インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2013年05月06日

老猫の死に際

 日本はゴールデンウイークである。信州の松本郊外にある実家に帰った。
 実家には80歳を超える母と16歳、人間でいったら90歳を超えるであろう老描が暮らしている。
「老衰だと思う」
 と母がいった。老猫がここふつか、餌も食べずにただ横になっているという。
 翌朝、母から庭の隅に穴を掘ってほしいと頼まれた。
「もし死んでも、私ひとりでは穴を掘ることもできないし。寒い時期にも猫のぐあいが悪くなって、心配したのよ。もし死んでしまっても、庭の土が凍っていて、穴を掘ることもできなかったから。頼むとちゃんと遺骨にしてくれる業者もいるらしいけど……。猫を庭に埋めても大丈夫なんだよね」
 そのあたりはよくわからなかった。しかし16年もの間、寄り添うように暮らした猫である。実家の庭に埋めてやりたかった。
 信州もいい季節になった。やわらかな日射しが田植えの終わった水田を温め、雪が残った常念岳を照らしていた。スコップを握り、汗を流した。
 翌朝、やはり実家に戻っていた僕の妹と母で獣医に連れていった。肺炎だと診断され、点滴を打って帰ってきた。「もうあまり長くはないだろう」と獣医はいったという。
 少し元気になったようだった。ほんの少しだが餌も食べた。しかし夕方から、起きあがることもできなくなってしまった。やはり死期は近づいていたのだろう。しかしひと晩、老猫は頑張った。
 再び獣医に連れていった。瞳孔が開きかけているといわれた。朝、老猫は母が寝るベッドの下に隠れるようにうずくまっていたことを伝えると、獣医は静かに頷いたという。
 猫は死期が近づくと身を隠す。体調が悪いことを察し、外敵から襲われないところに潜む本能だといわれている。もう、縄張りを守ることも、闘うこともできないのだ。野良猫の死体をほとんど目にしないのは、その本能のためだという。
 その日の午後、老猫は静かに息を引きとった。いつ、死んだのかもわからないような静かな最期だった。
 きれいな死に際だと思った。
 争うことができなくなったら、ひっそりと身を隠す……。人間にもその本能が潜んでいるのかもしれなかった。人は社会的な動物だから、死にはさまざまな雑事がまつわりついてくる。しかしもう、どうすることもできないのだ。本当は猫のようにすべてから身を隠したいのだが、社会や家族がそれを許してくれない。やっかいなものを背負って生きてきたのだ。
 老いた猫は実家の庭で、静かに土に還っていく。

(お知らせ)
 朝日新聞のサイト「どらく」連載のクリックディープ旅が移転しました。「アジアの日本人町歩きの旅」。1回目は韓国にもあった日本人町(前編) です。アクセスは以下。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html


Posted by 下川裕治 at 12:42│Comments(1)
この記事へのコメント
こんにちわ。初めてメールしますが、、私の死に際もかくありたいと願っておりますです。。。岐阜県の垂井町の僻地から。。。
Posted by おかさんおかさん at 2013年05月07日 11:13
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。