2014年08月12日
旅の最後にラノーン温泉の贅沢
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイ。メルギー諸島を船で南下。ミャンマー最南端のコータウンに着いた。
※ ※
ミャンマーのコータウンからタイのラノーンまで乗った船は、その日の最終船だった。乗客は8人。小ぶりの船はコータウンの港を横切るように進んでいった。
途中で船頭がライフジャケットを着るようにいった。タイの海に入ったことを、こうして教えられた。
コータウンからラノーンまでは遠くない。船で30分ほどだろうか。ラノーン港の入り口にイミグレーションがあった。船が着く。降りようすると、船頭に止められた。残りの6人だけが降りていく。彼らが手に持っていたのは、ミャンマーのパスポートだった。ミャンマー人専用のイミグレーションだった。僕とカメラマン以外は皆、ミャンマー人だったのだ。
ラノーンの街に入ってわかったのだが、街で働いているミャンマー人はかなりの数だった。市場はミャンマー人で支えられているかのようだった。
ミャンマー人以外のイミグレーションは、魚市場の脇の小さなオフィスだった。
東南アジアのローカル国境を越えながら進む旅。最後のイミグレーションを通過する。
ラノーンといえば温泉だった。朝、宿の窓から眺めると、山側に水蒸気が昇っているのが見えた。そこまで行けば温泉があるかもしれない……。散歩のつもりで歩きはじめたのだが、なかなか温泉はみつからなかった。
困って道端の花屋に訊いてみた。おばさんは、道を説明しはじめたのだが、あの角を曲がって……などといっているうちに、自分でもわからなくなってしまったようだった。するとおばさんはこういった。
「ちょっと待っていなさい。送ってあげるから」
こういう厚意にはすぐに甘えるタイプなので、しばらく待っていると、夫なのか使用人なのかわからないおじさんがバイクで戻ってきた。横には荷台がサイドカーのようについていた。ここに花を積むのだろう。
おじさんは二つ返事で笑顔をつくった。タイの田舎の人たちは、やはり親切である。
バイクの荷台で5分ほど揺られると、温泉パークのようなところに着いた。入り口にラクサワリン温泉と書いてあった。
ラノーン市が運営している温泉パークのようで、入場料はもちろん、入浴料も無料だった。日本の温泉に比べると、タイは太っ腹である。65度と45度の浴槽があった。ぬるいほうに入ってみた。
イオウのにおいが仄かに香るいい温泉だった。露天風呂だが、水着は着けなくてはならない。どこか温泉プールに入っているような気分だが、久しぶりの温泉である。
そっと背中を触ってみた。ミャンマーでバスの横転事故にあった。それ以来、背中の痛みに耐える旅が続いていた。この温泉に浸かれば、きっとよくなるのに違いない。祈るような気持ちで湯に浸かる。肋骨が折れていることを知らない僕は、打ち身だと思っていたわけだから、温泉の効果に期待を抱いてしまうのである。
いい天気だった。谷間につくられた温泉に浸かると、山の緑が目に染みた。
旅の最後に温泉──。なんだかそれは、とんでもない贅沢のような気にもなる。
その日の夜行バスの切符を買っていた。明朝にはバンコクに着く。
「一応、病院で診てもらおうか」
温泉のなかでそんなことを考えていた。
(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイ。メルギー諸島を船で南下。ミャンマー最南端のコータウンに着いた。
※ ※
ミャンマーのコータウンからタイのラノーンまで乗った船は、その日の最終船だった。乗客は8人。小ぶりの船はコータウンの港を横切るように進んでいった。
途中で船頭がライフジャケットを着るようにいった。タイの海に入ったことを、こうして教えられた。
コータウンからラノーンまでは遠くない。船で30分ほどだろうか。ラノーン港の入り口にイミグレーションがあった。船が着く。降りようすると、船頭に止められた。残りの6人だけが降りていく。彼らが手に持っていたのは、ミャンマーのパスポートだった。ミャンマー人専用のイミグレーションだった。僕とカメラマン以外は皆、ミャンマー人だったのだ。
ラノーンの街に入ってわかったのだが、街で働いているミャンマー人はかなりの数だった。市場はミャンマー人で支えられているかのようだった。
ミャンマー人以外のイミグレーションは、魚市場の脇の小さなオフィスだった。
東南アジアのローカル国境を越えながら進む旅。最後のイミグレーションを通過する。
ラノーンといえば温泉だった。朝、宿の窓から眺めると、山側に水蒸気が昇っているのが見えた。そこまで行けば温泉があるかもしれない……。散歩のつもりで歩きはじめたのだが、なかなか温泉はみつからなかった。
困って道端の花屋に訊いてみた。おばさんは、道を説明しはじめたのだが、あの角を曲がって……などといっているうちに、自分でもわからなくなってしまったようだった。するとおばさんはこういった。
「ちょっと待っていなさい。送ってあげるから」
こういう厚意にはすぐに甘えるタイプなので、しばらく待っていると、夫なのか使用人なのかわからないおじさんがバイクで戻ってきた。横には荷台がサイドカーのようについていた。ここに花を積むのだろう。
おじさんは二つ返事で笑顔をつくった。タイの田舎の人たちは、やはり親切である。
バイクの荷台で5分ほど揺られると、温泉パークのようなところに着いた。入り口にラクサワリン温泉と書いてあった。
ラノーン市が運営している温泉パークのようで、入場料はもちろん、入浴料も無料だった。日本の温泉に比べると、タイは太っ腹である。65度と45度の浴槽があった。ぬるいほうに入ってみた。
イオウのにおいが仄かに香るいい温泉だった。露天風呂だが、水着は着けなくてはならない。どこか温泉プールに入っているような気分だが、久しぶりの温泉である。
そっと背中を触ってみた。ミャンマーでバスの横転事故にあった。それ以来、背中の痛みに耐える旅が続いていた。この温泉に浸かれば、きっとよくなるのに違いない。祈るような気持ちで湯に浸かる。肋骨が折れていることを知らない僕は、打ち身だと思っていたわけだから、温泉の効果に期待を抱いてしまうのである。
いい天気だった。谷間につくられた温泉に浸かると、山の緑が目に染みた。
旅の最後に温泉──。なんだかそれは、とんでもない贅沢のような気にもなる。
その日の夜行バスの切符を買っていた。明朝にはバンコクに着く。
「一応、病院で診てもらおうか」
温泉のなかでそんなことを考えていた。
(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at 12:10│Comments(0)
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