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ナムジャイブログ

2012年04月30日

浅草駅にいたデスク

 浅草によく出かけていた時代があった。新聞社に勤めていた時代だ。会社は大手町にあったから、浅草は意外に近かった。
 もう30年も前になる。
 当時の浅草は、寂しい街だった。雷門があり、仲見世が続き、浅草寺があった。昼間は外国人観光客やはとバスの観光客もやってきた。場外馬券売り場があったから、休日はそれなりの賑わいを保っていた。
 しかし平日の夜は、火が消えたように暗かった。仕事が終わってから出向くから、僕が浅草に行くのは、かなり遅い時間帯である。開いている店は限られていた。
 居酒屋の類はもう終わっていて、スナックとか、喫茶店の世界だった。
 終電を逃すと、よく隅田川を渡った。本所吾妻橋に何軒かのもんじゃ焼き屋があった。そこで酒を飲むことがコースになっていた時期もあった。近くには、1泊1500円ほどで泊まることができる宿が何軒かあった。3畳ひと間のなにもない部屋に、布団だけが敷いてある宿だった。ドヤではなかった。安い連れ込み宿の類だったが、ひとりで泊まることもできた。
 当時、本所吾妻橋に実家のある女性とつきあっていた。隅田川を渡るのは、彼女を家まで送り届けるためだった。
 いつも悩んでいた。一応、新聞社の入ったが、望む仕事にはなかなか就けなかった。いつか辞めるだろう……という漠然とした予感はあったが、それがいつなのかもわからなかった。
 新聞社が発行する月刊誌に配属された。同じ編集部で働いていた女性とつきあうようになった。俗にいう社内恋愛である。
 仕事時間は不規則で、忙しいときは、連日深夜、というより朝方まで机にはりついていた。そんな生活では、女性と知り合うこともままならない。新聞社は社内恋愛の多い世界でもあった。
 浅草で彼女と会い、その日は電車でアパートに帰ろうとした。そのとき、浅草駅の柱の陰に、編集部のデスクの姿を目撃してしまった。彼はさっと身を隠したが。
 僕らを監視している……。あれは編集長からの指示だったのか、デスクの独断だったのだろうか。
 しかしデスクの姿を見たとき、背筋に冷たいものが走った。会社というものの怖さに足許を掬われそうだった。
 会社を辞めたのは、それから1年半ほど後のことだった。
 久しぶりに浅草にでかけた。ホッピー通りの店に入った。30年前、しんとしていた通りが、やけに賑やかになっていた。行き場のないおじさんたちがたむろしていた一画のような記憶がある。そこが若い女性がやってくる通りになっていた。その光景が、ちょっと眩しかった。
  

Posted by 下川裕治 at 12:31Comments(1)

2012年04月23日

「男だから……」という言葉の古風な響き

「僕は男だから」
 最近、この言葉を遣うことが、ときどき、ある。女性から相談を受けたとき、つい、口にしてしまうのだ。意味のないことだと知りつつも。
 先週、沖縄にいた。原発の放射能から子どもを連れて避難した奥さんだった。ご主人は東京で働いている。
 避難から10ヵ月ほどがたち、小学生の子どもの教育で悩みはじめた。沖縄の小学校の学力の低さが気になっている。
「いまは3年生だから、それほどないんですけど、高学年になると……」
 タイのバンコクでも同じような相談を受けた。やはり放射能が怖く、幼い子どもを連れて、バンコクに移り住んだ。はじめは快適だったが、しだいにバンコクという街の欠点が気になってくる。バンコクには、日本ならどこにもある児童公園がない。戸外で思いっきり遊ばせることができない。やはりご主人は日本で働いている。
 放射能が怖いことはよくわかる。子どもが小さければなおさらだろう。しかし、天秤にかけてほしいのは、放射能への心配と、父親のいない家庭という問題である。
 彼女らの話のなかでは、父親の存在感が薄い。僕も海外に出ることが多いから、反論する筋合いではないかもしれないが、どうしても父親を擁護してしまう。
「僕は男だから……」という前置きの先に、「家庭のなかの父親の存在をもっと評価してほしい」という思いを滲ませてしまう。
 アジアを訪ねた若い女性から、こんな話も聞く。
「イケメンで清潔感があって、ステキって思う男性って、よく訊くと、だいたいゲイなんです。普通の男って、ぜんぜん、カッコよくない」
 ゲイはファッションに気を遣う人が多い。肌も手入れされ、日にも焼けていない。彼らの美意識のなかで、おしゃれは重要な位置を占める。
 しかし普通の男は、服装にも無頓着でシャワーの浴び方もおざなりだったりする。いつも同じようなものを着ていたり……と、おしゃれに関心すらない男もいる。
 そこでまた、「僕は男だから……」という言葉を口にしてしまう。男の魅力とは、おしゃれと無縁とはいわないが、別の価値観のなかで生きていく男が発散していくものだと思うのだ。
 東南アジアには、もともと頼りにならないのが男が多い。しかし日本では、男が背負うものが大きく、しっかりしなければいけない社会だった。そのたががゆるみはじめたのだろう。そのなかで普通の男の存在価値が、しだいに薄くなっているということだろうか。「男だから……」という言葉は、妙に古風に響いてしまうのである。
  

