2014年03月18日
イノシシと鹿の死体が積まれた船
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジアに入国し、シュムリアップ、プノンペンを経て、ホーチミンシティ。ベトナムを北上し、ディエンビエンフーからラオスのムアンクアに入った。
※ ※
篠突く雨のなかを船は岸を離れた。この日の乗船者は6人。ひとり15万キップ、約1900円になった。しかしオウ川を下りはじめ、次々にラオス人が乗ってくる。僕らは彼らの船賃まで払っているような気になってくる。
寒かった。船はブルーシートを窓代わりにおろしているのだが、その間から、冷たい風が雨と一緒に吹き込んでくる。ありったけの衣類を着込み、ヤッケを羽織るのだが、体温がどんどん吸いとられていく。
吐く息が白い。12月のラオスがこんなに寒くなるとは思いもしなかった。やがてつま先の感覚がなくなっていった。
1時間ほど下ったときだろうか。船は川岸に近づいていった。おしっこをしようと岸にあがると、足が止まった。土手の泥の上に、動物の死体が置かれていた。
「イノシシ?」
頭部が切り落とされ、そこから血が流れている。黒い毛が雨に濡れている。大きなイノシシだった。今朝、川岸の村で獲れたのだろうか。
船頭が船から秤を持ち出した。3人がかりでイノシシを秤に載せる。55キロ。船頭の奥さんがノートを出し、輸送代を計算する。村の青年はその金額に納得しない顔をした。しかし船は1日1便しかない。話がまとまったらしく、イノシシはどすんという音を残して船に積み込まれた。それも乗客の座る場所。僕らは頭部のないイノシシの死体と一緒に川を下ることになった。
それから10分ほど船は下っただろうか。再び川岸に近づいていく。
するとそこに、鹿の死体が置かれていた。獲ってから少し時間がたっているらしい。死臭が漂ってくる。
しかし船頭は淡々と秤を出し、重さを測って、鹿の死体をイノシシの上にどすんと置いた。
イノシシが積まれたとき、船体の会話が止まった。欧米人の女性バックパッカーは、うつむいたままだ。男はことさら平静を装うかのようにクッキーを食べたりするのだが、その動作がぎこちなかった。
そこに鹿が積まれ、船内には諦めのような空気が流れた。
ここはラオスなのだ。
森の暮らしでは、動物の肉は貴重なタンパク源である。市場にリスもどきの動物がそのまま売られていて、一瞬、足が止まる国なのだ。そこを下るローカル船だから、動物の死体を運んでも不思議はない……そう、自分にいい聞かせるしかない。しかし風向きが変わると、イノシシの血のにおいや鹿の腐りはじめた肉のにおいが漂ってくる。
船は冷たい雨のなかを下っていった。途中の村から、9人の子供がどやどやと乗り込んできた。Tシャツに半ズボン、ビーチサンダルの子もいる。船に乗っても寒さで震えが止まらない。ところが、年長の子供が冗談をいったのか、皆が笑う。僕の前に座った少年は震えながら笑った。
子供たちは20分ほど下流の村で、どやどやと降りていった。彼らの座った後には、濡れた泥がべったり残っていた。冷たい風は弱まる気配もない。
「風の又三郎……」
なぜか宮澤賢治の短編のタイトルを思い出していた。
船は5時間ほど下って、ノーンキャウに着いた。身を縮め、寒さに耐え続けた時間だった。船が岸に着き、土手につくられた階段を上ろうとしたのだが、足が動かなかった。しびれてしまった足に感覚はなく、足に力が入らないのだ。しばらくすれば、血行が戻ってくる……。そう思うのだが、なにか感覚が違った。それはカメラマンの阿部稔哉氏も同じようだった。
よろよろと階段を上がり、その上にあった茶屋になんとか辿り着いた。温かいコーヒーを頼み、暖をとる。
足の感覚が戻ってきたのは、1時間ほど後だった。こんなことははじめてだった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジアに入国し、シュムリアップ、プノンペンを経て、ホーチミンシティ。ベトナムを北上し、ディエンビエンフーからラオスのムアンクアに入った。
