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ナムジャイブログ

2020年01月27日

オンラインカジノの中国

 1月24日の晩はマニラにいた。中国正月の元旦前夜、大晦日である。知人とマラテで夕食をとり、宿への道を歩いていると、『ZZYZX』という、なんと読んだらいいのかわからないクラブの前に、中国人たちが列をつくっていた。ここで客を装って店内にいる女性たちと交渉し、宿に連れていくのだと、知人が教えてくれた。
 そこに列をつくる中国人たちは、アジア各国で目にする彼らと少し違っていた。新型コロナウイルスの影響で、団体客が少なくなっていることもあるのだろうが、皆、個人客風なのだ。いや、場慣れた雰囲気もある。ひょっとしたら、マニラに住んいる? そんな感じなのだ。
 昼のコンビニでも、暮らしている雰囲気の中国人を目にした。ひとりの女性が、カップ麺と肉まんを買っていた。話すのは中国語。しかし店側も慣れている感じだった。起き抜けのような髪。着ているのはパジャマ風のジャージだった。
 彼女らなのだろうか。
 フィリピンはオンラインカジノを許可している。フィリピン人は賭けることができない外国人用で、中国人向けのカジノが多い。ビルのワンフロアーを借り、そこにカジノをつくる。そこがオンラインで中国とつながっている。中国にいる客は、モニターを見、マイク付きのヘッドフォンをつけ、中国語で金を賭ける。支払いは中国お得意の電子マネーだという。
 そこで働いている中国人がかなりいるらしい。
 中国政府は、資金洗浄の疑いがあることもあり、フィリピンにオンラインカジノのとり締まりの強化を要請した。ドゥテルテ大統領は、無許可営業はとり締まり、新規の営業免許の受け付けは停止などの措置はとったが、きちんと許可をとって営業しているオンラインカジノへのとり締まりは拒否した。
 理由はオンラインカジノがフィリピンにもたらす経済効果だった。大統領の説明では、44万人の雇用を生み、年間83億ドルの給料が支払われているという。カジノはオフィスビルのフロアーを借り切ってつくられることが多く、その賃貸料収入もフィリピン経済を潤しているという。
 要請した中国政府の歯切れが悪いのは、政府高官がオンラインカジノに深くかかわっているからともいわれる。
 フィリピンと中国。その関係は、ほかのアジア諸国とは別の文脈があるようだ。
 日本がIR汚職事件で揺れている。これも中国が絡んだ事件だ。当事者たちは、オンラインカジノも想定していたのかわからないが、中国人向けカジノは、オンラインに傾きつつあるともいわれる。IRは統合型リゾート施設の意味だ。うそ寒さが募ってくる。

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Posted by 下川裕治 at 12:42Comments(0)

2020年01月21日

僕らの新宿

 2日前の金曜日の晩、新宿にいた。新聞社に勤めていたときの同期のメンバーが集まった。皆、役員や社長になっているが、そろそろ引退の年齢である。
 11時頃に終わり、新宿駅に向かった。金曜日の夜11時台の新宿駅はとんでもない人の波だ。皆、電車の時刻を気にしながら改札に向かう。その流れに沿って歩いていると、急に腹立たしくなってきてしまった。
 僕の周りにいるのは、皆、やけに丁寧だが紋切り型の文面のメール日々、送り続ける人たちなんだろうな……と思うと、いたたまれなくなってしまった。新聞社の同期の集まりで、若い頃を思いだしてしまったからかもしれない。
 ひとり足を止め、向きを180度変えてしまった。駅に向かう人に抗うように、新宿の街に向かって歩いていった。
「僕らの新宿は違う街だった」
 そんな思いが湧きあがってくる。新宿の要通りや御苑前の店に行くことが多かった。ときおり連絡が入り、ゴールデン街や風林会館方面に出向くことはあった。しかし僕にしたら、ゴールデン街などはちょっときらびやかで苦手だった。
 仲間とよく酒を飲んだ。気がつくと終電をすぎてしまうことはよくあった。いまの人たちのように、電車の時刻に合わせて酒を飲むようなことはなかった。意識していなかったわけではないが、つい、忘れてしまった。
 そんな時代だった。
 要通りの店に入っていた。客はひとりもいなかった。いまは電車を気にして11時台に帰る人が多い。
 要通りは新宿の出島だという話を聞いたことがある。新宿の夜の中心は歌舞伎町だが、そこから少し離れた出島……。
「でもこのあたりも大変。チェーン店が増えてきてね。いま、ひとりの女性経営者が、この界隈だけで8軒の店をもっているって話題なんですよ。家賃がどんどんあがっている。そろそろ潮どきかと思うことがあるんです」
 古いつきあいのママの言葉も多くない。久しぶりに話し込んでしまった。
 いろんなことを思いだす。この店にくる前は、御苑前の「しえらまえ」という店によく行っていた。その店のマスターが、大韓航空機撃墜事件の飛行機に乗っていた。あれはもう37年も前のことなのか……そんなことも考えてみる。
 自分のなかでは、昔の新宿が生きているのだが、もう、そんな新宿はどこを探してもないのだ。
 深夜の2時。タクシーで帰宅した。そういえばあの頃、僕はよく会社から支給されたタクシーチケットを使っていた。世間はバブルに浮かれていた。そして僕も。
 ただそれだけのことなのかもしれない。

