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ナムジャイブログ

2018年05月21日

一緒に食卓を囲まないアジア

 家族で一緒に食事をとること──。子供を育てる日本人の親たちの多くが、その大切さを刷り込まれている。
 僕もそう思っていた。
 以前、犯罪に走った子供の施設を訪ねたことがある。所長はこんな話をした。
「入所したとき、家族で夕食を食べる光景を描かせるんです。描くことができる子供は大丈夫。でも、なかに白い画用紙の前で固まってしまう子がいる。そういう子供は心配なんです」
 おそらく家族と一緒に夕食を食べたことがないのだ。いつも兄弟かひとりでテーブルに座っていた……。
 教育評論家たちも、一緒に食事をとることの大切さを強調する。ちゃんとした家庭像である。
 タイ人男性と結婚した日本人女性が帰国した。小学校に通うふたりの子供も一緒。そして日本の小学校に通いはじめた。
 訊くと夫のタイ人との関係が悪いわけではないという。子供の教育……ということになるのだが、その女性の口調はなにかすっきりしない。平凡な表現を遣えば、奥歯になにかが挟まっている。
 彼女はタイの日系企業で働いていた。朝はもう戦争のような忙しさだったという。出社前に朝食の準備をしていたからだ。
「ちゃんと食事をとらせる。それは親の責任だと思っていました。私の実家は父親が厳しくて、朝食と夕食は全員一緒。ちょっとでも遅れると怒られました。でも大人になって、その大切さに気づいたんです。子供の心の核をしっかりさせるには、一緒に食事をしないといけないと」
 しかし夫は彼女の頑張りをよく理解できないようだった。「どうして一緒に食べなきゃいけないの?」。実際、ひとりで食べて出社してしまうことも多かったという。
 ときどき夫の実家に遊びにいった。実家には夫の兄夫妻が両親と同居していた。主に食事をつくるのは、兄の奥さんだった。彼女は昼前におかずを何品かつくるだけだった。ご飯はいつもジャーに入っていた。
 家族の食事はばらばらだった。皆、勝手にご飯とおかずを皿によそって食べる。その習慣になじめなかったという。
「でもね、子供たちは非行に走りもせず、ちゃんとしてるんです。家族が一緒に食事をとるように私は頑張ってました。それがなんなのかとは思いましたけど」
 彼女は、日本の実家に暮らしている。相変わらず父親は厳しく、食事はいつも一緒だ。このほうがしっくりくるが、タイの暮らしも気にかかる。
 つまりは多数派の論理かもしれない。日本は一緒に食卓を囲む家庭が多い。それが幸せな家庭と刷り込まれている。なにかの事情で食事を共にできない家庭がある。それがコンプレックスを育ててしまう。
 日本人が抱く家庭のイメージ。それは大切なことなのか、足枷なのか。アジアが投げかける日本問題である。

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○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 12:44│Comments(1)
この記事へのコメント
一緒の食事が大切って実は日本人の幻想かもしれませんね。
そりゃ一緒に楽しく食べれるに越したことはないけれど、そうすべきと言う決めつけは
日常生活を息苦しい物にしてしまっているのかも知れません。
尾木ママに聞かれたら怒られそうですけど(笑)
そういう外国の人からすると無意味な習慣というのは実はたくさんあるかもしれませんね。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2018年05月23日 14:16
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