2011年09月26日
エチオピアの空
東京にある僕の事務所は、早大通りに面している。その事務所の斜め向かいに、『ルーシー』というエチオピアカフェがオープンしてしばらく経つ。
このカフェは、エチオピアスタイルでコーヒーを淹れてくれる。飲み終わると、カップの底に細かいコーヒーの粒が残る。これがいい。アジスアベバに滞在したときの、あの高い空を思い出してしまう。
エチオピアはコーヒーの原産地といわれている。山火事が起き、コーヒーの種が煎られたような状態になり、それを砕いてお湯を入れてみたら……。いつも思うのだが、こういうものに最初に口をつけた人の勇気には恐れ入る。ひょっとしたら、そこには毒が含まれているかもしれないのだ。
エチオピアには、日本の茶道に通じるコーヒー道がある。まず床に草を敷き、コーヒー豆を煎るところからはじまる。いちばん出し、2番出し、3番出し……と3回飲む。いちばん出しはやや粗いがその濃さが魅力だ。2番出しが僕らが普通に飲むコーヒーに近い。3番出しはアメリカンといったところか。
アジスアベバの安宿でだらだらとすごしていたとき、日本大使館に勤務する日本人から、このコーヒーセレモニーに招待された。奥さんがエチオピア人だった。現地雇いの日本人だった。日曜日の朝、彼の家に入った。床は土だった。そこに草を敷いて座る。3番出しを飲み終わるまで2時間近くかかった。
いまでもこうしてエチオピア人はコーヒーを飲むのだという。それも毎日のように。その時間感覚が羨ましい。
この店では、予約制だが、このコーヒーセレモニーも実演してくれる。店は日本人のご主人とエチオピア人の奥さんが切り盛りしている。奥さんが僕らの前に座り、ゆっくりとした動作でコーヒーを淹れてくれた。
小さなカップでそのコーヒーを飲みながら、またエチオピアの空を思い出していた。
ある作家が、「料理の味については一切、評価を書かない」といったことをいっていた。賛成である。味というものは、恐ろしく主観的なもので、責任のある言葉としては綴れない。テレビでは、料理を評価する番組が視聴率を稼いでいるが、それは出演者が主観で評価できるからだ。「私はおいしいと思う」。無責任な言葉なのだ。それをさも、客観的な評価のように演出しているところに、人気の秘密がある。
僕は『ルーシー』のコーヒーを気に入っているが、それはエチオピアの空を思い出してしまうからだ。あの空を知らない人には通じない。自分勝手な密やかな楽しみなのだ。
世間に流れる情報は、そんなひとり遊びを奪いつつある。しかたのないことだ。あえて反発はしない。しかし困ったことに、僕好みの店は、いつのまにか姿を消してしまう。ひっそりとした時間を奪われてしまう。
こんなことを昔から繰り返してきた。味覚の少数派……。
「そういうことよ」
妻からいわれた。
このカフェは、エチオピアスタイルでコーヒーを淹れてくれる。飲み終わると、カップの底に細かいコーヒーの粒が残る。これがいい。アジスアベバに滞在したときの、あの高い空を思い出してしまう。
エチオピアはコーヒーの原産地といわれている。山火事が起き、コーヒーの種が煎られたような状態になり、それを砕いてお湯を入れてみたら……。いつも思うのだが、こういうものに最初に口をつけた人の勇気には恐れ入る。ひょっとしたら、そこには毒が含まれているかもしれないのだ。
エチオピアには、日本の茶道に通じるコーヒー道がある。まず床に草を敷き、コーヒー豆を煎るところからはじまる。いちばん出し、2番出し、3番出し……と3回飲む。いちばん出しはやや粗いがその濃さが魅力だ。2番出しが僕らが普通に飲むコーヒーに近い。3番出しはアメリカンといったところか。
アジスアベバの安宿でだらだらとすごしていたとき、日本大使館に勤務する日本人から、このコーヒーセレモニーに招待された。奥さんがエチオピア人だった。現地雇いの日本人だった。日曜日の朝、彼の家に入った。床は土だった。そこに草を敷いて座る。3番出しを飲み終わるまで2時間近くかかった。
いまでもこうしてエチオピア人はコーヒーを飲むのだという。それも毎日のように。その時間感覚が羨ましい。
この店では、予約制だが、このコーヒーセレモニーも実演してくれる。店は日本人のご主人とエチオピア人の奥さんが切り盛りしている。奥さんが僕らの前に座り、ゆっくりとした動作でコーヒーを淹れてくれた。