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Posted by 下川裕治 at 13:00Comments(1)

2020年01月13日

香港の抗議活動が結果を出した

 台湾の総統選は、蔡英文の圧勝という形で終わった。1年前、この結果を予測していた人はほとんどいなかった。当時の台湾の民進党はよろよろとしていた。
 台湾では2018年の秋、統一地方選が行われた。そこで民進党は国民党に負ける。その流れは止まらなかった。2018年の12月に高雄の市長選が行われた。そこで民進党は敗北。国民党の韓国瑜が市長になった。
 民進党にとっては大変なことだった。高雄は民進党の牙城である。1998年以来、民進党が市長の座を守ってきた。そもそも台湾は、南部を地盤にする民進党と、台北を中心とした北部に強い国民党……という構造のなかで推移してきた。
 この結果を、中国は好機と呼んだのだろうか。2019年の1月、習近平は演説を行った。そのなかで、「一国二制度は国家統一を実現する最良の方法」と方針を示した。
 しかし昨年の6月、香港で抗議活動がはじまる。デモは広範な展開を見せる。それに対して、香港政府は強硬姿勢で対応した。香港市民はわかっていた。香港政府の背後には中国がいることを。香港政府は中国の指示で動く操り人形だった。
 雨傘運動から続く、香港市民の抗議行動は大きな成果を生んでいない。しかしそれは香港に限ったことだった。
 昨年末、日本に暮らす台湾人と話をした。「香港の抗議活動を見ながら、はっきりとしてきました。僕は台湾人だってことが。一時は中国人って思っていたこともあったんですけど」
 香港の抗議活動は、民進党や蔡英文も変えていったような気がする。
 蔡英文をはじめて見たのは8年前だった。やはり総統選。民進党の支持者が集まる巨大な会場で、ステージにあがる彼女を見た。印象? 地味そうな人だと思った。政治家っぽいところがなにもなかった。そのときの総統選では敗れるが、4年前の選挙で総統になった。しかし発言は慎重だった。
 もとは学者だから派手なパフォーマンスはない。前の民進党政権への反省もあった。経済の依存度からすれば、中国との摩擦は避けたい。そんな事情が、とこか判断力が弱いというイメージをつくりあげていった。
 しかし今回、はっきりと、中国が編み出した一国二制度にノーを突きつけた。どこか政治家としての駆け引きを身に着けたような気がしないではない。
 蔡英文にそういわせたのは、香港の抗議活動だった。台湾の人々が民進党に動いた背景にも、香港の抗議活動がある。
 香港の民主化運動は、香港ではほとんど成果をあげていない。しかし台湾を動かし、台湾で結果を出したようだ。

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Posted by 下川裕治 at 11:22Comments(0)

2020年01月06日

手袋に開眼しても……新年

 この齢になっていうようなことではないかもしれないが、手袋について開眼した。手袋と気温との関係である。
 去年の12月、ロシアのサハリンに8日ほど滞在した。寒かった。最低でマイナス17度ぐらいになった。
 外に出るときは、ダウンジャケットとマフラー、帽子は欠かせなかった。そして手袋。
 しかし、手袋をはめて歩いていると、指先が痛くなってくる。痺れるような感覚だ。同時に足先も痛くなってくる。
 どうしたらいいものか。歩きながら試行錯誤がはじまる。手袋をはめたまま、ズボンのポケットに手を入れてみる。指先の痺れは消えない。ふと思い、手袋をはずしてポケットに手を入れてみた。しばらくすると、指先の感覚が戻ってきた。
 これかもしれない。その日の気温はマイナス13度ほどだった。気になって、街を歩く人の手を見てみる。手袋をはめている人も多いが、半分ぐらいがポケットに手を入れて歩いている。たまに手が見える。手袋をはめていない。
 真冬のチベットを思い出した。多くの人が民族衣装の蔵袍を着ていた。ずんどうのコートのような形をしている。皆、そのなかに手を入れているのだが、その手は素手だった。やはり気温はマイナス10度を下まわっていたと思う。
 年末年始は実家のある信州の松本にいた。この時期の気温は、最低でマイナス5度ぐらい。昼間は8度近くになった。近くの寺に初詣に出かけたが、そのとき、手袋をはめた。暖かかった。そう感じた。手先も痛くならない。その夜、テレビを観ていると、札幌での街頭インタビューが映し出された。氷点下12度という朝、素手で通学する学生にレポーターがマイクを向ける。
「ポケットに手を入れていれば大丈夫です」
 マイナス10度あたりが境界のように思う。それより暖かいと、手袋が効果を発揮する。しかしマイナス15度ぐらいに冷えると、手袋はつらい。素手でポケットに手を突っ込んだほうが暖かい。
 厳冬期、外で仕事をする人や、登山隊となると、ポケットに手を突っ込むわけにはいかないが、街を歩く程度なら、素手ポケットのほうが暖かいのだ。
 しかし道はがちがちに凍っていることが多い。ポケットに手を入れて歩くときは、転倒すると危ない。滑らないブーツと経験ということだろうか。
 年が明け、手袋と気温の関係に気づいて、ひとり悦に入っている。イランでは戦争が起きるかもしれないというのに。
 そういえば今年、イランに行かなくてはならない。はたして旅ができるのか。こうして2020年の現実がはじまる。

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