹き抜けている。横殴りの雨がぱちぱちと窓に音を残す。東京は一気に春めいてきた。
 今日、本屋にでかけた。アマゾンのサイトを開くのではなく、本屋に行かなくては……そう思った。
 しばらく前、ある新聞社からのインタビューを受けた。テーマは本棚。自宅の本棚の話をしているうちに、自分で腹立たしくなってきてしまった。
 最近、本を読めないのだ。本を書いている人間が、本を読まない。これは由々しきことだ。理由はいくつかある。
 まず視力。老眼が進み、電車などで本を読むと疲れる。一応、遠近両用眼鏡をかけているが、裸眼のようにはいかない。
 仕事も忙しい。毎月、20本近い締め切りに追われている。そこに本の原稿を書く仕事が重なっている。取材の旅もそこに加わってくる。この年になって、仕事があることに感謝しなくてはいけないのだろが、本を読む余裕がない。
 老眼とはいえ、電車のなかで本を読めないわけではない。しかしいつもメールに翻弄されてしまう。できるだけ自宅ではメールを見ないようにしている。ネットをつなぐと、仕事が進まないからだ。勢い、電車のなかでメールをチェックすることになってしまう。
 出版界で若者の本離れが話題になって、もう何年もたつ。本代にまわるお金が、携帯電話やネットの通信費に奪われてしまったといわれた。たしかに、その一面はあるが、それ以上に彼らには時間がないのだと思う。電車のなかで本を読む暇などないのだ。ラインの返信はしなくてはならない。フェイスブックもある。メールは次々に届く。ぽんとタッチするとゲームの誘惑が待ち構えている。
 僕も、その流れのなかに巻き込まれている。しかし僕は本を書いているのだ。やはりこれはまずい。
 本屋に行ったのはそのためだった。
 ターミナル駅の大型書店に入った。ほしい本は1冊あったが、もう1冊は品切れになっていた。アマゾンではすぐに買うことができるのだが。
 1冊の本を手にレジに並ぶ。先頭にいた老人が、「どうして、本の注文を受けられないのか」と延々と抗議を続けている。昼間の書店は老人が多い。
 本を探しながら、書店を歩くと、懐かしい時間が戻ってくる。以前、僕はこうして本を買っていたのだ。
 1週間に1冊の本は読む。
 アマゾンでは本を買わない。
 書店には週に1回は行く。
 自分自身を保つために、自らに課せようと思う。
  

Posted by 下川裕治 at 16:30Comments(3)

2016年02月08日

マニラ……大丈夫そうですね

 ここ数年の傾向だが、中国の春節と国慶節の時期は航空券がとりにくい。中国発着便はもちろんだが、世界的に混み合う。
 飛行機の席がとりにくいときの旅行は避ける──これは快適な旅をするための原則だと思う。そういう時期はどこへ行っても混んでいるから、いいことはなにもない。
 日本人の感覚では、日本の連休や夏休みといった時期が、思い浮かぶかもしれないが、世界規模で考えれば、それは大きな混雑ではない。旅のスケジュールをつくるとき、中国の休日は頭のなかに入れておいたほうがいい時代である。
 中国ばかりではない。統計によると、観光客は地球レベルで増えている。日本にやってくる観光客の増加がしばしば報道されるが、ほかの国も増えている。とくにアジアにその傾向が強いという。LCCの功績もあるだろうが、やはりアジアの生活レベルがあがっているということだろう。それぞれの国に長い休日はある。それをすべて念頭に置くことなどできない。飛行機の混み具合から推し測っていくことだろうか。
 以前、それを教えてくれたのは旅行会社だった。毎日、航空券を売っている人たちはある勘が身についてくる。運賃の不自然な動きや、残席数から混み具合を予測してくれたものだった。
 ネット予約の弱いところでもある。予約サイトを運営している人たちは、混み具合の動きがわかっているのだろうが、それを伝えるツールがない。どこかの会社が飛行機やホテルの混雑予測サイトのようなものをつくったら、重宝するような気もするのだが。
「マニラですか。見てみますね。大丈夫そうですね」
 週末、マニラに行っていたが、その航空券を買ったとき、旅行会社のスタッフとこんなやりとりがあった。最近、旅行会社から航空券を買う回数が増えている。電話をする前に一応、検索はする。スカイスキャナーあたりで調べ、安い運賃を提示しているところが航空会社ではなく、旅行会社だったら、懇意にしている旅行会社と連絡をとる。航空券を販売する会社はネット専門か、電話でも対応してくれところに分かれる。どちらも運賃に大差はない。
 ネット予約よりも旅行会社……。その背景には、LCCより安い運賃を、既存の航空会社が打ち出してきていることもあるのだが。
 日曜日の午後便で帰国した。使ったのはフィリピン航空。一番安かったからだ。マニラ空港の離陸が2時間半近く遅れた。
「北朝鮮のミサイル?」
 待合室ではそんな会話が聞こえてきた。その日、北朝鮮のミサイルが発射され、沖縄上空を通過してフィリピン上空……。航空会社の説明は、到着便遅れとマニラ空港の混雑ということだったが。
  