Posted by 下川裕治 at 12:43Comments(3)

2012年04月17日

駅弁というブランド

 篠突く雨が降っている。那覇にいる。
 移動の日々が続くと、つい、弁当を食べることが多くなる。
 昨日の昼は、名護で弁当を食べた。
 沖縄の弁当は安い。昨日買ったそれは、ボリュームたっぷりで300円だった。沖縄の弁当にはもうひとつ特徴がある。ご飯の上から、ゴーヤーチャンプルーなどの炒め物を載せることだ。炒め汁は当然、ご飯に染みこんでいく。
「そこがおいしいさー」
 沖縄の人はそういうが、本土からやってきた人のなかには、顔をしかめる人もいる。
「ご飯は白いままで食べる。おかずは別です。こんなにご飯を汚してしまって」
 白飯至上主義というのだろうか。
 先週は北海道にいた。駅弁を何回か食べた。同行したカメラマンに訊いてみた。彼は鉄道ファンでなにかと詳しいのだ。
「どうして駅弁って、こんなに高いの? コンビニには500円を切るような弁当がいっぱい並んでいるというのに、駅弁は1000円以上。これも1050円」
「そりゃ、下川さん、JRがとっているから。駅弁ってひとつのブランドなんです」
 小樽駅で買った北海手網という駅弁を見つめてしまった。
 最近、こういうことが気になる。ほかの雑誌のエッセイにも書いたが、日本の定価主義というものの本質が気になるのだ。
 先日、あるパッケージツアー会社の方から、こんな話を聞いた。
「ツアー後のアンケートで、いちばん多いには、現地でぼられたという苦情です。たいした額ではないんですが」
 たとえばバンコクのバスターミナルの売店。そこで買った水が、市内で買う水より5バーツ高かったとする。そういうとき、日本人はぼられたという。しかしバスターミナルの店は、テナント料を払っている。それを水代に乗せている可能性が高い。
 そんな日本人は、日本の列車に乗り、駅弁を買っても、「ぼられた」とはいわない。JRが駅弁というブランド代をとっていることを知らない人も多い。
 日本のほうが狡猾ではないか。そう思うことがある。アジアでは、そういう料金を個人の物売りが、客と向き合って回収していく。しかし日本は、システムとして組み込み、定価というものを設定してしまうのだ。
 たしかに定価主義のほうが、買い物はスムーズかもしれない。しかしその背後で動いている金は見えにくくなってしまう。
 アジアには法外にぼる人もいるが、正直にぼる人のほうが多い。そのあたりを客に説明できないから、買った日本人は、「ぼられた」と苦情を口にするのだ。
 それが日本とアジアの溝なのだろうか。
  

Posted by 下川裕治 at 10:00Comments(1)

