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ナムジャイブログ

2025年03月10日

降りはじめの雪

 土曜日の晩から東京は雪の予報だった。海外にしばしば出ているので正確なことはいえないが、今年の東京都心は、まったく雪が積もらなかった気がする。少しは降ったかもしれないが。
 土曜日の晩、原稿を書きながら、空模様が気になった。ときどき夜空を見あげた。夜中に少し積もったが、朝、目を覚ますと、春の日射しを浴びて、雪は解けていた。
 なぜ、こんなに雪が気になるのだろうか。雪を見たことがないタイ人とは違う。信州で育ったから、飽きるぐらいに雪は見ている。今年は冬の只見線や新潟を歩いていて、大雪の影響で列車が運休してしまう憂き目にも遭っている。
 それなのに雪が気になる。
 雪というものは不思議なもので、大雪になると大変なのに、降りはじめには高揚感がある。先のことを考えなければ美しい。
 それはどこかコーヒーやビールに似ている気がする。朝、起きたときのコーヒー、忙しい1日が終わったあとのビール。どちらも最初の1杯にすべてがある……。ふた口め以降はどうでもいいわけではないが、やはり陰が薄い。
 それはコーヒーやビールに限ったことではないと思う。料理の世界も、最初のひと口。食べ物がらみのテレビ番組を観ていても、最初のシーンに「おいしい」は集中する。
 雪も降りはじめである。
 これまでいろいろな雪の降りはじめを目にしてきた。
 真夏のカナダの北極圏を車で走ったことがある。デンプスターハイウエイという北極圏の道があるのだが、その入口で、ひとりのヒッチハイカーを乗せた。エスキモーとインディアンの混血だという中年男性だった。走りはじめたときは晴れていたのだが、40分も進むと天候は一気に崩れて、雪が降りはじめてしまった。「メリークリスマス」とヒッチハイカーの男がおどけた。彼の話では、前の週は気温が24度まであがったという。ところが今日は雪。真夏の北極圏の雪は美しかった。
 北海道の留萌本線は石狩沼田駅から先は廃線になってしまったが、それに乗って終点の増毛駅まで行ったことがあった。冬だった。吹雪に見舞われ、駅舎から出ることができなかった。しかしそのときの吹雪は波のようだった。立つことが難しい雪混じりの強風が吹いたかと思うと、突然、青空が広がる。いまだ……と駅舎から出るのだが、すぐに雪が降りはじめる。追い立てられるように弱まっていく日射しに照らされた降りはじめの雪は輝いていた。
 雪の降りはじめといえば、忘れられない一文がある。那覇でバーを開いていた「ごう」さんの話だ。僕は知人の仲村清司氏とよく彼の店に行った。彼は末期がんの体で京都に移住する。息を引きとる1週間前、京都に雪が降る。彼が仲村氏に電話をかけてくる。その会話を仲村氏が本にまとめている。
「清さん、京都は雪だよ。きれいだよ。何もしないで朝からずっと窓の外を眺めている。西山も雪化粧して、こんな景色を見たかったんだ。ありがとう」(消えゆく沖縄・光文社新書)
 その電話を仲村氏は病室のベッドで受けている。彼は鬱を患っていた。
 今年は東京で雪の降りはじめを見ることはなさそうだ。東京は梅の季節は終わりつつある。まもなく桜の季節だ。

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2025年03月03日

フロリダホテルに流れるあの時代

 土曜日の晩、運営しているユーチューブのライブがあった。バンコクにきていたので、パヤタイの踏切からのライブだった。人口が1000万人を超えるような大都市で、列車が通過するたびに、遮断機がおりる踏切がある街はあまり知らない。渋滞を解消するために地下化か高架……。そんな街が多い。しかしバンコクは踏切である。僕がはじめてバンコクにきたのは1976年である。そのときもパヤタイは踏切だった。それから50年近い年月が流れたが、いまだに踏切である。
 頭上にはBTSのパヤタイ駅がある。周囲はビルが林立している。その谷間に線路がのびている。そこだけ時間が50年以上、止まっている。見逃した方は下記から。
https://www.youtube.com/watch?v=eZCGtkzcDug
 ライブが終わった後、夕飯でも食べて帰ろうと思った。ふと見ると、懐かしいネオンの文字が目に入った。
 フロリダホテル──。
 まだあったんだ……。50年近く前、正確にいうと48年前の記憶が一気に蘇ってきた。そのとき、僕は2回目のタイにきていた。そして北部のチェンラーイに向かった。そのバスが発車したのが、このフロリダホテルの前の駐車場だった。
 公共の長距離バスターミナルはあったと思う。しかしバンコクの日本人に話を訊くと、皆、「チェンマイやチェンラーイ行きのバスはフロリダホテルからだ」というのだった。いま思うと、ロットツアーという冷房つき長距離バスのターミナルが、フロリダホテルの前にあったのだ。
 その後、タイの長距離バスは、バスターミナルに一本化していく。しかし当時は、一般バスとは違い、冷房が効き、若い女性車掌が軽食やコーヒーを出すサービスがついたバスが走りはじめた頃だったと思う。
 その後、このロットツアーは全盛期を迎える。目的地の地方都市のターミナルは、その街でいちばん高級なホテルの前ということが多かった。富裕層向けのバスだったのだ。
 ということは、フロリダホテルは、バンコクのなかでも高級なホテルだったということになる。
 バンコクには何軒かのフロリダホテルのようなホテルが残っている。マイアミホテル、オペラホテル……。名前から連想できる時代がある。ベトナム戦争である。あの時代、バンコクやパタヤは、ベトナムで戦うアメリカ兵の保養地のような役割を担っていた。R&Rと呼ばれる世界だ。その時代に建てられたホテル……の世界である。
 すでに建物は古く、修復は繰り返しているものの老朽化感はぬぐえない。クラシックホテルというには貧相だが、歴史はある。レストランはアメリカの地方都市のレストランによく似ている。高い背が隣のテーブルの間を仕切っている。スタッフは決して若くないが英語は通じる。
 懐かしくて入ってしまった。客はひと組みしかいなかった。静かなまったりとした空気が流れている。
 メニューを見て唸ってしまった。まったくいま風ではない。タイ料理は多くない。ではアメリカ料理かというと、それとも違う。独自の世界が広がっていた。
 バンコクは不思議な街で、タイ人の世界観のなかに、ポツンと欧米が顔を出す。それもいまの欧米ではなく、数十年前の欧米……。戦禍のなかった街ということかもしれない。
 そんな場所は僕のような年齢の男にはちょうどいい。バンコクの居場所を再発見した気分だった。

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