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ナムジャイブログ

2016年05月30日

シムカードを壊してしまった

 シムカードを壊してしまった。ことの顛末は、バンコクでスマホを買ったことからはじまった。これまで使っていたスマホがついにダメになり、安い機種を買った。
 以前のスマホは、バンコク在住の日本人から安く買った。だからシムフリー、つまりシムカードを入れ替えることができるタイプだった。日本では、安い通信会社と契約した。その会社から届いたシムカードはドコモのカードだった。
 新しいスマホのシムカードは、ナノという小さなサイズだった。これまで使ってシムカードを小さくしなくてはならなくなった。
 ドコモのシムカードだから……と、日本のドコモのサービスセンターに出向いた。しかし断られてしまった。責任者のデスクに呼ばれて説明を受けた。
「確かに当社のシムカードですが、当社と直接契約しているカードではありません。サービスはできないんです。面倒な話で申し訳ないんですが」
 秋葉原に行った。シムカードカッターを買おうと思ったのだ。5軒目でようやく見つかった。499円。しかし、違法なものをこっそり売る雰囲気だった。僕は首を傾げた。僕はなにか悪いことをしているのだろうか。東南アジアではあたり前のようにやっていることが日本では……。
 中国製の粗悪なカッターだった。それで切ったのだが、スマホに挿入してみるとつながらない。壊してしまったのだ。
 結局契約している会社に連絡をとった。新しい小さなシムカードの再発行費用は2000円もした。
 スマホに詳しくはない。しかし海外で買った関係で、シムフリーを理解するようになった。海外の空港に着くと、期間限定のシムカードを買う。スタッフに挿入してもらう。これで路上でもネットがつながる。シベリア鉄道の車内でも大丈夫だった。テザリング機能があるので、Wi-Fiも必要ない。
 しかし日本では冷遇される。ドコモなどの日本の通信会社が、高い料金を払う顧客へのサービスを手厚くするのはわかる。しかしシムフリーの料金を高額にしていることは、世界から見ればガラパゴスである。
 旅という視点から見れば弊害が目立つ。日本の若者は海外旅行を敬遠しがちだが、その大きな理由が、ネット環境だという。海外に行くと、Wi-Fiがなければネットと通じないからだ。フェイスブックやインスタグラムで、すぐに返信ができない。それでは友人関係が保てないと思っている。しかしもし、シムフリーが普通という環境ならなんの問題もないのだ。
 日本のネット事情は周回遅れである。そのなかで、若者の矮化進んでいく。

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○クリックディープ旅=ユーラシア大陸最南端から北極圏の最北端駅への列車旅。ロシアに入国。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまはタイ南部をうろうろしてます。
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Posted by 下川裕治 at 15:38Comments(4)

2016年05月23日

違法コピーの国のエネルギー

 バンコクから日本に帰る日、1枚のDVDを買おうと思った。「クーカム」というタイの映画である。日本では「メナムの残照」という原作本が知られているのだろうか。
 日本人の知人から頼まれていた。ショッピングモールのビデオショップで簡単に手に入るものだと思っていた。
 タイ人の知人に訊いた。彼は、こういった。「タイ人は安いコピーしか買わないよ」
「それって違法コピー?」
「そう、屋台とか、そういうDVDを集めている店」
「でも、日本人に頼まれたから、ちゃんとしたものじゃないとまずい気がする」
「ちゃんとしたもの? それを売っている店は……知らないなぁ」
 空港に行く途中、ショッピングモールに寄った。ビデオショップは2軒あったが、どちらにもタイの映画はなかった。ハリウッドものがずらりと並んでいた。
 タイ人の知人に電話をかけた。
「やはりね。タイ人は高いタイの映画のDVDなんて買わないから、店も置かないってことだろうね」
 原稿を書いて収入を得ているから、この種の著作権問題には敏感になる。アジアは全体的に著作権の管理が甘い。違法コピーが幅を利かせている。
 僕が得る原稿料とか印税とうものは、著作権使用料といい換えることができる。タイの映画のDVDは、違法コピーが主流だから、そこから著作権使用料は、捻出されない。いったいどうやって映画の製作費を捻りだしているのか。これは昔から疑問だった。
 しばらく前、タイの映画製作会社が、日本で企画を募集する場に立ち会った。独立系だが、映画を製作する日本人監督につきあったのだが、彼が提示した製作費に対して、タイの映画製作会社のスタッフはこういった。
「どうしてそんなに安く映画ができるんですか? 一般的にタイの映画は、もうひとケタ上の製作費はかけますよ」
 違法コピーが氾濫するタイのほうが、日本より多くの資金で映画をつくっていたのだ。これをどう考えればいいのだろうか。
 興行収益、スポンサーの存在、製作プロダクションの資金力……タイ式錬金術ということなのだろうか。
 著作権は正当な権利だろう。しかし、守りの論理でもある。著作権で守られた日本の映画に元気がないのは、その問題のような気がしてならない。いい作品というものは、違法コピーとか著作権を超えた収益を生む。そのアプローチは、違法コピーが氾濫する国の収益構造に似ている。なんだか潔いのだ。
 それがアジアのパワーの核になっているような気がしないでもない。

