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ナムジャイブログ

2013年01月28日

切ればいいことなのだが……

 ついに埋められたか──。山手線の車内広告を眺めながら呟いていた。「日本航空は、機内でインターネット接続サービスがはじめる」という内容だった。ニューヨーク線やシカゴ線などに導入していくのだという。
「バンコク線も時間の問題か」
 ここ10年、日本航空には乗っていないというのに、つい心配になってしまう。しかしこの動きは、機内サービスのひとつ動きのようで、ユナイテッド航空もインターネットサービスをはじめるという。本当に、時間の問題になってきた。
 飛行機に乗る前、携帯電話をプチッと切る瞬間が好きだ。もう誰からも電話がかかってこない……。その感覚に気分が軽くなる。しかし機内でインターネットがつながるということは、インターネット電話も通じることになる。いよいよ逃げ場がなくなってきた。
 かつて連絡がとれないとき、「海外に行っていたものですから」といえばよかった。しかし携帯電話が発達し、ほとんどの国で電話が通じるようになってしまった。そしてインターネット。そんななか、連絡をとることができない聖域が飛行機のなかだった。そこも埋められてしまうらしい。
 海外へ向かうビジネスマン。現地ではなにかと忙しい時間が流れていく。そして仕事を終え、帰国のために飛行機に乗る。日本に戻れば、また仕事が待っている。飛行機のなかでは、しばしの休息……。しかしこれからはインターネットがつながってしまう。
 人にはものを考える時間が必要だ。僕は本を書く仕事を生業にしているから、その時間は少し長いのかもしれない。そしてものを考えるとき、外部とのコンタクトはできるだけ避けたい。集中できないからだ。
 インターネットの世界では、「コンテンツが重要」とよくいわれる。しかしそのコンテンツは、インターネットがつながっていないなかで生まれていることが多い。
 切ればいいことなのだ。インターネットがつながっていようが、携帯電話の電波が届いていようが、切ってしまえば、連絡を絶つことができる。しかし携帯電話を切ることに比べると、インターネットの接続は、なぜか切りにくい。届いているかもしれないメールがなぜか気になってしまう。自分で送信したメールの返信が気になる。
 僕はフェイスブックやツイッターをやっていないから、人に比べれば、メールの送受信件数は少ないのかもしれない。しかし飛行機のなかでも、メールを使うことができると聞いたとき、なんだか気分ががくんと落ち込んでしまった。
 インターネットというものは、ときに厄介な代物に変身していってしまう。
 人はそういうツールを手にしまったということだろうか。
  

Posted by 下川裕治 at 13:20Comments(1)

2013年01月22日

まだイミグレーションが開いていない

 今年になって4回、飛行機に乗った。成田ー釜山、ソウルー成田の2路線。そして沖縄の那覇往復である。そのすべてがLCCだった。韓国路線はエアアジア、そして沖縄はスカイマークだった。
 成田と釜山間は、6640円という安さだったが、出発が朝の8時だった。
「どうやって空港まで?」
 しばし悩んだ。これまで成田空港を9時台に出発する飛行機には乗ったが、8時というのは……。都心から始発を乗り継いでも、2時間前の6時には空港に着くことはできなかった。
 東京駅を5時30分に出るバスに乗ることにした。これなら始発電車で間に合う。成田空港到着は6時30分。チェックインをすませ、イミグレーションの向かった。しかしシャッターが閉まっていた。
「イミグレーションが開くのは7時です」
 空港職員の説明だった。
 朝8時発──。ちょっと無理がある。
 ソウルからの帰路は夕方便だった。日本人の客室乗務員が頑張っていた。飛び立って30分ほどした頃だった。機内放送が響いた。
「右手に美しい夕日がご覧になれます」
 最近の飛行機は、こんな説明をすることがほとんどない。続いて英語になる。
「ユー キャン シー ビューティフルサンセット サンキュウ」
 なんだか嬉しくなった。ネイティブな英語に接してきた日本人は、この情況で「ビューティフル」はなかなか遣えないものだ。「グレート? いやアメージング?」。悩んで結局、なにも喋ることができなくなってしまうのだ。しかしエアアジアの日本人客室乗務員は、一生懸命、夕日の美しさを伝えようとしていた。既存航空会社の客室乗務員は嗤うかもしれないが、乗客に伝わるサービスとか会社の勢いとは、こういうことだと思う。日本のLCCには、いろいろな問題がある。しかしそれをなんとかしようとするパワーが、少し羨ましかった。
 沖縄の那覇から帰るスカイマーク便は、大雪で欠航になってしまった。こういうとき、LCCは弱い。予約は翌日になだれ込むのだが、すぐに満席になってしまう。しかしLCCは増便が難しいのだ。他社も同じ情況だったが、沖縄の台風で鍛えられている。
 スカイマークは、「全額払い戻しか、翌日便でキャンセル待ち」という対応だった。
 知人は、払い戻しを受け、日本航空のキャンセル待ちにまわった。その日の夜、電話がかかってきたという。翌日の最終便で席がとれたという連絡だった。
「やっぱりこういうときは、日本航空か全日空ですかね」
 そんな話をした。翌朝、僕は空港に向かった。するとすんなりキャンセル待ちで席がとれた。知人より早く、東京の戻ってしまったのだ。まあ、これは結果論。
 日本でLCCに乗ると、いつもいろんなことを考えさせられる。
  

Posted by 下川裕治 at 11:38Comments(1)

2013年01月14日

豊かさとは、風邪をひきやすいこと?

