2023年04月17日
誰がガイドブックをつまらなくさせたのか
知人から最近、発売になったというガイドブックを見せられた。日本国内向けのガイドなのだが、原稿はすべてネット情報からまとめ、写真は現地の店や観光協会から提供してもらったという。現地に出向くことは1回もなく、東京の事務所作業だけで1冊のガイドができあがったという。
新聞記者を経験し、週刊誌の記者でもあった僕には抵抗感のある話だ。本当の姿が伝わらない。写真を見れば、取材に出向かずにつくられたことは一目瞭然。こういうガイドを誰が買うのか……と首を捻る。
しかし現場には別の文脈が流れている。別のガイドブック編集者がこういう。
「掲載許可の連絡を店に入れる。すると、写真は用意するので、それを使うという条件を出されることが多いんです」
提供される写真からは広告臭が漂うが、これを使えば経費が節約できる……。本が売れない時代。編集者はそうそろばんを弾いてしまう。
実際、店舗の写真を撮るのは手間がかかる仕事だ。撮影時間に合わせて店は準備をしなくてはならない。お客さんが写り込むと肖像権の問題が出てくるので、店がすいている時間帯に撮影しなくてはならない。広告で使った写真を流用すれば、店も編集側も負担が減ることになる。
しかしそれを読者はどう読むのか。
人々の権利を守る流れのなかで、写真はずいぶんつまらなくなった。掲載する場合は、基本的に許可をとらなくてはいけない。
あるカメラマンがこういう。
「写真を撮っていいですか、と許可をとって撮る人の表情と、許可をとらずに自然にシャッターを押したときの表情は明らかに違うんです。許可をとると、撮られる側はどうしても意識してしまうんです。そういう写真は基本的につまらない」
人々の心に残る写真を思い返してみれば、その多くは、撮影許可などとっていない気がする。たとえば沢田教一が撮ったベトナム戦の「安全な逃避」にしても、撮影許可云々のレベルではない。
以前、列車やバスの乗客の写真でカメラマンと話したことがあった。車内写真を撮ろうとすると、どうしても乗客が写り込んでしまう。では車内の乗客全員に撮影許可を撮るかどうか……という問題である。そのとき、8人以上ならOKという妙な論理も耳にした。つまり大勢……という発想。たとえば相撲のとり組みの写真に写り込んでしまう観客という考え方だ。しかしいつの間にか、列車の車内の写真はあまり見かけなくなった。肖像権を前提にした自主規制ということだろうか。
自主規制さえすれば、肖像権について抗議されることもない。カメラマンにしても、撮影許可をとった人の表情は不自然になってしまうという思いもある。こうして写真の臨場感は削がれていく。いったい誰が、写真をつまらなくさせてしまったのだろうか。そこにはガイドブックに似た論理が横たわっているわけだ。
以前、同じ事務所にいたイラストレーターの大崎メグミさんから彼女の新刊を受けとった。「鉄道車内絵日記」(天夢人刊)という本だ。彼女が乗った電車や列車を埋める乗客たちが堂々と出ている。「こういう人、いるよなぁ」と納得してしまう表情が描かれている。
「こういう手があったか」
そこに広がるのびやかな世界が少し羨ましかった。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
新聞記者を経験し、週刊誌の記者でもあった僕には抵抗感のある話だ。本当の姿が伝わらない。写真を見れば、取材に出向かずにつくられたことは一目瞭然。こういうガイドを誰が買うのか……と首を捻る。
しかし現場には別の文脈が流れている。別のガイドブック編集者がこういう。
「掲載許可の連絡を店に入れる。すると、写真は用意するので、それを使うという条件を出されることが多いんです」
提供される写真からは広告臭が漂うが、これを使えば経費が節約できる……。本が売れない時代。編集者はそうそろばんを弾いてしまう。
実際、店舗の写真を撮るのは手間がかかる仕事だ。撮影時間に合わせて店は準備をしなくてはならない。お客さんが写り込むと肖像権の問題が出てくるので、店がすいている時間帯に撮影しなくてはならない。広告で使った写真を流用すれば、店も編集側も負担が減ることになる。
