インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2020年06月15日

アジアの麺の貧困効果

 ポストコロナをうつら、うつらと考えたとき、中国と世界の関係が気になる。新型コロナウイルスは武漢から広まったが、その後、中国は強引な外交戦略に出た。そうしなければ、国内からの不満を抑えられないという発想なのかもしれないが、ときに夜郎自大にも映る行動は、日本に限れば、嫌中意識をより広めてしまった感がある。いつもは中国との関係など関心がない人たちが、新型コロウイルスを媒介に嫌中になびいていく。
 我が家の娘もそのひとりで、中国という存在が鮮やかになってきてしまったらしい。週末になると、中国映画のDVDをよく借りてくる。
『長江哀歌』という映画を観た。三峡ダムの影響で、周辺が水没していく奉節を舞台にしている。
 昨年の11月、奉節を訪ねている。『12万円で世界を歩く リターンズ』(朝日文庫)を書くためだった。この旅は、朝日新聞のサイトからも配信されているが、その掲載がはじまる頃、武漢での新型コロナウイルスの感染が一気に拡大していった。本には収録されているが、ネットの記事掲載は止まってしまった……。
『長江哀歌』は、まだ貧しい中国が描かれている。水没した村のなかには、船で暮らす人もいる。生活費を稼ぐために、奥さんが売春で稼ぎ、やがてその一家は崩壊していく。彼らはそれを受け入れざるをえなかった。三峡ダムは国を挙げてのプロジェクトだった。
 水上生活者の船を訪ねた主人公が食事をご馳走になるシーンがある。鍋で茹でた麺を洗面器のような器に盛り、ザーサイをおかずに啜る。麺といっても、スープはあまりなく、山盛りの麺をまるでご飯をかきこむように食べる。
 麺料理を眺めたとき、アジアと日本の決定的な違いは、「食べる」か「啜る」かだと思う。日本人は麺を啜る。これはかなり特異な食文化に映る。
 たとえばアジアでは、朝食に麺は素直に受け入れられている。消化もいいのだろう。その分、コシが弱い。しかし日本では、朝食にそばやラーメンを食べる人はまずいない。
 食べ方も違う。日本人は、「ずる、ずる」と音をたてて啜るが、アジア人は食べる。タイなのでは、麺をレンゲに載せて口に運ぶ人もいる。
 食べ方で特異な国は中国である。啜るのではなく食べるのだが、そこに品がない。がっつくようにして麺を頬張る。顔が麺に近い。その食べ方には貧困が宿っている。満足なテーブルもなく、立って麺を食べることも普通だった。最近の中国では、大きな丼にたっぷりスープの高級麺が増えてきているが、食べ方はそう変わらない。
『長江哀歌』はベネチア国際映画祭で賞を受けている。カンヌ国際映画祭で賞をとった日本の『万引き家族』も、カップ麺にコロッケを載せて食べるシーンが印象に残っている。なにかのつながりを感じてしまう。

■“旅情報ノート”クラブの内容は、以下のサイトで?http://www.arukubkk.com/
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=沖縄の離島のバス旅がはじまります。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=沖縄の離島のバス旅シリーズがはじまります。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji



Posted by 下川裕治 at 11:42│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。