2024年07月08日
援助にSDGsという違和感
僕が運営にかかわっているバングラデシュの小学校。支援のためのクラウドファンディングの募集終了が迫っている。7月13日が最終日だ。
https://camp-fire.jp/projects/view/750052
昨年末、学校が盗難に遭った。いまだ電気もなく、天井の扇風機も盗られたままだ。小学校の生徒や先生の顔が浮かぶ。寄せられた寄付は、学校の設備や先生の給与にダイレクトに反映される。
しかし小学校を維持するという僕らの援助は、10年、20年という年月で俯瞰して眺めると、先行きは心もとない。流行りのSDGs、つまりサステナブルという発想で考えると失敗例にも映る。サステナブル……持続可能な社会という発想は、主に環境問題に根ざしたもので、僕らが直面している援助の世界とはフィールドが違う。しかし援助の仕組みに当てはめると、意外にフィットする。
世界には大きな援助組織がいくつもある。多くのスタッフを抱え、世界のさまざまな問題にとり組んでいる。こういった援助組織は持続していかなくてはならない。つまり援助事業にかかる経費を差し引いた額を援助に振り分けていく。その割合は援助組織によって違うが、3割から5割といわれる。
つまり100万円の寄付をうけとった場合、30万円から50万円が援助組織の運営費にあてられる。専従のスタッフには給与を支払うことが必要になる。現地に出向く場合は、交通費や宿泊代などを経費として考える。こういう構造をつくらないと、持続可能な援助組織にはなっていかない。
しかし援助をする人たちは、その構造に違和感を覚える。自分の寄付は、援助組織の運営費にもあてられるという持続化のためのシステムにわだかまりを感じてしまう。
知人の記者が、この問題に切り込もうとした。そこでいまは亡き中村哲氏に会いにいくことになった。たまたま中村氏は地元の九州に帰っていた。中村氏のアフガニスタンでの事業を支える「ペシャワールの会」は、運営費として5パーセントほどしか受けとっていない、という話を聞いたからだ。
僕もその取材に同席させてもらった。中村氏は言葉を濁した。自分が英雄視されることに抵抗感があったようだ。そこからは九州男児の気概が伝わってきた。
仮に5パーセントの運営費で、アフガニスタンのあれだけの事業ができるということは驚きだった。いかに周囲の人が手弁当で事業を支えているかという証だった。
中村氏と話しながら、援助というものは持続化にそぐわない気がした。少しでも資金が集まれば、それはアフガニスタンの水路づくりに使おうとする。それが中村氏の生き方でもあった。
それは個人と組織というものの問題に帰結するのかもしれないが、援助の現場では、自分から率先して動かないと人はついてこないということを中村氏はよく知っていた。
中村氏の事業に比べれば、僕らの援助の規模はあまりに小さい。そして僕には、彼のように人生を投げうつ気概もない。しかし僕は中村氏の人生に憧れている。
援助をいただくということは心苦しいものだ。しかし自分が動かなくては資金は集まらない。中村氏はそんな思いで講演の壇上に立っていたはずだ。
■YouTub「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
https://camp-fire.jp/projects/view/750052
昨年末、学校が盗難に遭った。いまだ電気もなく、天井の扇風機も盗られたままだ。小学校の生徒や先生の顔が浮かぶ。寄せられた寄付は、学校の設備や先生の給与にダイレクトに反映される。
しかし小学校を維持するという僕らの援助は、10年、20年という年月で俯瞰して眺めると、先行きは心もとない。流行りのSDGs、つまりサステナブルという発想で考えると失敗例にも映る。サステナブル……持続可能な社会という発想は、主に環境問題に根ざしたもので、僕らが直面している援助の世界とはフィールドが違う。しかし援助の仕組みに当てはめると、意外にフィットする。
世界には大きな援助組織がいくつもある。多くのスタッフを抱え、世界のさまざまな問題にとり組んでいる。こういった援助組織は持続していかなくてはならない。つまり援助事業にかかる経費を差し引いた額を援助に振り分けていく。その割合は援助組織によって違うが、3割から5割といわれる。
つまり100万円の寄付をうけとった場合、30万円から50万円が援助組織の運営費にあてられる。専従のスタッフには給与を支払うことが必要になる。現地に出向く場合は、交通費や宿泊代などを経費として考える。こういう構造をつくらないと、持続可能な援助組織にはなっていかない。
しかし援助をする人たちは、その構造に違和感を覚える。自分の寄付は、援助組織の運営費にもあてられるという持続化のためのシステムにわだかまりを感じてしまう。
知人の記者が、この問題に切り込もうとした。そこでいまは亡き中村哲氏に会いにいくことになった。たまたま中村氏は地元の九州に帰っていた。中村氏のアフガニスタンでの事業を支える「ペシャワールの会」は、運営費として5パーセントほどしか受けとっていない、という話を聞いたからだ。
僕もその取材に同席させてもらった。中村氏は言葉を濁した。自分が英雄視されることに抵抗感があったようだ。そこからは九州男児の気概が伝わってきた。
仮に5パーセントの運営費で、アフガニスタンのあれだけの事業ができるということは驚きだった。いかに周囲の人が手弁当で事業を支えているかという証だった。
中村氏と話しながら、援助というものは持続化にそぐわない気がした。少しでも資金が集まれば、それはアフガニスタンの水路づくりに使おうとする。それが中村氏の生き方でもあった。
それは個人と組織というものの問題に帰結するのかもしれないが、援助の現場では、自分から率先して動かないと人はついてこないということを中村氏はよく知っていた。
中村氏の事業に比べれば、僕らの援助の規模はあまりに小さい。そして僕には、彼のように人生を投げうつ気概もない。しかし僕は中村氏の人生に憧れている。
援助をいただくということは心苦しいものだ。しかし自分が動かなくては資金は集まらない。中村氏はそんな思いで講演の壇上に立っていたはずだ。
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Posted by 下川裕治 at 12:41│Comments(0)
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