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ナムジャイブログ

2014年01月27日

基礎代謝が高い国のたべっぷり

【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、シュムリアップ、プノンペンを経てホーチミンシティ。そしてバンメトート。そこからダナンで乗り換え、ハノイへ。
     ※       ※
 バンメトートを出発したバスは、朝の7時30分にダナンのバスターミナルに着いた。ターミナルには、数十台のバスがずらーと並んでいた。そのなかから、ハノイ行きを探し出す。正午に出発するバスの切符を買った。翌朝にはハノイに着くという。
 ダナンを発車したバスは、まもなくハイバン峠にさしかかる。列車でこの峠を越えるときは、車窓に海を見下ろす景観が広がるのだが、バスはトンネルを通る。なんだか味気ない峠越えだった。バスは北緯17度を超え、北へ、北へと国道1号線を進んでいく。
 夕方6時、バスは国道沿いの食堂の前で停まった。ベトナムの寝台バスは土足厳禁。食堂が用意してくれたサンダルを履き、テーブルにつく。ベトナムの夜行バスは、夕食代がバス料金に含まれている。
 乗客たちがテーブルを囲むと、店員が次々におかずを運んできてくれる。野菜炒め、焼いた魚、卵焼き、肉料理、スープ……。皿がテーブルを埋める。そして店員がボウルにいっぱいのご飯をもってくる。
 バンメトートからの夜行バスでも、この夕食を体験していた。
 乗客同士は知り合いでもないから、それほどの会話はない。しかし、「あうん」の呼吸がテーブルを支配し、ご飯をよそう人が決まっていく。隣の男性からご飯が盛られた器がまわってきた。
 なんだか家族で夕飯のテーブルを囲んでいる気分なのである。向かいに座った男性が卵焼きを分け、僕のご飯の上に載せてくれる。ひとりのご飯茶碗があくと、近くの人がさっとよそってくれる。
 なんだかうれしくなってくる。僕とカメラマンは、このバス唯一の外国人だった。言葉も通じない。しかし乗客は、物怖じひとつせずに、料理をご飯に載せてくれるのだ。
 僕はご飯を1杯食べ終え、箸をおいた。すると、斜め左に座っていた若い女性が、「もっと食べなさい」といったそぶりでご飯茶碗をとり、ご飯をよそってくれた。日本にいてもこんな風に、若い女性からごはんよそってもらったことなどほとんどない。いや、1回もないかもしれない……。
 しかし皆、みごとな食べっぷりだった。男性はご飯3杯があたり前。若い女性たちも平気で2杯はたいらげる。
 日本を思っていた。若い女性は、皆、こぞってダイエットである。1回の食事で、ご飯を2杯食べる女性がどれだけいるだろうか。
 やはり国全体が若いのだろう。皆、大量のエネルギーを発散させながら生きている。基礎代謝が高い国……。そんな空気が伝わってくる。高齢化社会の澱んだ空気のなかからベトナムにやってくると、勢いの違いを食堂のテーブルで味わうことになる。
 バスは翌朝、まだ夜が明けないハノイの街に着いた。(以下次号)

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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。

  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(0)

2014年01月20日

雑魚寝バス旅が待っていた

【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、シュムリアップ、プノンペンを経てホーチミンシティ。そしてバンメトート。そこからハノイをめざした。
     ※       ※
 ベトナム中部のバンメトートからハノイをめざした。そこで南北に長いベトナムの規模を実感することになる。
 バンメトートは鉄道とは無縁の街だから、北上するにはバスしかなかった。路線も限られてくる。北上するには、ダナンに出るバス便がいちばん多かった。問題はその先への接続だった。しかしいくらバンメトートの人に訊いても、「その先はわからない」という答が返ってくるだけだった。
 理由はベトナムの長距離バスのシステムだった。バスを数台もっている規模の会社が乱立している状態で、その会社のことしかわからないのだ。バスターミナルには、ずらりと窓口が並んでいるが、それは行き先別ではなく、会社ごとにブースをもっているだけのことだった。タイもその傾向がある。しだいに乗り継ぎの情報もつかめるようになってきてはいるが。
 先のことはわからなかったが、とにかくダナンまで出るしかなかった。
 マイリンという会社の夜行バスに乗った。ホーチミンシティなどではタクシー会社として知られている。切符を買ったとき、ベッドの指定はあったのだが、車掌に案内されたのは、最後部の上段だった。5人分のスペースが横につながっている。
「外国人へのお・も・て・な・し? これ以上乗客がやってこなかったら、すごく快適なんだけど……」
 同行するカメラマンと顔を見合わせた。
 ベトナムの長距離バスの多くは寝台バスだった。通路が2本あり、ベッドが3列、2段で並んでいる。背は150度ぐらいまで倒れる設計である。足は前席の背の下に突っ込む体勢になる。これが問題だった。バスがブレーキをかけると、自然に体が前方にずれ、足の先がぶつかって目が覚めてしまうのだ。
 しかし最後部の2階ベッドは、前の席との間にスペースがある。足を思い切って伸ばすことができた。5人分のところにふたりなのだから、左右にも余裕がある。
 快適な2時間がすぎた。乗客全員での夕食を食べてバスに戻ると、そこに若い男が3人座っていた。5人用スペースが満席になったわけで、文句もいえない。しかし最後部の座席は通路分のところにもベッドがつながっている。つまり5人で雑魚寝状態になってしまうのだった。
 ベトナムはそう甘くない。
 朝方にダナンのバスターミナルに着いた。あまり眠れなかった。睡眠不足になる夜行バスは数え切れないほど体験しているが、バス内雑魚寝ははじめてだった。
 59歳の体にはこたえる。(以下次号)

