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ナムジャイブログ

2023年05月29日

「鳥肌がたった」世界一周

「コロナ禍を旅する 世界一周編」が発売になった。第1弾がタイ編、第2弾がエジプト・エチオピア編。それにつづく第3弾という形になった。
 第1弾、第2弾同様、kindleからの発売である。
http://urx.blue/BevR
 最近のkindleは、電子版だけではなく、紙に印刷したタイプも買うことができる。電子版が480円、紙版が980円だ。
 発売の少し前、kindleでの発売の手つづきなどを手伝ってくれている担当にメールが届いた。紙版の値あげの連絡だった。
 いま、紙代は世界規模で上昇している。25%も値あがりしたという。定価が1000円を超える文庫本は珍しくない。単行本はもはや2000円時代。当然、kindleの紙版も値あげに晒されているわけだ。
 Kindleで発売する場合の定価は自分たちで決めることができる。安くすれば、自分たちの収入が減る。第1弾と第2弾と同じ定価にしようとすると……。少し悩んだが、同じ定価にすることにした。多くの人に読んでもらいたいという思いが勝った。
 第3弾はタイトルにもあるように、世界一周である。日本からタイに向かい、トルコ、ギリシャ、ドイツ、メキシコ、カナダをまわって日本に戻った。コロナ禍のなかで、入国規制の緩和が進む国を調べ、飛び石を渡るようにして世界をまわった。
 世界の国々はさまざまな方策で、新型コロナウイルスを押さえ込もうとした。いまになって振り返れば、すべての国が失敗した。しかし世界を一周した1年半ほど前、世界はウイルスに立ち向かっていた。そのなかを歩く旅で透けるように見えてきたのは、国家というものだった。
 ヨーロッパへの入国は難しくはなかった。しかしギリシャに入り、店に入るたびにワクチン接種証明の提示を求められた。バスターミナルの売店で水を買うときでさえ必要だった。入国規制は緩和し、実際の予防は国民に委ねていくという発想だった。アジアのように国家が前面に出てはこないのだ。
 人々の国家観が違った。旅は思った以上に安穏と進んだが、メキシコに入り、日本への帰国が迫ってきた頃から、旅は暗転していってしまう。デルタ株からオミクロン株に移行する時期で、日本の混乱がメキシコにいた僕にも迫ってきてしまうのだ。
 フランクフルトの空港で、その前に訪ねたトルコが日本入国時の隔離対象国になったことを知る。メキシコ滞在中に、日本が入国者を規制するために飛行機の新規予約を停止するという情報が届く。そしてバンクーバーから日本に向かう飛行機に乗っている間に、トルコが隔離対象国から除外されていく。国家というものの混乱のなかに、旅人が放り込まれていくことになる。「コロナ禍の旅」とはウイルスに振りまわされたのではなく、国家というものに翻弄されるものだということを思い知らされていく。
 成田空港に到着したとき、僕の荷物は届かなかった。ロストバゲージ、正確にいうとディレイドバゲージである。航空会社のスタッフと自分の荷物を探す。彼女から、どこをまわってきたのかと訊かれ、「世界一周」と答えた。そのとき、彼女は「鳥肌がたった」といった。その意味を測りかねながら日本に入国した。
 それがコロナ禍の世界一周だった。

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Posted by 下川裕治 at 21:27Comments(1)

