2017年01月30日
搭乗拒否の顛末
アメリカのトランプ氏の大統領令が波紋を呼んでいる。シリア、イラク、イラン、イエメン、リビア、ソマリア、スーダンの7ヵ国の人々のアメリカへの入国を90日停止し、難民受け入れを120日間止めることを発表した。その間により厳格なルールをつくるというのだが、就任を印象づけるパフォーマンスにも映る。
どのあたりが落としどころになるのかはわからないが、気になるのは、航空会社が搭乗を拒否したケースが出ていることだ。
この搭乗拒否には悩んでいる。入国審査で拒否されることと、航空会社が搭乗を拒むことは基本的に違っている。
一般的な搭乗拒否の理由は、いくつかある。
入国する国がビザを課しているが、ビザがない。パスポートの残存期間が少ない。その国を出国する航空券をもっていない……などだ。航空券を買うときに注意書きが書いてある。その人が入国拒否に遭ったとき、航空会社の負担で搭乗した国に返さなくてはいけないというルールがあるからだという。
僕が悩むのは、その国を出国する航空券をもっていないことが多いからだ。つまり片道航空券で搭乗するときである。
たとえば日本からタイに向かう。陸路でカンボジアに入国し、プノンペンから飛行機で日本に帰るルートである。タイを出国する航空券はもっていない。日本を出国するとき、航空会社のチェックインカウンターで訊かれる。航空会社によっては、入国拒否に遭ったときは、航空会社に負担はかけない、という書類にサインすることで搭乗が許される。面倒なので、一時はその国を出る1年オープンの航空券を買っていたことがあった。しかし有効期限ぎりぎりで航空会社に出向き、払い戻しを受けなくてはならない。
しかし最近は、自動チェックインの機械を設置している航空会社がある。預ける荷物がなければ、その機械でチェックインができてしまう。機械によっては、片道航空券だけではチェックインができない設定にしているところもあるが。
先日、シンガポールからバンコクへのLCCに乗った。タイを出国する航空券はもっていなかった。預ける荷物もない。
「ひょっとしたらできるかもしれない」
自動チェックイン機で手続きをすると、簡単にチェックインが終わってしまった。これでいいのだろうか、と思ったものだ。
今回の大統領令を受けて、搭乗を拒否した航空会社は、どこで線を引いたのだろうか。政治的な話だから、チェックインカウンターの職員が判断することではない。
イスラム圏に国籍をもつ人は、今後、アメリカ行きの飛行機に乗るとき、どんな心境でチェックインカウンターに並ぶのだろうか。大統領令を待っているのは、矮小な顛末?
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=インドでいちばん長い列車の旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
どのあたりが落としどころになるのかはわからないが、気になるのは、航空会社が搭乗を拒否したケースが出ていることだ。
この搭乗拒否には悩んでいる。入国審査で拒否されることと、航空会社が搭乗を拒むことは基本的に違っている。
一般的な搭乗拒否の理由は、いくつかある。
入国する国がビザを課しているが、ビザがない。パスポートの残存期間が少ない。その国を出国する航空券をもっていない……などだ。航空券を買うときに注意書きが書いてある。その人が入国拒否に遭ったとき、航空会社の負担で搭乗した国に返さなくてはいけないというルールがあるからだという。
僕が悩むのは、その国を出国する航空券をもっていないことが多いからだ。つまり片道航空券で搭乗するときである。
たとえば日本からタイに向かう。陸路でカンボジアに入国し、プノンペンから飛行機で日本に帰るルートである。タイを出国する航空券はもっていない。日本を出国するとき、航空会社のチェックインカウンターで訊かれる。航空会社によっては、入国拒否に遭ったときは、航空会社に負担はかけない、という書類にサインすることで搭乗が許される。面倒なので、一時はその国を出る1年オープンの航空券を買っていたことがあった。しかし有効期限ぎりぎりで航空会社に出向き、払い戻しを受けなくてはならない。
しかし最近は、自動チェックインの機械を設置している航空会社がある。預ける荷物がなければ、その機械でチェックインができてしまう。機械によっては、片道航空券だけではチェックインができない設定にしているところもあるが。
先日、シンガポールからバンコクへのLCCに乗った。タイを出国する航空券はもっていなかった。預ける荷物もない。
「ひょっとしたらできるかもしれない」
自動チェックイン機で手続きをすると、簡単にチェックインが終わってしまった。これでいいのだろうか、と思ったものだ。
今回の大統領令を受けて、搭乗を拒否した航空会社は、どこで線を引いたのだろうか。政治的な話だから、チェックインカウンターの職員が判断することではない。
イスラム圏に国籍をもつ人は、今後、アメリカ行きの飛行機に乗るとき、どんな心境でチェックインカウンターに並ぶのだろうか。大統領令を待っているのは、矮小な顛末?