小さなカップでそのコーヒーを飲みながら、またエチオピアの空を思い出していた。
ある作家が、「料理の味については一切、評価を書かない」といったことをいっていた。賛成である。味というものは、恐ろしく主観的なもので、責任のある言葉としては綴れない。テレビでは、料理を評価する番組が視聴率を稼いでいるが、それは出演者が主観で評価できるからだ。「私はおいしいと思う」。無責任な言葉なのだ。それをさも、客観的な評価のように演出しているところに、人気の秘密がある。
僕は『ルーシー』のコーヒーを気に入っているが、それはエチオピアの空を思い出してしまうからだ。あの空を知らない人には通じない。自分勝手な密やかな楽しみなのだ。
世間に流れる情報は、そんなひとり遊びを奪いつつある。しかたのないことだ。あえて反発はしない。しかし困ったことに、僕好みの店は、いつのまにか姿を消してしまう。ひっそりとした時間を奪われてしまう。
こんなことを昔から繰り返してきた。味覚の少数派……。
「そういうことよ」
妻からいわれた。
Posted by 下川裕治 at
12:00
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2011年09月19日
パスポートをつくるという儀式
パスポートのページが終わってしまった。ページを増やしたのだが、5年の有効期間をあと1年4ヵ月も残して、余白はなくなってしまった。
ほかの国はどうなのか知らない。日本の場合、1回増補し、ページが終わると、新しいパスポートをつくらなくてはならない。こんなことを3~4年に1回は繰り返している。
いつも理不尽に思う。増補してくれるページ数をもっと増やしてもらえば、なんとか5年はもつかもしれない。新しいパスポートをつくるには、1万円以上の金がかかってしまうのだ。
ビザが必要な国にしばしば出向く。アジアではカンボジア、バングラデシュ、インドネシア、インド。ロシアや中央アジアの国々もビザが必要だ。いまはほとんどの国がシール型で、最低でも1ページが埋まってしまう。そういう国に、何回か訪ねていると、いつの間にかページがなくなっていく。
パスポートに捺されるスタンプの場所は、国によって違いがある。中国とベトナムは、あぜか後ろのページから捺す。それ以外の国は基本的に前から。パスポートのページは、前と後ろから埋まり、今月、余白が消えた。
いちばん多いスタンプはタイだろうか。僕は月に1回のペースでタイを訪ねるが、バンコクからほかの国に足を伸ばすことが多い。そしてバンコクに戻って日本に帰る。1回、海外に出ると、日本の出入国のスタンプは各1個だが、タイはその倍の計4個のスタンプが捺される。タイはビザはいらないが、こうして出入国を繰り返していくと、余白はどんどんなくなっていく。
9月15日に新宿区の都庁にあるパスポートセンターに出向いた。新しいパスポートを受け取るのは、9月26日である。途中に連休があるため、こんなにかかってしまう。
困ることがある。エアアジアなどのLCC(ローコストキャリア)である。既存の航空会社は、予約のときにパスポート番号を伝えなくてもいいところが多い。しかしLCCはパスポート番号を打ち込まなくてはならない。10月にカンボジアに行く。その航空券を買ってしまっていた。
連絡をとると、古いパスポートと新しいパスポートのコピーを送るよう指示された。
なにか航空券の予約とパスポートの更新というものがそぐわない気がする。
パスポートをつくり変えて、いいこともある。ミャンマー(ビルマ)のビザが簡単にとれるようになることだ。ミャンマーのビザは、さまざまな国の出入国スタンプがあると、審査が突然、厳しくなる。報道目的とか、いまの政権にとって好ましくない印象を与えてしまうのだ。スタンプが多いと、アメリカやイギリス、イスラエルといった審査が厳しい国への入国も質問攻めに遭う。新しいパスポートなら、これらの国々への入国がスムーズになる。
僕のパスポートのはじめのほうに、必ずミャンマーのビザがあるのは、そのためである。3~4年に1度のミャンマー。パスポートをつくり変えることは、その儀式にも映る。
ほかの国はどうなのか知らない。日本の場合、1回増補し、ページが終わると、新しいパスポートをつくらなくてはならない。こんなことを3~4年に1回は繰り返している。