しかしそれを読者はどう読むのか。
人々の権利を守る流れのなかで、写真はずいぶんつまらなくなった。掲載する場合は、基本的に許可をとらなくてはいけない。
あるカメラマンがこういう。
「写真を撮っていいですか、と許可をとって撮る人の表情と、許可をとらずに自然にシャッターを押したときの表情は明らかに違うんです。許可をとると、撮られる側はどうしても意識してしまうんです。そういう写真は基本的につまらない」
人々の心に残る写真を思い返してみれば、その多くは、撮影許可などとっていない気がする。たとえば沢田教一が撮ったベトナム戦の「安全な逃避」にしても、撮影許可云々のレベルではない。
以前、列車やバスの乗客の写真でカメラマンと話したことがあった。車内写真を撮ろうとすると、どうしても乗客が写り込んでしまう。では車内の乗客全員に撮影許可を撮るかどうか……という問題である。そのとき、8人以上ならOKという妙な論理も耳にした。つまり大勢……という発想。たとえば相撲のとり組みの写真に写り込んでしまう観客という考え方だ。しかしいつの間にか、列車の車内の写真はあまり見かけなくなった。肖像権を前提にした自主規制ということだろうか。
自主規制さえすれば、肖像権について抗議されることもない。カメラマンにしても、撮影許可をとった人の表情は不自然になってしまうという思いもある。こうして写真の臨場感は削がれていく。いったい誰が、写真をつまらなくさせてしまったのだろうか。そこにはガイドブックに似た論理が横たわっているわけだ。
以前、同じ事務所にいたイラストレーターの大崎メグミさんから彼女の新刊を受けとった。「鉄道車内絵日記」(天夢人刊)という本だ。彼女が乗った電車や列車を埋める乗客たちが堂々と出ている。「こういう人、いるよなぁ」と納得してしまう表情が描かれている。
「こういう手があったか」
そこに広がるのびやかな世界が少し羨ましかった。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
Posted by 下川裕治 at 10:35│Comments(1)
この記事へのコメント
まったく下川先生の足下にも及びませんが、新聞記者から雑誌記者・ライターになった者です。
写真撮影はこの10年ほどで本当に加速度的に窮屈になりました。列車内や駅は(利用客の顔が写っていなくても)許可なしで撮影した写真を掲載すると、掲載媒体にもよりますがけっこうな確率でクレームが来ます。コロナ禍で客が減ったホームの通勤風景を撮影したら無許可だとして抗議が来たという話もありました。報道でも「無許可撮影は避ける」というのが業界標準になってしまいつつあるように感じます。
これだけ報道や出版物の掲載写真が「要許可」ばかりになってしまうと、許可なしで撮影してもお咎めなしのYoutuberなどに臨場感ではまったくかなわなくなってしまいます。つまらない写真ばかりになっていくのと同時に、報道が成り立つのかどうかすら心配になってしまいます……。
写真撮影はこの10年ほどで本当に加速度的に窮屈になりました。列車内や駅は(利用客の顔が写っていなくても)許可なしで撮影した写真を掲載すると、掲載媒体にもよりますがけっこうな確率でクレームが来ます。コロナ禍で客が減ったホームの通勤風景を撮影したら無許可だとして抗議が来たという話もありました。報道でも「無許可撮影は避ける」というのが業界標準になってしまいつつあるように感じます。
これだけ報道や出版物の掲載写真が「要許可」ばかりになってしまうと、許可なしで撮影してもお咎めなしのYoutuberなどに臨場感ではまったくかなわなくなってしまいます。つまらない写真ばかりになっていくのと同時に、報道が成り立つのかどうかすら心配になってしまいます……。
Posted by 弱小ライター at 2023年04月17日 16:30
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。