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ナムジャイブログ

2023年05月22日

貢献党ははじめて選挙で負けた

 5月16日の深夜、ソウルからの飛行機でバンコクに入った。タイは5月14日、下院の総選挙があった。変革を訴え、バンコクや若い人たちの指示を集めた前進党が152議席、赤派といわれる貢献党が141議席。このふたつの野党の議席を集めると下院500議席の過半数をはるかに超えた。
 通常ならここで与党から野党への政権交代のシナリオが描かれるが、タイはそう簡単にいかない。首相指名には、現在の軍事政権の流れを受けた与党が選んだ議員250人が加わる。つまり下院500議席に250議席が加わるから、野党は375議席を確保しないと野党の首相を選出することができない。
 しかしこの現在の与党系250議席は移行措置のなかで決まったもの。来年にはその期限が切れる……。
 いまタイの政局は水面下で進んでいる。連立工作が盛んに行われている。与党がどう形成されるかが見えてくるのはしばらく先だ。
 なぜこんなにもややこしいことになったのかといえば、長くつづいた政治対立に辿り着く。硬直状態のなかで軍のクーデターが起きた。その産物がいまの複雑な構造である。
 発端は2001年、タクシン元首相がタイ愛国党を率いて与党に躍り出るところからはじまる。タクシンは通信事業を手がけ、豊富な資金を手に入れた新興財閥である。しかし彼はそれまでタイの政権を担ってきた既得権グループとは違う支持基盤づくりに成功した。貧しい農民層への救済政策を次々に打ち出していく。当時のレートで約100円ほどで治療を受けられる国民皆保険、一村一品運動、村落基金……。東北タイを中心にした農村から圧倒的な支持を集めるのだ。
 それはバンコクと地方という、タイの構造を逆手にとったものだった。それまでタイの政治はバンコクを中心に動いていた。「ようやく私たちに目を向ける政権ができた」と多くの農民がタイ愛国党を強く支持するようになっていく。政治を、農民が支持しているかとも受けとれる構図に塗り替えていく。それを支えたのが選挙だった。農村という票田を手に入れたタクシンは、選挙では無敵だった。これに対して軍や旧守派は巻き返しをはかる。軍のクーデターでタクシンを追放し、裁判所の解党命令も出た。しかしタイ愛国党は貢献党に名前を変えるなどして対抗する。選挙にさえもち込めば勝利することがわかっていた。
 しかしこの軋轢は、最終的には、バンコク中心部のラーチャプラソン交差点周辺を占拠していた貢献党支持者に対して軍が出動。2014年のクーデターにつながる。そして軍のプラユットが首相になっていく。
 それから9年──。再び選挙になった。しかし貢献党は最多議席数をとれなかった。タクシンの地元であるチェンマイで、貢献党の首相候補のスレッタ氏は、全議席を獲得すると息まいていたが、ふたを開けると、10議席中2議席しかとれなかった。前進党は7議席を獲得した。
 貢献党は選挙ではじめて負けた。5月19日に貢献党の集会があった。場所はクーデターが起きたときと同じラーチャプラソン交差点だった。再び交差点を占拠するのかと思ったが、そこで目にしたのは、2車線だけ車を止めた小規模な集会だった。
 今回の選挙を、「前進党と貢献党の野党議席を合わせると過半数」と報じたマスコミが多かった。しかし僕の目には、貢献党の衰退に映った。
 しかしそれはタイの地方が豊かになってきた証でもあった。東北タイを歩くと、そのあたりがよくわかる。中規模な街にもショッピングモールができ、食堂を埋める人々の顔もしっかりしてきた。タクシンという異形の政治家が、心から貧しい農民を救おうとしたのか……といえば、僕は首を傾げる。しかし目的はどうであれ、農民の暮らしは確実に底揚げされた。それが貢献党の役割だったとすれば、長くつづいた政治の混乱もタイが通る道筋だったようにも思えてくる。最後に軍の存在だけが残ってしまうが。

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Posted by 下川裕治 at 13:35│Comments(0)
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