2014年06月02日
降り出しのバンコク。そしてミャンマー
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先を阻まれてしまう。
※ ※
ミャンマーのチャイントンから先に行けない以上、タイに戻るしかなった。翌日のバスでタチレク、そしてタイに入国した。
ミャンマーに入国するポイントは、残り3つしかなかった。ヤンゴンに向かうには、メーソトからミャーワディに入るルートが近かった。
しかしビザの問題があった。ミャンマーは通常、複数回、入国できるビザを発行してくれない。そのつど、ビザをとらなくてはならないのだ。チェントンへ行くのにビザを使ってしまった。ビザをとり直すしかなかった。
バンコクへ戻るしかなかった。
この旅はバンコクからスタートした。ぐるっとひと筆書きのように、マイナーな国境を通過して、東南アジアをまわる計画で旅がはじまった。バンコクに行くということは、そのスタートに戻ってしまうことになる。
しかしその方法しかなかった。メーサイからバンコク行きの夜行バスに乗る。翌朝、バンコクの北ターミナルであるモチットに着いた。カンボジアに向けてバスに乗ったターミナルである。
少々早かったが、その足でミャンマー大使館に向かった。
バンコクのミャンマー大使館は、僕らのような旅行者にはありがたかった。日本では通常、1週間近くかかってしまうビザが、ここなら翌日、書類をそろえれば同日発給が可能だった。
無事、ミャンマーのビザがとれた。メーソト行きの夜行バスに乗る。
乗客の大半はミャンマー人だった。バンコクで働いている人たちだった。それがわかったのは、メーサイに近づくにつれ、何回も行われたパスポートチェックだった。
ラオスから入国したときは、ラオス人を厳しくチェックしていた。こちらの国境はミャンマー人である。僕らはチェックを免除されぽつんとバスのなかで待たされる。
バンコクで働くミャンマー人は多い。
朝食を買いに出たとき、頬にタナカを塗ったミャンマー人が数十人、歩道の上で待っている姿を見たことがある。やがてトラックがやってきて、皆、その荷台に乗っていった。どこかの工事現場で働いているようだった。バンコクの3K職種は、周辺国の労働者で支えられているのだ。
ミャンマー人が帰国する。鞄のなかには、働いて貯めた金が入っているのだろう。
ラオス、タイ北部、ミャンマーのチェントンは涼しかった。寒いぐらいだった。バンコクで気温は一気に上昇したが、早朝、メーソトに着くと、再び、気温が10度ほどさがっていた。ソーンテオに乗って国境に向かった。吹き込む風に、襟許を抑える。
前方に国境を流れるモエイ川に架かる橋が見えてきた。あの橋を越えれば、再びミャンマーである。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先を阻まれてしまう。
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ミャンマーのチャイントンから先に行けない以上、タイに戻るしかなった。翌日のバスでタチレク、そしてタイに入国した。
ミャンマーに入国するポイントは、残り3つしかなかった。ヤンゴンに向かうには、メーソトからミャーワディに入るルートが近かった。
しかしビザの問題があった。ミャンマーは通常、複数回、入国できるビザを発行してくれない。そのつど、ビザをとらなくてはならないのだ。チェントンへ行くのにビザを使ってしまった。ビザをとり直すしかなかった。
バンコクへ戻るしかなかった。
この旅はバンコクからスタートした。ぐるっとひと筆書きのように、マイナーな国境を通過して、東南アジアをまわる計画で旅がはじまった。バンコクに行くということは、そのスタートに戻ってしまうことになる。
しかしその方法しかなかった。メーサイからバンコク行きの夜行バスに乗る。翌朝、バンコクの北ターミナルであるモチットに着いた。カンボジアに向けてバスに乗ったターミナルである。
少々早かったが、その足でミャンマー大使館に向かった。
バンコクのミャンマー大使館は、僕らのような旅行者にはありがたかった。日本では通常、1週間近くかかってしまうビザが、ここなら翌日、書類をそろえれば同日発給が可能だった。
無事、ミャンマーのビザがとれた。メーソト行きの夜行バスに乗る。
乗客の大半はミャンマー人だった。バンコクで働いている人たちだった。それがわかったのは、メーサイに近づくにつれ、何回も行われたパスポートチェックだった。
ラオスから入国したときは、ラオス人を厳しくチェックしていた。こちらの国境はミャンマー人である。僕らはチェックを免除されぽつんとバスのなかで待たされる。
バンコクで働くミャンマー人は多い。
朝食を買いに出たとき、頬にタナカを塗ったミャンマー人が数十人、歩道の上で待っている姿を見たことがある。やがてトラックがやってきて、皆、その荷台に乗っていった。どこかの工事現場で働いているようだった。バンコクの3K職種は、周辺国の労働者で支えられているのだ。
ミャンマー人が帰国する。鞄のなかには、働いて貯めた金が入っているのだろう。
ラオス、タイ北部、ミャンマーのチェントンは涼しかった。寒いぐらいだった。バンコクで気温は一気に上昇したが、早朝、メーソトに着くと、再び、気温が10度ほどさがっていた。ソーンテオに乗って国境に向かった。吹き込む風に、襟許を抑える。
前方に国境を流れるモエイ川に架かる橋が見えてきた。あの橋を越えれば、再びミャンマーである。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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Posted by 下川裕治 at 14:05│Comments(0)
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