2023年08月28日
慶應という魔物
夏の甲子園で慶應高校が優勝した。決勝戦が行われていたとき、僕は事務所で仕事をしていた。ちょうど大学で一緒に新聞を発行していた友人が、僕の事務所にきていた。近くで机に向かっていた事務所のメンバーが気を遣ったのか、僕らに試合の途中経過を伝えてくれた。
「慶應がリードしてますよ」
知人がぼそっとこう答えた。
「僕らはそういう学生じゃなかったから」
僕らは慶應大学新聞会に所属していた。大学に批判的な新聞を発行していた。
僕は慶應義塾大学に入学したが、この大学の日本のなかの立ち位置にはあまり関心がなかった。いくつかの大学に合格したが、偏差値の高い学部を選んだだけのことだった。
しかし日吉のキャンパスに通いながら、ある種の違和感を覚えていく。それは慶應ボーイズに代表されるような垢ぬけてスマートな都会育ちの同級生たちへのコンプレックスだった気もする。
慶應義塾大学には、外部受験組と内部進学組がいた。僕が合格した学部は、当時、2割ほどが内部進学組だった記憶がある。その姿や振る舞いで慶應ボーイズを地でいっていたのは内部進学組だった。慶應には幼稚舎と呼ばれる小学校から高校までの付属校があり、そこから受験をせずに進学してきた学生たちだった。そのなかで最も多かったのが、塾高と呼ばれる、甲子園で優勝した慶應高校からの進学組だった。
信州の高校を出、京都の予備校に通って慶應に入った僕は、彼らの育ちのよさのようなものについていけなかった。
入学した頃、大学は全共闘運動のうねりがまだ残っていた。僕は中核や革マル派といったセクトには入らなかったが、慶應のなかの左翼系グループに入っていった。慶應では学費値あげや入試漏洩問題が起きていく。僕はそのなかで日吉の学生自治会のメンバーになり、大学に抗議するデモやストの渦中に入り込んでいく。
稚拙な組織だったが、慶應義塾という大学に歯向かうことになる。しかし、僕らがつくったバリケードを壊し、学内デモをする僕らに殴りかかってくる学生の集団がいた。その中心は塾高からの進学組で、体育会に所属する学生たちだった。そこには野球部の学生もいたはずだ。
彼らは慶應カラーの信奉者だった。大学に批判的な学生を許そうとしなかった。
学園闘争というものは陰湿でつらい側面をもっている。学生を分断し、同級生のなかに軋轢を生む。僕の学内闘争は、しだいに塾高から進学し、体育会に入った学生との衝突に収斂していってしまう。その渦中に入ってしまった僕は、彼らに何回も殴られた。それは消えない記憶となって、いまの僕のなかにある。
僕らの反発に大学はなにも答えなかった。しかし学内には、慶應シンパがしっかり配置されていて、彼らが慶應警察のように反抗分子を押さえ込んでいってしまう。魔物のような大学だと思った。
昔の話である。僕が卒業する頃には学内闘争も沈静化していった。いまの慶應には当時の学生間の軋轢もないのだろう。だからといって、甲子園で活躍する慶應高校の球児を素直に応援することができない。
慶應高校の大応援団が話題になっている。慶應ネットワークを使い、慶應高校の野球部はこれからも優秀な選手を集めていくのだろう。
慶應は僕にとって、いまでも魔物である。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
「慶應がリードしてますよ」
知人がぼそっとこう答えた。
「僕らはそういう学生じゃなかったから」
僕らは慶應大学新聞会に所属していた。大学に批判的な新聞を発行していた。
僕は慶應義塾大学に入学したが、この大学の日本のなかの立ち位置にはあまり関心がなかった。いくつかの大学に合格したが、偏差値の高い学部を選んだだけのことだった。
しかし日吉のキャンパスに通いながら、ある種の違和感を覚えていく。それは慶應ボーイズに代表されるような垢ぬけてスマートな都会育ちの同級生たちへのコンプレックスだった気もする。
慶應義塾大学には、外部受験組と内部進学組がいた。僕が合格した学部は、当時、2割ほどが内部進学組だった記憶がある。その姿や振る舞いで慶應ボーイズを地でいっていたのは内部進学組だった。慶應には幼稚舎と呼ばれる小学校から高校までの付属校があり、そこから受験をせずに進学してきた学生たちだった。そのなかで最も多かったのが、塾高と呼ばれる、甲子園で優勝した慶應高校からの進学組だった。
信州の高校を出、京都の予備校に通って慶應に入った僕は、彼らの育ちのよさのようなものについていけなかった。
