2014年08月18日
旅は終わった
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイ。メルギー諸島を船で南下。ミャンマー最南端のコータウンからラノーンでタイに入国した。
※ ※
ラノーンの温泉に浸かったが、バスの横転という事故で負った背中の痛みが薄らいだわけではなかった。なにも変わらない……。それが正直なところだった。
その日の夜行バスでバンコクに向かって北上する。
最後のバス旅だった。タイのバンコクを出発し、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーと、ローカルな国境だけを越えた陸路旅の最後だった。
しかし旅の最後の感傷に浸るほどの余裕がなかった。バス……。そう思っただけで、ミャンマーの夜行バスが蘇ってきてしまった。細かく、絶えることがない振動が背中に響くあの夜行バスである。望みといえば、タイの道だった。ミャンマーよりはいいことはわかっていたが、まったく振動がないというわけではないだろう。ときどき伝わる振動に反応するように背中が痛み、脂汗をかくことになるのかもしれなかった。
晴れない面もちでバスに乗る。振動が少ないことを祈るしかない。
タイだった。ミャンマーの道に比べれば、それは鏡のようにも感じた。ときおり振動はある。しかしそれはやわらかで、激痛が背中を走るようなことはなかった。楽だった。道さえよければ、バス旅はこんなにも快適なものなのかと、小さな灯りに絞られた車内で呟いていた。
朝焼けのバンコクに着いた。到着したのはバンコクの南バスターミナルだった。
旅は終わった。
予想以上に日数がかかってしまった。思ったルートをバスで走破できたわけではない。しかしなんとか一周することができた。そこには、アジアの問題が渦巻いてもいたが、少なくとも陸路で国境を越えながらの旅はこなすことができた。
ホテルに荷物を置き、バンコク病院に向かった。アフガニスタンでアメーバ赤痢を患ったときも、最後はバンコクのこの病院にお世話になった。
X線写真を撮ってもらった。30代の若い医師は、パソコンに送られてきたX線画像を見ながらこういった。
「折れてますね」
「骨折?」
「そう。第9肋骨と第10肋骨が2本」
パソコンの画面を見せてくれた。たしかに骨がつながっていなかった。打ち身などではなかったのだ。肋骨が折れていたのだ。
診断書を書いてもらうために、待合室で座っていた。すると、診察室から件に医師が出てきた。僕の脇に立った。
「もう少しよく見たら、もう1本、折れていました」
「3本折れていたってことですか」
「そう」
これといった治療法はなかった。痛み止めを飲みながら、つながるのを待つだけだ。
日本に帰国しても、背中の痛みは消えなかった。東京の医師の診断も、バンコクとまったく同じだった。治療法も変わらない。
痛み止めを飲み続ける日々が続いた。3週間、4週間……。そうこうしているうちに、60歳の誕生日を迎えてしまった。
この年になると、肋骨がつながるのにも時間がかかるらしい。(終わり)
※この連載は新潮文庫にまとまり、今年の秋には出版予定です。
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイ。メルギー諸島を船で南下。ミャンマー最南端のコータウンからラノーンでタイに入国した。
※ ※
ラノーンの温泉に浸かったが、バスの横転という事故で負った背中の痛みが薄らいだわけではなかった。なにも変わらない……。それが正直なところだった。
その日の夜行バスでバンコクに向かって北上する。
最後のバス旅だった。タイのバンコクを出発し、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーと、ローカルな国境だけを越えた陸路旅の最後だった。
しかし旅の最後の感傷に浸るほどの余裕がなかった。バス……。そう思っただけで、ミャンマーの夜行バスが蘇ってきてしまった。細かく、絶えることがない振動が背中に響くあの夜行バスである。望みといえば、タイの道だった。ミャンマーよりはいいことはわかっていたが、まったく振動がないというわけではないだろう。ときどき伝わる振動に反応するように背中が痛み、脂汗をかくことになるのかもしれなかった。
晴れない面もちでバスに乗る。振動が少ないことを祈るしかない。
タイだった。ミャンマーの道に比べれば、それは鏡のようにも感じた。ときおり振動はある。しかしそれはやわらかで、激痛が背中を走るようなことはなかった。楽だった。道さえよければ、バス旅はこんなにも快適なものなのかと、小さな灯りに絞られた車内で呟いていた。
朝焼けのバンコクに着いた。到着したのはバンコクの南バスターミナルだった。
旅は終わった。
予想以上に日数がかかってしまった。思ったルートをバスで走破できたわけではない。しかしなんとか一周することができた。そこには、アジアの問題が渦巻いてもいたが、少なくとも陸路で国境を越えながらの旅はこなすことができた。
ホテルに荷物を置き、バンコク病院に向かった。アフガニスタンでアメーバ赤痢を患ったときも、最後はバンコクのこの病院にお世話になった。
X線写真を撮ってもらった。30代の若い医師は、パソコンに送られてきたX線画像を見ながらこういった。
「折れてますね」
「骨折?」
「そう。第9肋骨と第10肋骨が2本」
パソコンの画面を見せてくれた。たしかに骨がつながっていなかった。打ち身などではなかったのだ。肋骨が折れていたのだ。
診断書を書いてもらうために、待合室で座っていた。すると、診察室から件に医師が出てきた。僕の脇に立った。
「もう少しよく見たら、もう1本、折れていました」
「3本折れていたってことですか」
「そう」
これといった治療法はなかった。痛み止めを飲みながら、つながるのを待つだけだ。
日本に帰国しても、背中の痛みは消えなかった。東京の医師の診断も、バンコクとまったく同じだった。治療法も変わらない。
痛み止めを飲み続ける日々が続いた。3週間、4週間……。そうこうしているうちに、60歳の誕生日を迎えてしまった。
この年になると、肋骨がつながるのにも時間がかかるらしい。(終わり)
※この連載は新潮文庫にまとまり、今年の秋には出版予定です。
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at 14:00│Comments(0)
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