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ナムジャイブログ

2018年05月28日

アフガニスタンのハエ

 今朝、ウズベキスタンのサマルカンドを発って、夕方、テルメズに着いた。アフガニスタン国境の街である。
 ウズベキスタンは基本的にイスラム教の国だ。今、イスラム圏はラマダンに入り、教徒たちは、暑い日中も水一滴飲むことができない苦しさに耐えている。ところがウズベキスタン人の多くは、まったく無視。普通に食事をし、水を飲んでいる。「きちんと守っている人もいる」とウズベキスタン人は自己弁護するのだが。
 それどころか、まだ陽が落ちない夕方、ビールを飲みはじめる。イスラム教徒の風上にも置けない人たちなのだ。中央アジアの人たちは酒が大好きだ。その習慣を植えつけてしまったのは、おそらく世界一の酒飲みであるロシア人である。敬虔なイスラム教徒は眉をしかめるのだろうが、僕にはロシアの大てがらに映る。
 日中は30度を超えるが、乾燥した内陸気候だから、夕方になると、すごしやすくなる。ブハラやサマルカンドには屋外でビールという店が多い。
 気もちがいい。ビールがおいしい。
 どうしてこんなにも……と思ったとき、ウズベキスタン人がいった言葉を思い出した。「ウズベキスタンは虫が少ないですから」
 そうなのだ。屋外でビールを飲んでいても蚊に刺されない。ハエもいない。気候もさることながら、不快な害虫がいないことがビールをおいしくさせる。
 そして今日テルメズに着いた。街を歩きながら気づく。ハエは多い。タシケント、サマルカンド、ブハラなどとは違うのだ。
「アフガニスタンのハエ……」
 腕にとまる鬱陶しいハエを払いながら呟いていた。アフガニスタンはとにかくハエが多い国だ。テルメズとアフガニスタンのマジャリシャリフの間には、アムダリア川が流れている。ハエが渡河できる川幅ではないが、国境の橋を車は行き来しているわけで、アフガニスタンからハエがやってきたような気もする。いや、もともとこの一帯には多かったのか。
 アフガニスタンのハエにはつらい思い出がある。ハエが媒介したアメーバ赤痢に罹ってしまったのだ。アフガニスタンの地方の家にはトイレがない。家の裏がトイレになる。誰かが赤痢に罹ると、一気に広まってしまう。煮込んだ羊肉やパンにはハエがやってきて、それを追い払いながら食べるのだが、どうしても感染頻度は高くなってしまう。
 アメーバ赤痢はつらかった。3日間、カブールの宿のベッドに寝込み、トイレとの往復を繰り返したが、その間の記憶が白濁している。自分の便の異様なにおいはいまでも鼻腔に残っている。
 今日、アムダリア川の向こうのアフガニスタンを眺めた。あの空白の3日間に辿り着いた。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 11:55Comments(0)

2018年05月21日

一緒に食卓を囲まないアジア

 家族で一緒に食事をとること──。子供を育てる日本人の親たちの多くが、その大切さを刷り込まれている。
 僕もそう思っていた。
 以前、犯罪に走った子供の施設を訪ねたことがある。所長はこんな話をした。
「入所したとき、家族で夕食を食べる光景を描かせるんです。描くことができる子供は大丈夫。でも、なかに白い画用紙の前で固まってしまう子がいる。そういう子供は心配なんです」
 おそらく家族と一緒に夕食を食べたことがないのだ。いつも兄弟かひとりでテーブルに座っていた……。
 教育評論家たちも、一緒に食事をとることの大切さを強調する。ちゃんとした家庭像である。
 タイ人男性と結婚した日本人女性が帰国した。小学校に通うふたりの子供も一緒。そして日本の小学校に通いはじめた。
 訊くと夫のタイ人との関係が悪いわけではないという。子供の教育……ということになるのだが、その女性の口調はなにかすっきりしない。平凡な表現を遣えば、奥歯になにかが挟まっている。
 彼女はタイの日系企業で働いていた。朝はもう戦争のような忙しさだったという。出社前に朝食の準備をしていたからだ。
「ちゃんと食事をとらせる。それは親の責任だと思っていました。私の実家は父親が厳しくて、朝食と夕食は全員一緒。ちょっとでも遅れると怒られました。でも大人になって、その大切さに気づいたんです。子供の心の核をしっかりさせるには、一緒に食事をしないといけないと」
 しかし夫は彼女の頑張りをよく理解できないようだった。「どうして一緒に食べなきゃいけないの?」。実際、ひとりで食べて出社してしまうことも多かったという。
 ときどき夫の実家に遊びにいった。実家には夫の兄夫妻が両親と同居していた。主に食事をつくるのは、兄の奥さんだった。彼女は昼前におかずを何品かつくるだけだった。ご飯はいつもジャーに入っていた。
 家族の食事はばらばらだった。皆、勝手にご飯とおかずを皿によそって食べる。その習慣になじめなかったという。
「でもね、子供たちは非行に走りもせず、ちゃんとしてるんです。家族が一緒に食事をとるように私は頑張ってました。それがなんなのかとは思いましたけど」
 彼女は、日本の実家に暮らしている。相変わらず父親は厳しく、食事はいつも一緒だ。このほうがしっくりくるが、タイの暮らしも気にかかる。
 つまりは多数派の論理かもしれない。日本は一緒に食卓を囲む家庭が多い。それが幸せな家庭と刷り込まれている。なにかの事情で食事を共にできない家庭がある。それがコンプレックスを育ててしまう。
 日本人が抱く家庭のイメージ。それは大切なことなのか、足枷なのか。アジアが投げかける日本問題である。

