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ナムジャイブログ

2019年10月28日

民度の高まりという怖さ

 中国の地方都市を歩いてきた。上海を出発し、武漢、宜昌、奉節、重慶、宜賓、そして成都。歩きながら、中国の富にある種の怖れを感じていた。
 いまさら中国の経済力の話と思うかもしれない。しかし僕は中国の富に危うさも感じていた。中国沿岸部という特定のエリアが発展する背後には、地方の貧困があった。それに支えられた発展だった。沿岸部に比べると、地方の民度は低かった。中進国と途上国ほどの違いがあった。やがてこの格差が中国の足を引っ張っていく気がしていた。
 しかし地方の暮らしも確実に底あげされていた。
 服装が変わった。人民服風の洋服を着た農民はもういない。女性は年をとってもおしゃれになった。
 重慶の夜。信号のない横断歩道を渡ろうとすると、車がぴたッと停まった。こんなことはないのが中国だった。街も清潔になった。宜賓の街の雑貨屋でビールを買うと、「ありがとう」という笑顔が返ってきた。成都駅で列車の切符を買おうとした。発券窓口には横入りを防ぐ柵がもうなかった。皆、きちんと列をつくっている。職員の威圧的な態度だけは同じだったが。
「中国の場合、それが公安の指導か、自発的なものかが問題なんです。上海も一時、横断歩道で停まらない車から罰金をとった。それで停まるようになった経緯がありますから」
 上海に戻り、在住日本人にその話をした。彼はそう指摘した。たしかに中国はその傾向がある。しかし地方都市で体験した民度には、公安の指導だけではできないこともいくつかあった。
 中国の体制を、中国共産党は特色ある社会主義とか特色ある民主主義という。しかし社会主義の根幹である土地の国有化は、実質的には崩れている。国営企業は見る影もない。結局、残っているのは、共産党の一党独裁体制だけだ。しかし社会主義という大義を捨てれば、開発独裁型体制として十分に機能したということになる。建国70年をそうとらえる人もいる。
 中国はその長い歴史のなかで、国レベルの直接選挙を体験したことがない。その視点で眺めれば、中国共産党体制をひとつの王国とみる識者もいる。70年という年月は、中国の歴史のなかではまだ短い。
 しかし開発独裁型という体制や王国という概念では、説明しづらい民度の高まりということになると、中国人がもっていたポテンシャルなものに頼るしかなくなってくる。
 中国の実力という話になるのだ。だから怖さがつきまとう。民度の高まりと中国共産党の一党独裁体制はやがて乖離していく。民族や家族、宗教といったものへの扱いに社会主義は稚拙さを晒す可能性がある。香港や台湾への対応にしても、中国の発想のなかにあるのは、植民地時代という古めかしい体制のような気がするのだ。年を追って豊かで便利になる生活はやがて失速する。そのときの羅針盤がいまの中国にはない。

【告知】
■「“読まれる旅行記”の書き方」講座は11月12日。詳細はhttps://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01quvz10ixmk1.html
■“旅情報ノート”クラブの内容は、以下のサイトで http://www.arukubkk.com/
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=タイの国境旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=台湾の秘湯シリーズがはじまりました。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
  

Posted by 下川裕治 at 15:38Comments(0)

2019年10月21日

東京で「“読まれる旅行記”の書き方」講座

 バンコクで、「書き方講座」を長く続けている。バンコク在住の日本人が対象だ。駐在員やその奥さん、タイで働いている人、ロングステイ組とさまざまだ。タイ人と日本人のハーフという人もいた。
 バンコクに限らず、海外に住んでいる人はブログやフェイスブックなどで、情報を発信している人が多い。日本との違いや、海外に住んでいるからこそ見える日本。そんな話を皆に読んでもらいたいという思いからだ。
 では、どう書いたら、多くの人が読んでもらえる内容や文章になるか。教えてもらえないだろうか。
 そんな話が、「書き方講座」が開講したきっかけだった。僕自身、卓越した文章家とも思っていない。唸るようにうまい人はたくさんいる。しかし60歳を過ぎ、これまで100冊以上の本を書いて得てきたものを、できるだけ提供したいとう思いはあった。やってみることにした。ペースは月に2回。仕事でバンコクに行くことが多いから、その日程を利用して開講日を決めていった。
 基本は添削講座である。講座のなかで、文章を書く上でのポイントを伝え、そのテーマで原稿を書いてもらう。それを僕が添削するという流れだ。
 自分自身の仕事が忙しく、バンコクでの講座が負担になるときはしばしばある。しかし受講する人たちが、頑張って書いてきた原稿を前にすると、直す赤いボールペンにも力が入る。
 センテンスを短くすること。これは受講する人たちによくいうことだ。
 僕が駆け出しのライターだった頃、書きあがった原稿をもって編集部に出向いた。メールがない時代だった。ある編集部の副編集長は、僕を隣に座らせ、原稿に赤字を入れていった。原稿用紙、1枚を見終わると、それを僕に手渡してくれる。それを僕はなめるように見る。こうして僕は文章というものを身に着けていった。直された点のひとつはセンテンスを短くすることだった。
 そういう内容をひとつ、ひとつ講座では伝えていった。そして自分が書いたブログをときどき送ってくれる。
 何回か繰り返すうちに、皆、着実に原稿がうまくなっていく。
 その講座を日本でやらないかといわれた。躊躇したが、日本にも、自分の原稿をもっと面白く、読みやすくしたい人はいる。なかには本にまとめたい人もいるだろう。
 いま、日本の出版社の編集者は、常にさまざまな人のブログやフェイスブックをチェックしている。そのなかで面白い人に連絡をとることも多い。そんな文章をどう書くか。まず日本で1回、講座を開くことにした。
 11月12日である。
 詳しくは、
 https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01quvz10ixmk1.html