いつも理不尽に思う。増補してくれるページ数をもっと増やしてもらえば、なんとか5年はもつかもしれない。新しいパスポートをつくるには、1万円以上の金がかかってしまうのだ。
ビザが必要な国にしばしば出向く。アジアではカンボジア、バングラデシュ、インドネシア、インド。ロシアや中央アジアの国々もビザが必要だ。いまはほとんどの国がシール型で、最低でも1ページが埋まってしまう。そういう国に、何回か訪ねていると、いつの間にかページがなくなっていく。
パスポートに捺されるスタンプの場所は、国によって違いがある。中国とベトナムは、あぜか後ろのページから捺す。それ以外の国は基本的に前から。パスポートのページは、前と後ろから埋まり、今月、余白が消えた。
いちばん多いスタンプはタイだろうか。僕は月に1回のペースでタイを訪ねるが、バンコクからほかの国に足を伸ばすことが多い。そしてバンコクに戻って日本に帰る。1回、海外に出ると、日本の出入国のスタンプは各1個だが、タイはその倍の計4個のスタンプが捺される。タイはビザはいらないが、こうして出入国を繰り返していくと、余白はどんどんなくなっていく。
9月15日に新宿区の都庁にあるパスポートセンターに出向いた。新しいパスポートを受け取るのは、9月26日である。途中に連休があるため、こんなにかかってしまう。
困ることがある。エアアジアなどのLCC(ローコストキャリア)である。既存の航空会社は、予約のときにパスポート番号を伝えなくてもいいところが多い。しかしLCCはパスポート番号を打ち込まなくてはならない。10月にカンボジアに行く。その航空券を買ってしまっていた。
連絡をとると、古いパスポートと新しいパスポートのコピーを送るよう指示された。
なにか航空券の予約とパスポートの更新というものがそぐわない気がする。
パスポートをつくり変えて、いいこともある。ミャンマー(ビルマ)のビザが簡単にとれるようになることだ。ミャンマーのビザは、さまざまな国の出入国スタンプがあると、審査が突然、厳しくなる。報道目的とか、いまの政権にとって好ましくない印象を与えてしまうのだ。スタンプが多いと、アメリカやイギリス、イスラエルといった審査が厳しい国への入国も質問攻めに遭う。新しいパスポートなら、これらの国々への入国がスムーズになる。
僕のパスポートのはじめのほうに、必ずミャンマーのビザがあるのは、そのためである。3~4年に1度のミャンマー。パスポートをつくり変えることは、その儀式にも映る。
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12:33
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2011年09月12日
カオムーデーンが5バーツ値上がりした
バンコクの常宿だったソイ・アーリーのマイハウスホテルが閉鎖になり、もう2年近くになる。それからはバンコクのホテル放浪が続いている。
最初に泊まっていたのは、サパーンクワイのエンバシーホテルだった。マイハウスホテルから紹介されたホテルである。マイハウスホテル同様、築30年を超えるホテルだった。そのホテルに泊まってわかったのだが、マイハウスホテルの従業員が5人も移っていた。僕はホテルの従業員もろとも移ったことになる。
サパーンクワイでは懐かしい人にも会った。
ソイ・アーリーで毎朝買っていたバートンコー屋だった。彼は僕らよりひと足先にサパーンクワイに移っていたのだ。
ソイ・アーリーが年を追って高級な街になっていった。コンドミニアムが建ち、おしゃれなカフェがオープンしていく。パホンヨーティン通りの反対側にはビラスーパーもできた。マイハウスホテルも値上がりする土地代のなかで、コンドミニアムになるという話だった。ソイ・アーリーの庶民には、ついていけない街に変貌しつつあったのだろう。
そして僕もソイ・アーリーから追い出された。それはしかたのないバンコクの発展でもあった。どことなく鼻白む思いで、僕はサパーンクワイに根城を移していった。
しかしその後のソイ・アーリーが気になっていた。駅前の商店街にシートが張られ、再開発がはじまってしまったのだ。
「ますます近づけない街になる……」
BTSの車窓から、ソイ・アーリーの工事を見つめていた。
