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ナムジャイブログ

2009年10月26日

台北のガジュマル公園

 台北の街は篠突く雨に見舞われていた。傘をさしても、ズボンはぐっしょりと濡れる。道を渡ると、靴のなかまで水が入ってくる。
 台風の雨らしい。今年、台風の被害は台湾やフィリピンに集中した。
 大丈夫だろうか。
 雲に覆われた空を見上げた。
 朝いちばんで旅行会社で日本行きのチケットをうけとった。次の約束は11時だった。喫茶店で雨宿りでもと思い、南京東路を歩いていた。路地に入り込むと、ビルに囲まれた公園が見えた。その中央に東屋がある。
 雨宿り……。
 伊通公園という名前が入り口に書いてあった。東屋に入り、傘を閉じて、ひと息ついた。周囲を見渡し、ゾクッとした。
 公園の木々はすべてガジュマルだったのだ。何本かの木に樹名も記されていた。ガジュマルは中国語で榕樹と書く。人がその木の下に集まるという意味も含まれている。縁起が悪い木ではない。
 しかし数十本のガジュマルに囲まれると、なにかしら霊気のようなものが伝わってくる。
 ガジュマルは無数の気根を垂らす。蔓のような根である。それが地表に届き、そこに根づいて巨大な樹木になっていく。
 気根を雨粒が伝う。その動きは生き物のようにも映る。かつて戦乱に明け暮れていたタイでは、村を征服した証にガジュマルを使った。クリスマスツリーに吊した人形のように、殺した兵士をこの気根に巻きつけた。
 東屋に1時間もいてしまった。
 台北の公園は侮れない。  

Posted by 下川裕治 at 12:14Comments(0)

2009年10月19日

検便持参の空の旅

 飛行機にばかり乗っている。12日前、東京を出発してバンコクへ。2泊してチェンマイに飛び、翌日、バンコクに出て、そのまま乗り継いで東京に戻った。東京には3日いて、それから沖縄へ。
 沖縄には3泊した。いったん東京に戻り、翌日、バンコク経由でチェンマイへ。
 そしてこれからバンコクに向かう。
 ふーッ。
 しかし飛行機の旅はまだ続く。バンコクから台湾に行かなければならない。台湾に1泊して、ようやく東京に戻る。
 さすがに疲れた。
 飛行機が好きではない。
「空の旅をお楽しみください」
 などというアナウンスが流れると、ムカッとくる。外を見ても空と雲ばかりなのだ。
「なにを楽しめというのだろうか」
 こういう日程になってしまったのは、講演が続いているからだ。
 講演も苦手だ。人前で喋ることが得意なら、原稿を書く暮らしなど選ばなかったと思う。講演が終わった後、とんでもない自己嫌悪に襲われる。
「無理をしている」
 風邪をひいてしまった。
 体は正直だ。
 日本に帰国した翌日、健康診断が待っている。検便もある。診断の当日、便がきちんとでるのかどうかわからないから、容器を持ち歩いている。
 台北の安宿で便を採取しようか。
 検便持参の飛行機の客なんていないだろうな。X線でひっかかる? 
 そんなことないか。  

Posted by 下川裕治 at 13:25Comments(0)

2009年10月14日

沖縄の心は「サン」が伝える?

 沖縄に「サン」と呼ばれる魔除けがある。糸などで輪をつくり、それを持ち帰る食べ物にくくりつける。おいしいものには、邪気がつくので、それを追い払うというわけだ。
 スーパーの食品売り場にも、そっと置かれていることがある。
 沖縄の魔除けは石敢當が有名だが、「サン」も引き継がれている。
 那覇にいる。
 昨夜、飲み会があり、残った料理を持ち帰ることになった。店で出された料理が食べきれないとき、折に入れてもらい、持ち帰ることは沖縄では一般的なのだ。
 そのとき、従業員が、サランラップで「サン」をつくってくれた。
 こういう沖縄が好きだった。
 最近の沖縄にはいいことがない。リーマンショック以降、観光客が急激に減った。移住者を当て込んだマンションやアパート建設が続いたが、完成しても入居者がいない。沖縄流バブルは崩壊した。
 政権が代わり、沖縄に湯水のように注がれた助成金の先行きにも黄色信号が点灯している。沖縄のサトウキビ収入の8割は助成金だという。アメリカ軍基地の移転先である辺野古の人たちは、保証金として1億5000万円と年200万円を要求しているという。
 援助や助成金に頼る体質が、沖縄に染みついてしまった。その構造をつくったのは軍用地の地代と沖縄特例である。
 昨夜の飲み会は、そんな話題になってしまった。助成金は沖縄の心を蝕んでしまったのか。結ばれた「サン」は、それをしっかりと否定しているように思えるのだが。  

Posted by 下川裕治 at 13:20Comments(0)

2009年10月05日

ゲイの老後

 秋晴れのソウルにいる。大陸からの高気圧に覆われているらしい。チュソクと呼ばれる旧盆にあたっている。
 ソウル市内のチョンノにあるゲイバーに連れていってもらった。
 ゲイバーといっても派手さはなにもない。カウンターだけの店。なかには初老の男性がふたりいるだけだった。
 どう見ても普通のバーなのだが、このふたりは、長く新宿の二丁目のゲイバーで働いていたのだという。日本人と同じような日本語を操る。
 新宿二丁目のゲイバーの客は、日本人だから、それは当然ということかもしれない。
 しかし歳をとり、外国でのゲイ暮らしは辛くなってきたのだろうか。やはり生まれ育った韓国のほうが生きやすいということなのだろうか。
 ゲイには子供がいない。自分の遺伝子を残すことができない人々である。そんな人たちは、歳をとったら子供に面倒を看てもらうこともできないのだ。
 かつては新宿二丁目で、きらきらと輝くゲイ暮らしをしていたのかもしれないが、やはり歳なのだ。
 ひっそりとソウルの飲み屋街に店をもったということなのだろうか。
 外に出ると、秋風が冷たかった。旧盆をすぎ、ソウルはまっしぐらに寒い冬に向かっていく。連れから向かいの屋台に誘われる。ソウルの夜は、ちょっと寒くて、ちょっと寂しかった。  

Posted by 下川裕治 at 17:29Comments(1)