■“旅情報ノート”クラブの内容は、以下のサイトで http://www.arukubkk.com/
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Posted by 下川裕治 at 11:17Comments(0)

2019年10月14日

月明かりの怖さ

 台風19号が東京を襲った。静岡の南の海にその中心があったとき、気圧は915ヘクトパスカルだった。
「これは強いな」
 と思った。僕の台風判断は沖縄流である。いや宮古島流といったらいいだろうか。
 僕は沖縄の宮古島でずいぶん、台風に鍛えられた。彼らの判断基準は、930ヘクトパスカルだった。これを下まわると強い台風、上まわると並みの台風ということになった。
 気象庁がどんな判断基準をつくっても、彼らは動じなかった。経験則といえばそれまでだが、彼らの予測はみごとに当たった。
 最近の日本は、大じかけの台風対策が発表される。電車は前日に計画運休を公表する。コンビニチェーンは、本部の指示が行き渡って休業。そういう空気のなかでは休業が当然のことになり、ほとんどの店がシャッターをおろした。
 災害を防ぐという観点からみれば当然のことなのかもしれないが、一斉にシャッター通りになっていく様に悩んでしまった。
 まだ台風が襲来する前、妻に頼まれて近くのスーパーに出かけた。すごい混雑だった。皆、数日分の食料を買いだめするかのような勢いだった。
「台風って半日ぐらいで通りすぎるんだけどなぁ」
 レジにできた長い列に並びながら呟いてしまう。こういう反応は不謹慎なのかもしれない。災害に見舞われたとき、苦労するタイプなのだろう。しかし目の色を変えて、カップ麺を買い漁る姿を見ると、やはり悩んでしまうのだ。
 夜、東京は大荒れになった。上陸したときは、945ヘクトパスカルまで弱まっていたと思うが、雨と風は、最近、あまり経験しない強さだった。
 しかし夜の11時になると、突然、風雨が止まった。弱まったのではない。台風一過のような静寂が訪れた。30分ほど待った。風雨はもうやってこなかった。不思議な台風だと思った。夜の街を歩いてみた。道は掃き清められたかのようだった。見あげると、満月に近い月がくっきりと浮かんでいた。月の光は静謐だった。家から歩いて5分ほどのところにある妙正寺川を眺める。水位は低く、流れる水が月あかりを反射していた。
 この頃、日本各地で増水した川が氾濫していた。
 怖いと思った。人々は台風に備え、食料を買い込み、家に引きこもっている。店はシャッターを固く閉じ、街に人はいない。そのなかで川の水が住宅街に流れ込んでいく。
 災害の予防とはこういう状態をつくりだすことなのだろうか。
 月明かりのなかで、また悩んでしまうのだった。

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Posted by 下川裕治 at 16:03Comments(1)

2019年10月07日

“旅情報ノート”クラブといういいわけ

 このブログは、週1回の配信を原則にしている。日曜日に書くことが多い。ところが先週、すっぽりと穴をあけてしまった。バングラデシュのコックスバザールにいた。ネットやパソコンの不調といった物理的な理由ではない。単純に忘れてしまったのだ。
 気づいたのはバンコクに戻る飛行機に乗るときだった。木曜日の晩である。
 バングラデシュにいたのは、僕が運営にかかわっている現地の小学校修復の下準備をすることだった。クラウドファンディングで寄付をいただいたお金の一部を持参した神経を使う学校での会議が続いた。そのため? などと考えてみる。年齢を考えて不安にもなった。いちばんは休日の違いかとも思う。イスラム教を国教にするバングラデシュの学校は、金曜日と土曜日が休み。日曜日はただの平日……。
 いいわけに過ぎないか。
 バンコクでは、ひとつの打ち合わせがあった。僕は『歩くバンコク』というガイドブックの製作にかかわっている。掲載するバンコク情報の質が、この種の本の価値を決める。そこで“旅情報ノート”クラブをつくることになった。
 旅情報ノート……。ネット時代に入る前、タイを旅した世代には懐かしい響きがあるはずだ。安宿の共有スペースには、1冊のノートが置かれていることが多かった。そこには宿に泊まった人たちが、自分たちが得た情報を書き綴られていた。日本人が多い宿では、その種のノートを“旅の情報ノート”と呼んでいた。
 内容はさまざまだった。安くていい味の食堂情報もあれば、路線バスの乗り方指南もあった。なかには旅に出た心境を数ページにわたって書き込む旅人もいた。
 すべて手書きだった。宿にこのノートがあればさまざまな情報が手に入った。Wi-Fiを拾い、ネットにつなぐ心境だろうか。
 ネットと旅の情報ノートはなにが違う。突き詰めると、日本でも手にすることができるかできないか……のような気がする。見る人の心理はかなり違う。現地の空気やにおいのなかではじめて目にする情報──。
 このクラブでは、バンコクを中心にするエリアへ、僕と一緒に向かうマイナーなツアーも企画している。
「バンコクに行かないと参加できないんでしょ。日程が合わないかもしれないし。どれだけの人が会員になるの?」
 耳に痛い批判を浴びながらも、ツアーをはじめようと思う。その発想には、旅の情報ノートにあふれていた旅があるような気がするのだ。現地の空気のなかではじめて手にする情報のように。僕がバングラデシュでブログを書くことを忘れてしまったように。
 やはりいいわけか。

 “旅情報ノート”クラブ詳細
  http://www.arukubkk.com/

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=台湾の超秘湯の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまも続いています。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
  

Posted by 下川裕治 at 15:24Comments(0)