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ナムジャイブログ

2023年04月24日

『歩くパリ』の役割

『歩くパリ』が発売になった。このシリーズのガイドブックは創刊からかかわっている。『歩くバンコク』をつくったのは、2000年のこと。それ以来、少しずつ発行するエリアが増えてきた。いろんなことがあった。発行してくれていた出版社が倒産したことがいちばん大きいできごとだった。新しい出版社との交渉があった。なんとか引きつづいて発行することができた。20年以上、このスタイルのガイドブックの製作にかかわってきたことになる。
 しかし2019年、2回目の大波に見舞われることになる。新型コロナウイルスである。観光目的の海外渡航ができなくなってしまったわけで、当然、このガイドも休刊することになった。
『歩くパリ』も休刊になった。そして3年ぶりに今回、なんとか発行にこぎつけた。
 コロナ禍前は、毎年、このシリーズを発行していた。街は生き物だから、その内容は変化していく。しかし変わらない部分もあるわけで、そのあたりのバランスのなかで発行をつづけてきた。このガイドは、右ページに地図、左側に10軒ほどの店が掲載される。これが基本構造である。地図も変わるが、左側の10軒の店は、そう6軒ぐらいが差し替わっていた。絶対的な人気店は、紹介する内容は変わっても、店は変わらなかった。
 しかし新型コロナウイルスは、その構造を大きく変えてしまった。昨年末に発行された『歩くバンコク』はほとんどの店が入れ替わった。パリも97%が新しい店になった。
 街の新陳代謝が一気に起きたわけだ。バンコクは変わり身の早い街だから、それも頷けるが、パリは伝統の都市である。それでも多くの店が消え、新しい店になった。コロナ禍の嵐の激しさを改めて実感してしまう。
 パリは変わった……。編集を進めながらそう思った。このガイドは現地に暮らす人たちが原稿を書き、写真を撮るスタイルでつくられる。現地の人たちの筆致も明らかに変わっていた。
 パリにとってコロナ禍はなんだったのか。
 冒頭の特集のなかにこんな文章がある。
──パリの人々が再認識したこと、それは、目を見開いて人生を丁寧にいきること──
 コロナ禍のなかでパリの人たちは悩み、こんな意識の変化を再認識していた。
 パリはトップレベルの観光地である。これまでのパリは、そのなかで生きていた。憧れの街だから生まれる尊大さ。ときにそれは鼻についた。コロナ禍の嵐は、そういうものを吹き飛ばしてしまったのかもしれない。今回の『歩くパリ』からはそんなにおいが伝わってくる。等身大のパリが広がる。それだけパリの人たちに余裕がなくなってきたということかもしれないが、こうしてパリはパンデミックを乗り越えようとしているようにも受けとれる。『歩くパリ』はガイドとしたらまだ胸を張れないかもしれないが、パリのいまの空気を的確に伝えている。ガイドにはそんな役割もある。

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Posted by 下川裕治 at 16:44Comments(0)