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=インドでいちばん長い列車の旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
13:32
│Comments(0)
2017年01月23日
開けにくい袋と自己満足
袋が開かない。イライラする。
海外にいることを知らされる。
たとえば安めのホテルに泊まる。浴室でシャワーを浴びようとする。そこには使い切りの小袋に入ったシャンプーが置かれていることが多い。裸になり、湯を浴びる。そして、シャンプーの小袋を開けようとする。
開かない。
開ける場所は書かれていない。ぎざぎざになった端から開けようとするのだが、なかなかうまくいかない。手が濡れているからだろう、とタオルで拭いて、再度開けようとするのだが……。
裸になっている。服を着なおし、なにか袋を開けるものを探す気にはなれない。困りはて、自分の歯を思いだす。
歯でかみ切ろう。しかし、急に袋が開いて、口のなかにシャンプーが入ってしまったらどうしようか……などと考えてみる。
シャンプーに限らず、海外で売られているものの袋が開けにくい。開ける場所が示されていても開かないこともある。力任せに開けて、なかの菓子が飛びだしてしまったこともある。
以前はハサミやナイフをもっていた。それで開ければよかった。しかし最近はセキュリティチェックが厳しく、機内にもち込むことが難しい。
これなら大丈夫だろう……と、日本の100円ショップで、長さが5センチほどのハサミを買った。しかし先日、クアラルンプールの空港で引っかかってしまった。没収である。
荷物を預ければいいのだが、LCCに乗ることが多いから、つい機内にもち込もうとしてしまう。
かくしてホテルの部屋で、開かない袋と格闘することになってしまう。
そこへいくと、日本で売られている商品はみごとだと思う。開けることまで配慮がゆき届いている。コンビニで買う弁当のなかに入っている、小さな醤油の袋まで。
「すごいことでしょ」
昨年の暮れ、マレーシアからやってきた知人に話した。クアラルンプールのホテルで、シャンプーの小袋に苦労したからだ。
「そうなんですか。日本にきて1週間、いろいろ体験したけどまったく気づかなかった」
日本のモノづくりの技術は高く評価されている。それはたしかだろう。しかし袋の開けやすさといった話になると、反応しない外国人もいる。だから海外の袋は開けにくいのかもしれないが、それを気にしなければたいした問題ではない。そんな彼らに向かって、日本はすごいでしょ、というのは自己満足にすぎない。ましてや、それを海外の後進性と結びつけるのは傲慢なことかもしれない。
しかし、海外の袋はあけにくい。こうして日本人は、海外でいつもイライラしている。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=インドでいちばん長い列車の旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
海外にいることを知らされる。
たとえば安めのホテルに泊まる。浴室でシャワーを浴びようとする。そこには使い切りの小袋に入ったシャンプーが置かれていることが多い。裸になり、湯を浴びる。そして、シャンプーの小袋を開けようとする。
開かない。
開ける場所は書かれていない。ぎざぎざになった端から開けようとするのだが、なかなかうまくいかない。手が濡れているからだろう、とタオルで拭いて、再度開けようとするのだが……。
裸になっている。服を着なおし、なにか袋を開けるものを探す気にはなれない。困りはて、自分の歯を思いだす。
歯でかみ切ろう。しかし、急に袋が開いて、口のなかにシャンプーが入ってしまったらどうしようか……などと考えてみる。
シャンプーに限らず、海外で売られているものの袋が開けにくい。開ける場所が示されていても開かないこともある。力任せに開けて、なかの菓子が飛びだしてしまったこともある。
以前はハサミやナイフをもっていた。それで開ければよかった。しかし最近はセキュリティチェックが厳しく、機内にもち込むことが難しい。
