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ナムジャイブログ

2024年05月20日

熊野古道という現代の古道

 熊野古道に3回も行ってしまった。「日本やアジアの古道を歩く」という本の企画で、今年の2月、はじめて熊野古道に足を踏み入れた。
 シニア向けの本である。1日10時間も歩くのは無理がある……と3時間ほどのコースを選んだ。熊野古道の中辺路のうち、滝尻王子から高原熊野神社までを3時間ほどかけて歩いた。
 滝尻王子の手前で、稲葉根王子に寄った。目の前を富田川が流れている。平安時代から鎌倉時代にかけ、熊野詣が盛んだった頃、ここで水垢離をした。霊域に入る儀式だった。その話はこのブログでも書いた。
 予定のコースを歩き終え、せっかく熊野まで来たのだから……とバスで熊野本宮大社を訪ねてみた。これがいけなかった。
 熊野本宮大社が魅力的だったというわけではない。大社から歩いて5分ほどのところに大斎原(おおゆのはら)がある。かつて熊野本宮大社があった場所だ。水害に遭い、大社は近くの高台に移された。
 その大斎原を訪ね、縁石に座ってあたりを見渡した。
 そこは何本もの川が合流する中州のような地形だった。俯瞰して見れば盆地のようにも映る。熊野古道の長い道を歩き、その先に穏やかな平地が現れる。
 浄土……当時の人々にはそう映ったのかもしれなかった。当時の京都は権力争いと戦乱で荒れていた。疫病にもしばしば襲われた。しかしここは平和だった。山に囲まれた中州には、穏やかな空気が流れていた。
 熊野詣は死後、浄土へいくための修行の道と位置づけられていた。それをプロデュースしたのは山伏たちだったのだが、京都にいた天皇や貴族らは、頻繁に熊野詣を行うようになる。その真意への憶測は、本を読んでいただきたいが、大斎原に座ったとき、なにか伝わってくるものがあった。
 やはり歩かないといけないか……。
 延々と歩いた先にしかない浄土……。
 2回目の熊野で僕は中辺路を熊野本宮大社まで歩いた。2日間、歩きつづけた。70歳になろうとしている足腰の筋肉は脆弱で、最後にはリタイアが脳裡をよぎるほどの道のりだった。
 熊野本宮大社の手前の山道から大斎原を眺めた。これが平安時代から鎌倉時代にいたる人たちが求めた眺めだったのだろうか。
 浄土……。右膝が痛く、その感慨に浸る余裕もなかったが。
 なんとか原稿を書きあげ、さて出版社に渡すというときにトラブルは起きた。パソコンに保存していた写真が消えてしまったのだ。バックアップはとっていなかった。
 大阪に住むカメラマンに手伝ってもらうことにした。彼の運転で3回目の熊野古道に向かうことになる。撮影ポイントはだいたい頭に入っている。歩く時間はない。車でそのポイントに近づくことになる。Google マップや勘を頼りに林道に入っていく。
 そこで熊野古道の別の顔を見ることになった。車で近づき、1分も歩くと撮影ポイントに着くことが多かった。熊野古道は林道を巧みに避けて古道を歩くというつくられた道でもあったのだ。熊野古道は現代の古道でもあった。
 

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Posted by 下川裕治 at 16:45│Comments(1)
この記事へのコメント
下川先生の番組放送日が近づいてきて楽しみです(^⁠_⁠^)
Posted by マロンクリーム at 2024年05月24日 15:27
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