インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2021年06月28日

録音機能に選挙が入り込む

 運営するYouTubeのチャンネルで、毎週、ミャンマーの状況を伝えている。いま、ミャンマーの情況は小康状態といってもいい。これが長引くと、日本人の関心が薄れていってしまう。そのためには、粘り強く、現地の声を届けることだと思っている。
 しかしミャンマーとの連絡にはメールが使いにくい。いつ、ミャンマー国軍に摘発されるかわからないからだ。ヤンゴンにいる知人に電話で連絡をとり、それをまとめている。
 まとめるとき、ウインドウズの録音機能を使っている。僕がキーボードを打つ音がカタカタと録音される動画になって保存される。どんな目的のために、この機能があるのかわからないが、YouTubeを観てくれる人は、進んでいく文章を画面で追う。臨場感と一体感が生まれる……気がする。
 先週、その原稿を自宅で書いていると、隣家の庭にいた庭師さんが、風を噴き出して落とした葉を集める道具のスイッチを入れた。ぶ~んという音が響いた。原稿を打ち、再生してみると、その音もしっかり入っていた。
 ミャンマーのマンダレーで起きた銃撃戦と日本の庭の落ち葉掃除機……これはどうしても合わない。結局、原稿を打ち直した。
 フリーランスで雑誌に記事を書いていた時代を思い出した。新聞社を辞め、1年ほど旅に出た。帰国後はフリーで原稿を書くようになった。自宅から電話で取材のアポイントメントをとる。雑誌名を伝え、フリーの記者であることを伝えるから問題はないのだが、電話の途中で、隣の家の犬が鳴くとちょっと困った。厳しい内容の取材を、政府の省庁や会社の広報にかけている最中に鳴かれると、なにか間が悪い。
 向こうはざわざわとしたオフィスにいるというのに、僕はアパート……。いる場所のテンションが違う。
 新型コロナウイルスは、そいうった気遣いを霧散させてくれた。テレワークで仕事をする人が増え、連絡する相手が自宅にいることが多くなった。仕事の電話の最中に、ドアホンの音が聞こえたりする。Zoomで打ち合わせをしていると、相手の背後から、廃品回収業者の声が響いたりする。
 いまのフリーランスの記者は、取材のアポイントメントをとるときも、堂々と自宅から電話をかけられるようになった。
 しかし録音はそうはいかない。
 東京は都議選の選挙がはじまった。僕の家の周りにも、そこそこの頻度で街宣車が現れる。そのボリュームは大きい。
「待機児童をゼロにいたします」
 などといった公約と、ミャンマーの国軍の動きはやはり世界が違う。
 人間の頭は、そういった異空間をみごとに整理するが、パソコンの録音機能はそううまくはいかない。
 街宣車がなんとかこないように……。
 祈るように原稿を書かなくてはならない。

■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg?view_as=public
面白そうだったらチャンネル登録を。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=東京再発見の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji

  

Posted by 下川裕治 at 13:09Comments(0)

2021年06月21日

記憶との闘い

 韓流ドラマにときどきはまる。去年、仕事の関係で「愛の不時着」を一気に観た。すると韓流ドラマに火がついてしまった。「梨泰院クラス」、「トッケビ」を続けて観た。こういう観方をすると、韓流ドラマが食傷気味になる。粗も見えてくる。ストーリー展開や台詞まわしなどが鼻につき、しだいに離れていってしまう。
 それから半年ほどたった頃、なにかの拍子で再び韓流ドラマをちらっと観てしまい、また……。今年の2月頃だろうか。毎日のように「マイ・ディア・ミスター」を観ていた。これまで見てきた韓流ドラマのなかで、いちばん面白いような気がした。
 韓流ドラマは、ときどき、唸る台詞に出合うことがある。
「愛の不時着」でこういうシーンがあった。登場した女性が、「最近、鬱っぽい」といったとき、「ダイエットしてるの?」という会話が続く。
 鬱を発症した脳ではセロトニンという物質が不足しているという報告がある。糖質ダイエットでブドウ糖が不足してしまうこともよくない。
 しかしそれ以上に、多くの人がダイエットで気分の落ち込みを経験している。そういういまの人たちの暮らしを、ドラマのなかにするっと入れる。日本のドラマとは、リアリティというものへの感性が違う気がする。
「マイ・ディア・ミスター」では、煙草を使っていた。主人公は建設会社の部長だが、さまざまなトラブルに巻き込まれる。精神的に追い詰められたとき、コンビニで煙草を買って、ゴミ箱の前で喫おうとするのだが、ライターの火がなかなかつかない。
 あるときは行きつけの飲み屋から出、店の前で煙草を喫おうとするのだが、指で挟んだままで、ただうつろな瞳で路上を眺め続けている。飲み仲間がその姿を知人に伝える。
「煙草を手にしているけど、喫わない……」
 煙草に手がのびることで、精神状態を表現しようとしている。
 その前提になっているのが、若い頃から煙草を喫い、40代、50代になり、なにかのきっかけで禁煙したという経験である。韓国の多くの男たちは、そういった過去を共有しているという思いがあるから、煙草を喫おうとするシーンに結びつく。
 僕はいま、その経験のただなかにいる。禁煙をはじめて3ヵ月になろうとしている。不安のなかで煙草に手がのびるという発想は少しステレオタイプのようにも思う。が、たしかにそんな面はある。
 僕はどちらかというと、記憶との闘いといったらいいだろうか。40年以上、煙草を喫ってきたから、煙草の記憶はもう数えきれないほどある。日々の生活になかにも煙草の記憶はあるが、梅雨の長雨にも記憶がある。駅に行くと喫煙コーナーの記憶が蘇る。
 おそらく、もう体は煙草を欲していないない。しかし記憶が煙草を誘う。
 それは不思議な感覚でもある。

