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ナムジャイブログ

2009年07月06日

わたしの彼は左きき

 無頼派に映った。
 朝日新聞社のアエラの取材だった。仕事が終わったとき、カメラマンの砂守勝巳さんがこういった。
「再度、撮影をするんで、取材費をもらえないかな」
 僕は朝日新聞社から預かっている取材費のなかから2万円を渡した。
 東京に戻り、編集部にそのことを伝えた。
「その金は返ってこないな」
 デスクは呟くようにいった。なんでも砂守さんは、一度も清算というものをしたことがないのだという。
 すごい人だと思った。
 砂守さんが亡くなった。胃がんだった。57歳だった。写真集『漂う島 とまる水』で土門拳賞を受賞した。奄美や沖縄にこだわる写真家だった。僕と会ったときも、那覇の桜坂のアパートで暮らしていた。
 仕事が終わり、彼の案内で桜坂を歩いた。最初は『コントラバス』というライブのある店だった。カウンターに座り、ビールを頼み、ひと口飲むと、彼が口を開いた。
「餃子屋へ行こう」
「はッ?」
 まだビールをひと口しか飲んでいないのだ。せわしなく餃子屋に入り、餃子を頼むと、次は「おでんの店に行こう」という砂守さんの声が聞こえてくる。一軒にいるのは15分ほどで、次々に店を変わっていく。その都度、僕は料金を払、「これは清算が大変だ」と思いながら、彼の後を追いかける。
 最後は『エロス』という店だった。ここは客のリクエスト曲をかけてくれる店なのだが、砂守さんは、麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』を聞きながら上機嫌だった。
 すごい人だと思った。
 ただ、なにかに焦っていた。それは自分が生まれた沖縄という土地への焦りだったのかもしれない。いま、彼の写真を見ながら、そう思うのだ。


Posted by 下川裕治 at 13:45│Comments(1)
この記事へのコメント
生前は大変お世話になりました
Posted by 砂守かずら at 2009年07月14日 23:10
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