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ナムジャイブログ

2024年02月29日

【イベント告知】新刊『全面改訂版 バックパッカーズ読本』発売記念

下川裕治(共著)の新刊 『全面改訂版 バックパッカーズ読本』 発売を記念して、トークイベントを開催いたします。
詳細は以下です。ぜひ、ご参加ください!

◆室橋裕和さん×下川裕治さん◆
◆スライド&トークイベント◆

僕たちのバックパッカー旅は
どこへ向かうのか?
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新刊『全面改訂版 バックパッカーズ読本』(双葉社)発売を記念して、ライターの室橋裕和さんと旅行作家の下川裕治さんのお二人をお招きして、2024年の最新のバックパッカー旅の状況についてスライドを眺めながら対談トークをしていただきます。

長年、アジアを中心に様々な国々をバックパッカー旅で自由きままに歩きまわってきた室橋さんと下川さん。1998年1月刊行の1作目から四半世紀余を経て全面改定版として出版された新刊『バックパッカーズ読本』では、そんなお二人を中心に、高野秀行、丸山ゴンザレス、松岡宏大 、リュウサイ、小山のぶよ他、旅の達人のエッセイが収録。

また、旅をとりまく状況が大きく変化したのに対応して、渡航手続きの仕方、ネットを駆使してリーズナブルかつ安全に旅する方法、航空券やホテルなど予約サイト完全攻略法など、2024年の最新の旅の基本情報が満載の1冊になっています。

今回のイベントでは、編集&執筆に携わった室橋さん、下川さんお二人の取材時の裏話や秘話を交えつつ、今後のバックパッカー旅がどうなっていくのかといった貴重なお話が聞けるはずです。室橋さん、下川さんのファンの方はもちろん、バックパッカー旅に挑戦したい方や自由気ままな海外旅行に興味のある方は、是非ご参加下さい

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。

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●室橋裕和(むろはしひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリスト、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。

現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティと密接に関わり合いながら取材活動を続けている。「外国人コミュニティから見る多文化共生の実情や問題点」といったテーマで、大学、メディア、自治体などで講演する機会も多数。

おもな著書は『エスニック国道354号線』(新潮社)、『ルポ新大久保』(角川書店)、『日本の異国』(晶文社)など。

◆室橋裕和さんツイッター
https://twitter.com/muro_asia

●下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経てフリーに。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。

『「生き場」を探す日本人』『シニアひとり旅バックパッカーのすすめ アジア編』(ともに平凡社新書)、『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』(中経の文庫)、『日本の外からコロナを語る』(メディアパル)など著書多数。  

◆下川裕治さんブログ「たそがれ色のオデッセイ」
http://odyssey.namjai.cc/

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【開催日時】 
3月7日(木) 
19:30~(開場19:00)  

【参加費】  
1000円(会場参加)
※当日、会場にてお支払い下さい

1000円(オンライン配信) 
※下記のサイトからお支払い下さい
https://twitcasting.tv/nomad_books/shopcart/249241

【会場】
旅の本屋のまど店内  
 
【申込み方法】
お電話、e-mail、または直接ご来店の上、お申し込みください。

TEL&FAX:03-5310-2627
e-mail :info@nomad-books.co.jp
(お名前、お電話番号、参加人数を明記してください)
 
※定員になり次第締め切らせていただきます。

【お問い合わせ先】
旅の本屋のまど 
TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)
東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
http://www.nomad-books.co.jp

主催:旅の本屋のまど 
協力:双葉社



  

Posted by 下川裕治 at 14:30Comments(0)