これなら大丈夫だろう……と、日本の100円ショップで、長さが5センチほどのハサミを買った。しかし先日、クアラルンプールの空港で引っかかってしまった。没収である。
荷物を預ければいいのだが、LCCに乗ることが多いから、つい機内にもち込もうとしてしまう。
かくしてホテルの部屋で、開かない袋と格闘することになってしまう。
そこへいくと、日本で売られている商品はみごとだと思う。開けることまで配慮がゆき届いている。コンビニで買う弁当のなかに入っている、小さな醤油の袋まで。
「すごいことでしょ」
昨年の暮れ、マレーシアからやってきた知人に話した。クアラルンプールのホテルで、シャンプーの小袋に苦労したからだ。
「そうなんですか。日本にきて1週間、いろいろ体験したけどまったく気づかなかった」
日本のモノづくりの技術は高く評価されている。それはたしかだろう。しかし袋の開けやすさといった話になると、反応しない外国人もいる。だから海外の袋は開けにくいのかもしれないが、それを気にしなければたいした問題ではない。そんな彼らに向かって、日本はすごいでしょ、というのは自己満足にすぎない。ましてや、それを海外の後進性と結びつけるのは傲慢なことかもしれない。
しかし、海外の袋はあけにくい。こうして日本人は、海外でいつもイライラしている。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=インドでいちばん長い列車の旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
12:39
│Comments(0)
2017年01月16日
線路脇スラムのホスピタリティ
インドネシアのスラバヤにいる。毎日、午後になると、激しいスコールに見舞われる。雨季ただなか……といったところだろうか。
インドネシアの、鉄道に乗りまくる取材だ。昨日はスラバヤ市街地を走る列車を撮影するために、線路の上にいた。
スラバヤコタ駅とスラバヤパサールトゥリ駅の中間あたりの線路はスラムに囲まれていた。しかしこの構造がインドネシアだった。
この辺りの線路は高架になっている。2階建ての家の屋根の高さに線路がある。ところが2階建ての家の上に、さらに一軒分の家を重ね、その出入り口は線路に面していた。
おそらく貧しい人たちが、2階建ての家に話をつけ、安い賃貸料で3階をつくらせてもらったのではないかと思う。
「出入り口は線路側。水は自分たちでもちあげます。なんの迷惑もかけません」
そう話をつけたのだろうか。
アジアの鉄道は、線路際に不法に住みついてしまう人々に苦労している。勝手に線路側に出入り口をつくるスラムである。洗濯物も線路の上に干したりする。この区間は徐行で進まなくてはならない。安全上の問題もあるだろう。
インドネシア国鉄は、「高架にすれば大丈夫だろう。周囲は2階建ての家が連なっているし」と踏んだのかもしれないが、インドネシア人は逞しかった。2階建ての家の上にバラックを建ててしまった。国鉄の上をいっていたわけだ。
狭い石段と梯子を伝って、線路の上にでる。線路の上をうろうろしている住人たちは、警戒の色ひとつ見せず、「3時には列車が通るよ」と笑顔で教えてくれた。カメラを見て、察したのだろう。
僕らは線路脇、つまりスラムの家の前で待機した。
雲行きが怪しくなってきた。不穏な風が吹き、空が暗くなる。ぽつり、ぽつりと大粒の雨が落ちてきた。スラムの人たちは、家の前にビニールシートをかけながら、皆が手招きをする。そこで待てば濡れない……というのだ。しかしカメラマンには撮影ポイントがある。すると彼らは傘をもってきてくれた。
雨が強くなったきた。すると、少年が動画用の小さな防水カメラをとりつけた三脚を運んできてくれた。雨に濡れる……。カメラマンと僕は苦笑いを交わすしかなかった。
「トタンを葺いた廃材の家の間を走る列車を撮りたいってこと、彼らはすぐにわかるでしょ。粗末な自分たちの家が映るわけでしょ。それなのに、どうして彼らはこんなにも親切なの?」
僕は雨に濡れはじめた線路の上で戸惑っていた。これがインドネシア?
