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ナムジャイブログ

2024年09月02日

古道歩きのために、日々、精進?

『日本ときどきアジア 古道歩き』(光文社知恵の森文庫)のトークイベントがある。
 9月6日の19時半から。
http://www.nomad-books.co.jp/event/event.htm
 トークイベントでもその話に触れると思うが、熊野古道を歩いたとき、僕の右膝は限界に近かった。予感は、熊野古道歩きの1日目の午後からあった。2日目の昼すぎには、違和感は痛みに変わっていた。力がなかなか入らず、くだり坂で右膝に負担がかかると痛みが右足全体を走った。途中でリタイアを考えたほどだった。
 僕が歩いたのは中辺路(なかへち)。このルートの終盤、展望台から、かつて熊野本宮大社があった大斎原(おおゆのはら)を見おろすことができる。かつて浄土といわれたエリアだった。この眺めをめざして僕は歩いたようなものだった。
 展望台にベンチがあった。そこにあがって大斎原の写真を撮ろうと思った。しかしベンチにあがることができなかった。右膝がいうことを聞いてくれなかった。
 僕の右膝には古傷がある。高校時代、僕は山岳部に所属していた。高校は信州の松本だったから、山には恵まれていた。入部してまもなくの5月か6月、春の北アルプスに登った。小蓮華山に向かう稜線で滑落してしまった。落ちたのは10メートルほどで大事には至らなかったが、右膝を強く打った。
 その山行ではザック麻痺にもなっていた。ザック麻痺というのは、背負うザックのベルトが肩の骨を押し、血管や神経を圧迫してしまうことだった。骨の奇形が原因である。血行が滞った左腕は力が入らなくなってしまった。荷物はほかの部員に振り分けられ、僕は個人装備だけという身軽な状態だった。そこで滑落である。リーダーや顧問の教師は、僕が山行の足を引っ張ることを予感したはずだった。
 下山しリハビリをつづけた。体力をつけるために、毎日、10キロの荷物を背負って高校に通った。なんとかお荷物にならずに山に登れるようになったのは、高校2年の秋頃からだった。
 高校を卒業してから、何回か山に登っている。右膝はまったく異常はなかった。ただ山とは関係なく、梅雨どきや冷え込む冬、右膝に違和感を覚えることはあった。さして気に留めなかったが、70歳になる直前、熊野古道を歩いて、その右膝の古傷が、のっそりと頭をあげてきたような気がした。
 65歳すぎから古道歩きに開眼した。登山に比べれば、筋肉への負担も少ない。僕の体力でもこなせるような気もしていた。しかし古道歩きは、意外にきつい。ときに山登り並みになる。昔の人々の足腰の強さに言葉を失ってしまう。
 右膝に負担がかからない歩き方……それはわかっている。しかしそのためには筋力が必要になる。スクワットか……。日々、精進ということか。

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Posted by 下川裕治 at 12:05│Comments(0)
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