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2014年01月13日

ベトナム国営ホテルはゲストハウスより安い

【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、シュムリアップ、プノンペンを経てホーチミンシティに。そこから北上を開始する。
     ※       ※
 ベトナム中部のバンメトートで、一軒のホテルに泊まった。メイン通りに面した、ごく普通のホテルに見えた。高級ホテルではないが、ゲストハウスでもない。まあ、中級ホテルの趣である。
 フロントで値段を訊いた。ベッドふたつの部屋が、16万ドンだった。日本円にすると、約800円。フロントの女性は、
「安すぎるでしょ」
 といって笑った。
 部屋に入った。エアコン、お湯のシャワーに無線ラン、テレビ。一応、全部がそろっている。
「これで16万ドンはたしかに安いよな。でもホテルのスタッフが、自分から安いっていうだろうか」
 ホーチミンシティのデタム通り界隈のゲストハウスでも、最近は20万ドンの部屋を探すのは難しくなった。30万ドンという値段も珍しくない。
 たしかにホーティミンシティとハノイの物価は高い。しかしそんな地方との格差を差し引いても、バンメトートのホテルは安すぎるのである。
 このホテルは漂うある空気があった。
 翌朝、街に出ようとフロントに鍵を預けに行った。スタッフの女性はカウンターの上に小さな自分の子供を乗せて、朝食を食べさせていた。やはりそうだった。
 公私混同。アジアのゲストハウスではよく目にした。そしてもうひとつ、公私混同が激しいホテルがあった。国営ホテルだった。中国やロシア、中央アジアの国々では、旧国営ホテルにときどき泊まる。そんなホテルしかない街も多い。その種のホテルに流れる空気はいつも緩んでいた。ぴりっとしていないのだ。民間資本のようなサービス業への厳しさがない。
 このホテルは部屋数は多いのだが、閑散としていた。5階建てだったがエレベーターはなく、階段の踊り場脇には会議室があった。もちろん、なにも使っていなかったが。
 そして仕切りはあったが、1階にはベトナム航空のオフィスが入っていた。ベトナム航空は国営の航空会社である。
 しかし国営ホテルが、ゲストハウスより安いというところが、ベトナムらしいところだった。
 ベトナムは不思議な国である。サイゴンが陥落し、社会主義の国になった。しかし10年ほどで経済は破綻し、ドイモイ路線に舵を切る。そのとき、ホーチミンシティの一部の人は「元に戻った」と直感した。つまり社会主義が定着しないまま、開放路線が進むのだ。しかし政府は、私有財産の否定、一党独裁、計画経済といった社会主義を放棄したわけではない。それがゲストハウスより安い国営ホテルを生み出した気がする。
 ベトナムでは、国営ホテルは狙い目かもしれない。おそらくホテルの予約サイトからはみつからないと思うが。(以下次号)

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Posted by 下川裕治 at 09:57Comments(0)

2014年01月06日

コーヒーの花はまだ咲いていなかった

【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
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 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、シュムリアップ、プノンペンを経てホーチミンシティに。そこから北上を開始する。
     ※       ※
 ホーチミンシティから、ベトナム中部の高原地帯にあるバンメトートに向かった。理由はコーヒーだった。バンメトートはベトナムコーヒーの一大集散地である。
 10年ほど前の記憶があった。
 3月の頃だった。バンメトートのコーヒー畑は、白いコーヒーの花が咲き薫っていた。ジャスミンとも、ユリともいえない芳香。僕の鼻腔には、そのにおいが刷り込まれてしまっていた。数少ない、旅のにおいの記憶である。あの香りのなかにもう一度……。
 花は咲いているだろうか。そんな思いを乗せて、バスはホーチミンシティを出発した。
 寝台バスだった。いまのベトナムでは、運行時間が長いバスは、夜行ではなくても、寝台バスになりつつあるようだった。
 朝、ホーチミンシティを発ったのだが、バンメトートに着いた頃は、すでに日が暮れていた。バスを降り、においに神経を集中させてみる。しかしあのにおいは、どこからも漂ってこなかった。
 バンメトートは、コーヒーを専門にするカフェが増えていた。翌朝、路上に面した一軒に入る。ホーチミンシティでは、アルミ製のフィルターをカップの上に乗せて出してくれる。しかしバンメトートは、店の奥でドリップしてくれる。ひと口、啜ってみる。
「苦ッ」
 バンメトートのコーヒーは、ホーチミンシティのそれより、数段、濃かった。その日、2軒のカフェに入った。2軒目も濃かったのだが、ゆっくり飲んでいると、そのなかに甘さが感じられるようになる。これなのかもしれなかった。この甘さ……。僕はそのとば口にいるだけのようだった。
 郊外に広がるコーヒー畑に向かった。ちょうど収穫期だった。木の下に布を敷き、サクランボのように赤く色づいたコーヒーの実をばらばらと落としていく。この実を干し、果肉をとり除いた種がコーヒー豆になる。
 畑のなかを、においを求めて歩いた。花のつぼみをつけている枝もあるのだが、白い花びらはまだ見えない。
 少し早かったのかもしれない。
 コーヒー畑のなかを歩いていると、収穫に精を出す人々と目が合う。おばさんは日焼けを防ぐために長袖と帽子姿だ。男性は木に登り、手袋をはめた手で、コーヒーの実をこそげ落とす。必ず笑顔が返ってきた。
 つぼみを指さし、いつ咲くのか、と身振りで伝えるのだが、なかなか意味が通じない。代わりに、赤いコーヒーの実を掌に乗せてくれた。食べてみろ?
 少し酸っぱい味の実だった。
             (以下次号)

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