インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2020年01月21日

僕らの新宿

 2日前の金曜日の晩、新宿にいた。新聞社に勤めていたときの同期のメンバーが集まった。皆、役員や社長になっているが、そろそろ引退の年齢である。
 11時頃に終わり、新宿駅に向かった。金曜日の夜11時台の新宿駅はとんでもない人の波だ。皆、電車の時刻を気にしながら改札に向かう。その流れに沿って歩いていると、急に腹立たしくなってきてしまった。
 僕の周りにいるのは、皆、やけに丁寧だが紋切り型の文面のメール日々、送り続ける人たちなんだろうな……と思うと、いたたまれなくなってしまった。新聞社の同期の集まりで、若い頃を思いだしてしまったからかもしれない。
 ひとり足を止め、向きを180度変えてしまった。駅に向かう人に抗うように、新宿の街に向かって歩いていった。
「僕らの新宿は違う街だった」
 そんな思いが湧きあがってくる。新宿の要通りや御苑前の店に行くことが多かった。ときおり連絡が入り、ゴールデン街や風林会館方面に出向くことはあった。しかし僕にしたら、ゴールデン街などはちょっときらびやかで苦手だった。
 仲間とよく酒を飲んだ。気がつくと終電をすぎてしまうことはよくあった。いまの人たちのように、電車の時刻に合わせて酒を飲むようなことはなかった。意識していなかったわけではないが、つい、忘れてしまった。
 そんな時代だった。
 要通りの店に入っていた。客はひとりもいなかった。いまは電車を気にして11時台に帰る人が多い。
 要通りは新宿の出島だという話を聞いたことがある。新宿の夜の中心は歌舞伎町だが、そこから少し離れた出島……。
「でもこのあたりも大変。チェーン店が増えてきてね。いま、ひとりの女性経営者が、この界隈だけで8軒の店をもっているって話題なんですよ。家賃がどんどんあがっている。そろそろ潮どきかと思うことがあるんです」
 古いつきあいのママの言葉も多くない。久しぶりに話し込んでしまった。
 いろんなことを思いだす。この店にくる前は、御苑前の「しえらまえ」という店によく行っていた。その店のマスターが、大韓航空機撃墜事件の飛行機に乗っていた。あれはもう37年も前のことなのか……そんなことも考えてみる。
 自分のなかでは、昔の新宿が生きているのだが、もう、そんな新宿はどこを探してもないのだ。
 深夜の2時。タクシーで帰宅した。そういえばあの頃、僕はよく会社から支給されたタクシーチケットを使っていた。世間はバブルに浮かれていた。そして僕も。
 ただそれだけのことなのかもしれない。

■“旅情報ノート”クラブの内容は、以下のサイトで http://www.arukubkk.com/
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=中国の長江の旅の連載がはじまる。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=台湾の秘湯シリーズがはじまりました。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji



Posted by 下川裕治 at 13:00│Comments(1)
この記事へのコメント
今回のコラムも間違いなく下川先生の筆跡と感じます
なんとも地味に心に染み込む文章の感触がたまりません。
こんな短いコラムですが一瞬にして、再び訪れることのない時代の切なさにキュンとしました。

下川先生の大ファンです。バンコクにも住んでいた事もあります。
バンコクの伊勢丹の講演と西荻の旅の本屋のまどの講演?でお目に掛かって嬉しかったです。

今後楽しみにしています。
Posted by anacot at 2020年01月21日 21:54
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。