2023年04月17日

誰がガイドブックをつまらなくさせたのか

 知人から最近、発売になったというガイドブックを見せられた。日本国内向けのガイドなのだが、原稿はすべてネット情報からまとめ、写真は現地の店や観光協会から提供してもらったという。現地に出向くことは1回もなく、東京の事務所作業だけで1冊のガイドができあがったという。
 新聞記者を経験し、週刊誌の記者でもあった僕には抵抗感のある話だ。本当の姿が伝わらない。写真を見れば、取材に出向かずにつくられたことは一目瞭然。こういうガイドを誰が買うのか……と首を捻る。
 しかし現場には別の文脈が流れている。別のガイドブック編集者がこういう。
「掲載許可の連絡を店に入れる。すると、写真は用意するので、それを使うという条件を出されることが多いんです」
 提供される写真からは広告臭が漂うが、これを使えば経費が節約できる……。本が売れない時代。編集者はそうそろばんを弾いてしまう。
 実際、店舗の写真を撮るのは手間がかかる仕事だ。撮影時間に合わせて店は準備をしなくてはならない。お客さんが写り込むと肖像権の問題が出てくるので、店がすいている時間帯に撮影しなくてはならない。広告で使った写真を流用すれば、店も編集側も負担が減ることになる。
 しかしそれを読者はどう読むのか。
 人々の権利を守る流れのなかで、写真はずいぶんつまらなくなった。掲載する場合は、基本的に許可をとらなくてはいけない。
 あるカメラマンがこういう。
「写真を撮っていいですか、と許可をとって撮る人の表情と、許可をとらずに自然にシャッターを押したときの表情は明らかに違うんです。許可をとると、撮られる側はどうしても意識してしまうんです。そういう写真は基本的につまらない」
 人々の心に残る写真を思い返してみれば、その多くは、撮影許可などとっていない気がする。たとえば沢田教一が撮ったベトナム戦の「安全な逃避」にしても、撮影許可云々のレベルではない。
 以前、列車やバスの乗客の写真でカメラマンと話したことがあった。車内写真を撮ろうとすると、どうしても乗客が写り込んでしまう。では車内の乗客全員に撮影許可を撮るかどうか……という問題である。そのとき、8人以上ならOKという妙な論理も耳にした。つまり大勢……という発想。たとえば相撲のとり組みの写真に写り込んでしまう観客という考え方だ。しかしいつの間にか、列車の車内の写真はあまり見かけなくなった。肖像権を前提にした自主規制ということだろうか。
 自主規制さえすれば、肖像権について抗議されることもない。カメラマンにしても、撮影許可をとった人の表情は不自然になってしまうという思いもある。こうして写真の臨場感は削がれていく。いったい誰が、写真をつまらなくさせてしまったのだろうか。そこにはガイドブックに似た論理が横たわっているわけだ。
 以前、同じ事務所にいたイラストレーターの大崎メグミさんから彼女の新刊を受けとった。「鉄道車内絵日記」(天夢人刊)という本だ。彼女が乗った電車や列車を埋める乗客たちが堂々と出ている。「こういう人、いるよなぁ」と納得してしまう表情が描かれている。
「こういう手があったか」
 そこに広がるのびやかな世界が少し羨ましかった。


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Posted by 下川裕治 at 10:35Comments(1)

2023年04月10日

台湾が輝いて見える

 台湾をテーマにした原稿を書くことがしばしばある。原稿を書き進めながら、ふっと手が止まることが多い。台湾は一見、国のような顔をしているが、世界の多くの国が台湾を国とは認めていない。大陸、つまり中華人民共和国を国家として承認し、中華人民共和国は「ひとつの中国」という原則を崩していないからだ。この話になると、かなりややこしいことになるが、単純に表記として国は使いにくい。台湾とか島といったいい方でごまかすことになる。
 このなかで、知人の広橋賢蔵さんが台湾への帰化を果たした。その経緯をまとめているが、それが興味深い。
https://www.fsight.jp/articles/-/48728
 手つづきは、日本から「国籍喪失届不受理証明書」を受けとるところからはじまる。つまり「日本国籍を喪失する届を受けとりましたが、それは受理できません」という証明書だ。これを台湾はこう解釈する。
「日本政府は国籍返上に感知しないということだから、台湾への帰化手つづきを進められる」
 難解な論理である。台湾とはそういう島なのだ。ここでも国が使えない。
 しかし国とはいいがたい台湾がときに輝いて映る。
 2016年8月、台湾総統である蔡英文氏が、台湾の先住民に対して公式に謝罪した。これに対して、世界はこう反応した。
「ウイグル人をはじめととする中国共産党の少数民族への対応に対する強烈な批判だ」
 2019年の5月、台湾は同性婚を正式に認めた。アジア初のことだった。これも同性婚には批判的な中国共産党への「さやあて」という評価が多かった。
 さまざまな政策を深読みされてしまうのが台湾である。いや、台湾はそこまで読んでいるのか。
 中国共産党が一党支配する中国は、世界で最も強い権威主義国家のひとつである。そして国家というものを強く前面に出している。だから台湾に対して、「ひとつの中国」を押しつけてくる。中国がその論理を貫くと、最後にはどうなるかという展開を、多くの世界の人たちが香港で学んだ。
 しかし中国が権威主義を押しつけることに対して、台湾は人権で反応する。先住民という少数民族への謝罪、同性婚の認容といった方向は、中国が高圧的な姿勢を示せば示すほど強くなる。
 台湾人はわかっているのかもしれない。中国が武力で蹂躙しようすれば、台湾はひとたまりもないということを。
 しかしその圧力のなかで、台湾は世界でもトップレベルの人権が守られたエリアに育っていく。
 それは歴史の皮肉かもしれないが、そのなかで台湾は輝きを増していく。
 しかし台湾を国家とはいいにくい。
 国家とはなんなのか。台湾と中国の問題はその部分を浮き立たせる。
 来年の総統選に向けて、中国は次々に台湾に圧力をかけてくるのだろう。最近の動きをみると、そのあたりがよくわかる。