Posted by 下川裕治 at 15:39Comments(2)

2016年02月01日

列車バー

 信州に向かう列車のなかで、ぼんやりとビールを飲んでいた。車窓には雪景色が広がっている。今晩は雪だろうか。明日の朝は雪かきが待っているのかもしれない。
 つまみは新宿駅のキオスクで買った「柿の種」である。ぽりぽりと噛んで、またビールをひと口。
 こんな時間が好きだ。
 最高のバー……と訊かれたら、「列車」と答える。性格が暗いのかもしれないが、人と酒を飲むことが苦手だ。気を遣ってしまうからだ。そういいながら、人がいないと寂しくなる。人間嫌いの人恋し。つまりはそういうことなのだ。
 こういうタイプの人間は列車がちょうどいい。見ず知らずの客だが、ときに、そんな人を肴に酒を飲むこともある。
 タイの列車で、酒を飲むことができなくなった。知ったのは昨年の夏だった。マレーシアのバターワースからバンコクに向かう列車に乗ったときだった。車内に貼られたステッカーが目に止まった。「酒を飲むことも、売ることもできない」と書かれていた。
 列車がバタンベサールの国境駅に停車しているとき、車掌に訊いてみた。
「まだ、タイに入っていないので、いまのうちにがんがん飲んでください」
 そういうことを訊きたかったのではなかったのだが。イスラム色の強いマレーシアでがんがん飲めといっても……。タイ人らしい反応に、苦笑いしてしまった。
 タイは宗教的な問題もあり、飲酒を忌み嫌う傾向がある。タイ人の多くが、日本では小乗仏教という人が多い上座部仏教を信仰している。そのなかで酒は平常心を乱すものとされている。その影響だと思う。飲酒はよくないことなのだ。それにしてはよく酒を飲むと思うが、列車の車内が禁酒になっても、それに反対の声を挙げる人はいないのだろう。
 自著でも紹介しているが、昨年、シンガポールで酒に関する新しい法律が施行された。公共の場所では夜の10時半からビールを飲むことができなくなった。ホーカーズという屋台村が公共の場所か……という論争が起きた。この法律がつくられた原因のひとつは、リトルインディアで起きたトラブルだった。彼らは皆、酒を飲んでいた。シンガポールに限らず、酒と暴力をすぐに結びつけてしまう国は少なくない。背後にあるストレスを棚あげして、酒を悪者にする論理だ。
 以前、上海に暮らす日本人が東京にやってきた。彼の希望は昼から酒を飲むことができる店だった。
「上海でも昼酒はできるんですが、なにか雰囲気が違うんです」
 ふたりで浅草に行った。午後3時だというのに居酒屋は賑わっていた。
 日本はストレスのない社会なのか。そんなことはないとは思うのだが。
  

Posted by 下川裕治 at 16:36Comments(2)