入学した頃、大学は全共闘運動のうねりがまだ残っていた。僕は中核や革マル派といったセクトには入らなかったが、慶應のなかの左翼系グループに入っていった。慶應では学費値あげや入試漏洩問題が起きていく。僕はそのなかで日吉の学生自治会のメンバーになり、大学に抗議するデモやストの渦中に入り込んでいく。
稚拙な組織だったが、慶應義塾という大学に歯向かうことになる。しかし、僕らがつくったバリケードを壊し、学内デモをする僕らに殴りかかってくる学生の集団がいた。その中心は塾高からの進学組で、体育会に所属する学生たちだった。そこには野球部の学生もいたはずだ。
彼らは慶應カラーの信奉者だった。大学に批判的な学生を許そうとしなかった。
学園闘争というものは陰湿でつらい側面をもっている。学生を分断し、同級生のなかに軋轢を生む。僕の学内闘争は、しだいに塾高から進学し、体育会に入った学生との衝突に収斂していってしまう。その渦中に入ってしまった僕は、彼らに何回も殴られた。それは消えない記憶となって、いまの僕のなかにある。
僕らの反発に大学はなにも答えなかった。しかし学内には、慶應シンパがしっかり配置されていて、彼らが慶應警察のように反抗分子を押さえ込んでいってしまう。魔物のような大学だと思った。
昔の話である。僕が卒業する頃には学内闘争も沈静化していった。いまの慶應には当時の学生間の軋轢もないのだろう。だからといって、甲子園で活躍する慶應高校の球児を素直に応援することができない。
慶應高校の大応援団が話題になっている。慶應ネットワークを使い、慶應高校の野球部はこれからも優秀な選手を集めていくのだろう。
慶應は僕にとって、いまでも魔物である。
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14:36
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2023年08月21日
つらいトークイベントが迫っている
2週間ほどバンコクに滞在し、金曜日の夜に帰国した。今年11月に発売される「歩くバンコク」の仕事だった。当然、バンコクを歩きまわることになる。そこで痛感したのは、ますます薄くなる日本の存在感だった。コロナ禍前から、僕はことあるごとにこの傾向について触れてきた。いまさらながらの感もあるが、やはり気になる。観光地に出向いても日本人の姿を見ない。カオサン通りを歩いても日本語はほとんど聞こえてこない。呼び込みのタイ人たちも日本語を忘れてしまったようだ。バンコク市内の表示からも日本語が消えつつある。英語、中国語、韓国語はあっても……。
その理由を円安とじりじりあがるタイの物価高に求める人は多い。いま1バーツは4円を超えてしまった。このままいけば5円という人もいる。物価もあがっている。クイッティオというどこにもあるそばは50バーツから60バーツになった。もう安いアジアの国ではない。
しかし円安と物価高は、タイを訪れる旅行者が増えない一因にすぎないと思う。日本の影が薄くなってきたのは5年以上前からだ。コロナ禍で人の往来が2年以上止まり、その後、各国からの旅行者が戻りつつある。そのなかで、日本人の動きが緩慢だから目立ってしまうだけのことだ。
それは僕が数年前から抱いていたある種の危機感だった。「旅する桃源郷」(産業編集センター刊)を書かせたのは、旅がしぼんでいくような空気のなかでの焦りでもあった。
たしかに本を書きはじめたきっかけは、新型コロナウイルスの感染拡大だった。人々の旅は厳しく制限され、旅に出たくてもその機会すら手に入らない状況に陥っていた。
海外への旅が難しい環境のなかで、はじめこそ旅への渇望を口にする人が多かった。しかし、いつ旅が可能になるのかもわからない日々のなかで、日本人はその日常を受け入れていく。そして旅というものがない生活に馴染んでいくことになる。その変わり身は意外なほど早く、それを突き詰めていくと、コロナ禍前からはじまっていた海外への旅離れのようなものに行きついてしまうのだ。
旅とは所詮、そんなものだったのか。
それが僕が抱えてしまった葛藤だった。僕がその風潮に抗うように旅に出た。僕には桃源郷ともいえる街があり、そこを訪ねることで心の均衡を保つようなところがあった。
