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ナムジャイブログ

2013年05月27日

かゆくてたまらない

 かゆい。腕がかゆくてしかたない。台湾から帰って1週間になるが、一向にかゆみが消えない。
 理由はわかっている。
 台中の嘉義を訪ね、廃駅を探した。ちょうどこのあたりを北回帰線が通っていて、かつて、北回帰線駅という貨物駅があったと聞いたからだ。
 なかなか廃駅はみつからなかった。近くの鉄工所のおじさんが、「知っている」と車で連れて行ってくれた。
 草むらを進み、線路に沿って草が茂った脇道を歩いた。やっと廃駅は見つかったが、その夜から、腕のかゆみがはじまった。
 蚊ではない。なにかの虫に刺されたのだ。その跡が残り、猛烈にかゆい。つい手でかいてしまう。すると翌日、その近くがぽつんと腫れはじめ、そこがまたかゆい。
 帰国して以来、台湾の本を書かなくてはならず、部屋にこもっている時間が長い。外に出れば気もまぎれるのかもしれないが、原稿に詰まると、かゆさが募る。
 あのときと同じだった。インドネシアのスラウェシ島の熱帯雨林に入ったときだった。倒木の上に腰をおろすと、一気に蟻が這いあがってきた。その森で、なにかの虫に刺された。
 帰国後、足首がかゆくてたまらない。どうしても手でかいてしまう。するとその近くが腫れた。突起の上は血が滲んだように赤く、それがどんどん足首に広がっていった。自分でも気持ちが悪くなり、専門医を訪ねた。塗り薬を処方され、そう、1ヵ月ぐらいかかって治った記憶がある。
 症状は似ているが、突起の上が赤くなることはない。広がる速度も、スラウェシ島のそれに比べると遅い。
 しかしかゆい。こうして原稿を書いていても、腕をかゆみが走る。明日は皮膚科に出向いたほうがいいのだろうか。
 さまざまな国を歩いてきたから、多種多様の虫に刺されてきた。日本という、不快害虫の世界ではやわな国に育ったから、虫には弱い体質なのかもしれない。ほかの日本人に比べれば、多くの虫に刺されているはずなのに一向に免疫が育たない。
 いや、虫の毒というものは、免疫にならないものなのだろうか。あるいはその都度、種類が違うのかもしれない。
 蚊には免疫性がある気がする。日頃、刺され続けていると、かゆみが弱くなるような気がする。しかしそれは、蚊というわかりやすい昆虫の話にすぎないのだろう。
 いったいどれだけの虫がアジアの草むらのなかには潜んでいるのだろうか。とても人間など太刀打ちできない世界である。
 台湾の自然は思った以上に濃密だ。書き終わればの話だが、本は7月に発売される。かゆさと格闘しながら書いたといったら、読者は手にとるのをためらうのだろうか。

(お知らせ)
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Posted by 下川裕治 at 14:21Comments(0)

2013年05月20日

【お知らせ】下川裕治 スライド&トークショー

◆新刊「不思議列車がアジアを走る」 発売記念◆
下川裕治さん スライド&トークショー

「ローカル鉄道で巡るアジア旅の魅力」


(C)中田浩資


 新刊『不思議列車がアジアを走る』(双葉文庫)の発売を記念して、旅行作家の下川裕治さんをお招きしてローカル鉄道で巡るアジア旅の魅力についてスライドと動画を眺めながらたっぷりと語っていただきます。
 見覚えある日本の中古車両が走るジャカルタ、真冬のシルク ロード南疆鉄道、レトロな味わいの台湾内湾線、日本が敷いた線路を時速32キロで走るサハリン鉄道など、本書でインドネシア、中国、ミャンマー、台湾、タイ、韓国、サハリンといったアジア各国をゆったりと走る不思議な各駅停車の旅を体験した下川さん。ローカル鉄道でしか味わえないアジア各国のさまざまな文化や風習の違いについて、下川さんの貴重な体験談が聞けると思いますよ。下川ファンの方はもちろん、鉄道好きの方やアジア各国のローカルな文化に興味のある方はぜひご参加ください!

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。

*会場にて新刊『不思議列車がアジアを走る』をはじめ、下川裕治さんの著作&鉄道旅関連の本を販売します!