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Posted by 下川裕治 at 18:58Comments(0)

2016年05月16日

あまりに理不尽な緑島物語

 台湾の緑島にいる。台東から船で1時間ほどの島だ。以前から行ってみたい島だった。ここには、かつて、政治犯を収監した刑務所あった。当時は監獄島と呼ばれていた。
 すでに亡くなってしまったが、台湾人の知人に李清興さんがいた。彼は晩年、ひとつの勉強会に出ていた。彼から、柯旗化氏が書いた本を渡された。日本語に訳された本だ。勉強会は柯氏の奥さんも加わっていた。
 柯は政治犯として2回、緑島に送られていた。英語の教師だった。当時の政権は、そういう知識階層を標的にした。
 彼の人生、そして緑島に送られた台湾の人たちの境遇を考えたとき、「理不尽」という言葉が浮かんできてしまう。
 日本の敗戦を機に、台湾には中国の国民党がやってくる。日本軍の武装解除が目的だった。しかし、やってきた国民党の兵士は、大陸での国共内戦の敗残兵だった。彼らが台湾人に対して行ったことは、台湾の人々の反発を買う。台湾人はこういった。「犬が去って、豚が来た」。そして抗議行動がはじまる。それがピークに達したのが2.28事件だった。
 これに対して国民党は徹底的な弾圧を加える。白色テロの時代である。知識階級が狙われ、彼らは中国共産党のスパイとされた。
 でっちあげだった。終戦まで台湾を支配していたのは日本だった。共産主義の思想は入り込む余地はなかった。確かに戦後、中国共産党のスパイは台湾に潜り込んでいたかもしれないが、台湾で生まれ育った本省人には無縁のことだった。
 しかし英語の本をもっていた、といったいいがかりをつけられ、共産主義者のレッテルを貼られ、緑島に送られた。
 国民党は、反抗勢力を排除するために、イデオロギーを利用しただけだった。緑島に送られた政治犯は、共産主義者でもないのに、思想教育を受けた。茶番だったが、本省人は反抗できなかった。多くは10年の刑期が課せられていた。自らの思想で緑島に送られたなら、まだ納得がいく。しかし島に送られた政治犯は、あまりに理不尽な人生だった。
 死刑になった人も多い。しかし、なんとか生き延びた受刑者は、その後、民進党を支える政治家になった人が少なくない。理不尽な弾圧は、えてしてこういう結末を生む。
 緑島の刑務所は1987年まで続いた。
 それから30年。台湾は大きく変わった。最近では緑島に送られた人々も歳をとり、彼らの主張は、ときに疎まれもする。
 緑島はリゾート島への道をまっしぐらに進んでいた。若者たちは、タンクを背負って海に潜り、夜は海鮮料理の店に集まる。
 一説には、100万人が犠牲になったともいわれる、蒋介石率いる国民党の白色テロは、風化の一途を歩んでいる。