僕は20代の頃から旅に出た。バックパッカー旅といわれる旅のスタイルだったが、金をかけないというスタイルの旅が目的だったわけではない。僕は日本という国の暮らしから逃げたかったのだ。厳しい人間関係からの逃避だった。そんな僕を救ってくれたのは、うっとりするような絶景や安くておいしい料理ではなかった。現地で僕を受け入れてくれた人たちだった。僕は彼らに支えられてなんとか生きてきた。彼らが暮らす街が、僕の桃源郷である。僕の旅とはそういうものだった。
だから円安にシフトし、現地の物価があがったからといって、旅を諦めることはできない。僕の旅を強要するつもりはないが、旅に出ることを忘れてしまったかのような日本人には違和感がある。
いや、もともと僕のような旅人は少数派なのだろう。資金が乏しいのに旅に出る。それは当然、ビンボー旅行になる。その部分だけが切りとられて、僕の本は売れたが、それは振り返れば不幸なことだったのか。
実は「旅する桃源郷」のトークイベントが4日後にある。
http://www.nomad-books.co.jp/event/event.htm
いま、僕は自分の旅の隘路に入り込んでしまっていて、なにを話したらいいのかわからないでいる。つらいトークイベントが近づいている。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
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その理由を円安とじりじりあがるタイの物価高に求める人は多い。いま1バーツは4円を超えてしまった。このままいけば5円という人もいる。物価もあがっている。クイッティオというどこにもあるそばは50バーツから60バーツになった。もう安いアジアの国ではない。
しかし円安と物価高は、タイを訪れる旅行者が増えない一因にすぎないと思う。日本の影が薄くなってきたのは5年以上前からだ。コロナ禍で人の往来が2年以上止まり、その後、各国からの旅行者が戻りつつある。そのなかで、日本人の動きが緩慢だから目立ってしまうだけのことだ。
それは僕が数年前から抱いていたある種の危機感だった。「旅する桃源郷」(産業編集センター刊)を書かせたのは、旅がしぼんでいくような空気のなかでの焦りでもあった。
たしかに本を書きはじめたきっかけは、新型コロナウイルスの感染拡大だった。人々の旅は厳しく制限され、旅に出たくてもその機会すら手に入らない状況に陥っていた。
海外への旅が難しい環境のなかで、はじめこそ旅への渇望を口にする人が多かった。しかし、いつ旅が可能になるのかもわからない日々のなかで、日本人はその日常を受け入れていく。そして旅というものがない生活に馴染んでいくことになる。その変わり身は意外なほど早く、それを突き詰めていくと、コロナ禍前からはじまっていた海外への旅離れのようなものに行きついてしまうのだ。
旅とは所詮、そんなものだったのか。
それが僕が抱えてしまった葛藤だった。僕がその風潮に抗うように旅に出た。僕には桃源郷ともいえる街があり、そこを訪ねることで心の均衡を保つようなところがあった。
僕は20代の頃から旅に出た。バックパッカー旅といわれる旅のスタイルだったが、金をかけないというスタイルの旅が目的だったわけではない。僕は日本という国の暮らしから逃げたかったのだ。厳しい人間関係からの逃避だった。そんな僕を救ってくれたのは、うっとりするような絶景や安くておいしい料理ではなかった。現地で僕を受け入れてくれた人たちだった。僕は彼らに支えられてなんとか生きてきた。彼らが暮らす街が、僕の桃源郷である。僕の旅とはそういうものだった。
だから円安にシフトし、現地の物価があがったからといって、旅を諦めることはできない。僕の旅を強要するつもりはないが、旅に出ることを忘れてしまったかのような日本人には違和感がある。
いや、もともと僕のような旅人は少数派なのだろう。資金が乏しいのに旅に出る。それは当然、ビンボー旅行になる。その部分だけが切りとられて、僕の本は売れたが、それは振り返れば不幸なことだったのか。
実は「旅する桃源郷」のトークイベントが4日後にある。
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いま、僕は自分の旅の隘路に入り込んでしまっていて、なにを話したらいいのかわからないでいる。つらいトークイベントが近づいている。
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2023年08月14日
暑さに抗わないという麺?
