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ナムジャイブログ

2013年03月25日

ひとりお花見の春

 東京の桜はいまが満開である。僕がかかわっている事務所では、台湾人向けの日本紹介サイトを運営している。そこでお花見ツアーを企画したところ、何人もの応募があった。予定は来週なのだが、その頃には桜は散り、葉桜になってしまうかもしれない。
 桜が咲く期間は短い。そんな桜事情を、わざわざ台湾からやってきた人たちはわかってくれるだろうか。
 桜に求める日本人の美意識は、咲く期間の短さにも根ざしている。一斉に咲き、ぱっと散る。その間、艶めかしい風が花の間を吹き抜けていく。しかし散り際は潔く、それが生きざまに重なっていった。
 しかしそれは、アジアから眺めれば、「日本人の負け惜しみ」にも映る。本当は花房がもっと長く枝に留まってほしいのだが、いとも簡単に散ってしまう。その悔しさを人生に置き換えたようにも思う気がする。意地っ張りの民族なのだ。
 僕はたまに、自転車に乗って事務所に出向くことがある。春の陽気と桜の開花に誘われて、3日前、ペダルを漕いだ。途中に2ヵ所ほど桜の名所がある。
 桜は七分咲きといったところだった。コンビニでお茶と焼きそばを買って神田川沿いのベンチに座った。西武線の下落合駅の近くである。満開にはまだ何日かある平日ということもあって、周囲にお花見客は誰もいなかった。ひとりお花見にはちょうどいい。
 桜は光を求めて枝を張っていく。神田川の流れの上に枝が伸びていた。
 昔はよく、お花見の声がかかった。僕はある新聞社に入社したが、最初の仕事は、上野公園でお花見の場所を確保することだった。同期の新入社員と一緒にシートを運び、適当な場所に敷くと、もうなにもすることがなかった。シートの上に寝転びながら桜を眺めていた。これで給料がもらえるということが不思議だった。
 景気のいい時代だった。皆、テンションも高かった。花見は春のイベントのような雰囲気をもっていた。営業マンは、取引先の会社が開く花見をかけもちでまわっていた。
 会社を辞め、ひとりで仕事をするようになった。景気も後退し、若者はあまり酒を飲まなくなった。花見の席も減り、最近では、ひとりで桜を眺めることが多くなった。年をとったということかもしれない。
 不満はない。桜の花は、僕の情況などお構いなしにみごとな花をつける。花があれば満足である。
 明日、僕は成田空港から飛行機に乗る。北京をまわり、バンコクに向かう。帰国する頃は、桜も散ってしまっている。
 春宵一刻値千金とは、つまりそういうことをいっているのかもしれない。桜が満開の東京で、そんなことを考えてもみる。
  

Posted by 下川裕治 at 15:18Comments(0)

2013年03月18日

中洲でじゃんけんの時代

 九州に行ってきた。ある雑誌から、総費用1万円の旅という企画の依頼を受けた。安いLCCに乗り、九州内はバスや各駅停車で移動していく。当然、日帰りである。
 最後は博多だった。なんとか行程を終え、空港に向かうまで、中洲の公園にいた。橋の欄干に身を預けながら那珂川を眺めていた。
 20年以上前、やはりこうして那珂川を眺めていたような記憶がある。当時、僕は週刊朝日のデキゴトロジーというコーナーを担当していた。
「中洲のクラブに、じゃんけんでは絶対に負けないママがいる」
 そんな情報が寄せられた。デスクの、「面白い」のひと言で、博多に飛んだ。することは、ママとじゃんけんをするだけである。
 ママは確かに強かった。5回じゃんけんをして勝ち負けを決めるルールだった記憶がある。1回か2回、勝つことはあったが、5回戦ではことごとく負けた。何回やって勝てなかった。
 その晩は博多に泊まった。ベッドに横になり、じゃんけんのシーンを思い浮かべる。ママは僕のなにを見ていたのだろう。どこかの瞬間、僕の癖を見抜いたのだろうか。答はみつかりそうもなかった。
 バブリーな時代だった。飛行機代と宿泊代で10万円以上はかかった気がする。当時、国内線の飛行機は安くはなかった。そのクラブの壁には、東京からの搭乗券の半券がぎっしりと貼られていた。九州出張に飛行機を使うことはステイタスでもあった。
 今回の取材は、博多ラーメンのルーツを探るというテーマがあった。その資料のひとつに、玉村豊男が書いた『食の地平線』という本があった。彼は長崎ちゃんぽんのナルトにこだわり、九州や四国を歩いている。当時、冷やし中華にナルトを載せるか、載せないかという論争があった記憶がある。ナルトを載せることを支持する人たちは、ナルト学派と呼ばれた。
 そんなサブカルチャー的な話題がもてはやされた時代でもあった。やはりバブルの時代だった気がする。いまの日本人に、ナルトをめぐって論争する余裕があるだろうか。
 時代はめぐったらしい。航空券のデフレの波は止まらず、九州往復が1万円を切るようになってきた。出張にLCCを使うサラリーマンも増えてきた。それぞれの興味で日本を旅するシニアも増えている。
 しかし意識はもう戻ることはない。いまの日本人は、じゃんけんが強いママやナルトにこだわる人たちを面白がることができるのだろうか。それなりに笑うのかもしれないが、その瞳のなかに、「だからなんなの?」という醒めた部分が横たわっている気がする。社会の活力を左右するものは、笑いの奥に潜んでいるもののようにも思う。
  

Posted by 下川裕治 at 12:50Comments(0)