2023年05月22日

貢献党ははじめて選挙で負けた

 5月16日の深夜、ソウルからの飛行機でバンコクに入った。タイは5月14日、下院の総選挙があった。変革を訴え、バンコクや若い人たちの指示を集めた前進党が152議席、赤派といわれる貢献党が141議席。このふたつの野党の議席を集めると下院500議席の過半数をはるかに超えた。
 通常ならここで与党から野党への政権交代のシナリオが描かれるが、タイはそう簡単にいかない。首相指名には、現在の軍事政権の流れを受けた与党が選んだ議員250人が加わる。つまり下院500議席に250議席が加わるから、野党は375議席を確保しないと野党の首相を選出することができない。
 しかしこの現在の与党系250議席は移行措置のなかで決まったもの。来年にはその期限が切れる……。
 いまタイの政局は水面下で進んでいる。連立工作が盛んに行われている。与党がどう形成されるかが見えてくるのはしばらく先だ。
 なぜこんなにもややこしいことになったのかといえば、長くつづいた政治対立に辿り着く。硬直状態のなかで軍のクーデターが起きた。その産物がいまの複雑な構造である。
 発端は2001年、タクシン元首相がタイ愛国党を率いて与党に躍り出るところからはじまる。タクシンは通信事業を手がけ、豊富な資金を手に入れた新興財閥である。しかし彼はそれまでタイの政権を担ってきた既得権グループとは違う支持基盤づくりに成功した。貧しい農民層への救済政策を次々に打ち出していく。当時のレートで約100円ほどで治療を受けられる国民皆保険、一村一品運動、村落基金……。東北タイを中心にした農村から圧倒的な支持を集めるのだ。
 それはバンコクと地方という、タイの構造を逆手にとったものだった。それまでタイの政治はバンコクを中心に動いていた。「ようやく私たちに目を向ける政権ができた」と多くの農民がタイ愛国党を強く支持するようになっていく。政治を、農民が支持しているかとも受けとれる構図に塗り替えていく。それを支えたのが選挙だった。農村という票田を手に入れたタクシンは、選挙では無敵だった。これに対して軍や旧守派は巻き返しをはかる。軍のクーデターでタクシンを追放し、裁判所の解党命令も出た。しかしタイ愛国党は貢献党に名前を変えるなどして対抗する。選挙にさえもち込めば勝利することがわかっていた。
 しかしこの軋轢は、最終的には、バンコク中心部のラーチャプラソン交差点周辺を占拠していた貢献党支持者に対して軍が出動。2014年のクーデターにつながる。そして軍のプラユットが首相になっていく。
 それから9年──。再び選挙になった。しかし貢献党は最多議席数をとれなかった。タクシンの地元であるチェンマイで、貢献党の首相候補のスレッタ氏は、全議席を獲得すると息まいていたが、ふたを開けると、10議席中2議席しかとれなかった。前進党は7議席を獲得した。
 貢献党は選挙ではじめて負けた。5月19日に貢献党の集会があった。場所はクーデターが起きたときと同じラーチャプラソン交差点だった。再び交差点を占拠するのかと思ったが、そこで目にしたのは、2車線だけ車を止めた小規模な集会だった。
 今回の選挙を、「前進党と貢献党の野党議席を合わせると過半数」と報じたマスコミが多かった。しかし僕の目には、貢献党の衰退に映った。
 しかしそれはタイの地方が豊かになってきた証でもあった。東北タイを歩くと、そのあたりがよくわかる。中規模な街にもショッピングモールができ、食堂を埋める人々の顔もしっかりしてきた。タクシンという異形の政治家が、心から貧しい農民を救おうとしたのか……といえば、僕は首を傾げる。しかし目的はどうであれ、農民の暮らしは確実に底揚げされた。それが貢献党の役割だったとすれば、長くつづいた政治の混乱もタイが通る道筋だったようにも思えてくる。最後に軍の存在だけが残ってしまうが。

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Posted by 下川裕治 at 13:35Comments(0)