8月初旬、ソウルにいた。この時期の韓国は日本並みに暑い。気温は35度近くになる。スマホのアラームが何回も鳴った。内容は韓国語でわからない。ソウル在住の日本人に見てもらうと、「気温が高いので注意してください」という内容だった。日本同様、熱中症で緊急搬送される人も多いらしい。
夏の韓国でいつも食べる麺がある。チョゲククス。鶏がらのスープの冷たい麺だ。どこの店にもある麺ではなく、夏場だけしかない限定麺でもある。多くの店がスープを凍らせて器に入れてくれる。
日本でいったら冷やし中華といった所だろうが、僕はチョゲククスのほうが好きだが。
韓国の夏の麺といえば冷麺でしょ……という人は少なくない。韓国の人もそういう。しかし冷麺は、昼に食べると、なにか物足りない。焼肉の後で〆として食べると、その味に唸るが、舌にまつわりついた焼肉の脂が隠し味になっているのかもしれない。調べると、冷麺というのは、もともと冬に食べる麺だという。暑い夏の昼食という想定の麺ではないのだ。
韓国の冷麺、チョゲククス、日本の冷やし中華と考えたとき、ふとタイを思った。タイは1年中暑い。冷たい麺料理があってもいいような気がするが、いまだに出合ってはいない。タイ料理は中国の影響を強く受けているから、食べ物の陰と陽の世界かとも思っているが、タイ人の食生活を見ていると、それほど陰と陽にこだわっているようでもない。しかしいくら暑くても、冷たい麺料理というものが食堂にお目見えしない。
沖縄もそうだ。本土よりかなり暑い。しかし麺といえば沖縄そばで、その冷やし版……となるとあまり聞かない。旅を生業にしているから、食べたことのない料理に出合うと、つい頼んでしまう。那覇空港がいまのように立派になる前、空港の食堂で冷やし沖縄そばに出合った。シークワーサーを使った麺で、酸味がさわやかだった。沖縄で広まっていくような気がしたが、その後、1回も冷やし沖縄そばを目にはしていない。いつの間にか消えていってしまったようだ。
寒い冬と暑い夏があるエリアでは、夏になると冷たい麺を食べる。しかしのべつ暑いエリアには冷たい麺がない……。これはどういうことだろうか。
沖縄で生まれ育った知人がこんなことをいっていた。
「東京のラーメンはおいしいけど、スープが熱すぎる。暑い時期にあれを食べるのは難儀さー」
熱いスープは疲れるというのだ。そう考えてみると、沖縄で食べる沖縄そばのスープはややぬるい。本土からの観光客のなかにはしっくりこない人もいるらしい。
タイのクイッティオという麺もそのスープは、日本のラーメンほど熱くない。ぬるいというほどではないが、熱々ではない。
熱い地方の人はややぬるいスープの麺を好み、冷たい麺は食べない。寒暖差が激しいエリアの人は熱いスープを好み、暑い夏は冷たい麺に食指が動く。
暑い地方の人は、その熱と一体になって生きているということだろうか。暑さに抗うようなことはしない。暑さを体にとり込む。ぬるいスープはその延長線上にある。
日本は猛暑がつづく。皆、暑さに対抗しようとする。地球の温暖化のなかで、そろそろ発想を変える時期なのかもしれない
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夏の韓国でいつも食べる麺がある。チョゲククス。鶏がらのスープの冷たい麺だ。どこの店にもある麺ではなく、夏場だけしかない限定麺でもある。多くの店がスープを凍らせて器に入れてくれる。
日本でいったら冷やし中華といった所だろうが、僕はチョゲククスのほうが好きだが。
韓国の夏の麺といえば冷麺でしょ……という人は少なくない。韓国の人もそういう。しかし冷麺は、昼に食べると、なにか物足りない。焼肉の後で〆として食べると、その味に唸るが、舌にまつわりついた焼肉の脂が隠し味になっているのかもしれない。調べると、冷麺というのは、もともと冬に食べる麺だという。暑い夏の昼食という想定の麺ではないのだ。
