2014年05月26日
チャイントンの人が抱える闇
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントンに入った。
※ ※
ミャンマーのチャイントンにバスが着いたのは昼過ぎだった。すぐにタウンジー行きのバスターミナルに急いだ。バンタイプの車がずらりと並んでいた。これらが明日の朝、タウンジーに向かうのだろう。道が悪いのだろうか。大型バスが通行できないらしい。
オフィスがいくつも並んでいた。最初の1軒に入る。「タウンジー」という地名を口にしたとたん、申し訳なさそうに、
「外国人は乗せられない」
という言葉が返ってきた。そして外国人に許されているのは空路だけ、と続けた。とりつくしまがなかった。隣に続く3軒のバス会社のオフィスに訊いたが、返事はまったく同じだった。
「なにか方法はないんだろうか」
阿部稔哉カメラマンと手にした地図に視線を落とした。バス会社の男がひとり近づいてきた。僕らは地図を示した。それはチャンントンとタウンジーの中間あたりの街だった。
チャイントンとタウンジーを結ぶ道は、サルウイン川を渡らなくてはならなかった。そこに架かる橋はひとつしかなかった。チャイントンからタウンジーに行く人も、北部で生産されたアヘンもこの橋を通るという話だった。ミャンマー軍は、この橋にチェックポイントを置けば、簡単に人と物資の動きを監視することができた。
僕らが示したのは、その橋の手前の街だった。そこまでならチェックがないかもしれなかったのだ。
バス会社の男が電話をかけた。そして首を横に振った。
「チャイントンを出たところでチェックされるから、無理だそうです」
公共のバスは難しそうだった。街に戻り、英語が通じる人に訊いてまわる。ブラックタクシーを探そうとしたのだ。しかし誰もがとりあってくれなかった。皆、軍が怖かったのだ。シャン族にしたら、外国人が通行できないことを心苦しく思っていた。それは、もう政府に反旗を翻すつもりなどない、といっていることと同じだった。しかしそれをミャンマー軍は認めなかった。シャン族とミャンマー軍の間には、憎しみに縁どられた暗い過去が横たわっている。
東京で話をしたシャン族の青年の話を思い出した。
「父は警察官。けっこう偉い位まであがったんです。しかしその父が、日本に行けっていったんです。ミャンマーではシャン族はけっしてあるところより上にはいけない。将来もこのそれは変わらないって」
シャン族はいまも、その状況のなかで声を潜めて生きていた。そんなチャイントンで、タウンジーへ行く方法を問い質していくことは、彼らを追いつめていくことだった。
彼らはミャンマー軍を怖れている。
諦めるしかなさそうだった。
湖を囲むように広がるチャイントンの街は美しい。しかし彼らが抱える抑圧は考える以上に深かった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントンに入った。
※ ※
ミャンマーのチャイントンにバスが着いたのは昼過ぎだった。すぐにタウンジー行きのバスターミナルに急いだ。バンタイプの車がずらりと並んでいた。これらが明日の朝、タウンジーに向かうのだろう。道が悪いのだろうか。大型バスが通行できないらしい。
オフィスがいくつも並んでいた。最初の1軒に入る。「タウンジー」という地名を口にしたとたん、申し訳なさそうに、
「外国人は乗せられない」
という言葉が返ってきた。そして外国人に許されているのは空路だけ、と続けた。とりつくしまがなかった。隣に続く3軒のバス会社のオフィスに訊いたが、返事はまったく同じだった。
「なにか方法はないんだろうか」
阿部稔哉カメラマンと手にした地図に視線を落とした。バス会社の男がひとり近づいてきた。僕らは地図を示した。それはチャンントンとタウンジーの中間あたりの街だった。
チャイントンとタウンジーを結ぶ道は、サルウイン川を渡らなくてはならなかった。そこに架かる橋はひとつしかなかった。チャイントンからタウンジーに行く人も、北部で生産されたアヘンもこの橋を通るという話だった。ミャンマー軍は、この橋にチェックポイントを置けば、簡単に人と物資の動きを監視することができた。
僕らが示したのは、その橋の手前の街だった。そこまでならチェックがないかもしれなかったのだ。
バス会社の男が電話をかけた。そして首を横に振った。
「チャイントンを出たところでチェックされるから、無理だそうです」
公共のバスは難しそうだった。街に戻り、英語が通じる人に訊いてまわる。ブラックタクシーを探そうとしたのだ。しかし誰もがとりあってくれなかった。皆、軍が怖かったのだ。シャン族にしたら、外国人が通行できないことを心苦しく思っていた。それは、もう政府に反旗を翻すつもりなどない、といっていることと同じだった。しかしそれをミャンマー軍は認めなかった。シャン族とミャンマー軍の間には、憎しみに縁どられた暗い過去が横たわっている。
東京で話をしたシャン族の青年の話を思い出した。
「父は警察官。けっこう偉い位まであがったんです。しかしその父が、日本に行けっていったんです。ミャンマーではシャン族はけっしてあるところより上にはいけない。将来もこのそれは変わらないって」
シャン族はいまも、その状況のなかで声を潜めて生きていた。そんなチャイントンで、タウンジーへ行く方法を問い質していくことは、彼らを追いつめていくことだった。
彼らはミャンマー軍を怖れている。
諦めるしかなさそうだった。
湖を囲むように広がるチャイントンの街は美しい。しかし彼らが抱える抑圧は考える以上に深かった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at 20:03│Comments(0)
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