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ナムジャイブログ

2014年02月10日

ハノイヒルトンという捕虜収容所

【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、シュムリアップ、プノンペンを経てホーチミンシティ。バンメトートからバスを乗り継いでハノイに到着した。
     ※       ※
 昔から観光地や博物館、記念館といったものに、あまり興味をもたない旅行者だった。ハノイは何回か訪れているが、ホーチミン廟も知らないし、水上人形劇も見たことがなかった。しかし今回、どうしても見ておきたい場所があった。
 ホアロー収容所だった。
 この施設は、フランス植民地時代につくられた刑務所だった。しかしベトナム戦争時代には、アメリカ兵の捕虜収容所として使われるようになった。
 北爆に参加し、高射砲などの攻撃に遭い、パラシュートで脱出した兵士は、この収容所に送り込まれた。彼らはこの収容所を「ハノイヒルトン」と呼んでいた。アメリカ人流の辛辣なジョークである。
 捕虜たちは収容所のさまざまなエリアに名前をつけた。監禁用の独房は「ハートブレイクホテル」、新しい独房棟を「ラスベガス」と呼んだ。北側の壁は「サンダーバード」、東に沿って並ぶ独房棟は「デザートイン」、「スターダスト」などと命名していた。
 そんな場所を見てみたかったのだ。
 いまの収容所は、入館料2万ドンという観光地になっていた。敷地は大幅に狭くなり、かつての独房棟があったあたりには、ハノイタワーという高級マンションが建っていた。あまりに現実的なベトナム人である。かつてアメリカ兵が尋問を受け、植民地時代にはギロチンを使った処刑も行われた土地に、マンションが建つのだ。
 館内のレイアウトも大幅に変わっているようだった。頼りは手書きの鳥瞰図だった。ベトナム戦争後のアメリカをテーマにした『ジャングル・クルーズにうってつけの日』(生井英考著)のなかで紹介されていた。そのコピーを見ながら、想像をたくましくするしかなかった。
「ここがラスベガスだろうか……」
 ベトナム政府がつくった記念館だから、ベトナムにとって不都合なものが展示されているわけがなかった。写真に映しだされるアメリカ兵捕虜は誰も笑顔だった。体は痩せ細っていたが。
 捕虜としてこの収容所に入り、アメリカの英雄になった男がいる。アメリカの共和党の重鎮、ジョン・マケインである。
 ハノイの火力発電所爆撃に参加したマケインは撃ち落とされ捕虜になる。彼の父親は海軍のトップだったことから、マケインにはすぐに釈放という決定が下される。北ベトナムは、それによって、人道的な扱いをしているという演出をしようとしたといわれる。しかしマケインはそれを拒否。6年近くをこの収容所で過ごした。この事実が、ベトナム戦争終結に向けたパリ協定の場で伝えられ、マケインは一気に英雄になるのだ。
 ホアロー収容所は、ハノイのなかにある唯一のアメリカだった。ベトナム戦争後のアメリカの苦悩も内包している。しかしその展示からは、アメリカのにおいはなにも伝わってこなかった。        (以下次号)

(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。



Posted by 下川裕治 at 14:03│Comments(1)
この記事へのコメント
はじめまして。新刊『週末ベトナムでちょっと一服』を新幹線の中で読み終えました。これからの作品も楽しみにしております。
Posted by 齋藤正宏 at 2014年03月15日 19:44
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