韓国の冷麺、チョゲククス、日本の冷やし中華と考えたとき、ふとタイを思った。タイは1年中暑い。冷たい麺料理があってもいいような気がするが、いまだに出合ってはいない。タイ料理は中国の影響を強く受けているから、食べ物の陰と陽の世界かとも思っているが、タイ人の食生活を見ていると、それほど陰と陽にこだわっているようでもない。しかしいくら暑くても、冷たい麺料理というものが食堂にお目見えしない。
沖縄もそうだ。本土よりかなり暑い。しかし麺といえば沖縄そばで、その冷やし版……となるとあまり聞かない。旅を生業にしているから、食べたことのない料理に出合うと、つい頼んでしまう。那覇空港がいまのように立派になる前、空港の食堂で冷やし沖縄そばに出合った。シークワーサーを使った麺で、酸味がさわやかだった。沖縄で広まっていくような気がしたが、その後、1回も冷やし沖縄そばを目にはしていない。いつの間にか消えていってしまったようだ。
寒い冬と暑い夏があるエリアでは、夏になると冷たい麺を食べる。しかしのべつ暑いエリアには冷たい麺がない……。これはどういうことだろうか。
沖縄で生まれ育った知人がこんなことをいっていた。
「東京のラーメンはおいしいけど、スープが熱すぎる。暑い時期にあれを食べるのは難儀さー」
熱いスープは疲れるというのだ。そう考えてみると、沖縄で食べる沖縄そばのスープはややぬるい。本土からの観光客のなかにはしっくりこない人もいるらしい。
タイのクイッティオという麺もそのスープは、日本のラーメンほど熱くない。ぬるいというほどではないが、熱々ではない。
熱い地方の人はややぬるいスープの麺を好み、冷たい麺は食べない。寒暖差が激しいエリアの人は熱いスープを好み、暑い夏は冷たい麺に食指が動く。
暑い地方の人は、その熱と一体になって生きているということだろうか。暑さに抗うようなことはしない。暑さを体にとり込む。ぬるいスープはその延長線上にある。
日本は猛暑がつづく。皆、暑さに対抗しようとする。地球の温暖化のなかで、そろそろ発想を変える時期なのかもしれない
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13:47
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2023年08月08日
【イベント告知】新刊『旅する桃源郷』発売記念
下川裕治の新刊『旅する桃源郷』発売を記念して、トークイベントを開催いたします。
詳細は以下です。ぜひ、ご参加ください!
新刊『旅する桃源郷』

◆下川裕治さん トークイベント◆
「旅して見つけた世界の桃源郷」
----------------------------------------------------------------------
新刊『旅する桃源郷』(産業編集センター)の発売を記念して、旅行作家の下川裕治さんをお招きして、これまでの旅で出会った魅力的な「桃源郷」についてスライドを眺めながらたっぷりと語っていただきます。
前作『僕はこんなふうに旅をしてきた』では、眼鏡のレンズが変形するほどの炎熱列車、バス内で一晩中続いた大ゲンカ、鮮烈に記憶に残った夕焼けなど、『12万円で世界を歩く』で旅行作家としてデビューして以降の100冊を越える作品の中からテーマ別に厳選したエピソードを綴っていた下川さん。
新刊は、ラオスのルアンパバーン、パキスタンのフンザ、ウズベキスタンのサマルカンド、チベットのラサなど、それらの地がなぜ桃源郷なのかを自身の人生を重ねながら、その理由を紡いだ紀行エッセイになっています。今も精力的に世界を旅する下川さんだけに、世界中の様々な場所に存在する桃源郷についての貴重なお話が聞けるはずです。
下川ファンの方はもちろん、世界の桃源郷に興味のある方やバックパッカーの旅が好きな方はぜひご参加ください!