そのシートがはずされた。工事が終わったようだった。なにか怖いものでも見るような思いで、ソイ・アーリーの駅で降りてみた。まだ工事の途中だったが、通りに面した店はすでに営業をはじめていた。歩道を歩くと、すぐに写真屋が目に入った。以前からあった写真屋である。店はこぎれいになったが、店のおじさんはちゃんといる。ソイの入り口にあっためがね屋もそのままだった。その先に八百屋……あった。店はきれいになったが、無愛想だが正直値段で売ってくれるおばちゃんがいる。懐かしい顔に次々に出会い、笑顔が返ってくる。そう、この街には20年以上もお世話になったのだ。
小さなソイの角に出た。カオムーデーンやクイッティオの食堂がない。よくテーブルに座った店だった。化粧品や靴を置いたおしゃれな店になっている。歩道に沿ってしばらく歩く。
「あった」
食堂があったのだ。店は小さくなったが、小太りのおばちゃんが動きまわっている。懐かしくてつい入ってしまった。
「こっちに移ったんだ」
「角は家賃が高いからね。いろいろ入れ替えや移転があったんだよ。皆、家賃と相談しながら。定食屋は引退。でも6割ぐらいは残ったさ。この街は儲かるからね」
店はきれいになったが、そんなに高級になったわけではない。どこか郊外にできた新しい商店街といった趣だ。しかしどの店は冷房が効くようになった。そしてカオムーデーンは5バーツ値上がりした。
最初に泊まっていたのは、サパーンクワイのエンバシーホテルだった。マイハウスホテルから紹介されたホテルである。マイハウスホテル同様、築30年を超えるホテルだった。そのホテルに泊まってわかったのだが、マイハウスホテルの従業員が5人も移っていた。僕はホテルの従業員もろとも移ったことになる。
サパーンクワイでは懐かしい人にも会った。
ソイ・アーリーで毎朝買っていたバートンコー屋だった。彼は僕らよりひと足先にサパーンクワイに移っていたのだ。
ソイ・アーリーが年を追って高級な街になっていった。コンドミニアムが建ち、おしゃれなカフェがオープンしていく。パホンヨーティン通りの反対側にはビラスーパーもできた。マイハウスホテルも値上がりする土地代のなかで、コンドミニアムになるという話だった。ソイ・アーリーの庶民には、ついていけない街に変貌しつつあったのだろう。
そして僕もソイ・アーリーから追い出された。それはしかたのないバンコクの発展でもあった。どことなく鼻白む思いで、僕はサパーンクワイに根城を移していった。
しかしその後のソイ・アーリーが気になっていた。駅前の商店街にシートが張られ、再開発がはじまってしまったのだ。
「ますます近づけない街になる……」
BTSの車窓から、ソイ・アーリーの工事を見つめていた。
そのシートがはずされた。工事が終わったようだった。なにか怖いものでも見るような思いで、ソイ・アーリーの駅で降りてみた。まだ工事の途中だったが、通りに面した店はすでに営業をはじめていた。歩道を歩くと、すぐに写真屋が目に入った。以前からあった写真屋である。店はこぎれいになったが、店のおじさんはちゃんといる。ソイの入り口にあっためがね屋もそのままだった。その先に八百屋……あった。店はきれいになったが、無愛想だが正直値段で売ってくれるおばちゃんがいる。懐かしい顔に次々に出会い、笑顔が返ってくる。そう、この街には20年以上もお世話になったのだ。
小さなソイの角に出た。カオムーデーンやクイッティオの食堂がない。よくテーブルに座った店だった。化粧品や靴を置いたおしゃれな店になっている。歩道に沿ってしばらく歩く。
「あった」
食堂があったのだ。店は小さくなったが、小太りのおばちゃんが動きまわっている。懐かしくてつい入ってしまった。
「こっちに移ったんだ」
「角は家賃が高いからね。いろいろ入れ替えや移転があったんだよ。皆、家賃と相談しながら。定食屋は引退。でも6割ぐらいは残ったさ。この街は儲かるからね」
店はきれいになったが、そんなに高級になったわけではない。どこか郊外にできた新しい商店街といった趣だ。しかしどの店は冷房が効くようになった。そしてカオムーデーンは5バーツ値上がりした。
Posted by 下川裕治 at
14:02
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