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ナムジャイブログ

2023年11月20日

まだ、できる?

 久しぶりにアメリカとカナダをまわった。コロナ禍が収束したからというわけではないと思うが、入国審査はスムーズだった。理由はわかっている。僕のパスポートが新しくなったからだ。以前のパスポートには、パキスタンの入国記録があった。アメリカはパキスタンをテロ支援国家に指定している。何回か別室で調べられた。
 ロサンゼルスとカナダのトロントでアメリカに入国の審査を受けたが、あのしばしばトラブルを起こす入国審査機が消えていた。直接、ブースの列に並ぶスタイルになった。はっきりいって、このほうが早い気がする。
 トロントで日本人の知人夫婦に会った。コロナ禍が明け、トロントに移住していた。
 カナダはいま、日本の若者の出稼ぎ先としてちょっと注目されている。トロントの最低賃金は時給16.55カナダドル。1ヵ月働くと29万円ぐらいにはなるらしい。飲食店ならそこにチップが加算される。月収40万円を超える人もいるという。もちろんその分、物価も高いからそれほど稼げるわけではないというが。
 しかし知人夫婦は違った。日本から仕事を受け、それをトロントでこなす。俗にいうところの「ノマドワーカー夫婦」だった。年齢は40歳代。夫婦ともの日本でそれなりの経験を積んでいたから、定期的な仕事も受けている。これで暮らすことができるという。もっともビザの関係で、カナダで働くことがまだできない。日本から収入を得るしかないのだが。
 トロントは2回目だが、いい街だと思う。街はそれほど大きくない。オンタリオ湖に面していて、湖畔に立つとホッとする。日本人夫婦にいわせると、人もいいという。
 夫婦と夕食をとり、宿に戻ったが、なんだか街を歩いてみたい気分だった。少し寒かったが、オンタリオ湖畔のベンチに座った。宿のすぐ近くだった。
 30年ほど前を思い出していた。そのとき、僕は家族でバンコクに暮らしていた。1年弱の滞在だったが、その間、僕は収入がなかった。日本で貯めた資金で暮らしていただけだった。アジアに暮らしたい……そんな思いが高じてのバンコク暮らしだった。
 資金も心細くなっての帰国だったが、許されれば、まだバンコクには暮らしたかった。
 当時はフリーランスのライターだった。一見、自由な仕事に映るかもしれないが、打ち合わせは日本。原稿を書いた後のゲラのチェックなど、基本は日本、いや東京にいることが前提だった。インターネットというものがまだ普及していなかったのだ。
 しかし時代は変わった。打ち合わせやゲラのやりとりは、すべてインターネットでできてしまう。そこにコロナ禍が拍車をかけた。在宅ワークからノマドワークへの道は実に平坦になった。海外にいてもzoomで取材をこなし、原稿やゲラのやりとりもインターネットを使えばなんの問題もない。
 30年前、いまのような環境があれば、バンコクにいながら仕事をすることができた。収入を得ることができたのだ。
 仕事というものは、ノマドワークで完結するほど甘くないことはわかる。しかしそれも程度の問題のような気がする。
 しかしある程度の年齢の日本人が海外に暮らすことは意味がある。いまの欧米に暮らしたら、シングルマザーの問題や、LGBTQの環境にもより敏感になる。いやそれ以上に、日本という生きづらい社会の外側に居場所をみつけられた気もする。それはカナダ出稼ぎの若者とは違う。
 トロントに暮らす夫婦が少し羨ましい。ベンチで眺める夜空を、ニューヨークからの飛行機がしばしば横切っていく。トロント・シティ空港とニューヨークは飛行機で1時間ほどなのだ。彼らはそういう世界で暮らすことを選んだ。コロナ禍は内向きの心理を生んだかもしれないが、その一方で、海外という選択肢を広めてもくれた。
 まだできる? 少し心が軽くなる自分がいた。

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Posted by 下川裕治 at 18:25│Comments(1)
この記事へのコメント
29日は、下川先生のラジオ番組があるので楽しみです(^_^)
Posted by マロンクリーム at 2023年11月22日 20:09
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