 韓国で風邪をひいてしまった。
 1月の韓国は寒い。夜になると、マイナス17度などという気温になる。
 釜山から九龍浦、群山という街を見ながら北上していった。このふたつの街には、戦前の日本家屋が残っている。かつての日本人町を辿っていく取材だった。
 勢い、長時間、外にいることになる。体は冷え、手足の先は痺れてくる。
 寒い韓国はオンドル暖房である。しかしその熱量をしのぐ寒さなのか、燃料費を節約しているのか、田舎の食堂はそれほど暖かくはない。だから客も、コートやダウンを着たまま食事をとる。
「もっと暖かい店はないんだろうか」
 金属製の箸でチゲを口に運びながら、何回も呟いていた。
 韓国ではヨガンという温泉マークのついた宿に泊まることが多い。最近ではモーテルとアルファベット表示を出すところも多い宿である。
 宿もオンドル暖房なのだが、田舎宿の室内は、それほど暖かくない。食堂と同じような気温なのだ。寒いのである。
 だが、そのなかを歩いていたときの体調に異変はなかった。
 問題は列車、そしてソウルだった。
 列車の車内はかなり暖かい。26度とか28度といった設定になっている。列車に乗り込んだときは、この暖かさに体がとろける。やっとコートを脱げる……と顔がほころぶ。
 ソウルの宿も暖かかった。入る店も田舎に比べると、10度ほど室温が高い気がした。やはりソウルなのだろう。
 しかしこの列車とソウルで体調を崩してしまった。暖かい車内や店に入ると、はじめはうれしいのだが、しだいに頭のあたりが熱っぽくなってくる。気がつくと風邪をひき、寝込んでいた。
 寒暖差?
 そういうことなのだろうか。マイナス15といった戸外から、室温28度といった宿に入る。その気温差は43度。これを繰り返しているうちに、風邪にやられてしまうのかもしれない。
 暑いエリアに行ったときと同じだった。冷房の効いた室内と気温30度を超える屋外を出たり入ったりしているうちに、体調を崩してしまうのだ。
 豊かさとは、つまり、風邪をひきやすい環境をせっせとつくっていくこと? そんな気もしてくるのだ。経済成長は、寒い国の暖房を強め、暑い国にエアコンを普及させる。生活は快適になっていくのだが、体というものは、そういう豊かさに順応してくれない。そして風邪をひいてしまうのだ。
 ソウルで伏せりながら、また同じ問題に辿りついてしまった。
  

Posted by 下川裕治 at 18:15Comments(0)

2013年01月07日

地方から眺める絵空ごと

 元旦に走ってみた。信州の安曇野。年末に実家に帰ると、短いマラソン大会があることを知った。2キロ、3キロ、5キロに分かれている。これならなんとか走ることができそうな気がした。
 昨年の12月。バンコクのミニマラソンに参加した。10キロに参加したのだが、途中から歩いてしまった。
「なんとか10キロぐらい走ることができるようになりたい」
 念頭の誓いには無縁だった。しかし今年の末には、そのくらいになっていたい。
 走る距離を伸ばすには、やはり走るしかない。元旦のマラソンは好都合だった。
 今年の安曇野は雪が多い。安曇野の元旦マラソンもコースが変更になった。雪が積もっている部分があり、危険だと主催者側が判断したようだった。
 寒かった。北アルプスから吹き下ろす風のなかを走らなくてはならない。息が継げないほどの風に苦労した。
 スタートする前、主催者の挨拶があった。そのなかで、とりやめになるマラソン大会が多いことを知った。ランニングブームのなかで、地方には雨後の筍のようにマラソン大会が出現した。費用があまりかからずに開催できたからだろう。町おこしのイベントに合っていた。
 しかし地方には若者が少ない。ボランティアで支えられるイベントは、スタッフを確保することが大変なのだという。
 先年末、叔父が鬼籍に入った。息を引き取ってから葬儀まで何日かがかかった。親族に訊くと、葬儀会場はあるのだが、スタッフのやり繰りがつかないのだという。地方では葬儀の日程を変更しなくてはならないほど人手が不足していた。
 日本は安倍政権に代わり、株価が上がってきた。円も少しずつ高くなってきた。「デフレ脱却」。首相の言葉が、毎日のようにニュース番組から流れてくる。
 しかし信州という地方都市から眺めると、それは絵空ごとに映る。いくら景気がよくなっても、働き手がいなかったら、その恩恵を受けることもできないのだ。
「まだ日本人だけでなんとかするつもりなのだろうか」
 つい呟いてしまう。
 人手が足りない日本の地方に、外国人が入ってくればすいぶん活性化する。とにかく仕事はあるのだ。
 そこが右寄りといわれる現政権の限界のような気もする。本当に景気回復を願うなら、外国人労働者への門を広げていくしかない。世界の労働力は、想像する以上に流動化しているのだ。
 かつてのイギリスは、「イギリス病」といわれるほど経済が停滞した。そこから上向きに転じた一因は、外国人労働者のパワーだったともいわれる。金融界を支えた香港系のアジア人たちの話は有名だ。
 そんな話は、日本のどこからも聞こえてこない。
  

Posted by 下川裕治 at 09:23Comments(0)