インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2011年01月31日

友だちができない若者たち

 日本の若者たちはシフトに振りまわされている。そんな話を聞いた。シフトというのは、アルバイトのシフトである。
 その大学生は、居酒屋チェーンでアルバイトを続けている。夜の11時以降の時間に入れてもらうと、時給が1000円を超える。そのシフトを決めるのが店長である。
 時給のいい時間帯が多くなると、月のバイト代は1万円ぐらい増える。収入を増やすには店長に気に入られるしかないのだという。逆に働きが悪かったり、店長に嫌われると、働く時間が減っていく。シフトからしだいにはずされていってしまうのだという。
「長く休むなんてとてもできません。店長がどう思うか……」
 なぜいまの若者は海外旅行に出ないのか。その一因が、このバイトのシフトにあるのだという。
 僕の学生時代のバイトはのんびりしたものだった。曜日と時間帯が決められ、その時間分のバイト代が支払われる形が多かった。シフト表など存在しなかった。
 なんだかいまの学生たちは、サラリーマンのようなのである。いつも店長の機嫌を気にしていなくてはならない。時給のいいバイトほどその傾向が強いという。
「日本でアルバイトや契約で働いていても、友だちがまったくできないんですよ」
 バンコクで働いている青年がいった。
 彼は東京のコールセンターで働いていた。そこでもしっかりとしたシフト表がつくられていた。ひとつのブースをAさんが朝の8時から午後3時まで使う。そしてBさんが午後3時から……。そういうローテーションが組まれるのだ。つまり働く人同士が、ほとんど顔を合わせることがないのだという。
「こういうシステムだと、飲み会なんて難しいんです。皆、時間が合いませんから。だいたい働いている人をよく知らない。声をかけるタイミングもないですし」
 日本の会社は徹底した効率化を進める。企業にしたら、大切なことかもしれないが、働く人同士の横のつながりはできにくい。愚痴をいう相手もいないのだ。
 バンコクの日系企業で働きはじめたとき、彼は昼食に誘われて戸惑ったという。日本ではそんなことは1回もなかった。その会社では、皆、一斉に昼食をとり、夕方5時になると仕事を終える。同じように採用された日本人と、毎日のようにビールを飲みに出かけているという。バンコクでようやく、日本人の仕事仲間という友だちができたのだ。
 日本人が外国でしか日本人の友だちができない……。いつ頃からこんなことになってしまったのだろうか。
  

Posted by 下川裕治 at 13:06Comments(1)

2011年01月24日

1台の救急車より点滴バイク

 バンコクでBTSや地下鉄の駅から少し離れたところに泊まると、つい、バイクタクシーに乗ってしまう。事故とか排気ガスといったことを考えれば、乗らないほうがいいのかもしれない。運賃もタクシーより安いわけではない。しかし、目的地に渋滞も関係なく着いてしまうことはありがたい。時間に余裕のないときは、やはり頼ってしまう。
 最近のタイは景気がいいらしい。時間帯や場所にもよるが、渋滞が戻ってきつつある。先日も乗ったタクシーがひどい渋滞にはまってしまった。約束の時刻に間に合いそうもない。バイクタクシーに頼るしかなかった。
 バンコクという街は正直だ。少し景気がよくなると、すぐに渋滞が現れる。それに比べると、東京の車の混み具合は、景気への反応が鈍い。この違いはなんだろうか……と考えることがある。街の構造だろうか。民族の違いだろうか。
 先週はカンボジアにいた。プノンペンもバイクタクシーが欠かせない街だ。プノンペンのそれは、後部座席が水平で広く改造してある。安定感があって座り心地もいい。バンコクのバイクタクシーも、そのくらいの改造をしてほしいといつも思う。ブレーキをかけたときなど、尻が前に動いていってしまうのだ。バンコクには、そういう改造を規制するルールでもあるのだろうか。そんなものはない気がするのだが。
 カンボジアでは、よく点滴バイクを見かける。患者が後に乗り、点滴をしながら病院に向かうのだ。村の診療所などで治療を受け、点滴をしながら病院に向かうのではないかと思う。重症ではないのだろうが、田舎の道ではじめてこの光景を見たとき、いったいどういう国なのかと思ったものだった。
 そんな話を海外で活動する日本の医療NPOのスタッフと話したことがある。
「それってすごいアイデアかもしれない」
 彼は目を輝かせた。
 救急車が少ない発展途上国では、患者の病院への移送が大変なのだという。点滴をしながら移送しようと思うと、天井の高い車を用意しないといけない。しかし一般にすぐ手配できるのは、通常の乗用車。点滴用のフレームが引っかかってしまい、なかなかうまく点滴セットを車内に持ち込めないらしい。
「バイクなら、すぐにできるじゃないですか。簡単そのもの。バイクはすぐに手配できますからね」
 発展途上国といっても、都市の渋滞が社会問題になっているところが多いという。道の拡張といったインフラが整わないまま、車だけが増えてしまうのだ。そんな街では、救急車もなかなかうまく機能しない。しかしバイクなら問題はない。
 1台の救急車より点滴バイク。使い勝手のいいものは現場にある。そういうことなのだろう。  

Posted by 下川裕治 at 12:31Comments(1)