2023年05月15日

「在留資格認定証明書」に募る虚しさ

 入国管理局、正式には東京出入国在留管理局から、ミャンマー人僧侶の「在留資格認定証明書」が送られてきた。申請を出したのが昨年の12月のこと。5ヵ月かかって、ようやく……である。
 東京の巣鴨にミャンマー人、とくにラカイン人を中心にした寺の設立にかかわった。日本では小乗仏教とも呼ばれてテラワーダを信仰する彼らにとって、仏教寺院はなくてはならない存在だ。加えていまのミャンマー情勢である。帰国できない人も多い。ミャンマーにいる若者たちは、軍事政権で将来への夢を失い、日本に未来を求める人も多い。彼らはさまざまな手段で日本にやってくる。そんなミャンマー人を支えるためにも、寺は欠かせない存在だった。
 寺である以上、そこには僧侶がいなくてはならない。日本に駐在する僧侶のビザを申請したのだが……。
 さまざまな書類を用意した。そして品川駅から都バスで入国管理局に向かった。
 アジア人とかかわりが深いから、入国管理局を訪ねることは多い。コロナ禍の時期は建物へ入るにも制限があり、入口前の歩道にできた長い列に何回も並んだ。ミャンマー人僧侶のビザを申請した時期は、新型コロナウイルスの嵐も弱まり、建物への入場制限はなくなっていた。
 しかしビザ審査が甘くなったわけではない。まず窓口で必要書類のチェックがある。その順番がまわってくるまで2時間。半日はかかる覚悟で向かわなくてはならない。受理された後、審査がはじまる。
 1ヵ月がたった頃だろうか。入国管理局から手紙が届いた。寺にあたる施設や活動の説明を写真と一緒に提出する指示だった。写真は撮影日時がわかるものという注意書きが書かれていた。
 説明書類はすでに提出している。再度つくれということらしい。撮影日時がわかる写真? どうすればいいのかわからず、入国管理局に電話を入れる。しかし常に話し中。しかたなく当日の新聞と一緒に写真を撮った。
 そして再び入国管理局へ。順番待ちの長い時間をすごし、窓口へ。職員に訊いてみた。
「撮影日時のわかる写真ってどう撮るんですか」
 すると職員はこういった。
「私だったらそんな指示は出しませんね」
 それから約1ヵ月。再び手紙。僧侶の滞在費の負担の説明と活動内容。すでに提出しているが、さらに詳しく書けということか。困って手紙に書かれた連絡先に電話をかけると、「この電話は使われていません」というアナウンス。溜め息が出てしまった。
 こんなことを何回も繰り返す。審査をする適切な材料がなく、重箱の隅をつつくような要求がつづく。提出までの期限も短くなる。どこか音をあげることを狙っているかのように思えてくる。
 日本の入国審査はこうなのか……と天を仰ぎたくなる。意味のない要求に淡々と答えていく日々。虚しい時間の先にようやく許可がおりる。
 届いた「在留資格認定証明書」。周囲からは、「よくとれましたね」といわれる。しかしその書類を眺めるたびに虚しさが募ってしまう。


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Posted by 下川裕治 at 11:22Comments(1)

2023年05月08日

俎上の『歩くアンコールワット』

『歩くアンコールワット』が発売になった。Kindleの電子版で480円、ペーパーバックという紙版が1078円だ。
 アンコールワット、そしてその基点になるシェムリアップのガイドは以前にも出版していた。しかし1冊のガイドになるほどのボリュームがなく、『歩くベトナム&アンコールワット&ルアンパバーン』という形での出版だった。
 コロナ禍が明ける頃、僕はいくつかのアジアの街をまわった。バンコク、シェムリアップ、アンコールワット、ヴィエンチャン、ルアンパバーン、ソウル……。どの街も新型コロナウイルスに席巻され、大きく変わってしまった。なかにはまだ多くの店が閉まっている街もあった。
 そのなかでいい方向に変貌した街がシェムリアップやアンコールワットだった。アンコール遺跡を縫うように自転車道が整備されていった。シェムリアップは本格工事だった。幅の広い歩道が繁華街を網の目のようにつくられた。車道を狭くせず、店舗の前面を削るようにして歩道が広がった。各店舗が街の整備に協力したのだ。街は歩きやすくなった。広がった歩道にはテラスのようにテーブルが並び、そこでビールを飲む観光客が羨ましかった。
 車道も整備され、店の前には駐車スペースがつくられた。街を流れるシェムリアップ川の周りも手が加わり、芝が植えられ、東屋やアスレチック設備も点在。その脇には自転車専用道がつくられた。まるで公園都市に変身したかのようだった。
 工事はコロナ禍前からはじまっていた。そこを新型コロナウイルスが襲い、観光客の姿は消えてしまった。しかし工事を止めなかった。シェムリアップは観光にかかわる仕事に就いていた人が多い。仕事がなくなってしまった人たちへの雇用対策もあったようだが、店が閉鎖されたから、工事はかえって計画通りに進んだのかもしれない。
 姿を変えたアンコール遺跡やシェムリアップを紹介できないだろうか……。
 これまで僕らは出版社からガイドを発行してきた。予算が決められ、それをやりくりして本を出してきた。しかしコロナ禍が尾を引いて、日本人観光客の腰は重い。そこに円安が拍車をかけ、出版社を通しての本の発行は難しかった。アンコール遺跡とシェムリアップだけではページ数が少なく、流通には乗りにくい。
 しかし紹介したい。
 そんな思いの5人が集まった。予算はゼロである。つまり全員が手弁当。ギャラはないところからスタートした。そんな環境下で制作は進み、なんとか電子版の「歩くアンコールワット」は完成した。同時に紙版も発売することにした。
 かかわった5人のメンバーの収入は、この本の売りあげで決まる。売れた分の収益を皆で分け合うことになる。
 そんな事情を説明し、「買ってください」と懇願するつもりはない。「こういうガイドがほしかった」という思いのなかで購入し、自転車に乗ってアンコール遺跡を巡り、公園都市シェムリアップでまったりしてほしい。その俎上に載せて満足してもらう。手弁当でつくった自負である。予算のなかでつくる本とはレベルが違う。
 はたして皆さんが、価格を含めてどう評価してくれるか。僕も俎上にいる。