【日時】2013年5月30日(木)
  19:30~(19:00開場)
【参加費】 800円 
  ※当日、会場入口にてお支払い下さい
【会場】旅の本屋のまど店内  
  東京都杉並区西荻北3-12-10 
  司ビル1階
【申込み・問い合わせ】
  お電話、ファックス、e-mail、店頭にてお申
  し込みください。   
  TEL&FAX:03-5310-2627
  e-mail :info@nomad-books.co.jp
   (お名前、ご連絡先電話番号、
    参加人数を明記してください)
 ※定員になり次第締め切らせていただきます

 主催:旅の本屋のまど
 協力:双葉社

  

Posted by 下川裕治 at 12:02Comments(1)

2013年05月20日

醒めた台湾の人々の民度

 外国にいることがかわからなくなる瞬間というものがある。今回、台湾という島で何回もその感覚を味わった。
 日本にも近く、タイとの行き帰りにも寄ることができるためか、訪ねる回数は多い。しかし、滞在日数はいつも短かった。ときには数時間ということもある。
 今回は久しぶりに長い滞在だった。12日間にもなった。台北を中心に滞在していたのだが、唐突に日本の街を歩いているような感覚に襲われた。慌てて目頭をこすり、「ここは台湾」と自分にいい聞かせた。
 海外の街で、こういう感覚に陥ることはあまり多くない。たとえばバンコク。僕はある程度タイ語ができるが、海外という緊張を解いているわけではない。実際、バンコクという街は思い通りにはいかない。乗っていたバスが渋滞に巻き込まれ、30分経っても1メートルも進まないときもある。最近、しばしばバイクタクシーに乗るが、急ぐときに限って乗り場にバイクがいない。そこで焦ることになってしまう。
 たとえば中国で長距離バスに乗る。荷物を預けることになるが、番号が書かれたタグをつけることをしない。ちゃんと荷物を管理してくれるか心配になる。
 たとえばロンドン。夜になり、ホテルに戻ろうと地下鉄に乗る。車内にいる乗客が気になっている。挙動がおかしい男にかかわりたくはない。
 台湾──。言葉は通じないというのに、心配ごとが少ないのだ。バスはちゃんとやってくるし、タクシーの乗車拒否をしない。深夜の1時に、夜市で食事をした若い女性が、サンダル履きで歩道をのんびり歩いていたりする。治安がいい。海外にいるという緊張感が薄れていってしまう。
 それが民度というものなのだろう。司馬遼太郎風にいえば、文化ということになる。
 中国と台湾の問題は、そう簡単に書くことはできないが、この民度という面で切りとるとかなりの差がある。中国はまだ、政治という時代のなかにいる。政治の時代の背後には貧困という経済問題が横たわっている。貧しさがなければ、政治は熱を帯びない。
 台湾の人々が皆、豊かだといっているわけではない。しかしあるレベルには達したわけで、民度とはそのなかでたかまっていく。
 しかしここが難しいのだが、民度が整っていくと、政治への関心が薄れていく。
 国民党と民進党がぶつかる台湾の政治にしても、次回の総統選では、候補者選びが難航していると聞く。これといった人がいないのだという。その背後には、台湾の人々の政治離れがある。
 台湾とフィリピンの間にいま、緊張が続いている。領土をめぐるトラブルだ。しかし騒ぐマスコミとは裏腹に、台湾の人々はどこか醒めている気がする。

