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ナムジャイブログ

2014年09月01日

軍事政権の限界

 タイが静かだ。軍事クーデターが起き、しばらくは赤シャツ派の反発はあったものの、その後は、いたって平穏な空気に包まれている。日本の外務省は、バンコクに、「十分注意してください」という安全情報を出しているが、バンコクに住む人たちの感覚には沿っていない。政治的にみたら、いまのバンコクはいたって安全である。昔からタイはそうなのだが、軍事クーデターが起きた後に静寂が訪れる。軍事政権は治安の悪化を招くというベクトルがタイには通用しない。不思議な軍といえばそれまでだが、タイらしい話でもある。軍事政権の時期が、いちばん安全な小康状態に流れていく。
 今回の軍事クーデターは、相撲の水入りのようなものだった。タイ人の表情を見ても、なにかが解決したというより、どこか「気が抜けた」ようなところがあった。
 通常、タイの軍事政権時期には、経済が停滞する。企業は投資を控え、その後の情況に備える。タイ人たちも、しばしの休日といった感じで、のんびりとした懐かしいタイ社会が戻ってくる。しかし月日が経つうちに、いつまでもこんなことをしていても……という気運が起きてきて、軍事政権は終わり、再び元の状態に戻っていく。
 やはり軍は軍なのだ。政治や経済を動かしていこうとすると、ほころびは生まれる。
 しかし今回は少し発想が違うような気がする。いつまでたっても解決しない赤シャツ派と黄シャツ派という、タイの政治の枠組みを解決しようとする動きがある。
 タイ軍は国民の軍隊ではない。タイ王室のための軍である。その意味では、元々、利権をもっていたグループに属している。黄シャツ派に近いのだ。トップのプラユットは、かつてから黄シャツ派に近かった。しかしそれを前面に出しても、ことを荒だてることを知っている。
 長く続いた政治的な混乱は、バンコクで働く中間層の意識を変えてきているような気がする。政治、そして選挙というものが、利益誘導の上に成り立っていることへの疑問が生まれている。政治というものは、多かれ少なかれ、その枠組みのなかにあるのだが、人々の生活が豊かになってくると、その効き目が薄らいでいく。その意味では、以前から利権をもつ人々に支えられた黄シャツ派も、恵まれないイサンの人々に指示される赤シャツ派も、すでに現代のタイ社会の一部にすぎないということなのだ。
 そこから新しい政治という話になれば、発展的な要素もあるのだが、世界の流れを見ていると、その先にあるのは政治離れという皮肉が待っている。アジアでは、タイより一歩先に進んだ台湾や韓国、シンガポール、香港にその傾向が強い。
 政治の時代が終わっていくということなのだ。そこにタイの場合は軍や王室が絡んでくる。タイの軍事政権は、その流れを読みきってはいない。そこが軍事政権の限界のようにも映ってしまう。


Posted by 下川裕治 at 12:26│Comments(0)
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