※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。
------
●下川裕治(しもかわゆうじ)
1954年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経てフリーに。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。
『「生き場」を探す日本人』『シニアひとり旅バックパッカーのすすめ アジア編』(ともに平凡社新書)、『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』(中経の文庫)、『日本の外からコロナを語る』(メディアパル)など著書多数。
◆下川裕治さんブログ「たそがれ色のオデッセイ」
http://odyssey.namjai.cc/
------
【開催日時】
8月24日(木) 19:30~(開場19:00)
【参加費】
1000円(会場参加)
※当日、会場にてお支払い下さい
1000円(オンライン配信)
※下記のサイトからお支払い下さい
https://twitcasting.tv/nomad_books/shopcart/249241
【会場】
旅の本屋のまど店内
【申込み方法】
お電話、e-mail、または直接ご来店の上、お申し込みください。
TEL&FAX:03-5310-2627
e-mail :info@nomad-books.co.jp
※お名前、お電話番号、参加人数を明記してください。
※定員になり次第締め切らせていただきます。
【お問い合わせ先】
旅の本屋のまど
TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)
東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
http://www.nomad-books.co.jp
主催:旅の本屋のまど
協力:産業編集センター新刊
詳細は以下です。ぜひ、ご参加ください!
新刊『旅する桃源郷』

◆下川裕治さん トークイベント◆
「旅して見つけた世界の桃源郷」
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新刊『旅する桃源郷』(産業編集センター)の発売を記念して、旅行作家の下川裕治さんをお招きして、これまでの旅で出会った魅力的な「桃源郷」についてスライドを眺めながらたっぷりと語っていただきます。
前作『僕はこんなふうに旅をしてきた』では、眼鏡のレンズが変形するほどの炎熱列車、バス内で一晩中続いた大ゲンカ、鮮烈に記憶に残った夕焼けなど、『12万円で世界を歩く』で旅行作家としてデビューして以降の100冊を越える作品の中からテーマ別に厳選したエピソードを綴っていた下川さん。
新刊は、ラオスのルアンパバーン、パキスタンのフンザ、ウズベキスタンのサマルカンド、チベットのラサなど、それらの地がなぜ桃源郷なのかを自身の人生を重ねながら、その理由を紡いだ紀行エッセイになっています。今も精力的に世界を旅する下川さんだけに、世界中の様々な場所に存在する桃源郷についての貴重なお話が聞けるはずです。
下川ファンの方はもちろん、世界の桃源郷に興味のある方やバックパッカーの旅が好きな方はぜひご参加ください!
※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。
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●下川裕治(しもかわゆうじ)
1954年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経てフリーに。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。
『「生き場」を探す日本人』『シニアひとり旅バックパッカーのすすめ アジア編』(ともに平凡社新書)、『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』(中経の文庫)、『日本の外からコロナを語る』(メディアパル)など著書多数。
◆下川裕治さんブログ「たそがれ色のオデッセイ」
http://odyssey.namjai.cc/
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【開催日時】
8月24日(木) 19:30~(開場19:00)
【参加費】
1000円(会場参加)
※当日、会場にてお支払い下さい
1000円(オンライン配信)
※下記のサイトからお支払い下さい
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【会場】
旅の本屋のまど店内
【申込み方法】
お電話、e-mail、または直接ご来店の上、お申し込みください。
TEL&FAX:03-5310-2627
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【お問い合わせ先】
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東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
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2023年08月08日
LCC疲れがMCCを生む?