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2013年05月13日

猫村という不思議空間

 台湾の猫村を訪ねてみた。台北からそれほど遠くない。列車で瑞芳まで行き、そこで平渓線に乗り換えて、ひと駅めにある。
 列車を降りると、もうそこに猫がいる。改札口には、駅に住んでいる6匹の猫が紹介されている。村に行くには、線路の上の跨線橋を渡るのだが、そこにも猫の看板やイラストがべたべたと貼られている。
 村には100軒ほどの家があるという。そこに約90匹から100匹の猫がいる。飼い猫もいれば、野良猫もいる。
 やってくるのは、若い女性が多い。仕事に疲れたのだろうか。癒しを求めてやってくるのだろう。彼女らは、猫の写真を撮り、カフェでのんびりとすごす。
 この村にはかつて炭鉱があった。日本時代に開発されたものだ。最盛期には6000人を超える人たちが住んでいたという。しかし、化石燃料が石油に移っていくなかで閉山。暇になった炭鉱労働者が、猫を飼いはじめたことがきっかけだというのだが。
 村を歩いてみた。そこかしこに猫がいる。塀の上で寝ている猫も多い。
「このだるさってなんなんだろう」
 僕はしきりに首を傾げていた。
 村を歩く観光客の表情もいまひとつといった感じだった。
 ホームに降りたとき、そこに猫がいる。
「キャー、もう猫がいる」
 観光客のテンションは、そこで一気に登り詰めるのだが、あたり前のように猫が道に寝そべるなかを歩いていると、高揚感がどんどん落ちてくるのだ。
 猫は猫である。観光客に媚びるようなところはない。ただそこにいるだけなのだ。猫に飽きるという感覚でもない。ただ寝そべる猫の世界に、意識が引きづられていく。
 一軒のカフェに入ってみた。このカフェも5匹の猫を飼っていた。2、3匹がいつも店内にいる。
 建物のなかにいる猫はしっくりとくる。やはり猫という動物は、人に寄り添うように家にいることが似合うのだろう。そういうペットであることがよくわかる。
 しかし村の道に寝そべる猫たちは、なにかが違う。野生動物の鋭さもなければ、家で人になつくような愛玩性もない。それを眺める観光客は、ただぼんやりしてしまうのだ。
 人間にとっての猫は、その居場所があるのだろう。それを村という規模に広げると、なにか収まりが悪くなる。
 その責任は猫にはない。
 寂れた元炭鉱村は、猫で村おこしを狙っているようだ。それは成功している。毎日猫の数より多い人が訪れる。しかし帰るときは、テンションがさがり、ぽそっとした顔で列車に乗り込んでくる。
 猫村──。不思議な空間である。

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2013年05月06日

老猫の死に際

 日本はゴールデンウイークである。信州の松本郊外にある実家に帰った。
 実家には80歳を超える母と16歳、人間でいったら90歳を超えるであろう老描が暮らしている。
「老衰だと思う」
 と母がいった。老猫がここふつか、餌も食べずにただ横になっているという。
 翌朝、母から庭の隅に穴を掘ってほしいと頼まれた。
「もし死んでも、私ひとりでは穴を掘ることもできないし。寒い時期にも猫のぐあいが悪くなって、心配したのよ。もし死んでしまっても、庭の土が凍っていて、穴を掘ることもできなかったから。頼むとちゃんと遺骨にしてくれる業者もいるらしいけど……。猫を庭に埋めても大丈夫なんだよね」
 そのあたりはよくわからなかった。しかし16年もの間、寄り添うように暮らした猫である。実家の庭に埋めてやりたかった。
 信州もいい季節になった。やわらかな日射しが田植えの終わった水田を温め、雪が残った常念岳を照らしていた。スコップを握り、汗を流した。
 翌朝、やはり実家に戻っていた僕の妹と母で獣医に連れていった。肺炎だと診断され、点滴を打って帰ってきた。「もうあまり長くはないだろう」と獣医はいったという。
 少し元気になったようだった。ほんの少しだが餌も食べた。しかし夕方から、起きあがることもできなくなってしまった。やはり死期は近づいていたのだろう。しかしひと晩、老猫は頑張った。
 再び獣医に連れていった。瞳孔が開きかけているといわれた。朝、老猫は母が寝るベッドの下に隠れるようにうずくまっていたことを伝えると、獣医は静かに頷いたという。
 猫は死期が近づくと身を隠す。体調が悪いことを察し、外敵から襲われないところに潜む本能だといわれている。もう、縄張りを守ることも、闘うこともできないのだ。野良猫の死体をほとんど目にしないのは、その本能のためだという。
 その日の午後、老猫は静かに息を引きとった。いつ、死んだのかもわからないような静かな最期だった。
 きれいな死に際だと思った。
 争うことができなくなったら、ひっそりと身を隠す……。人間にもその本能が潜んでいるのかもしれなかった。人は社会的な動物だから、死にはさまざまな雑事がまつわりついてくる。しかしもう、どうすることもできないのだ。本当は猫のようにすべてから身を隠したいのだが、社会や家族がそれを許してくれない。やっかいなものを背負って生きてきたのだ。
 老いた猫は実家の庭で、静かに土に還っていく。

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