■このブログ以外の連載を紹介します。
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Posted by 下川裕治 at 12:44Comments(1)

2018年05月14日

あまりに暇な列車旅

 インドネシアのブリタールにいる。ジャワ島の東側に、大きく輪を描くようにつくられた路線がある。ブリタールはその中間にある街だ。今朝、4時に起き、スラバヤに近い路線に乗り、ここまでやってきた。
 路線と聞いて、このブログを読んでくれている人は、察しがつくのではないかと思う。東南アジアの全鉄道路線を走破する旅である。
「まだやっているのか」
 と思う方もいるかもしれない。そう、まだ制覇はできていないのだ。地道にやっているのだが、カンボジアで新しい路線が開通したといった情報も飛び込んできて、急がないといつまでたっても走破の完了に辿り着けない気がしている。
 その旅が、しだいにつらくなってきている。おおかたの路線は乗ったのだが、未乗車区間は、ところどころに歯が抜けたように残っている。それを落穂拾いの乗りつぶしていかなくてはならないのだ。
 日本の鉄道を完全に制覇乗する旅には多くの先達がいる。彼らの記録には、未乗車区間に乗るときの緊張や胸の高鳴りがしばしば登場する。僕はその東南アジア版という旅を続けているのだが、いままで、はじめての区間を乗るときの高揚感というものがどうしてもわからなかった。すでに乗った区間も未乗車路線も、列車は同じ顔をして走る。その温度差に僕は鈍感だった。
 ところが今回、インドネシアの列車に乗りながら、その感覚を少しわかりはじめたような気がする。
 全路線を制覇する旅は、ずんずんと効率が悪くなっていく。すでに乗った区間に乗らないと未乗車区間に至らない。既乗車区間の旅には新鮮味はない。そして乗り継ぎ時間ものびていく。つまりは暇な旅が延々と続いて未乗車区間の旅になるのだ。
 今日もそうだった。列車が混んでいたこともあるのだが、いまいるブリタールへの列車に乗るために、シドアルジョという駅で9時間半も待たなくてはならなかった。
 いまのインドネシアはかなり暑い。シドアルジョは大きい街ではないから、駅周辺の店も少ない。時間をつぶす場所がないのだ。ただ、ただ駅にいるしかない。風が吹き込む場所をみつけて、時間がすぎていくのを待つしかない。朝は4時に起きているから、眠気も襲ってくる。頭に「す」が入ったような状態になる。
 それでも列車を待たなくてはならない。乗るのは未乗車区間だから、バスで進むわけにはいかないのだ。
 夕方、ようやく列車が姿を見せた。乗ってしばらくすると、未乗車区間に入っていく。そのとき、胸が高鳴った。この先の区間はすることがある。車窓にもはじめての風景が広がる。未乗車区間の高揚感とはこういうことだろうか。それはあまりに暇な時間の代償のように映った。

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Posted by 下川裕治 at 12:56Comments(0)

2018年05月07日

旅の少数派のひとりごと

 旅の世界でいえば、僕は少数派である。唇をかむような思いは、これまでも幾度となく味わっている。
 たとえば今日。日本はゴールデンウイークの最終日である。ぼんやりとテレビのニュースを観ていると、成田空港は帰国ラッシュだそうだ。到着ロビーでのインタビューが映し出される。
 ゴールデンウイークの間、僕はなにをしてたのかといえば、5月の明るい日射しをときおり眺めながら、ずっと原稿を書いていた。そして明後日からタイに向かう。世間の人たちとやっていることが逆なのだ。
 こういう生活にそれほど抵抗感はない。仕事をはじめたときからそうだった。僕は大学を卒業して新聞社に勤めた。当時の新聞記者は、休みなどあってないようなものだった。たとえば元旦とか1月2日。人々は家にいるというのに、僕は毎年、箱根駅伝の取材に走りまわっていた。仕事とはそういうものだと刷り込まれた気がする。
 30歳代の半ばから、旅が生業になっていったが、経費をかけない旅、つまり貧乏旅行でデビューしてしまったものだから、航空券が高い時期は海外に出ることができなくなってしまった。連休や夏休みなどは、どこへも行かず、ただ日本で仕事をしていた。
 そんなサイクルだから、休みと仕事の境界が曖昧だ。世間ではブラック企業がしばしば話題になる。頭ではわかっていても、僕は実感をつかめてはいない。ものを書く仕事というものは、いつも休んでいるような、四六時中仕事をしているようなところがある。仕事の質が違うのだと思う。
 明後日からタイに行くが、知り合いの旅行会社に頼んでダミーの航空券を用意しなくてはならない。帰国の日程が決まっていないのだ。インドネシアの鉄道に乗らなくてはならず、いつ帰ることができるかわからない。
 タイに限らず、日本人に対してビザを免除している国は少なくない。しかしそこには、帰国の航空券をもっていることという条件がつくことが多い。普通は、帰国用の航空券をもっているから問題はないだろうが、僕のような旅行者にとって、ビザ免除はときに煩雑である。
 僕の旅はやはり少数派なのだ。だから混みあう時期に航空券を手に入れる苦労を知らない。こんな人間が旅の本を書いていいのかという疑問は昔からある。
「大丈夫ですよ。下川さんみたいな旅は誰もしませんから」
 喜んでいいのか、自戒すべきなのか……困るような励ましをときどき受ける。それならなぜ、僕の本を読んでくれるのか。
 おそらく僕の旅が少数派のそれだからだろう。インドネシアの旅は、東南アジアの全鉄道路線に乗るというものだ。たしかにそんな酔狂な旅は誰もしない。

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Posted by 下川裕治 at 18:03Comments(1)