MCC(ミドル・コスト・キャリア)という用語がようやく定着してきた感がある。飛行機はFSC(フル・サービス・キャリア)とLCC(ロー・コスト・キャリア)という状態が長くつづいていた。FSCはレガシーキャリアともいわれる。日本でいえば、日本航空や全日空がそれにあたる。MCCは、FSCとLCCの中間を狙った航空会社だ。
アジアでこの動きを感じとったのは10年ほど前だ。タイ国際航空の子会社としてタイ・スマイルが誕生したのだ。裏にあったのはタイ国際航空内の内部分裂だと聞いた。造反組がつくったのがタイ・スマイルだった。
タイ国際航空より安く、LCCよりは高いという運賃の価格帯。タイ国際航空ほどしっかりはしていないが、無料で機内食がつく。預ける荷物は無料。だが、タイ国際航空のようにスターアライアンスのマイルは貯まらない……など見劣りはする。しかしタイではシニア層を中心に利用者が増えていく。タイ国際航空は高いが、LCCはちょっと……というニーズに応えたわけだ。
台湾のスターラックス航空が就航をはじめたのは2020年。この航空会社の誕生はエバー航空のお家騒動が発端だった。エバー航空の創業者が死亡し、後継者争いが表面化する。後妻の子供である張國煒が次期社長という噂だったが、最終的にはエバー航空から追い出されてしまう。台湾社会に格好のワイドショーネタを提供したわけだが、彼がつくった航空会社がスターラックス航空だった。運賃や就航路線を見るとMCCをめざしているかのようだった。
しかしスターラックス航空はなかなかの人気で、いまやエバー航空やチャイナエアラインという台湾のFSCを凌ぐほどになってきている。
内部分裂やお家騒動がMCCを生む? 少し色合いは違うが、LCCの元経営者も動きはじめている。
韓国のLCCであるチェジュ航空の会長だったキム・ジョンチュルがつくったエアプレミアが好調なのだ。この航空会社は2021年に就航をはじめた。運賃はFSCとLCCの中間。ソウルー東京間は軽食程度だが、長距離路線は無料の機内食がつく。ソウル在住の知人も、最近は日本との往復によく使うという。LCC特有のストレスがないことがいいという。
タイでも新しい動きが起きている。ノックエアの元CEOがリアリークールエアラインをつくると3月に発表したのだ。その特色を見ると、どうも国際線のMCCをめざすようなのだ。
誕生の裏側にはきな臭さがにおってくる。しかし新しい航空会社をつくるとしたら、いまはMCCという流れが生まれている。アジアでLCCの就航がはじまって20年がすぎた。その安さは画期的で、航空業界を大きく変えたが、組織は硬直化しつつあるのか。利用者の間にも、LCC疲れのような意識が芽生えているのだろうか。
さて、僕はどうする? LCCの安さと、FSCのマイルに縛られて身動きがとれない。これは僕の硬直化?
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アジアでこの動きを感じとったのは10年ほど前だ。タイ国際航空の子会社としてタイ・スマイルが誕生したのだ。裏にあったのはタイ国際航空内の内部分裂だと聞いた。造反組がつくったのがタイ・スマイルだった。
タイ国際航空より安く、LCCよりは高いという運賃の価格帯。タイ国際航空ほどしっかりはしていないが、無料で機内食がつく。預ける荷物は無料。だが、タイ国際航空のようにスターアライアンスのマイルは貯まらない……など見劣りはする。しかしタイではシニア層を中心に利用者が増えていく。タイ国際航空は高いが、LCCはちょっと……というニーズに応えたわけだ。
台湾のスターラックス航空が就航をはじめたのは2020年。この航空会社の誕生はエバー航空のお家騒動が発端だった。エバー航空の創業者が死亡し、後継者争いが表面化する。後妻の子供である張國煒が次期社長という噂だったが、最終的にはエバー航空から追い出されてしまう。台湾社会に格好のワイドショーネタを提供したわけだが、彼がつくった航空会社がスターラックス航空だった。運賃や就航路線を見るとMCCをめざしているかのようだった。
しかしスターラックス航空はなかなかの人気で、いまやエバー航空やチャイナエアラインという台湾のFSCを凌ぐほどになってきている。
内部分裂やお家騒動がMCCを生む? 少し色合いは違うが、LCCの元経営者も動きはじめている。
韓国のLCCであるチェジュ航空の会長だったキム・ジョンチュルがつくったエアプレミアが好調なのだ。この航空会社は2021年に就航をはじめた。運賃はFSCとLCCの中間。ソウルー東京間は軽食程度だが、長距離路線は無料の機内食がつく。ソウル在住の知人も、最近は日本との往復によく使うという。LCC特有のストレスがないことがいいという。
タイでも新しい動きが起きている。ノックエアの元CEOがリアリークールエアラインをつくると3月に発表したのだ。その特色を見ると、どうも国際線のMCCをめざすようなのだ。
誕生の裏側にはきな臭さがにおってくる。しかし新しい航空会社をつくるとしたら、いまはMCCという流れが生まれている。アジアでLCCの就航がはじまって20年がすぎた。その安さは画期的で、航空業界を大きく変えたが、組織は硬直化しつつあるのか。利用者の間にも、LCC疲れのような意識が芽生えているのだろうか。
さて、僕はどうする? LCCの安さと、FSCのマイルに縛られて身動きがとれない。これは僕の硬直化?
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