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2016年05月09日

痛みと鬱の間

 最近、80歳を超える母につきあって、ペインクリニックを訪ねている。母は、足の痛みを訴えている。長く治療を受けているが、目立った効果はない。俗にいう神経痛という部類に入るのだろうが、ひょっとしたら、という思いでペインクリニックに通うことにした。
 医師といろいろ話すのだが、痛みというものの奥深さにいつも考えさせられる。
 例えば、腰と脚に痛みの原因が生まれても、どちらかの痛みしか感じないということがある。一つの痛みを手術で治すと、隠れていた痛みが表に出てくることもある。背骨の湾曲で神経を圧迫していても、ある人は痛みを感じるが、まったく痛みがない人もいる。
 老人の場合は、痛みに寄り添いたい心理も生まれる。痛みがあれば、誰かが面倒をみてくれる。だから痛くなる……。
 痛みを根本的に治すには、筋肉をつけていくしかないらしい。頑張って歩くことを説かれる。周囲もできるだけ歩くようにいうのだが、それが心の負担になっていく。クリニックの受付で、「今日は頑張って歩いて帰ります」といった老人が、1階の薬局でタクシーを呼んでいたりする。心では頑張ろうとするのだが、やはり痛い。
 痛みの治療──。その話を医師としていると鬱の治療に近いことがわかってくる。実際、抗鬱剤が処方されることは珍しくない。それどころか、鬱の患者もペインクリニックに通ってきている。治療の手法がきっと似ているのだろう。いや、鬱というものは、ときに痛みを伴う。
 痛みが発生していても、それを痛みと認識しない……。それは病理なのだろうか。それとも心理? よくはわからない。その境界線上で痛みは生まれる。
 幸い、母はこれからも通院するつもりになっている。
 
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2016年05月02日

ゴールデンウィークの部屋こもり

 ゴールデンウィークに入る前、奈良県の十津川村に行ってきた。『ノジュール』という雑誌の取材だった。
 旅に絡んだ取材は休日や連休を避ける。混みあう時期は、移動も大変になる。取材相手も観光客の対応に忙しい。かくして、世間がゴールデンウィークに入ったときには原稿に追われることになる。いくら行楽日和であっても。
 いまはボロボロの状態である。台湾の本の原稿を書かなくてはならない。6月に発売になる本のゲラも、読まなくてはならない。ユーラシア大陸最南端駅のシンガポールから、最北端駅であるロシアのムルマンスクまでの列車旅の本のゲラである。十津川村の原稿も締め切りがゴールデンウィーク明け。30分眠って、3時間原稿を書くような生活に陥っている。
 十津川村は、日本でいちばん長い路線バスに乗る旅だった。大和八木から新宮まで166.9キロを6時間半ほどで走る。それに乗り、途中の十津川村で途中下車。世界遺産に登録されている熊野古道を歩いた。
 世界遺産に登録されている熊野古道はいくつかある。そのなかで、十津川村を通っているのは、小辺路(こへち)と呼ばれる古道だ。
 熊野古道というと、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社への参詣道ということになっている。そのなかで小辺路は、熊野の神社と高野山を結ぶ道として知られている。
 十津川村で、この道に詳しい人たちから話を聞きながら、古道を歩いた。そこでこんな話を聞いた。小辺路は参詣道というより、生活の道だったのではないか……と。
 熊野三山から高野山、そして大阪へと続く道の中で、小辺路は最も短い道だった。尾根や谷を越えていく、参詣道というより登山道に近いが、歩いていたのはこのエリアの人々や商人も多かったという。
 日本に残るこの種の古道は、そんな性格をもったものが多い。世界遺産とか、観光のことを考えれば、参詣道といったほうが都合がいいからだ。しかし実際は生活の道という要素を兼ねていた。
 参詣道という解釈にもひねりが必要な気がする。日本人は参詣という宗教的な免罪符をつけながら、実際は旅という息抜きの要素を味わっていた。
 古道が整備されていった背後には、宗教とは無縁の仕事や生活が潜んでいる気がする。道とはそもそもそういうものだ。
 それに比べれば、いまの時代の旅はあまりにダイレクトだ。もう少し、昔のようなひねりがあってもいい気がしなくもない。
 しかし、今年のゴールデンウィークは、余裕がない。旅のシーズンに、部屋にこもり、原稿を書いている。
 このブログを書きあげたら30分ほど寝ることにする。起きたら原稿が待っている。

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