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ナムジャイブログ

2010年04月12日

健全さの結末

 4月11の朝という時点で、明日を予測するのは難しい。しかし気にはなるのだ。10日の午後、バンコクの民主記念塔近くで、スアデーングとタイ語で呼ばれる赤シャツ派の強制排除がはじまった。動いたのはタイ軍だった。
 今朝の時点で、死亡者は15人。そのなかには日本人記者も含まれていた。日本の新聞は一面トップ扱いになった。
 日本にいると、赤シャツ派と黄シャツ派の対立についてよく聞かれる。皆、よくわからないのだ。日本での報道が少ない理由は単純だ。この対立が、完全にタイの内政問題だからだ。赤シャツ派が政権をとっても、黄シャツ派が実権を握っても、日本との関係に大きな変化はない。僕に聞いてくるのは、もっぱら旅行関係者である。バンコクには非常事態宣言が出ているからパッケージツアーも組めない。しかしビジネスマンや個人旅行者は、なんの関係もないかのようにタイに向かう。
「どうなるんですか。これから……」
 そう聞かれても困る。タイ人たちがわからないのだから、僕がわかるわけがない。
 この対立を大きくとらえれば、タイ国内の権力抗争である。旧守派と新興派の対立といってもいい。タクシン元首相への判決、軍や王室の思惑、北部と南部の問題、経済界からの圧力、カンボジアの動き……と、話を複雑にする要素は多い。が、突き詰めていけば、新旧対立である。タイが民主国家になるための産みの苦しみと見る人もいる。
 2週間前の日曜日、僕はサパンクワイの舗道で、赤シャツ派のデモを眺めていた。庶民の街であるサパンクワイは、赤シャツ派の拠点でもある。屋台のおじさんやおばさんも、この日は赤いTシャツに着替え、車道を走る赤シャツ派に声援を送り、水や食べ物を差し出していた。舗道では、赤いはちまきや手の形をした声援グッズも売られていた。僕が泊まるホテルにも、地方からやってきた赤シャツ派が多く泊まっていた。
 その光景を目にしながら、昔の天安門事件の前夜を思い起こしていた。そのとき、僕は上海にいた。路上の物売りは、デモ隊に水や煮タマゴを無料で提供していた。あのとき、上海は健全だった。その空気に似たものが、サパンクワイの路上に流れていた。
 僕の周りのタイ人の多くも、どちらかというと赤シャツ派を支持している。赤いTシャツを着て、デモに参加したりはしない。が、旧態依然とした富裕層が仕切る政治には批判的だ。彼らは、この30年でそれなりの豊かさを手に入れた中間層だからだ。彼らの発想は、いたって健全なのだ。
 しかし健全な政治運動は長続きしない。
 いつも切ない結末を迎える。
 そんなステレオタイプの政治騒動を、タイにあてはめたくはない。
(2010/4/11)


Posted by 下川裕治 at 13:41│Comments(0)
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