2011年01月17日

カンボジアが中国に染まっていく

 久しぶりにカンボジアに行ってきた。前回訪ねたときから、そう1年半ほどの月日が経っていた。
 最近の僕のカンボジアは、もっぱらコンポンチャムローン村である。湖の端に日本人の老夫婦が家を建てて住んでいる。そこにお世話になるっている。
 高床式の家で、湖が目の前に広がる。それを眺めているだけの日々である。
 これがまったく飽きない。夕方になると、小船が出て、村人が魚を獲る。その向こうには水田が広がる。それを眺めているだけで1日が終わってしまう。
 この家には電気がなかった。自家発電の灯りでビールを飲む。チンチョウやトッケイが鳴き、うるさいほどの虫の声があたりを包む。ときには蛍がふらふらと舞う。それを眺めながら夜が更けていく。
 プノンペンから直線距離で18キロしかない。夜になると、プノンペンの方向がうっすらと明るくなるほどの距離である。
 しかしこの村に行くのはなかなか大変だった。ラーンと呼ばれるトラックの荷台に乗り、未舗装の道をがたがたと進む。途中にメコンの支流があり、そこをフェリーで渡る。乾季に行くと、砂埃で体や髪が真っ白になる。雨季になると、道はぬかるみ、トラックはのろのろと進むしかない。
 そう、いつも3時間はかかっただろうか。
 しかし1年半ぶりに訪ねると、その道が一変していた。川に大きな橋が架かったのだ。同時にプノンペンからの道は舗装工事が終わっていた。村まで舗装された道を車が走るようになったのだ。時間も1時間に短縮された。砂埃もない。荷台の手すりにしっかりつかまっていないと座席から飛び出してしまうような揺れもない。
 村に着いたときは、なにか拍子抜けしたような感覚だった。
 村は電気も来ていた。夕方になると、皆が使うのか、停電がときどきおきるが、やはり電気は偉大である。
 この老夫婦の家には、以前、冷蔵庫がなかった。自家発電の電気では冷蔵庫までまかなえなかった。毎朝、氷を買いにいき、それを入れたクーラーボックスが冷蔵庫代わりだった。今回訪ねると、立派な冷蔵庫が台所にどんと置かれていた。電子レンジも入った。突然の電化生活。やはり電気は偉大である。
 新しく入った電化製品はどれも中国製だった。プノンペンで買うとそういうことになってしまうらしい。
 橋をつくったのも中国だったという。いまでも工事が行われているが、工事中という表示には中国語が躍る。カンボジアの近代化は、そのすべてが中国に負っているような気配すらあるのだ。
 新しくできた道路の周りは、これから中国の会社の工場が建っていくのかもしれない。カンボジアの農村に入り込む中国のパワーを目の当たりにすると、そんな気になってくるのだ。
 日本の影はどんどん薄くなってきている。この村に向かうトラックの発着所は、かつて日本がつくった日本橋のすぐ近くである。もうそれぐらいしか、日本はみつからないような気になってくる。
 東南アジアはそんな時代を迎えているらしい。
(2011/1/17)   

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(3)

2011年01月10日

マスクをかけて空気になる

 マスクをかけている人が増えてきた。今日も電車に乗ると、1車両で10人を超える人がマスクをかけていた。東京はいま風邪が流行っている。インフルエンザの噂は聞かないが。
 20年ほど前だろうか。東京にいる東南アジアからの留学生と話したことがある。日本に来て驚いたことを訊いた。そのなかで多かったものがふたつあった。
 マスクと立ち食いそばである。
 東南アジアの人たちにとって、立って食事をするということは考えられないことのようだった。そしてマスク……。
「はじめて見ました。どうして布で口を覆っているのかと不思議でしかたなくて」
 マスクを東南アジアに広めたものは、SARSから新型インフルエンザと続いた感染症だった。いまはマスクを見て目を丸くするアジア人はそういない。もっとも大気汚染が問題視されていた台北では昔からマスクをしてバイクに乗ることが多かった。バンコクでは、交通整理の警官がよくマスクをしていた。
 ある知人がこんな話をしていた。
「マスクをすると、精神的にすごく楽なんだよ。いくら上司に怒られても、どこ吹く風って感じでいられるんだよ。怒られているとき、舌を出したって気づかれない。そんな感じ。だから風邪でもなにのにマスクをするときがある。電車のなかでマスクをしている人って、本当の風邪は半分ぐらいなんじゃない」
 その感覚がよくわかる。視界の下に白いマスクが入ってくる。それだけで、自分の世界を守ることができるような気がする。やはり楽なのだ。偽風邪組が半分いるとは思えないが、人と人が近づいて暮らさなくてはならない社会では、マスクは逃避のひとつのアイテムと思えなくもない。
 これは欧米に多いのだが、太陽が照りつける夏だというのに、フードを深く被っている若者がときどきいる。ロサンゼルスで電車やバスに乗ると、隅の座席にうずくまるようにして座る若者の多くは、フードで顔を隠している。以前から気になっていた。アルコールやドラッグをやっていることを気づかれないためかとも思ったが、ひょっとしたら、マスクと同じように、フードで社会というものを拒絶しているのかもしれない。
 日本には約70万人のひきこもりがいるといわれる。そのひとりだった若者が、タイに行き、いまは元気に働いている。彼がタイに行ったとき、周りから聞こえる言葉の意味がまったくわからなかった。自分が空気のような存在に思え、外出が苦にならなくなったという。
 日本人はマスクをすることで、どこか空気のような存在になることができるのかもしれない。人で埋まる電車のなかで、そんなことを考えていた。
(2011/1/10)
  

Posted by 下川裕治 at 09:46Comments(3)