2025年04月14日
トランプが突きつけるもの
最寄り駅の駅前ビルにあるそば屋にときどき入る。コロナ禍前は深夜まで店を開けてくれていたが、ここ1年、2年、閉店時刻がしばしば変わる。やはり人手不足なのだろう。求人の貼り紙がよく出ている。
土曜日の晩、ライブの後でこのそば屋に入った。接客担当はふたりの女性だった。ひとりの女性の受け答えに安定感があった。この種の仕事に慣れているのかもしれないが、応対が的確で心地よかった。
支払いのためにレジに向かった。そこで対応してくれたのもその女性だった。
ふと顔を見ると、3~4個のリップピアスをつけていた。注文したとき、髪を金髪に染めていることは気づいたが、リップピアスまでは気づかなかった。
ふと30年以上前のロンドンを思い出していた。郵便局に行くと、窓口に、モヒカン刈り髪を緑色に染めた青年がいた。一瞬、戸惑った。ところがその青年が親切だった。日本に小包便を出そうとしていた。どうすれば安く、そして早く着くか……わかりやすい英語で説明してくれた。
イギリスもそうだったと思うが、郵便局員は公務員のはずだった。上司は青年の緑のモヒカン刈りには悩んだかもしれない。しかし人は外観では判断してはいけない。多様性を受け入れる時代だ。そんな意識が働いた気がする。僕は緑色のモヒカン刈りが揺れる郵便局の光景に、「これからはこうなっていくんだろうなぁ」と呟いていた。
多様な人々を受け入れていく……。その方向に心地よさを感じてもいた。しかし考えてみれば、リップピアスの女性店員やモヒカン刈りの郵便局員の対応が極端に悪かったら、僕はどう反応していただろうかと思う。
多様性を受け入れる……この話をいまのアメリカに結びつけるのはいささか飛躍しすぎだろうか。アメリカ大統領選で、トランプの共和党と民主党の争点のひとつが、この多様性への対応だった。多様性を受け入れる民主党はリベラルな都市インテリ層が支持するという構図が鮮明になっていた。それが敗因でもあったと選挙後にいわれたものだった。
多様性を受け入れるという感覚は、生理的なものではなく、「そういう社会に向かわなくてはいけない」という理念を優先する人々が共有するものだった。
トランプが選挙戦略として展開してきたものは、そういった民主主義の理念のほころびを突くことだったようにも思う。より生理的な感覚で生きていく。それがアメリカの復活につながる、と。
それはヨーロッパの極右政党にも通じている。移民によって仕事を奪われた階層の支持を集める手法は、理念と生理的な感覚のどちらを優先させるのか、といい換えられる気がしないでもない。
日本も早晩、極右的なにおいをまとった政党が票を集めるようになるだろう。日本でもさまざまな場所で外国人が働いている。多様性を受け入れる社会という民主主義の理念は生活の苦しさの前では脆いものなのか。
僕は大学を出、東京に住み、原稿を書いて生きている。それはアメリカで民主党を支持した都市インテリとかなりだぶってくる。
たしかにいまも、多様性を受け入れる発想のほうがしっくりとくる。僕は日本が多様性を標榜した時代の申し子なのかもしれない。
世界はトランプ関税で揺れている。しかしその背後にある変化に、僕は戸惑っている。いまの世界の動揺のなかで僕も揺れている。
■YouTub「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
土曜日の晩、ライブの後でこのそば屋に入った。接客担当はふたりの女性だった。ひとりの女性の受け答えに安定感があった。この種の仕事に慣れているのかもしれないが、応対が的確で心地よかった。
支払いのためにレジに向かった。そこで対応してくれたのもその女性だった。
ふと顔を見ると、3~4個のリップピアスをつけていた。注文したとき、髪を金髪に染めていることは気づいたが、リップピアスまでは気づかなかった。
ふと30年以上前のロンドンを思い出していた。郵便局に行くと、窓口に、モヒカン刈り髪を緑色に染めた青年がいた。一瞬、戸惑った。ところがその青年が親切だった。日本に小包便を出そうとしていた。どうすれば安く、そして早く着くか……わかりやすい英語で説明してくれた。
イギリスもそうだったと思うが、郵便局員は公務員のはずだった。上司は青年の緑のモヒカン刈りには悩んだかもしれない。しかし人は外観では判断してはいけない。多様性を受け入れる時代だ。そんな意識が働いた気がする。僕は緑色のモヒカン刈りが揺れる郵便局の光景に、「これからはこうなっていくんだろうなぁ」と呟いていた。
多様な人々を受け入れていく……。その方向に心地よさを感じてもいた。しかし考えてみれば、リップピアスの女性店員やモヒカン刈りの郵便局員の対応が極端に悪かったら、僕はどう反応していただろうかと思う。
多様性を受け入れる……この話をいまのアメリカに結びつけるのはいささか飛躍しすぎだろうか。アメリカ大統領選で、トランプの共和党と民主党の争点のひとつが、この多様性への対応だった。多様性を受け入れる民主党はリベラルな都市インテリ層が支持するという構図が鮮明になっていた。それが敗因でもあったと選挙後にいわれたものだった。
多様性を受け入れるという感覚は、生理的なものではなく、「そういう社会に向かわなくてはいけない」という理念を優先する人々が共有するものだった。
トランプが選挙戦略として展開してきたものは、そういった民主主義の理念のほころびを突くことだったようにも思う。より生理的な感覚で生きていく。それがアメリカの復活につながる、と。
それはヨーロッパの極右政党にも通じている。移民によって仕事を奪われた階層の支持を集める手法は、理念と生理的な感覚のどちらを優先させるのか、といい換えられる気がしないでもない。
日本も早晩、極右的なにおいをまとった政党が票を集めるようになるだろう。日本でもさまざまな場所で外国人が働いている。多様性を受け入れる社会という民主主義の理念は生活の苦しさの前では脆いものなのか。
僕は大学を出、東京に住み、原稿を書いて生きている。それはアメリカで民主党を支持した都市インテリとかなりだぶってくる。
たしかにいまも、多様性を受け入れる発想のほうがしっくりとくる。僕は日本が多様性を標榜した時代の申し子なのかもしれない。
世界はトランプ関税で揺れている。しかしその背後にある変化に、僕は戸惑っている。いまの世界の動揺のなかで僕も揺れている。
■YouTub「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
Posted by 下川裕治 at 14:10│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。