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2023年05月01日

美しく切ない死

 最近、髪の毛がよく抜ける。季節の変わり目だからという気もしたが、やはり老化なのだと思う。まだフリーランスのライターだった頃、僕は『ハゲてたまるか』という本を書いている。髪の毛にはそれなりの知識はあるつもりだ。抜け毛が気になったとき、見た目の抜け毛よりはるかに多くの毛が抜け落ちている……。髪の毛のボリュームが減ってきているという自覚もある。電車で老人の頭部を見つめる。僕もその道を進んでいるのか。
 土曜日の夕方、飼い猫が死んだ。2ヵ月ほど前だろうか。腹部のしこりのようなものが気になって妻が動物病院に連れていくと、癌がみつかった。人間でいったらステージ4。末期だった。
 13年前、我が家の脇で野良猫が2匹の子供を生んだ。家の周りが遊び場になった。なりゆきで飼いはじめることになった。1匹は4年ほど前に他界した。そして今回……。
 以前、上海で地域猫のような猫の世話をする中年女性の動画を観た。彼女はこういっていた。
「ペットの最大の欠点は人間より寿命が短いこと」
 本当にそう思う。猫は死期を察知すると、あるスイッチが入る。餌を食べなくなり、体のエネルギーを少しずつ減らしていく。体温はしだいにさがっていく。そして誰からも見られない死に場所を探す。死への道をきっちりと歩みはじめるのだ。
 猫が意図したことではない。生存本能とは逆の死亡本能のようなものが組み込まれている。そのスイッチが入ってしまったら、誰にも、そう猫自身も止めることができない。
 土曜日に死んだ我が家の猫の体も、前日にはすでにひんやりとしていた。
 静かに呼吸を止めていったのは雄の猫だった。丸い目をした黒猫である。飼いはじめたとき、動物病院で去勢手術を受けた。
「警戒心がすごく強いね。でも、慣れたらいい飼い猫になる」
 獣医からそういわれた。いい飼い猫だったかどうか。僕にはわからない。ただ頭のいい猫で、空気を読むようなところがあった。
 しかし最後は猫らしく息を引きとった。
 死のスイッチが入った動物は、素直に死を受け入れる。だから切なくも美しい。人間という動物も、本来はそういう宇宙にいたのだろうが、頭脳が発達し、死に対して抗うようになった。医学という科学に延命を託す。死後の世界を想像することから宗教をつくりだしていった。
 知能というものがあるから、動物社会の頂点に君臨しているのだろうが、死というものの前では、猫のほうがはるかに美しく映る。
 13歳の猫は、人間でいったら、僕と同じぐらいの年齢らしい。そして僕は、抜け毛が増え、少しずつ老化していく。つまり死に近づいてくることを意味する。僕は人間だから、どうしても老いに対抗しようとしてしまう。猫の一生に比べると、なんと意気地がないことだろうか。
 ペットが教えてくれること。それは生き物がすべて内包する美しい死のようなものにも思える。


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