2012年04月11日

鈍行列車から眺める無残な光景

 東京は桜が真っ盛りだというのに、雪の北海道にいる。それも昨夜は稚内にいた。気温は氷点下。春の嵐が吹き荒れた東京から、冬に戻ってしまった感がある。
 春の嵐は、北海道では吹雪になり、「4月になって除雪車が出動したのははじめて」と地元の新聞が報じていた。
 今年はなぜか、寒い土地に縁がある。2月には、マイナス20度にもなった中国のウルムチにいた。
 北海道はまだ冬だが、店や宿はきっちりと暖房が効いているから、とりたて辛いこともない。寒さに震えて眠ることができないという中国とは違う。
 北海道にやってきたのは、鈍行列車に乗るという取材である。今朝、6時台の列車に稚内から乗り、いま、上川という街まで着いた。列車の乗り換え時間にこの原稿を書いている。日本の鈍行は通勤・通学用になっているから、昼間の運行は極端に少ない。乗り換え時間といっても、2時間も待たなくてはならない。
 今日、3つの列車を乗り継いできたが、どれも1両しかなかった。たった1両の列車が、雪のなかをとことこと進むのだ。
 稚内、音威子府、名寄、新旭川、上川と進んできた。停車した駅は、もう70近くになっていると思うが、そのなかで、駅員がいるのは10駅もない。あとはすべて無人駅なのだ。
 JRのなかでも、北海道はその経営が苦しいと聞いているが、ここまで進んでいるとは思わなかった。職員がいない駅が、線路に沿って延々と続いているのだ。
 1両しかない鈍行だから、車内販売など望めない。乗り換え駅の売店や駅前の店で、食べ物を買えばいいか……と思っていたが、北海道の過疎化は、また想像以上なのである。無人駅だらけだから、駅の売店などない。駅前には、コンビニどころか店が1軒もないことが多かった。北海道で鈍行に乗って旅をするためには、事前に食料を用意しておかなくてはならない。もうそんな世界なのだ。
 雪のなかをとことこと進む列車に乗りながら、アジアの鈍行列車の光景が浮かびあがってしかたなかった。とくにタイは、鈍行列車でも、必ず物売りが乗り込んでくる。地元のおばさんが多い。それぞれ、工夫した食べ物を家でつくり、笑顔と一緒に乗り込んでくる。彼女らにとったら、ちょっとしたアルバイト感覚である。
 通路には、必ずといっていいほど物売りが歩いている。ときに座席に座り、乗客と話し込む。アジアの列車の賑やかさを、たまらなく羨ましく思った。
 飛行機やバスの早さや安さに押され、列車の存在価値が薄れていくのは、タイも日本も変わらない。しかし日本の鉄道は、きちんとした運営を目指したばかりに、一度、その歯車が合わなくなると、無残さばかりが目だってきてしまうのだ。カーテンが閉められ、誰もいない駅舎ばかり見続ける旅は辛い。
              (4月6日)
  

Posted by 下川裕治 at 09:00Comments(2)

2012年04月02日

窓のない部屋に泊まる

 部屋を飾るもの……考えてみると、いままで人生で1回も買ったことがない。絵はもちろん、壁掛け、置物……やはりなにもない。いま、原稿を書いている部屋を眺めてみるが、やはりない。いくつかの本棚の間に、もらったカレンダーが掲げてあるだけだ。日本画が2枚あるが、これもいただいたものだ。
 部屋を飾る……。おそらく僕は、これまでの人生で、1回も考えてこなかったのだろう。なんだか寂しくなってくる。
 東京駅に近い東京国際フォーラムで開かれた『アートフェア東京2012』にでかけた。これは日本のギャラリーや画商が集まり、自分がかかえる作家の作品を展示し、販売していくイベントである。世界的にこの種のイベントが盛況なのだという。
 点在するギャラリーをまわるのは大変なことだ。それが一同に集まるわけだから、人気が集まるのも頷ける。
 しかし1点10万円を超えるような絵画などのアートである。ギャラリーがいつも閑散としているように、一部のコレクターがやってくる場所だと思っていた。
 しかしその入り口の立って戸惑った。大変な人なのだ。入場制限が起きるほどで、
「最後尾はこちらです」
 という係員の声が響いていた。
 そこに並ぶのは、白髪が目立つようなコレクターではなかった。ごく普通の日本人たちなのである。それも無料ではない。当日券は2000円もする。
 ここに作品を展示している作家に訊くと、若い人の多くは、芸術大学の学生ではないかという。しかしそれ以外の人は、気に入った作品があれば買いたいと思っている人らしい。
 おそらくその感覚が普通なのだろう。僕のようにインテリアにはまったく関心がない人間のほうが少数派なのだ。
 海外のホテルに泊まることが多い。バックパッカーのように旅をしてきたから、かなりひどい部屋でも寝ることはできる。きっとはじめの頃は、僕にも部屋へのこだわりがあったのかもしれないが、こういう旅をするうちに、許容範囲はめちゃくちゃ広くなってしまった。それができるのも、きっと、部屋というものへのこだわりが少ないタイプだからなのだろう。
 しかしちょっと避けたい部屋もある。それは窓のない部屋だ。中国や台湾のホテルでときどきでくわす。中国では最近、チェーンホテルが急増している。そのなかで、いちばん安い部屋を選ぶと、ときに窓がない。
 あれだけ広い国土をもっているというのに、平気で窓なし部屋を設計してしまう。
 しかしそんな部屋になっても、追加料金を払って、部屋を変えてもらうことはない。
「次にくるときには別の部屋にするか」
 とその部屋で寝てしまう。こうして僕の部屋への許容範囲は、また広がっていく。

  

Posted by 下川裕治 at 10:29Comments(1)