足を掬われた気分だった
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
インドネシアの、鉄道に乗りまくる取材だ。昨日はスラバヤ市街地を走る列車を撮影するために、線路の上にいた。
スラバヤコタ駅とスラバヤパサールトゥリ駅の中間あたりの線路はスラムに囲まれていた。しかしこの構造がインドネシアだった。
この辺りの線路は高架になっている。2階建ての家の屋根の高さに線路がある。ところが2階建ての家の上に、さらに一軒分の家を重ね、その出入り口は線路に面していた。
おそらく貧しい人たちが、2階建ての家に話をつけ、安い賃貸料で3階をつくらせてもらったのではないかと思う。
「出入り口は線路側。水は自分たちでもちあげます。なんの迷惑もかけません」
そう話をつけたのだろうか。
アジアの鉄道は、線路際に不法に住みついてしまう人々に苦労している。勝手に線路側に出入り口をつくるスラムである。洗濯物も線路の上に干したりする。この区間は徐行で進まなくてはならない。安全上の問題もあるだろう。
インドネシア国鉄は、「高架にすれば大丈夫だろう。周囲は2階建ての家が連なっているし」と踏んだのかもしれないが、インドネシア人は逞しかった。2階建ての家の上にバラックを建ててしまった。国鉄の上をいっていたわけだ。
狭い石段と梯子を伝って、線路の上にでる。線路の上をうろうろしている住人たちは、警戒の色ひとつ見せず、「3時には列車が通るよ」と笑顔で教えてくれた。カメラを見て、察したのだろう。
僕らは線路脇、つまりスラムの家の前で待機した。
雲行きが怪しくなってきた。不穏な風が吹き、空が暗くなる。ぽつり、ぽつりと大粒の雨が落ちてきた。スラムの人たちは、家の前にビニールシートをかけながら、皆が手招きをする。そこで待てば濡れない……というのだ。しかしカメラマンには撮影ポイントがある。すると彼らは傘をもってきてくれた。
雨が強くなったきた。すると、少年が動画用の小さな防水カメラをとりつけた三脚を運んできてくれた。雨に濡れる……。カメラマンと僕は苦笑いを交わすしかなかった。
「トタンを葺いた廃材の家の間を走る列車を撮りたいってこと、彼らはすぐにわかるでしょ。粗末な自分たちの家が映るわけでしょ。それなのに、どうして彼らはこんなにも親切なの?」
僕は雨に濡れはじめた線路の上で戸惑っていた。これがインドネシア?
足を掬われた気分だった
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
17:11
│Comments(0)
2017年01月09日
空港で原稿を書く
今年もまた、旅がはじまってしまった。いま香港の空港でこの原稿を書いている。
香港の空港に限らず、空港で原稿を書くことは多い。忙しいという意味ではない。空港という場所が、とくに原稿が進むということもない。
いちばんの理由は明るいことだ。これは世界的な傾向のように思うのだが、宿の照明が暗い。汚れが目立たない、ということが理由らしい。僕は手書き派である。本のように長い原稿になると完全に手書きで原稿用紙を埋めていく。老眼も進み、暗い照明のなかで書き進めることがつらいのだ。
以前は電気スタンドをもち歩いていた。中国製の明るいタイプで、小さく折り畳めた。しかし、台湾の空港で没収されてしまった。バッテリーが大きすぎるという理由だった。コンパクトで明るい電気スタンドを探しているのだが、なかなかみつからない。
空港が好き……というのも、理由のひとつかもしれない。
20年、いや30年以上前のアジアの旅はやはりきつかった。停電は頻繁に起きた。安宿に冷房など望めず、部屋では虫との格闘が続いた。旅を続けることは苦労続きだったのだ。ぼろぼろになりながら旅を続け、最後に国を出るために空港に向かう。そこは快適な空間に映った。
空港には自由に使うことができるトイレがある。下痢に悩んでいても心配はない。飲み水もあった。冷房が効いていることもありがたかった。英語も通じた。そして安全だった。
翌朝のフライトというとき、僕はよく前夜から空港に向かった。宿代が浮くということもあったが、安宿より空港のロビーのほうが快適だったのだ。
その頃、刷り込まれたのだと思う。いまでも空港ターミナルに入るとほっとする。
