2010年04月05日
春宵一刻値千金
花冷えの夜である。
少し外を歩いただけであごが出てしまう暑さのバンコクを発ったのが一昨日だった。蒸し暑いハノイの空気を吸って、昨日、日本に戻った。
満開の桜が待っていた。
夕暮れどき、中野の街を自転車で走った。街灯に浮かびあがった桜に、一瞬、息を呑んだ。
春宵一刻値千金……。
南国の熱気はなく、コートを羽織るほどの気温しかない。しかし、桜の花房を包む空気はどこか艶めかしい。春宵──は宋の時代に詠まれた詩だが、春の宵のエロティシズムは、南国の人にはわからないだろう。
「桜の花ってよく見ると、これ、みんな性器なんだよな」
そういった友人がいた。何年前になるだろうか。ふたりだけの花見だった。なぜ、そうなったのかは覚えていない。酒屋で買ったワンカップを飲んだ。花見客はすでに引き上げる時間だった。彼は妙に陽気だった。
「サッカーをやろう」
彼はゴミ箱から新聞紙を拾いあげ、丸くして上智大学のグランドに降りていった。僕らはふたりだけで、新聞紙ボールを追った。やがて警備員にみつかって、ひどく怒られた。僕らはまだ若かった。30台の前半だった。
彼は3年前に死んだ。鬱を患い、自ら命を絶った。
脳性マラリアにやられ、バングラデシュで友人が死んだのは3月末だった。遺体の引きとりのためにダッカに向かった。棺に入れるドライアイスがどんどん小さくなっていく暑さに、ダッカの街は包まれていた。棺は成田空港で霊柩車に積まれていった。見あげると、満開の桜だった。それから数日して、僕のふたりめの娘が生まれた。
なぜだろうか……。
満開の桜を見ると、親しかった友人の死に顔が浮かんできてしまう。ふたりとも、ひとりの娘を残してこの世を去った。
そういうことなのだろうか。
少し外を歩いただけであごが出てしまう暑さのバンコクを発ったのが一昨日だった。蒸し暑いハノイの空気を吸って、昨日、日本に戻った。
満開の桜が待っていた。
夕暮れどき、中野の街を自転車で走った。街灯に浮かびあがった桜に、一瞬、息を呑んだ。
春宵一刻値千金……。
南国の熱気はなく、コートを羽織るほどの気温しかない。しかし、桜の花房を包む空気はどこか艶めかしい。春宵──は宋の時代に詠まれた詩だが、春の宵のエロティシズムは、南国の人にはわからないだろう。
「桜の花ってよく見ると、これ、みんな性器なんだよな」
そういった友人がいた。何年前になるだろうか。ふたりだけの花見だった。なぜ、そうなったのかは覚えていない。酒屋で買ったワンカップを飲んだ。花見客はすでに引き上げる時間だった。彼は妙に陽気だった。
「サッカーをやろう」
彼はゴミ箱から新聞紙を拾いあげ、丸くして上智大学のグランドに降りていった。僕らはふたりだけで、新聞紙ボールを追った。やがて警備員にみつかって、ひどく怒られた。僕らはまだ若かった。30台の前半だった。
彼は3年前に死んだ。鬱を患い、自ら命を絶った。
脳性マラリアにやられ、バングラデシュで友人が死んだのは3月末だった。遺体の引きとりのためにダッカに向かった。棺に入れるドライアイスがどんどん小さくなっていく暑さに、ダッカの街は包まれていた。棺は成田空港で霊柩車に積まれていった。見あげると、満開の桜だった。それから数日して、僕のふたりめの娘が生まれた。
なぜだろうか……。
満開の桜を見ると、親しかった友人の死に顔が浮かんできてしまう。ふたりとも、ひとりの娘を残してこの世を去った。
そういうことなのだろうか。
Posted by 下川裕治 at 15:53│Comments(0)
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