■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg?view_as=public
面白そうだったらチャンネル登録を。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=東京再発見の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
  

Posted by 下川裕治 at 12:16Comments(0)

2021年06月14日

マスク顔識別トレーニング

 東京の飯田橋を歩いていると、突然、声をかけられた。顔を見ても誰なのかわからなかった。
「Uです」
 月に2回、僕の原稿をチェックしてくれている出版社の編集の女性だった。メールのやりとりは頻繁にある。
 担当が彼女に変わったのは昨年の5月頃だったろうか。1度、編集部の会議室であいさつをした記憶もある。
 マスクだった。
 その頃、すでに新型コロナウイルスの感染が広まり、人に会うときはマスクをつけることは当たり前になっていた。僕も彼女もマスクをつけていた。
 僕は本やネットに顔が出ているので、彼女は、僕がマスクをしていても認識していたのかもしれない。しかし僕はマスクをつけたUさんしか知らない。顔全体を知らないのだ。
 街にはマスクをつけた人ばかりが歩いているわけで、そのなかからUさんを識別するのは……。コロナ禍の長さを改めて確認してしまう。
 昔から人の顔を覚えることが苦手だった。その傾向はますます強くなっている。そこにコロナ禍が拍車をかけている。
 数日前、誕生日を迎えた。67歳である。ひとつの年齢を刻んだとき、人が考えることはざまざまだろうが、この年になると、あまりいいことは考えられなくなる。
「足腰が弱ってきたなぁ」
 体力の衰えを実感しているからだ。
「ワクチンを早く接種できて羨ましい」
 という言葉にも高齢者である自分を実感してしまう。
 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためには、とにかく人と接する機会を減らして行くしかない。しかしそれは老化の速度を早めていくことでもある。
 僕は海外に出、さまざまな人と会い、帰国して原稿を書くことを繰り返してきた。日本にいるときは、こもって原稿を書くことが多い。だから東京での生活はそれほど変わらないのだが、いまは海外に出ることも簡単ではない。人と会う機会がずいぶん減っていることになる。そして東京で人に出会ったとしても、皆、マスクなのだ。識別が難しい。それは老いへの警鐘にも映る。
 人生への色気のようなものは、人への色気だと思う。昔から人の顔を覚えることが苦手ということは、人生への色気が足りないからかもしれない。なにもなければ、そんなことも気づかずに、平坦な老いへの道を歩いていたのかもしれない。が、新型コロナウイルスは、それを許してくれなかったということらしい。
 環境の変化は、意識の変容を浮きだたせるものだ。そこで焦って、マスクをした人々の顔をじっと見る。これもコロナ禍でのトレーニングと思いつつ。

■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg?view_as=public
面白そうだったらチャンネル登録を。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=東京再発見の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
  

Posted by 下川裕治 at 13:26Comments(0)

2021年06月07日

愛国者理論の危うさ

 6月4日、香港で天安門事件の追悼集会は開かれなかった。天安門以前から32年。香港では毎年、追悼集会が開かれていたのだが。
 香港の民主主義を守る動きは、年を追って厳しい局面に立たされてきた。それを決定的にさせたのは、今年の3月、北京で開かれた全人代だった。そこで、「愛国者による香港統治」が可決された。この愛国者とは、言葉通りにとれば、香港を愛する人ということになる。しかし中国の習近平政権は、こう解釈する。
──中国共産党に反対する者は愛国者ではない。
 香港は長年、その選挙制度をめぐってもめてきた。しかしここで、ある方向が示されたことになる。
──愛国者でなくては立候補することはできない。
 つまり、
──中国共産党に反対する者は立候補することはできない。
 ここまではっきりと中国共産党の権威主義を浮きだたされると、もうどうすることもできなくなる。
 中国はここまで踏み込んでしまった。さまざまな影響が出るだろう。
 中国共産党をミャンマー国軍に置き換えればいいだけのことが、今後のミャンマーで起きる気がする。
 ミャンマーの国民は、国軍と中国との関係を非難している。国軍を後ろで支えているのは中国だという。
 ミャンマー国軍は、昨年の選挙に不正があったと主張している。だからクーデターを起こしたのだと。そういう以上、早晩、選挙ということになる。
 しかし通常の選挙をしてしまえば、アウンサン・スーチー氏が率いるNLD(国民民主連盟)が勝つことはわかっている。それは国軍も認識している。それを阻止するために、NLDを解党する。しかし政党はすぐにつくることができる。そこで中国共産党の愛国者理論をもってくる。つまり、ミャンマーの愛国者しか立候補できない選挙。その場で、ミャンマー国軍に反対する者は愛国者ではない、とするわけだ。
 香港と同じ構造になる。
 しかし中国共産党にしても、そこまで踏み込む以上、香港人や中国人から評価される方策は行っている。それがどんな内容であるにしろ。
 だがミャンマー国軍は、国民から支持を得る必要がない。反対する国民を武力で黙らせようとする。
 愛国者理論が危険なのは、ミャンマー国軍の正当化に利用できてしまうことだ。
 ミャンマー国軍は当初、タイの軍事クーデターを参考にしようとしたといわれる。しかしあまりに強い国民の抵抗を前に、中国スタイルを強要された香港をテキストにしようとしている節がある。
 ミャンマーの国民はそこまで読んでいたのだろうか。

■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg?view_as=public
面白そうだったらチャンネル登録を。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=東京再発見の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji

  

Posted by 下川裕治 at 14:44Comments(1)