アジアでは香港とシンガポールの空港が長居に向いている。成田空港とバンコクのスワンナプーム空港を使うことが多いが、このふたつの空港は落ち着かない。基本的に、狭いということもあるのかもしれないが、構造に無理がある。その点、香港とシンガポールの空港はストレスがない。暮らせといったら、1週間ぐらいは大丈夫のような気がする。
空港が好きなもうひとつの理由。それは僕には無縁の人たちが、勝手に動いていることだ。それぞれ飛行機に乗り降りするという目的がある。ベンチに座って、なにやら書いている男に関心は示さない。喫茶店などよりはるかに放っておいてくれる。紛れるように原稿が書ける。
もし自由に部屋を選べるなら、空港のそばを借りる。毎朝、自転車に乗って空港に向かい、そこで原稿を書く。理想的な暮らしではないか。山のようにたまった仕事を前に、そんなことを呟いている。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
香港の空港に限らず、空港で原稿を書くことは多い。忙しいという意味ではない。空港という場所が、とくに原稿が進むということもない。
いちばんの理由は明るいことだ。これは世界的な傾向のように思うのだが、宿の照明が暗い。汚れが目立たない、ということが理由らしい。僕は手書き派である。本のように長い原稿になると完全に手書きで原稿用紙を埋めていく。老眼も進み、暗い照明のなかで書き進めることがつらいのだ。
以前は電気スタンドをもち歩いていた。中国製の明るいタイプで、小さく折り畳めた。しかし、台湾の空港で没収されてしまった。バッテリーが大きすぎるという理由だった。コンパクトで明るい電気スタンドを探しているのだが、なかなかみつからない。
空港が好き……というのも、理由のひとつかもしれない。
20年、いや30年以上前のアジアの旅はやはりきつかった。停電は頻繁に起きた。安宿に冷房など望めず、部屋では虫との格闘が続いた。旅を続けることは苦労続きだったのだ。ぼろぼろになりながら旅を続け、最後に国を出るために空港に向かう。そこは快適な空間に映った。
空港には自由に使うことができるトイレがある。下痢に悩んでいても心配はない。飲み水もあった。冷房が効いていることもありがたかった。英語も通じた。そして安全だった。
翌朝のフライトというとき、僕はよく前夜から空港に向かった。宿代が浮くということもあったが、安宿より空港のロビーのほうが快適だったのだ。
その頃、刷り込まれたのだと思う。いまでも空港ターミナルに入るとほっとする。
アジアでは香港とシンガポールの空港が長居に向いている。成田空港とバンコクのスワンナプーム空港を使うことが多いが、このふたつの空港は落ち着かない。基本的に、狭いということもあるのかもしれないが、構造に無理がある。その点、香港とシンガポールの空港はストレスがない。暮らせといったら、1週間ぐらいは大丈夫のような気がする。
空港が好きなもうひとつの理由。それは僕には無縁の人たちが、勝手に動いていることだ。それぞれ飛行機に乗り降りするという目的がある。ベンチに座って、なにやら書いている男に関心は示さない。喫茶店などよりはるかに放っておいてくれる。紛れるように原稿が書ける。
もし自由に部屋を選べるなら、空港のそばを借りる。毎朝、自転車に乗って空港に向かい、そこで原稿を書く。理想的な暮らしではないか。山のようにたまった仕事を前に、そんなことを呟いている。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
18:35
│Comments(3)
2017年01月02日
心優しい日本の儀式
日本の元旦には、様々な儀式がある。初詣とか屠蘇、ご来光を仰ぐという人もいるだろう。一般的な儀式以外にも、母親のつくった雑煮を食べないと年が明けた気がしないという人もいる。正月の儀式には、育った家庭の習慣が色濃く投影する。
家族を離れた人も、自分なりの儀式をつくっていく。年末年始のカウントダウンを知人と海外ですごす……と決めている人もいる。テレビを眺めていると、年始の祭りに心血を注ぐ人たちが登場する。日本の正月は、そんな儀式が目白押しだ。社会や個人を問わず。
昔から、この儀式が苦手だった。なにか照れくさいような思いもあった。正月は暦では重要な1日かもしれないが、昨日の今日であることに変わりはない。イスラム圏で新年を迎えるとその事実を教えられる。地域性の強い儀式にすぎないとも思っていた。