※ ※
篠突く雨のなかを船は岸を離れた。この日の乗船者は6人。ひとり15万キップ、約1900円になった。しかしオウ川を下りはじめ、次々にラオス人が乗ってくる。僕らは彼らの船賃まで払っているような気になってくる。
寒かった。船はブルーシートを窓代わりにおろしているのだが、その間から、冷たい風が雨と一緒に吹き込んでくる。ありったけの衣類を着込み、ヤッケを羽織るのだが、体温がどんどん吸いとられていく。
吐く息が白い。12月のラオスがこんなに寒くなるとは思いもしなかった。やがてつま先の感覚がなくなっていった。
1時間ほど下ったときだろうか。船は川岸に近づいていった。おしっこをしようと岸にあがると、足が止まった。土手の泥の上に、動物の死体が置かれていた。
「イノシシ?」
頭部が切り落とされ、そこから血が流れている。黒い毛が雨に濡れている。大きなイノシシだった。今朝、川岸の村で獲れたのだろうか。
船頭が船から秤を持ち出した。3人がかりでイノシシを秤に載せる。55キロ。船頭の奥さんがノートを出し、輸送代を計算する。村の青年はその金額に納得しない顔をした。しかし船は1日1便しかない。話がまとまったらしく、イノシシはどすんという音を残して船に積み込まれた。それも乗客の座る場所。僕らは頭部のないイノシシの死体と一緒に川を下ることになった。
それから10分ほど船は下っただろうか。再び川岸に近づいていく。
するとそこに、鹿の死体が置かれていた。獲ってから少し時間がたっているらしい。死臭が漂ってくる。
しかし船頭は淡々と秤を出し、重さを測って、鹿の死体をイノシシの上にどすんと置いた。
イノシシが積まれたとき、船体の会話が止まった。欧米人の女性バックパッカーは、うつむいたままだ。男はことさら平静を装うかのようにクッキーを食べたりするのだが、その動作がぎこちなかった。
そこに鹿が積まれ、船内には諦めのような空気が流れた。
ここはラオスなのだ。
森の暮らしでは、動物の肉は貴重なタンパク源である。市場にリスもどきの動物がそのまま売られていて、一瞬、足が止まる国なのだ。そこを下るローカル船だから、動物の死体を運んでも不思議はない……そう、自分にいい聞かせるしかない。しかし風向きが変わると、イノシシの血のにおいや鹿の腐りはじめた肉のにおいが漂ってくる。
船は冷たい雨のなかを下っていった。途中の村から、9人の子供がどやどやと乗り込んできた。Tシャツに半ズボン、ビーチサンダルの子もいる。船に乗っても寒さで震えが止まらない。ところが、年長の子供が冗談をいったのか、皆が笑う。僕の前に座った少年は震えながら笑った。
子供たちは20分ほど下流の村で、どやどやと降りていった。彼らの座った後には、濡れた泥がべったり残っていた。冷たい風は弱まる気配もない。
「風の又三郎……」
なぜか宮澤賢治の短編のタイトルを思い出していた。
船は5時間ほど下って、ノーンキャウに着いた。身を縮め、寒さに耐え続けた時間だった。船が岸に着き、土手につくられた階段を上ろうとしたのだが、足が動かなかった。しびれてしまった足に感覚はなく、足に力が入らないのだ。しばらくすれば、血行が戻ってくる……。そう思うのだが、なにか感覚が違った。それはカメラマンの阿部稔哉氏も同じようだった。
よろよろと階段を上がり、その上にあった茶屋になんとか辿り着いた。温かいコーヒーを頼み、暖をとる。
足の感覚が戻ってきたのは、1時間ほど後だった。こんなことははじめてだった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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Posted by 下川裕治 at 15:17│Comments(0)
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