2013年03月11日

花粉靄のなかの登山

 バンコクから帰国すると、東京は冬から春に変わっていた。10度台後半の気温は、ことのほか心地いい。
 タイを中心にした東南アジアを訪ねることが多い。やはり暑い。夜は寝苦しい。
 冷房をかけたり、消したりする夜をすごすことになる。いつも思うことだが、東南アジアでの夜の眠りは浅い気がする。それを補う昼寝ということなのかもしれないが、最近の東南アジアでは、昼寝もままならないような生活習慣が広まりつつある。
 そんな国から日本に帰る。いまの季節は、よく眠ることができる。夜なかに起きることがない。熟睡というやつだ。今回はバンコクから北京経由で帰国した。バンコクと北京の間は夜行便になる。やはり寝不足だったのだろう。日本に帰った夜、昏々と眠り続けた。
 春眠暁を覚えず。
 そんな眠りだった。
 しかし最近、春の眠りを味わうことができない日本人が増えている。花粉症である。スギ花粉のアレルギーで、目が痒く、くしゃみや鼻水が止まらなくなる。夜もよく眠ることができない。
 幸い、僕の体は、スギ花粉に鈍感にできているらしい。だから、というわけではないのだが、今日、奥多摩の御岳山にでかけた。
 すごい花粉の量だった。御岳山はケーブルカーで登るのだが、その窓から、舞う花粉が見える。白い筋をつくり、山から下っていくのだ。登山道の周りも、うっすらと黄がかかっている。花粉靄という言葉はないと思うのだが、まさにそのなかを歩くことになる。この花粉が、東京の人たちを悩ませていることになる。
 山を歩く人もマスクをする人が多かった。しかしこの時期、山にやってくる人は、花粉症というわけではない。花粉症の人なら、息もできなくなってしまうという。重症の花粉症患者は、自宅の窓をぴたりと締め、息を潜めるようにして、休日をすごしているのに違いない。外出などできないのだ。
 スギ花粉症の原因はわかっている。スギの植林を進めすぎたのだ。1種類の樹木を一斉に山に植えると、こんな事態を生むことを日本人は知らなかった。
 日本はいま、中国からの黄砂にも悩んでいる。これは中国の黄土高原の砂が巻き上げられ、風に乗って日本にも降りかかってきているのだ。その一因は、木を切りすぎたことだともいわれている。
 人類はやはり愚かなのだろう。自然に手を加えていくと、さまざまなしっぺ返しを食らってしまうのだ。
 少なくとも、かなりの日本人は、スギの植林で春眠を奪われてしまった。この時期、山に登ることができるということは、きっと幸せなことなのだろう。

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Posted by 下川裕治 at 13:03Comments(0)

2013年03月06日

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Posted by 下川裕治 at 01:33Comments(5)

2013年03月04日

日本への帰国を決めた女性たち

 チェンマイのゲストハウスで、ひと組の家族を目にした。30代に見える夫婦と4、5歳の娘がひとり。子供は父親と一緒にプラスチック製のおもちゃで遊んでいた。その横で、母親がスマホを一心に見ている。
 子供の会話が耳に届いた。日本語だった。父親はタイ人で、「だめ」とか、「できた」といったカタコトの日本語を話していた。
 こんな光景をときどき目にする。タイだけではない。アジアの街でよく見かける。
 家族の暮らしを想像してみる。夫婦の会話は日本語と現地語なのだろう。しかし妻の現地語に比べると、夫の日本語はうまくない。母親と娘の会話は日本語に染まっている。夫の存在感は薄い気がする。
 タイ、マレーシア、カンボジア、ラオス……そんな国々で目にする、日本人女性と現地男性の家族にはそんな傾向が強い。
 理由は簡単明瞭かもしれない。男たちの経済力は貧弱だ。一家の生活は、妻の収入にかかっている。つまり、その家では、妻の存在感が圧倒的なのだ。
 しかし経済的には頼りにならない男たちにも、いいところはある。優しいのだ。子供の面倒をいとわず、料理もつくる。洗濯だってしてくれる。まあ、言葉は悪いが、ヒモ的な要素を備えた男たちだといっていい。
 このエリアにも、経済的に頼ることができる男はいる。しかしその多くが中国系だ。となると家が尊重される。夫の両親は絶対で、親戚づきあいが煩わしい。
 知人が日本に帰る飛行機のなかで、ひとりの日本人女性と会った。幼い子供をふたり連れていた。そして3人目を身ごもっていた。ところが彼女は、タイ人の夫と離婚し、日本に帰る途中だったのだ。
「大変ですね」
 知人の言葉にその女性は、あっけらかんとした顔でこう答えたという。
「タイにいても、私の収入だけで生きていたから同じですよ。日本にいい仕事がみつかったんで帰ることにしたんです」
 頼りにならない男は、女性をたくましくするということなのだろうか。
 僕の周りを見ていても、子供ができ、小学校に入るような年齢になると、日本に帰る女性が多い。離婚に踏み切る女性もいるが、夫も一緒に日本にいく家庭もある。どちらの国にいても家庭を支えるのは女性である。
 日本の経済環境が暗転し、専業主婦は望めない時代になりつつある。夫の収入にだけ頼っては生きていけないのだ。
 その先をゆくのが、アジアで家庭をもった女性たちなのだろうか。
 アジアの男性との結婚を選んだ女性たちのなかには、日本の閉塞感に息を詰まらせていた人が多い。しかしその結果、アジアでたくましさを身につけ、日本に帰る。これをどう考えたらいいのだろうか。

  

Posted by 下川裕治 at 11:17Comments(1)