信州の松本の高校を卒業し、ひとり暮らしをはじめた。できるだけ、儀式とは縁のない暮らしを選んできたような気がする。
それは、間違っていたのかもしれない。そう思ったのは、40歳のときだった。その年、親族のひとりが悲しい死に方をした。通夜、そして葬儀が慌ただしくすぎていった。喪失感に浸る余裕もなかった。忙しい時間に救われていた。そのとき、人は儀式を行うことで、悲しみを忘れるための時間を手にしようとしていたことに気づいた。
人間とは、なんと頭のいい生き物かと思ったものだった。
知人に若い頃から茶道を続けている女性がいる。しきたりを守るという作法を延々と繰り返していく。若い頃は、いったい茶を淹れるという昔ながらの所作を踏襲していくことに疑問を感じていた。しかし、20年、30年と続けているうちに、その意味がわかってくるのだという。彼女は著書でそう書いていた。日々是好日──。その心境に辿り着くには、ひたすら儀式に染まっていくしかないらしい。
年をとるということ。それは様々な儀式にまみれていくことである。家族ができれば、儀式はさらに増えていく。
いま日本の箱根にいる。温泉宿ですごす年末年始である。家族と一緒だ。安い宿がみつかったことがきっかけだった。箱根の元旦は快晴である。白い富士山が青空にくっきりと浮かびあがる。
新年の誓いはしない。子供の頃、そういうことをしなくてはいけないような気がしたが、誓いはすべて守れなかった。そういう人間だと思っている。富士山を眺めながら心を埋めていたことは、これから迫ってくる4、5冊の本の締め切りだけだった。
しかし大涌谷から元旦の富士山を眺める人たちのなかに身を置くと、やはり救われる。日本人が編みだした装置は心優しい。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
家族を離れた人も、自分なりの儀式をつくっていく。年末年始のカウントダウンを知人と海外ですごす……と決めている人もいる。テレビを眺めていると、年始の祭りに心血を注ぐ人たちが登場する。日本の正月は、そんな儀式が目白押しだ。社会や個人を問わず。
昔から、この儀式が苦手だった。なにか照れくさいような思いもあった。正月は暦では重要な1日かもしれないが、昨日の今日であることに変わりはない。イスラム圏で新年を迎えるとその事実を教えられる。地域性の強い儀式にすぎないとも思っていた。
信州の松本の高校を卒業し、ひとり暮らしをはじめた。できるだけ、儀式とは縁のない暮らしを選んできたような気がする。
それは、間違っていたのかもしれない。そう思ったのは、40歳のときだった。その年、親族のひとりが悲しい死に方をした。通夜、そして葬儀が慌ただしくすぎていった。喪失感に浸る余裕もなかった。忙しい時間に救われていた。そのとき、人は儀式を行うことで、悲しみを忘れるための時間を手にしようとしていたことに気づいた。
人間とは、なんと頭のいい生き物かと思ったものだった。
知人に若い頃から茶道を続けている女性がいる。しきたりを守るという作法を延々と繰り返していく。若い頃は、いったい茶を淹れるという昔ながらの所作を踏襲していくことに疑問を感じていた。しかし、20年、30年と続けているうちに、その意味がわかってくるのだという。彼女は著書でそう書いていた。日々是好日──。その心境に辿り着くには、ひたすら儀式に染まっていくしかないらしい。
年をとるということ。それは様々な儀式にまみれていくことである。家族ができれば、儀式はさらに増えていく。
いま日本の箱根にいる。温泉宿ですごす年末年始である。家族と一緒だ。安い宿がみつかったことがきっかけだった。箱根の元旦は快晴である。白い富士山が青空にくっきりと浮かびあがる。
新年の誓いはしない。子供の頃、そういうことをしなくてはいけないような気がしたが、誓いはすべて守れなかった。そういう人間だと思っている。富士山を眺めながら心を埋めていたことは、これから迫ってくる4、5冊の本の締め切りだけだった。
しかし大涌谷から元旦の富士山を眺める人たちのなかに身を置くと、やはり救われる。日本人が編みだした装置は心優しい。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
17:44
│Comments(1)