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Posted by 下川裕治 at 11:28Comments(0)

2023年04月03日

壊れていく友人たち

 壊れている……という表現をはじめて耳にしたのは、そう、10年ほど前だったろうか。大学時代の友達が、電車に飛び込み、自ら命を絶った。それから数週間がたったときだったと思う。彼の奥さんと一緒に何人かの友人で酒を飲むことになった。彼の奥さんも同じ大学だったような気がする。いってみれば、大学のサークルのメンバーが集まった「お別れ会」のような雰囲気もあった。僕らは大学で新聞を発行するサークルに所属していた。そのとき、奥さんはこういった。
「最後のほうは、もうだいぶ壊れていたから……」
「壊れる?」
 心が壊れている。
 心が折れるという意味ではない。
 そういう使い方をはじめて知った。
 その伝でいえば、いま、僕の周りには、心が壊れかけている友人が3人いる。
 そのひとりAさんの後輩から急に連絡が入った。
「Aさんと昨日、酒を飲んだんですけど、かなり壊れかけてますね」
 そんな内容だった。壊れるという表現は普通に使われているようだった。
 3人とも65歳前後である。僕より2、3歳若い。男性の更年期というものなのかと思ったが、それはもう少し若いようだ。ネットでみると40歳から60歳代前半に罹ることが多いらしい。知人たちは皆、更年期を越えて壊れはじめたということだろうか。
 Aさんは60歳まで企業で働いていた。再雇用を受けず、フリーランスになった。あとのふたりは、僕と同じようにフリーランスの身だ。僕の周りにいる人たちだから、なんらかの形で、文章を書く仕事にかかわっている。
 壊れていく兆候は、メールや電話でだいたいわかる。壊れかけてくると、周囲が見えなくなり、独善的になっていく。ただ完全に壊れたわけではないから、普通の内容の連絡がくる。しかし電話は深夜、固定電話にかかってきたりする。
「下川さんの携帯電話の番号がスマホから消えてしまって。ちょっと不安になったものだから」
 普段は携帯電話にかけても、まず出ない友人であるしかし翌朝になって、こんなメールが届く。
──昨夜は失礼しました。スマホに下川さんの携帯番号は入っていました。
 別の知人は深夜、いくら読んでも終わらないような長文のメールを送ってくる。これを書くために、いったい何時間かかったのだろうかと考え込んでしまう。文章が乱れているわけではない。しかしなぜ、このタイミングで、長いメールを書かなくてはいけないのかがわからない。
 昼間、返事をするのが疲れてしまうほどの長い電話がかかってくることもある。
 皆、生活は楽ではないと思う。一時はかなり売れっ子だった人もいる。しかし時代は流れ、存在感が薄れてきていることがわかる。思うようにいかないのだ。
 壊れかけている知人は、着実に老人への階段をのぼっているのかもしれない。心は壊れかけているが、首の皮一枚つながって、自ら命を絶たず、脂気のない無我の境地に辿り着けばいいのかもしれない。老いるということは意外に難しい。
 人のことをいえる状態ではないが、壊れかける時期にコロナ禍に遭遇し、うろうろしているうちに68歳になってしまった。僕にできることは、彼らと酒を一緒に飲むことぐらいしかない。

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Posted by 下川裕治 at 14:15Comments(0)