2024年02月26日

高齢化と少子化が進む天体

 あれは単なる強がりだったのだろうか。日本の経済力が衰退傾向に入った昭和の終わりから平成にかけ、日本ではしきりと幸せの形の話が交わされていた。つまり、がむしゃらに働き、経済成長を求めていく生き方への警鐘である。こういう発想には若い人ほど敏感で、東京を引き払って里山の暮らしを選ぶ人も増え、テレビでは、収入は少ないが、その暮らしがいかに人間らしく、豊かなものか、声高に語っていたはずだ。そのとき、その国の豊かさを、名目のGDPである国民総生産で測ることの無意味さという話も広がっていたように思う。
 ところが最近、国民総生産がドイツに抜かれて4位に転落したという報道に、日本人は妙に浮足立ち、「どうしたら日本経済は復活するのか」といった話がしきりと耳に届くようになった。不況のなかで日本人は豊かさへの道筋をつくっていったかのように見えたが、あれは衰退を認めたくない方便だったのか。
 僕は経済の専門家ではない。しかしよく海外への旅に出る。その感覚でいえば、日本の国民総生産がこれまで3位だったことが意外ですらあった。
 いま、バングラデシュにいるが、その経済成長の勢いは息を飲むほどだ。かつて世界の最貧国のひとつに数えられ、海外からの多くの援助がこの国を支えていた。北海道の倍ほどの広さの国土に1億7000万人もの人が住んでいる。歴史的な経緯もあって、狭い土地に人々が押し込められたようなところがあるが、とにかく大変な国である。
 世界の最貧国ということは、賃金も低いわけで、それを求めて世界のアパレル企業がバングラデシュに目をつけることになる。それが10年ほど前だろうか。それからは破竹の勢いである。貿易会社に勤めるバングラデシュ人の知人の給料はぐんぐんあがり、ダッカの下町だが、3LDKのマンションまで買ってしまう。ダッカではメトロが走りはじめ、路上で飲むミルクティーの値段はここ10年で3倍以上になった。旅行者はこうして世界経済の平準化を実感していくわけだ。
 僕は南部のコックスバザールという街で30年以上、学校運営にかかわっている。援助する立場である。だから衰退する日本と、勢いに乗ったバングラデシュの差を痛感してきた。
 さまざまな国を歩いてわかることは、その国の経済力は人の人生に似ているということだ。高度成長は必ず終わっていくということでもある。しばらく中国の経済力が世界を席巻したが、これから10年、静かに衰退していく。それを日本人は若干の余裕をもって眺められるのは、かつて同じように下降線を辿った記憶と重なるからだ。
 ざっくりと長い目で地球を眺めれば、高齢化と少子化が進んでいく天体である。それぞれの国に進み方の時差があるから、それが経済成長を生んでいく。人の一生はその時差に左右されて終わっていく。国民総生産の盛衰も同じような時間感覚かもしれない。しかし100年単位で見れば、やがて国民総生産が尺度になる時代は終わっていく。豊かさは経済力とは別の時空に構築されているはずだ。
 経済が衰退していくなかで、日本人はそれを探る入り口に立っていた気がしていた。しかしそういうことではなかったらしい。少し拍子抜けしてしまっている。

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Posted by 下川裕治 at 14:39Comments(0)

