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ナムジャイブログ

2022年07月18日

ユーチューブは残り香か

「3年ぶり」という言葉を何回聞いただろうか。中野チャンプルーフェスタが3年ぶりに開かれた。ステージに立つ沖縄音楽の担い手たちは、次々に「3年ぶり」と口にした。
 中野チャンプルーフェスタは2005年にはじまった。ステージから沖縄民謡が響き、路地には道ジュネーの世界が広がる。道ジュネーというのは、エイサーを踊りながら練り歩くことをいう。
 以前、中野の昭和新道商店街にあった「山原船」という店をつくった新里愛蔵の本を書いたことがある。そのとき、中野と沖縄のつながりを調べた。発端は沖縄の本土復帰前からあった「沖縄郷土の家」だった。いまの朝ドラの舞台は横浜の鶴見だが、ちょうど同じ頃、中野にも沖縄の拠点が生まれつつあったのだ。東京に出てきた沖縄の人たちは、手探りの暮らしだった。東京の人に、「日本語うまいですね」といわれた沖縄の人たち。人間関係のつくり方も違った。
 そんな沖縄の人たちが休日に集まったのが「沖縄郷土の家」だった。そこから紆余曲折はあったが、チャンプルーフェスタが生まれたのは自然の流れだったかもしれない。
 本を書いた縁もあり、チャンプルーフェスタには毎年のように出かけていた。いつも7月。暑い時期のイベントである。路地を練り歩く道ジュネーは雰囲気があった。中野駅周辺が沖縄になったような気分だった。
 しかしチャンプルーフェスタもコロナ禍のなかで2回、中止になった。ようやく開催できるようになり、久しぶりにステージに立った人たちは、「3年ぶり」という言葉に自らの思いを重ねていた。
 ステージから流れる沖縄には重みと力があった。なかなか沖縄を披露できなかった思いをぶつけるような気迫があった。エイサーを踊る人たちの身の動きも、いつものチャンプルーフェスタとは違うパワーがあった。
 いくつかのステージを見てもうひとつ気になる言葉があった。ユーチューブだった。あるいはユーチューバー。「これから演奏する曲はユーチューブにアップしている」、「ユーチューバーっていう顔ももっています」などと紹介していることが多い。新型コロナウイルスの嵐でコンサートができないなか、なんとか収益を生み出そうとユーチューブに走ったのだろう。
 人のことはいえなかった。僕もコロナ禍でユーチューブをはじめた。しかしユーチューブは思ったほど収益があるわけではない。
 中野チャンプルーフェスタのステージを眺めていると、ウイルスに揺れた時期が絵空ごとのようにも映る。ユーチューブはその残り香だろうか。弾けるようなエネルギーと強い日射しのなかでウイルスが昇華していくような気になった。錯覚なのかもしれないが。


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Posted by 下川裕治 at 15:53│Comments(0)
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