2024年02月19日

カップ麺に染まる

 カップ麺ばかり食べている。昼の時間は事務所にいることが多いのだが、近くの定食屋やチェーン店に行く気になれない。理由はいくつかある。
 コロナ禍を経て、事務所のメンバーも自宅で仕事をすることが多くなった。以前は一緒に昼でも……となることが多かったが、その機会がぐっと減った。ひとりで店に入るぐらいなら……と考えてしまう。
 年のせいもあるのだが、定食屋やチェーン店の昼食の量が多すぎるように思うようになった。残してしまうほどではないが、胃にこたえる。食べた後は眠くなってしまう。
 事務所の近くにはドラッグストアーが3軒ある。そこをのぞくと、100円以下の料金でカップ麺が売られている。知らないメーカーのものもあるが、とにかく安い。
 そんな状況のなかで毎日のようにカップ麺に手が伸びてしまう。体にはよくないとは思うのだが。
 新井一二三さんの本を読んでいて、香港にはもともとインスタントラーメンに近い麺があったことを知った。蝦子麺という。これは麺を一度蒸してから乾燥させるため、熱湯に数分浸し、麺がほぐれたら食べることができる。チキンラーメンとカップヌードルをつくった日清食品の安藤百福氏が、この麺を知っていたとは思うが。彼がつくったインスタント系の麺が広まり、蝦子麺の存在感は薄くなったという。
 先日、タイ好きの知人と話しているとき、「どうしてタイのカップ麺はあんなにまずいのか」という話になった。バンコクに滞在しているとき、日曜日にあたると多くの店が休んでしまう。繁華街まで出向くのも面倒で、コンビニでカップ麺を買うことがある。たしかに味がつまらない。辛さにも奥がない。
 それに比べると、日本、台湾、韓国や中国のカップ麺は種類も多く、タイとはレベルがひとつ違うと思う。なかでも韓国。あのレベルの高さは、韓国人のカップ麺好きに支えられている気がする。辛ラーメンを生んだ国である。
 韓国のコンビニにはイートインコーナーが設置されていることが多い。日本と違い、入り口の脇、つまりテラス式の屋外テーブルタイプをよく目にする。そこを見ていると、だいたいカップ麺を啜っている。
 昨年末、韓国の仁川にいた。空港ではなく仁川の街。午前10時頃だっただろうか。東仁川の駅前近くのコンビニのテラス式のイートインコーナーで、学生ふたりがカップ麺を食べていた。道を隔てた反対側には高校があった。彼らは休み時間に学校を抜け出してコンビニでカップ麺を食べていた。
 夜の11時頃、コンビニの前を通ると、イートインコーナーで若者グループが盛りあがっている光景をよく見る。テーブルの上にはアルコール類はない。イートインコーナーでの飲酒は許されていないらしい。代わりに置かれているのはカップ麺。知人が教えてくれた。
「昔は〆に店で麺類っていうことが多かったけど、ソウルも物価高。若者グループは〆の麺類をコンビニっていうことが多いみたい。彼らも生活、苦しいから」
 昼食にドラッグストアーの安いカップ麺を選ぶ僕と大差はない?

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2024年02月12日

熱量が少ない心地よさ

 東京の西荻窪にある「旅の本屋のまど」によく顔を出すようになって2年近くになる。2週間に1回、この店でユーチューブのライブがあるからだ。
 旅の本屋……旅関係の本だけを置く店は、本屋のなかではマイナーである。駅前にある書店とは違う。駅からつづくバス通りを数分歩くだろうか。店はひっそりと看板を出している。
 ライブは夜の8時半からはじまる。だいたい8時頃には店に着く。準備というほどではないが、店長の川田さんと簡単な打ち合わせの後、店に並ぶ本を眺めることが多い。
 この2年で置かれる本が少し変わった。昔でいう同人誌というか、独力でつくり、印刷した本が少しずつスペースを増やしているような気がする。いまはZINEというのだそうだ。ネットを見ると、語源はMAGAZINEやFANZINEのようなのだが、書籍の流通に乗ることなどなにも考えず、自分の本をつくる世界。手づくり本を店に置いてもらう世界である。
 ネットが普及し、個人の表現ツールは飛躍的に広がった。ホームページ、ブログ、フェイスブック、Xになったツイッター、インスタグラム、ユーチューブ……。そういう世界に飽きてしまった、とういうことなのだろうか。紙に印刷された本というものは、ネットの表現とはまた別物なのだろうか。
 大学生のとき、僕はある同人誌にかかわっていた。そこそこ名のある作家が主催していたもので、メンバーは小説を発表していた。いちばん若かった僕は、その同人誌の販売を受けもっていた。一般書店に出向き、同人誌を置いてくれるよう頭をさげる役割だった。そこでしっかりと釘を刺される。
「置いてもいいですけと、約束の日に必ず回収と清算にきてください。それができないと置けませんから」
 あるとき、約束の日に書店に行くと、店長が代わっていた。
「おたくの本はほとんど売れないので、断裁センターに出してしまいました」
「断裁?」
 ここでいう断裁は、本を処分して古紙のようにしてしまうことだった。断裁という用語もはじめてしった。せっかく印刷した本である。僕は埼玉県にあった断裁センターに出向き、200冊を超える本を引きとった。本は重い。最寄りの大泉学園の駅まで、何回も休みながら本を運んだ。いったい僕はなにをしているのだろうと思ったものだった。
 当時の同人誌に小説を発表する人は、どこかで注目され、小説家としてデビューしようとしていた。そんな上昇志向はあった。僕もやがては原稿を書いて生きていくことを夢想していた。
 しかし「旅の本屋のまど」に並ぶZINEからはそんな熱は伝わってこない。自分たちの世界を紙に印刷した……そこで満たされているようにも思える。自分のイメージに紙が合っているというだけのことと。
 知人が上海で発行している『ケチャップ』というZINEがある。それを「旅の本屋のまど」に置けないか。そんな相談を受けた。話はまとまり、昨日、ライブのついでに納品に立ち会った。僕はこの雑誌に創刊からかかわっている。原稿を書かせてもらったこともある。毎号、送ってもらっている。いい雑誌だと思う。いまの中国の若者の意識は、日本に流れる報道では伝わらない。Z世代というのかもしれないが、読んでいくと、じんわりとその空気が伝わってくる。2024年の春号をもらったが、その特集は「ニッチな旅へ。」。その誌面は日本での爆買いや万里の長城を埋める中国人観光客とは無縁だ。熱量は少ないが、自分を大切にするいまの中国の若者がいる。それが心地いい。『ケチャップ』は「旅の本屋のまど」にしっかりとはまった。

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2024年02月05日

三途の川を渡ってみる

 今週、熊野古道を歩くつもりでいる。ある本の企画なのだが、ひとつのテーマは三途の川を渡ることだ。三途の川? そんな川はない。しかし盛んに熊野詣を繰り返していた平安貴族は本当にそう信じていた節がある。
 平安時代、それも末期の宗教の資料を読んでいるのだが、そう思えてしかたない。
 熊野は当時、霊場と信じられていた。神仏習合という宗教観は、生きているときは神に救われ、死後は仏教が救ってくれるというものだ。死後の救済を求めて、貴族は熊野へ向かった。その熊野の入り口が岩田川、いまの富田川である。この川を渡る前には身を清め、霊場に足を踏み入れていった。いってみれば、この川を渡ることは死ぬ練習のような意味合いがあったようだ。
 その川を渡る……。
 古道歩きのテーマのひとつである。
 常日頃、死後の世界を考えているわけではないが、やはり老いというものが頭のなかのある部分を占めている。老いとはなんのか。
 最近、ルーティンというものをよく考える。ルーティンとはある動作や行為を決まったときに繰り返すこと。いってみれば日課である。
 朝、起き、コーヒーを飲む。寝る前に入浴する……そういった1日の行為である。
 生きるということは、この日課をつくりつづけていくことのような気がしないでもない。年をとれば、当然、ルーティンは増えていく。そしてそのルーティンが乱れることを、年をとるほど嫌うようになる。それが老化にも思える。
 僕は朝、事務所の近くのコンビニでコーヒーを買う。それを飲みながら事務所に向かう。僕のルーティンである。しかしたまにコンビニのコーヒーマシンが壊れていると戸惑ってしまう。別のコンビニを探そうとする。
 若い頃はどうだったのかと思う。「コーヒーマシンが壊れたんだからしかたないか」と事務所に向かった気がする。コーヒーへのこだわりが弱かったように思うのだ。あるいは別の飲み物を代わりに買うか……。
 旅というものは、このルーティンが通用しない世界に足を踏み入れることをいう。バングラデシュに行く。そこで皆が朝に飲むのはミルクティーである。日本のコンビニのコーヒーはない。そのなかでコンビニのコーヒーを飲むようにミルクティーを飲む。ルーティンが崩されてしまう。そのとき、体や精神をバングラデシュ仕様に変えていくことが旅のストレスを軽くしていく。つまり順応力が旅を支えてくれる。老化とはつまり、この順応力の話なのではないかと思う。
 しかし平安時代、貴族は熊野に向かう。ひたすら歩くことが死への修行だった。だが、視点を変えれば、修行は旅でもある。彼らにも京都で暮らしていたときはルーティンがあったはずだ。修行と旅は別のものなのだろうか。
 熊野というエリアは「よみがえりの地」ともいわれていた。苦行の果てによみがえるというロジックは、実は順応力を高める行為ではなかったのか。そのために死を媒介させていくという方法論……。
 熊野古道を歩けば、その難問を説く糸口が見つかるのだろうか。


  

Posted by 下川裕治 at 12:37Comments(0)